聖書の探求(142) 申命記7章 カナン七族と滅亡の命令

7章はカナン七族と滅亡の命令を記しています。ここでまず注意しておかなければならないことは、今日、行なわれているような民族的、宗教的戦争を主が許可されたというのではないということです。

ここに記されていることは、最悪の状態にある異教徒に対する神のさばきであることと、メシヤ降臨の民となるイスラエルを偶像の異教から守ることが、その目的でした。ですから、今日、民族的、宗教的戦争を行なっても、主のみこころを行なっていることにはなりません。私たちにとっては、福音宣教の戦いこそ、主のみこころにかなった戦いです。しかし、神のさばきは今後も行なわれていくでしょう。しかしそれは主ご自身の御手によるものです。

7章の分解

1~5節、異教の民の取り扱い方 - カナン七族の全滅の命令
6~8節、イスラエルが贖(あがな)われた理由-イスラエルが選ばれ、エジプトから贖(あがな)い出された理由
–  1、イスラエルがすべての国々の民の中で最も数が少なかったから(7節)
–  2、主の愛(8節)
–  3、先祖たちへの誓いを守られた(8節)
9~15節、律法を守り行なう者への契約と恩恵
・ 9~11節、戒めを守り行なう者への恵みと主を憎む者への報い
・ 12~15節、恵み
-  1、本人に対して - 愛、恵み、数の増加
-  2、子孫に対して - 祝福
-  3、所有物 - 地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、子牛、雌羊
-  4、健康 - すべての病気を取り除かれる。エジプトの悪疫は一つももたらされない。
16~26節、カナン人の全滅の命令と神ご自身の臨在の約束


1~5節、異教の民の取り扱い方 - カナン七族の全滅の命令

イスラエルがカナン入国に際して、カナンの偶像を拝む異教の民を一掃することから始めなければなりませんでした。このことは今日のクリスチャンと教会に最も必要なことです。私たちはみな、潔められなければなりません。罪の性質を持ったままで生活しているなら、必ず高慢になり、再び罪を犯し続ける生活にもどっていきます。自己中心の生活をするようになります。また教会も世俗化して、この世と同じになってしまいます。二千年の教会の歴史はこれを繰り返しているのです。

1節を見ると、カナン七族を追い払うのは、主であり、イスラエルの民は信仰を持って、その地に入っていくだけです。

申 7:1 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、【主】が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。

実際にヨシュア記に記されている戦いでは、神の民が信仰を持って戦った時には、百パーセント勝利を得ています。勝利は常に神のものです。

(カナン七族について)

1、ヘテ人(ヒッタイト)はBC1800~900年にかけて、シリヤと小アジアで権力を持っていた強大な文明化された民族で、パレスチナに侵入してきました(創世記23:3)。

創 23:2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。
23:3 それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、ヘテ人たちに告げて言った。
23:4 「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」

2、エブス人はエブス(エルサレム)付近の高台に住むカナン人です。

3、ギルガシ人(ヘブル語では、いつも単数形)は、ヨルダン川西部に住んでいたらしい(ヨシュア記24:11)こと以外、ほとんど知られていません。

ヨシ24:11 あなたがたはヨルダン川を渡ってエリコに来た。エリコの者たちや、エモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘテ人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたがたと戦ったが、わたしは彼らを、あなたがたの手に渡した。

4、ヒビ人はレバノンとヘルモンの北方(土師記3:3、ヨシュア記11:3)キリヤテ・エアリムとベエロテ(ヨシュア記9:17)の南に居住していた。

士 3:3 すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。

ヨシ 11:3 すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。

ヨシ 9:17 それから、イスラエル人は旅立って、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。

5、エモリ人カナン人については、申命記1章7節で、この二つの部族だけをあげて、他の部族をも含めたカナン人たちを総称しています。

申 1:7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。

これらの六部族は、ノアの子孫であるカナンの系図の中にあげられています(創世記10:15~18)。

創 10:15 カナンは長子シドン、ヘテ、
10:16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、
10:17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
10:18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。

