聖書の探求(143) 申命記8章 カナンの地を所有した時の祝福と警戒

8章は、カナンの地を所有した時の祝福と警戒を記しています。

ここでは、モーセは老練な指導者として、地上に残していく若い人々に深い心遣いをして、心を尽くして教えていることが分かります。

パウロもエペソの教会の長老たちに、心を尽くして訓話しています(使徒20:17~38)。

使 20:17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。
20:18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。
20:19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
20:20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、
20:21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
(・・・中略・・・)
20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
20:36 こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。
20:37 みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、
20:38 彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。

それ以上にイエス様は十字架にかかられる直前に、弟子たちに重要な真理を語って下さっています(ヨハネ14章~17章)。

7章の分解

1~6節、四十年間の主による試みと教訓の回顧
7~10節、良い地の約束と感謝を忘れないこと
11~20節、主を忘れないこと

1~6節、主による試みと教訓の回顧

1節は申命記に度々記されている基調メッセージです。すなわち、主の祝福の基盤は主ご自身の命令を守り行なうことにあります。学んで知っているだけではなく、それを守り行なうことによって主の祝福は与えられます。

申 8:1 私が、きょう、あなたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、【主】があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。

「あなたがたは生き」は、生活の保証、
「その数は増え」は、主の民の増加、繁栄、
「地を所有する」は、放浪生活ではなく、安定した定住生活をすること。

これらは、主の民が主に従うことによって与えられる祝福と繁栄の約束です。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)

私たちも真剣に主に従うことによって、神の国と神の義を求めたいものです。

2節において、モーセはこれまでの四十年間の荒野の生活の意義について教えています。

申 8:2 あなたの神、【主】が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

この四十年の荒野の生活は、古い、罪を犯したイスラエルの人々には刑罰でしたが、旅の途中で生まれた、モーセがこの話を聞かせていた時のイスラエルの会衆にとっては、へりくだりと忠実さを教えるための試みと訓練の期間でした。

私たちはだれ一人、神の訓練を受けることなしに、また従順に従うことなしに、主の祝福を受けて勝利者、成功者になることはできません。パウロは、「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者になるのです。」(ローマ8:37)と言っています。もし私たちが、イエス様を愛して、あらゆる試みと訓練に忠実に身をゆだねて従うなら、必ず、パウロが言う勝利者になることができるのです。

苦難の中にあっても、乏しさの中にあっても、病いの中にあっても、愛による勝利者になれるのです。私たちの心の中にイエス様に対する愛と従順がある時、まわりがどういう状況であっても、また自分がどういう状況の中に置かれていても、私たちの心は勝利者としての豊かさと、勝利感が満ちています。

しかしこの主の訓練を回避したり、拒んだり、先送りにしたりするなら、失格者になってしまいます。イスラエルはそのようにしたために、実際に約束の祝福を受けるのに必要な期間を四十倍も長くかかり、四十年も先に追いやってしまったのです。

「‥‥‥霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になるとこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10,11)

モーセは、この荒野の旅の全行程を覚えなければならないと言っています。この旅では、度々、つぶやきや不信仰が行なわれ、その度に警告のさばきが加えられてきました。このことを通して、私たちは悟らなければなりません。主のみことばのご命令はすべて、私たちが守るかどうか、私たちの心の中が忠実な信仰に満ちているかどうかを、知るためのものであることを。主のみことばは絶えず、私たちの信仰を試すのです。心の中の動機を明らかにさせるのです。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

3節、荒野の旅路における大きな試みの一つは、水や食べ物の試みでした。

申 8:3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は【主】の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

民は飢え渇きを覚えました。そして主によって、その必要が満たされることを経験したのです。このことにも重要な真理を悟らせる目的がありました。

「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたがたにわからせるためであった。」

主イエス様はサタンの誘惑に会われた時、このみことばを引用されました(マタイ4:4)。

マタ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

しかし申命記8章3節のほうでは「ことば」という言葉が使われておらず、「主の口から出るすべてのもの」となっています。モーセはこの言葉を語った時、自分の口を通して話す言葉を神の啓示として認識していたのです。少なくとも主がこの句を引用された時、そのことを認めておられたのです。主はパンの必要を否定されたわけではありませんが、パンからは真の命が得られないことを明確に示されました。

