聖書の探求(283) サムエル記第一 13章 サウルの王即位、ペリシテ人との戦い、全焼のいけにえをささげた罪

freebibleimages.orgより「Samuel warns Saul about disobedience(サムエルはサウルに約束を守らなかったことを警告する)」Contributed by Jack Foster(Mr BibleHead)

13章から15章にかけては、サウルの初期の統治と、主から拒否されたことが記されています。

サウルは二度、主から王位を退けられています(13:14、15:26~29)。しかしそれでもサウルが死ぬまで統治を続けている事実があることは、本書の中に二重の記事があると言う人がいますが、この主張は正しくありません。

13章14節では、まだサウル自身は拒否されていません。ただサウルの愚かな行為のために、彼の王国の統治が彼の子孫に長く伝えられて続くことはないことだけを述べています。

15章26~29節では、サウルの第二の罪でサウル自身が主から拒否され、彼は神の御霊の臨在なしに王の職についていたのです。

13章の分解

1節、サウルの王即位の記述
2~4節、ペリシテ人との戦いの発端
5~7節、戦いの準備(イスラエルの恐怖)
8~15節前半、全焼のいけにえをささげたサウルの罪
15節後半~18節、戦いの緊張
19~23節、イスラエル人の武器の状況

1節、サウルの王即位の記述

1節のヘブル語本文では、「三十」の数字はなく、「十二」の「十」もなく、「二」だけです。

Ⅰサム13:1 サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。

これらの数字はあとから挿入されたもので、ヘブル語本文の文字通りの文は、「サウルは統治を始めた時…歳であり、彼は…と二年間イスラエルを統治した。」となっています。

しかし、この時点ではサウルの子ヨナタンは勇敢な戦士となっていました(13:3,16)から、11,12章のサウルの王としての選任から13章の間には、何年間かの期間が過ぎていたと考えられます。また使徒の働き13章21節では「神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。」と言っていますから、サウルの子イシュ・ボシェテの治世の二年間(サムエル記第二 2:8~10)をその中に含むとしても、ここに挿入されている、推測されて挿入された年令や統治年数は不可能のように思われます。

2~4節、ペリシテ人との戦いの発端

2節、サウルはペリシテ人と戦うためにイスラエル人の中から三千人を選んでいます。そのうち二千人を自分が指揮し、千人は息子のヨナタンに任せています。

Ⅰサム 13:2 サウルはイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地におり、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。

この時、息子ヨナタンはサウルを助けることができる、すぐれた指導者に成長していたのです。

「ミクマスとベテルの山地」は、ギブアの北の町と高地です。2節でヨナタンは「ベニヤミンのギブアにいた。」と記されていますが、3節で「ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺し」ています。ゲバはミクマスとギブアに南北に挟まれており、すぐ近くの町でした。

「残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。」イスラエル人は戦いのために、サウルのもとに大勢集まって来たのでしょう。しかしサウルは三千人だけを選んで、残りの民をそれぞれの天幕に帰らせたのです。あまり大勢すぎると、戦いに機動力を失わせ、かえって自滅する危険もあります。

3節、ヨナタンが先手を打ってペリシテ人の守備隊を攻撃し、その隊長を打ち殺したのです。このことを聞いたペリシテ人は怒ったのです。

Ⅰサム 13:3 ヨナタンはゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。ペリシテ人はこれを聞いた。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし、「ヘブル人よ。聞け」と言わせた。

4節の「イスラエルがペリシテ人の恨みを買った。」は、ヘブル語では「攻撃的になったこと、ますます憎むようになったこと」を意味します。

Ⅰサム 13:4 イスラエル人はみな、サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った、ということを聞いた。こうして民はギルガルのサウルのもとに集合した。

サウルも国中に角笛を吹いて、戦いのために民を、ギルガルのサウルのもとに集めています。ギルガルは、サウルが王として宣言された場所です(11:15)。

5~7節、戦いの準備(イスラエルの恐怖)
5節、しかしペリシテ人はイスラエル人を圧倒するような軍隊を集めています。

Ⅰサム 13:5 ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。

「戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民(もはや数え切れない人数)」は、当時として最強の軍隊です。彼らはベテ・アベン(ベテルの別名)の東とミクマスに陣をとって野営したのです。これは1節のサウルと二千人の軍隊がいた地のすぐ近くと思われます。多分、サウルと二千人の兵士たちはペリシテの軍隊に包囲されてしまったのでしょう。

6節、イスラエル人はひどく圧迫され、自分たちが危険になったのを見て、士気を失い、ほら穴や、奥まった所、岩間、地下室、水ための中に隠れました。それらは墓や穀物の地下貯蔵庫や水槽のために掘られた穴でした。