6、ペリジ人はおもに高台に住んでおり、彼らはレファイム人または巨人とともに言及されており(ヨシュア記17:15,16)、カナンの先住民だったのかも知れません。

ヨシ 17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」
17:16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」

この主のご命令は、神の啓示を受けるために選ばれた国民に対して与えられた命令であり、2節の「彼らを聖絶しなければならない」の命令は、子どもをいけにえにすること、男娼、獣との性交、偶像礼拝と魔術を行なっていた国々に対する命令です(申命記18:9~12、レビ記18:21~25)。

申 7:2 あなたの神、【主】は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。

申 18:9 あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。
18:10 あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
18:11 呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
18:12 これらのことを行う者はみな、【主】が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、【主】は、あなたの前から、彼らを追い払われる。

レビ 18:21 また、あなたの子どもをひとりでも、火の中を通らせて、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは【主】である。
18:22 あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。
18:23 動物と寝て、動物によって身を汚してはならない。女も動物の前に立って、これと臥してはならない。これは道ならぬことである。
18:24 あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、
18:25 このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎(とが)を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。

神の民イスラエルが彼らと交わるなら、イスラエルも同じようになり、同じ滅亡の運命をたどるようになります。このような悪は根絶する必要があります。イスラエルはこれを根絶しなかったために、やがて偶像礼拝に陥り、彼らと同じ罪を犯して、バビロン捕囚の厳しい神のさばきを受けることになったのです。

「彼らと何の契約も結んではならない。」

ヨシュアはギブオン人と契約を結んでしまって、失敗しています。

「容赦してはならない。」

決して妥協してはならない。少しの妥協が命取りになるのです。

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

3節、「彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。」

異教徒との結婚は一切許されていませんでした。しかしソロモンはこの戒めを破りました。彼は周囲の異教の国々の王の娘を妻としたために、次々と偶像がイスラエルに持ち込まれ、民はそれにならうようになり、イスラエルは崩壊へと向かって行ったのです。

4節は、婚姻関係によって、イスラエルが異教の民と同じ道を歩み、主から引き離されて、偶像に仕えるようになるなら、主はイスラエルの民の上にも主の怒りを下されることを宣言されました。

申 7:4 彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、【主】の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。

イスラエルだからと言って、特別な抜いはありません。
一度救われていても、主を捨てて、この世の人と同じ異教の生活をするなら、主はさばきを下されるのです。しかし主はあわれみ深い方です。再び悔い改めて、主に立ち帰るなら、イエス様の十字架のあがないの故に、主は私たちを受け入れて下さいます。

5節は、カナンの異教の民の祭壇、石の柱、アシェラ像、彫像を打ちこわし、火で焼くように命じられています。

申 7:5 むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。

これらの偶像礼拝の場所は悪の温床でもありました。主はこのさばきのご命令によって、偶像礼拝と淫蕩な生活がイスラエルにどんなに悲惨な結果をもたらすかを、実物教訓として示しています。

6~8節、イスラエルが贖(あがな)われた理由

6節の「聖なる民」(14:2,21、26:19、28:9)の「聖なる」は、「主の用にささげられた」と、「きよく、輝いている」の二重の意味をもっています。

申 7:6 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。あなたの神、【主】は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。

申 14:2 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民である。【主】は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。

申 14:21 あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民である。子やぎをその母の乳で煮てはならない。

申 26:18 きょう、【主】は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、

申 28:9 あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り、主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。

神の民は、聖なる神によって神の民とされているのですから、必ずこの二つの面を持っていなければなりません。

「宝の民」とは、「神の私有物としての特有の民」という意味です。ここには、主による祝福と勝利の面と、その裏側のさばきの面とが記されています。それは一つのことのウラ・オモテです。イスラエルが神の聖なる民であり、主の宝の民となるためには、必ず罪と偶像は完全に取り除かれて、潔められなければなりません。もし、これらを少しでも妥協させておくなら、それは必ず神の民の命取りになることを、主は厳しく警告されました。