クリスチャンと言っても、必ずしも、霊の命を優先して生きているとは限らない人もいます。この点で、私たちは大きく神の道からそれていく危険があります。霊の命は神のみことばによってしか得られないことを十分に悟るべきです。それ故、神のみことばはパンよりも重要なものとして優先される必要があります。すべてのクリスチャンの心の中に、このことを深く浸透していくようにしなければなりません。

「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテヤ6:8)

4節は、着物と足のことが言われています。

申 8:4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

「あなたの着物はすり切れず」とは、荒野の放浪の旅ではあったけれども、神から新しい着物が与えられたことを示しています。

「あなたの足は、はれなかった」とは、旅に必要なはきものが与えられたことを示しています。主は、私たちが神の国と神の義を求め続けるなら、勿論、生活に必要なものをすベて与えてくださると約束されました(マタイ6:33)。

しかし、物質的必要が満たされるだけでなく、もっと大切な霊的キリストの義の衣をいただいて、また御霊をいただいて、光の子としての歩みをしなければなりません(エペソ5:8)。

エペ5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

5節、食物にしろ、着物や靴が与えられるにしろ、主のみことばを忠実に守り行なう者に、主が祝福を与えられるのは、主が訓練しておられるのです。

申 8:5 あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、【主】があなたを訓練されることを、知らなければならない。

「人がその子を訓練するように」とあるのは、その養いと懲らしめの両方を含んでいます(ヘブル12:5~11)。

ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

主は、義の実を結ばせるために訓戒し、矯正し、教育されることを知らなければなりません。

6節は、再び申命記の重要な基調メッセージを記しています。

申 8:6 あなたの神、【主】の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

(1)「あなたの神、主の命令を守って、」
主のみことばを一回一回、守り行なうこと。

(2)「その道に歩み」(10:12、11:22、19:9、26:17、28:9、30:16)
主のみことばを生活の中に活用し、継続してあかしすること。

申 10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、

申 11:22 もし、あなたがたが、私の命じるこのすべての命令を忠実に守り行い、あなたがたの神、【主】を愛して、主のすべての道に歩み、主にすがるなら、

申 19:9 ──私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令をあなたが守り行い、あなたの神、【主】を愛し、いつまでもその道を歩むなら──そのとき、この三つの町に、さらに三つの町を追加しなさい。

申 26:17 きょう、あなたは、【主】が、あなたの神であり、あなたは、主の道に歩み、主のおきてと、命令と、定めとを守り、御声に聞き従うと断言した。

申 28:9 あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り、主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。

申 30:16 私が、きょう、あなたに、あなたの神、【主】を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、【主】は、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。

(3)「主を恐れなさい」
敬虔な、主を第一にする生活をし、この世と妥協しない心の態度をとること。

指導者モーセは、民を残して地上を去ろうとする時、最も重要なことを何度も語り聞かせています。これは今日の私たちにとっても重要なメッセージです。

7~10節、良い地の約束と感謝を忘れないこと。

信仰を真剣に追求し、主を求め続けるなら、必ず、霊的祝福とともに、物質的、生活的祝福を受けるようになります。しかし、この物質的祝福が滅びのワナとなることが多いのです。これは教会の中にしばしば見られることです。ここにモーセが警告していることは、そのことです。私たちが食べて満ち足りる生活をしている時、最も危険な状態にあるのです。

「不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」(箴言30:8,9)

7~9節は、主がイスラエルの民を導き入れられたカナンの地が、どんなに良い地であるかをありのままに記しています。

申 8:7 あなたの神、【主】が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、
8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。
8:9 そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地、その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地である。

確かに今日も、カナンの地からは宝石が産出しています。そこは人が生きるのに、最も良い地です。豊かな水と作物は、十分な食糧となり、鉄や鋼は豊かな資源を代表しています。しかし、イスラエルの民のように長い間の貧しい、苦しい奴隷生活と、それに続く四十年にもわたる長い荒野の旅の生活から、豊かな安定した定住生活に移る時、最初は感謝しますが、しばらくすると、それが自己満足になり、当り前になり、さらに不満になり、主に対する高慢な反抗心に変わっていくのが、人間の罪の性質です。救われた後、しばらくは喜んでいますが、後になって高慢になって、反抗する人が跡を絶ちません。それは罪の性質によるのです。

そこでモーセは、そのための安全策をいろいろな節で教えたのです。

6節では、主の命令に従い守ることによって、
5節では、主の訓練を受けることによって、
10節では、主を賛美することによって、
18節では、主との契約を守ることによって、

10節、主の恵みを受け、祝福を受けた時は、だれもが主を賛美し、感謝します。しかしそれは、すぐにのろいと反逆に変わりやすいのです。

申 8:10 あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜った良い地について、あなたの神、【主】をほめたたえなければならない。

これが今もクリスチャンの最大の問題であり、罪の性質が残っていることが、その原因です。

11~20節、主を忘れないこと

11、17節、「気をつけなさい。」

申 8:11 気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、【主】を忘れることがないように。

申 8:17 あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。

(1)11節、主の命令と主の定めと、主のおきてとを守らず、

(2)11節、あなたの神、主を忘れることがないように

14節、主を忘れることは、高慢によるものです。

申 8:14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れる、そういうことがないように。──主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、

12,13節、食物の満足、立派な家を建てて住むこと、財産、所有物が増えることによって、クリスチャンは高慢になり、主をないがしろにするようになる危険があります。

申 8:12 あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、
8:13 あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、

14節、自分がエジプトの奴隷(罪の奴隷)の家から救い出されたことを忘れてしまい、

8:14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れる、そういうことがないように。──主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、

15,16節、これまでの危険な、困難な旅路を守られたことや、その中で毎日毎日、養われたことを忘れてしまい、主が苦しみや、試みに会わせられた目的も悟ることなしに、主をないがしろにしてしまうのです。

8:15 燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、
8:16 あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった──

17節、そして、富を得ることだけを目的として生き、自分の力で財産を築いたと言うようになるのです。

申 8:17 あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。

19,20節、しかしそのように高慢になり、主を忘れ、この世の欲と偶像に従う者は、必ず滅びます。

申 8:19 あなたが万一、あなたの神、【主】を忘れ、ほかの神々に従い、これらに仕え、これらを拝むようなことがあれば、きょう、私はあなたがたに警告する。あなたがたは必ず滅びる。
8:20 【主】があなたがたの前で滅ぼされる国々のように、あなたがたも滅びる。あなたがたがあなたがたの神、【主】の御声に聞き従わないからである。

たといクリスチャンであっても、このような生き方をすると、異教の人々と同じように滅びます。福音書の時代、ユダヤ人たちは、「私たちの父はアブラハムです」(ヨハネ8:39)と言って、民族的な特権意識で安心していましたが、主は、ご自身を信じない者、神のことばに聞き従わない者は神から出た者でないと言われました(ヨハネ8:45~47)。

ヨハ 8:39 彼らは答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行いなさい。

信仰以外の特権は、何もないのです。

ヨハ 8:45 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
8:46 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
8:47 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」

18節、このようになりたくないなら、「あなたの神、主を心に据えなさい。」しっかり信仰の根をイエス・キリストに張りめぐらすことです。

申 8:18 あなたの神、【主】を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。

この世の人と同じような、表(うわ)べだけの信仰であってはなりません。富を築き上げる力は、主が与えられるのであって、それは契約に従って果たされるのです。

ここで、私たちが注意しなければならないことは、どんなに信仰に立って、恵まれていても、物質的繁栄は必ずサタンのワナとなることです。それ故、どこまでも霊的祝福を中心に求めるべきです。その生き方には、必ず物質的、生活的祝福が伴いますが、それに心を奪われずに、主に献げ続ける生活をすることです。これがサタンのワナに陥(おちい)らずに、成長し続ける秘訣です。

あ と が き

皆様、新しい年を主とともに始めておられることを、お悦び申し上げます。

聖書の探求も発刊以来12年目に入っています。昨年も数人、愛読者の方が天に召され
た知らせをいただきました。執筆する者としては、さびしさを覚えますが、一面、天の御国におられる愛読者の方に、「聖書の探求はいかがでしたか。御国はいかがですか。私も行きますから、待っていてください。」と呼びかけたい気持ちになります。この聖書の探求が少しでも読者の方々の信仰の助けになっているとすれば、本当にうれしいです。

この日本において最も悲しいことは、聖書が国民の心に息づいていないことです。このことは、先ずクリスチャン自身のうちに聖書が根を下ろしていくことから始めなければなりません。クリスチャンが、聖書が分かるようになるだけでなく、聖書を教えることができるようになることが必要です。神のみことばも、受けるだけでなく、与えることのできる者にさせていただきましょう。

(まなべあきら 1996.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyによって1907年に出版されたBible cardのイラスト「Moses Pleading with Israel」 (Wikimedia Commonsより)


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