7,8節は、主がイスラエルを選ばれた理由を記しています。

7節、主はイスラエルを「恋い慕って」選ばれたと言われています。

申 7:7 【主】があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。

これは普通の選出方法ではありません。神はここで、はっきりとイスラエルの民が他の民よりも数が多かったからではないと言っておられます。

今日、人が教会を評価する時の関心事は、人数の多少ですが、神の評価基準は人数ではなく、信仰の内容です。とかく人数の多い教会を大教会、人数の少ない教会を弱少教会と考えがちですが、それは神の評価の仕方ではありません。

ギデオンの時に集まった三万二千人のうち、本当に神のために戦う実質のある信仰者はわずか三百人しかいませんでした。イエス様の弟子としての従者は沢山いたようでしたが、みんなつまずいて去ってしまい(ヨハネ6:66)、イエス様の昇天後の祈り会に集まっていたのはわずか百二十人ほどでした。

私もずっと、わずかの人数で奉仕し続けてきました。しかし気落ちしたことはありません。全員が天の御国に入ることができたなら、百%の成功率です。そしてゆっくりとであっても、各々のあかしによって、一人また一人と求道する人が必ず起こされてきます。日本の各地で、わずかの人数で奉仕しておられる教会があることを知っています。そういう方々が本当は真剣に信仰の戦いをしておられるのを主は知っていてくださいます。ですから、気落ちしないで、勇敢な信仰を持っていてほしいと思います。

ここで神がイスラエルの人数のことを取り上げられたのは、人数が人間の側の価値評価の基準になりやすいものであったからです。これにはそれ以外に、人間の才能、能力、功績などのすべてを含んでいます。

神が私たちを救いに導かれ、神の家族の中に入れてくださったのは、私の才能や働きの出来具合がよかったからではありません。しかし、私たちは、自分が神に愛され、神に用いられるのは、自分の側に良い材料があったからであると思い上がりやすいのです。しかし主は決して、私たちの他の出来具合の故に、私たちを評価されることはありません。確かに主は、私たちが主のみこころを行なう時、喜んでくださいます。しかしそれは出来具合よりも、主を愛して行ったという、その動機の故に喜んでくださるのです。

神は子どものいなかったアブラハムを召され、その子孫がエジプトで四百年間、奴隷としてしいたげられ、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった時に、イスラエルをご自分の民として選ばれました。それ故、人数がわずかで、何の取得(とりえ)もないから、主に用いられないと思うのは不信仰です。

主イエス・キリストの弟子たちはわずか十二人で、そのうちの一人は滅び、他の者たちはみな無学な力のない者たちでした。たといこのメンバーにパウロが加わっても、それで世界に福音を伝える力が弟子たちにあるとは思われません。しかし主は、彼らをお用いになられました。

なぜ、主は、このようなわずかで、無力な者たちを用いられるのでしょうか。それは主ご自身の愛にあります。主の愛は、勿論、私たちを愛してくださる愛も含まれているのですが、それとともに、無数の滅びゆく霊魂への愛が、そうさせるのです。

人数がわずかであったということ以外の、もう一つの理由は、8節、「あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、」です。

申 7:8 しかし、【主】があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、【主】は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。

神はアブラハムへの誓いを確実に守られました。今日、私たちは福音書の中に主の救いの約束と主の再臨の約束を見ることができるのです。主はこれらの約束を確実に果たされるのです。これを果たすために、主は忠実に従う民を用いられるのです。

そうですから、
第一に、私たちは先ず、自ら主の約束に与(あず)かる者となって救われていなければなりません。
第二に、主の約束を信じて、献身し、忠実に主に従う者となっていなければなりません。
これらの条件が果たされているなら、人数が少ないことも、無力であることも、主に用いていただくことに何ら障害になりません。

8節後半には、「贖(あがな)い」の問題が語られています。これは9章26節、13章5節、15章15節、21章8節、24章18節に繰り返されています。この贖(あがな)いには、新約の福音の響きがしています。

申 9:26 私は【主】に祈って言った。「神、主よ。あなたの所有の民を滅ぼさないでください。彼らは、あなたが偉大な力をもって贖い出し、力強い御手をもってエジプトから連れ出された民です。

申 13:5 その預言者、あるいは、夢見る者は殺されなければならない。その者は、あなたがたをエジプトの国から連れ出し、奴隷の家から贖い出された、あなたがたの神、【主】に、あなたがたを反逆させようとそそのかし、あなたの神、【主】があなたに歩めと命じた道から、あなたを迷い出させようとするからである。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。

申 15:15 あなたは、エジプトの地で奴隷であったあなたを、あなたの神、【主】が贖い出されたことを覚えていなさい。それゆえ、私は、きょう、この戒めをあなたに命じる。
申 21:8 【主】よ。あなたが贖い出された御民イスラエルをお赦しください。罪のない者の血を流す罪を、御民イスラエルのうちに負わせないでください。」彼らは血の罪を赦される。

申 24:18 思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、【主】が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。

主イエスの最大の関心、そして最大のみわざは「贖(あがな)い」です(ルカ1:68、24:21、ペテロ第一1:18)。

ルカ 1:68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、

ルカ 24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、

Ⅰペテ 1:18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

イスラエルが贖(あがな)い出されたのは、主ご自身の力強い御手によってであり、イスラエルの努力によってではありません。どこから贖(あがな)い出されたのかと言えば、「奴隷の家から」であり、それは今日では「罪への隷属の生活から」の贖(あがな)いを意味しています。「エジプトの王パロの手から」は、「この世の権力から」を意味しています。

パロは高慢な心のかたくなさの故に、エジプトのあらゆる初子の血の代価を払わせられ、主はイスラエルの贖(あがな)いのために、小羊の血の代価を払われました。これはイエス・キリストの十字架の贖(あがな)いを象徴するものでした。

9~15節、律法を守り行なう者への契約と恩恵

申 7:9 あなたは知っているのだ。あなたの神、【主】だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

こうしてイスラエルは主を知る者となりました。

1、主だけが神である。パロをも含めて、この世には多くの権力者がいるが、主権なる神は主だけである。

2、主は誠実な神である。主は堅実であり、全く信頼することができ、首尾一貫しておられ、約束は必ず果たされる。

3、主は、主を愛し、主の命令を守る者には、恵みの契約を千代までも守られる。「恵み」とは、神の愛による賜物のことであり、それはしばしば契約と結びつけられています(7:12)。

申 7:12 それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行うならば、あなたの神、【主】は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、

主の契約は恵みと愛に満ちたものである。「千代」とは、永遠に不変であることを意味している。このお方こそ、ご自身を愛し、全く服従する者に、ご自身の恵みの契約を必ず果たされるお方である。

4、しかしまた主は、主に逆らい、不服従になり、敵対する者には、確実に滅びのさばきを下されるお方です(10節)。

申 7:10 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。

それ故、11節は、贖(あがな)われた民が主に対して取るべき態度を示しています。

申 7:11 私が、きょう、あなたに命じる命令──おきてと定め──を守り行わなければならない。

主の「おきてと定めを守り行なわなければならない。」これに違反する者は、祝福を受けないばかりか、滅びのさばきを受けることになります。

12~26節は、イスラエルの民が主に忠実であった時の祝福が記されています。

12~15節は、民が主の定めを守り行なうことに対する祝福であり、16~26節は神の民の敵となる者たちへの勝利と保護の約束です。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)

しかし今日のクリスチャンは、この両方において主のご命令に背いてしまっています。
第一に、主のみことばを忠実に守り行なっていないこと。
第二に、この世と妥協して、世俗化していること。
この二つが今日、クリスチャンが勝利を得ていない原因です。私たちは先ず、みことばを取り戻し、信仰と実際生活の規範として、深く根を下していかなければなりません。さらに、この世の慣習やこの世の欲や勢力が教会の霊的生活に侵入してくるのを排除しなければなりません。また、クリスチャンの心の中にある「この世を慕う心」も追い出して、潔められなければ、リバイバルは起きません。

12~15節、イスラエルの民において、国内的な問題としては、神の戒(いまし)め、命令、定めを忠実に守り行なうことが、祝福をもたらす条件でした。

申 7:12 それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行うならば、あなたの神、【主】は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、

アブラハムたちと結ばれた契約は、民がその条件を果たす時に実行されました。
私たちの教会においても、ただ集会に出席する人が増えるだけではいけません。大人も子どもも、みことばを信じて行なうようにならなけれは、神の契約は実行されません。

13~15節、主の愛と祝福は、子孫の繁栄、産物、病気が取り除かれることによって表されます。

申 7:13 あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。
7:14 あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる。あなたのうちには、子のない男、子のない女はいないであろう。あなたの家畜も同様である。
7:15 【主】は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。

今日、日本の人口は増えましたが、クリスチャンの人口は増えていません。これはクリスチャンが主のみことばを重要視しなかったからです。

16~26節、カナン人の全滅の命令と主ご自身の臨在の約束

16節、主は異教の民をすべて滅ぼし尽くすご計画であることを語っておられます。

申 7:16 あなたは、あなたの神、【主】があなたに与えるすべての国々の民を滅ぼし尽くす。彼らをあわれんではならない。また、彼らの神々に仕えてはならない。それがあなたへのわなとなるからだ。

このことは今も、主のご計画のうちにあります。人がこの働きをしなくても、主は最後の時にこのことを行なわれます。それ故、私たちは彼らに主のみことばを伝え、教え、主の救いへと導かなければなりません。しかし彼らと交わって異教の神々に仕えるワナに陥ってはならないと警告されました。にもかかわらず、イスラエルは自ら、このワナに陥(おちい)っていきました。今日、クリスチャンも、同じ状態にあるのではないでしょうか。

17節、これからカナンの地では、戦いが始まります。

申 7:17 あなたが心のうちで、「これらの異邦の民は私よりも多い。どうして彼らを追い払うことができよう」と言うことがあれば、

その時、大勢の異教の民を見て、「彼らには勝てない。」という不信仰な思いに陥(おちい)ってはならないことが警告されています。

今日のクリスチャンにも、この不信仰が見られます。教会のどんな戦いにも、信仰による全力投球するクリスチャンが少ないのです。ほとんどの人が不信仰な目で傍観しているだけです。勝利をもたらすのは、忠実な信仰であり、主であることを覚えなければなりません。

18,19節、主はエジプト脱出の時に働かれた、主のあの力強い御手、伸べられた腕、すなわち主の偉大なみわざを思い出すようにと言われています。

申 7:18 彼らを恐れてはならない。あなたの神、【主】がパロに、また全エジプトにされたことをよく覚えていなければならない。
7:19 あなたが自分の目で見たあの大きな試みと、しるしと、不思議と、力強い御手と、伸べられた腕、これをもって、あなたの神、【主】は、あなたを連れ出された。あなたの恐れているすべての国々の民に対しても、あなたの神、【主】が同じようにされる。

主はどんな敵対者にも、同じようにされるのです。

20節、この戦いは、イスラエル人の戦いではなく、主の戦いです。

申 7:20 あなたの神、【主】はまた、くまばちを彼らのうちに送り、生き残っている者たちや隠れている者たちを、あなたの前から滅ぼされる。

主はくまばち(疫病、失望)を送り込むことによって、敵を滅ぼされます。

21節、主の同行をたえず信じていれば、敵の前で恐れ、おののくことはありません。

申 7:21 彼らの前でおののいてはならない。あなたの神、【主】、大いなる恐るべき神が、あなたのうちにおられるから。

大きな課題や難問の前でも、たじろぐことはないのです。

22節、主の勝利は徐々に与えられます。

申 7:22 あなたの神、【主】は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである。

それはイスラエルへの配慮からです。敵対者を一度に滅ぼしてしまうと、野獣が急速に繁殖して、民を襲うようになるからです。それ故、戦いはしばらく続くことになりますが、民は不信仰にならず、敵と妥協しないように慎重でなけれはなりません。

23,24節、そしてついに完全な勝利の時が来ます。

申 7:23 あなたの神、【主】が、彼らをあなたに渡し、彼らを大いにかき乱し、ついに、彼らを根絶やしにされる。
7:24 また彼らの王たちをあなたの手に渡される。あなたは彼らの名を天の下から消し去ろう。だれひとりとして、あなたの前に立ちはだかる者はなく、ついに、あなたは彼らを根絶やしにする。

確かにヨシュアの時代に、その時が来ました。しかしいくらかの異教の民が残されたままにされていました。それらの残っていたわずかの異教の種が、再び神の民を腐敗させていったのです。

25節、偶像の彫像は火で焼き、残しておいてはいけない。また偶像にかぶせてある銀や金を欲しがってはならないと、命じられています。

申 7:25 あなたがたは彼らの神々の彫像を火で焼かなければならない。それにかぶせた銀や金を欲しがってはならない。自分のものとしてはならない。あなたがわなにかけられないために。それは、あなたの神、【主】の忌みきらわれるものである。
7:26 忌みきらうべきものを、あなたの家に持ち込んで、あなたもそれと同じように聖絶のものとなってはならない。それをあくまで忌むべきものとし、あくまで忌みきらわなければならない。それは聖絶のものだからである。

つまり、この世の人の富を羨んではならないということです。それがワナになるからです。この世のきらびやかな生活を羨むことによって、神の国から迷い出てしまうのです。それらは主の忌みきらうものですから、それらを自分の家に持ち込んではなりません。自分の生活から異教を追い出してしまわなければなりません。これは主の祝福を受けるために必要なことなのです。

あ と が き

今年もはや、クリスマスの時が来てしまいました。何も成し終えないうちに、一年が終わろうとしています。しかし飼葉オケに伏してくださったイエス様に心から感謝をささげます。イエス様が飼葉オケ以外の所に伏されていたなら、私はイエス様を礼拝することができなかったでしょう。イエス様が飼葉オケに伏されたことは、イエス様を受け入れるだけの愛の心を持っていた人がいなかったことを示していますが、しかしそれはまた、私たちのような罪深い者にも礼拝をさせていただける神の愛を示しています。最近、私たちのまわりの家々の扉にリースの飾りをつけているのを見かけますが、私たちのクリスマスは飾りだけのクリスマスにしたくありません。心の内に生けるイエス様が宿って下さり、汚れた卑しい心でも、罪を赦し、潔めて、賛美と喜びと、平安を満たしてくださいます。そしてこの世の人に、飾りだけでないキリスト信仰があることを、あかししていきたいものです。

(まなべあきら 1996.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)


上の写真は、イスラエルの遺跡の丘、テル・メギドで発掘されたカナン時代(初期青銅器時代、紀元前3300~2000年頃)の祭壇です。大きさは、直径8m、高さ2.25m、7段の階段が付いていて、旧約聖書に書かれたカナンの異教の民の祭壇がそっくりそのままでてきたとのことです。(2013年の訪問時に撮影)
展示室には、カナン人が彼らの神にささげものをしている様子が、模型で示されていました。

ご参考:「たけさんのイスラエル紀行」”メギド”(https://israel.bona.jp)


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