Ⅰサム 13:6 イスラエルの人々は、民がひどく圧迫されて、自分たちが危険なのを見た。そこで、ほら穴や、奥まった所、岩間、地下室、水ための中に隠れた。

7節、あるヘブル人はヨルダン川を渡って、東の地のガドとギルアデにまで逃げ去っています。

Ⅰサム 13:7 またあるヘブル人はヨルダン川を渡って、ガドとギルアデの地へ行った。サウルはなおギルガルにとどまり、民はみな、震えながら彼に従っていた。

サウルは王となって初めての一大危機に直面したのです。サウルも、やっとの思いでギルガルにとどまっていたようです。13章15節を見ると、最初サウルとともにいた二千人の兵士たちは、おおよそ六百人になってしまっています。彼らも「震えながら」サウルに従っていたのです。ここでサウルの信仰の忠実さが試みられることになったのです。

8~15節前半、全焼のいけにえをささげたサウルの罪

サムエルは10章8節で、サウルに次のように命じておいたのです。

「あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます。」

サウルはいかなる状況の中でも、サムエルの到着を待つことを守らなければならなかったのです。こういう危機の時、自分の考えで、あせって何かをすることは容易です。しかし、ただ主を信じ、約束のみことばを信じて待つことほど難しいことはありません。主はしばしば、信仰の試みとして忍耐して待つことをさせます。

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18:7)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10:35,36)

サムエルがなぜ遅れたのか、その理由は明らかにされていません。しかし王は、サムエルが来て、戦いの前に全焼のいけにえと和解のためのいけにえをささげ、サムエルの指示を受けるように命じられていたのです。しかし窮地に追い込まれ、兵士の数も減り、震えていた彼は、もはや待つことができないと、決心したのです。この決心はサウル自身の考えであり、命令を破ることなのです。

8節、「サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。」これはサウル自身の判断によった言葉です。

Ⅰサム 13:8 サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。

まだ七日目の日は完全には終わっていなかったのです。だれでも90%ぐらいは容易に待つことができます。99.9%待つ人もいます。しかしそれでも100%待ったことにはならないのです。すべての言い訳には必ず、自分の判断が混入しているのです。これが不信仰、不服従、不忠実の原因なのです。私たちの信仰においても、最も試めされることは、神のみことばを100%信じて待つことをするか、どうかです。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)

「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」(ペテロ第一 2:6)

9節、サムエルの到着が遅れた時、サウルは辛抱して待てずに、自分の手で全焼のいけにえをささげてしまったのです。

Ⅰサム 13:9 そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。

10節、「ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。」と記しています。

Ⅰサム 13:10 ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。

サウルが、もう二、三時間待っていたら、彼は忠実な人として神に祝され、彼と彼の王国は栄えたでしょうに。最後の二、三時間がサウルとサウルの家族と王国の運命を変えてしまったのです。ですから、信仰は最後まで忍耐して待つことが不可欠なのです。

「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ24:13)

11節、サムエルが到着した時、全焼のいけにえにした匂いがしていて、すぐに分かったはずです。

Ⅰサム 13:11 サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。

サムエルは「あなたは、なんということをしたのか。」と言っています。この言葉はサウルが不忠実、不服従だったことを言っているのです。サウルはサムエルを迎えに出て、あいさつしていますから、彼は自分が不信仰、不忠実、不従順であることに気づいていなかったのです。彼は主に従うことによってではなく、自分の考えと自分の思いによって判断して行動していたからです。自分で良いと思うことをしていたからです。これは士師記の人々がしていたことです。

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(士師記17:6、21:25)

今日のクリスチャンたちも、自分の正しいと思うことをしているために、聖霊のみわざを経験することができないのです。自分の正しいと思うこと、自分が納得することをすることは信仰ではありません。それは自分に従っているだけです。この思い違いをしている人が沢山います。サウルの罪も、そこに原因があったのです。

サウルはサムエルに三つの理由を挙げて、言い訳をしています。

第一は「民が私から離れ去って行こうとし、」と、民のせいにしています。

第二に、「また、あなたも定められた日にお見えにならず、」サムエルが遅れたことも理由の一つに挙げています。しかしサムエルはその日の内に着いていたのです。それにしても、主が立てられた指導者に向かって、このようなことを言うとは、サウルの心には確かに高慢と横柄さがあります。

第三は、「ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。」と、敵のせいにしています。

この三つの理由の中には、サウル自身の信仰の弱さや恐れや不安に勝てなかった自分自身のことが全く見られません。すべて他人の責任にして、自分の非を認めない態度が、サウルを破滅に追いやったのです。

12節、「今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、」という緊急性があったとはいえ、「私は、まだ主に嘆願していないと考え、」と、主に嘆願する思いでした。とはいえ、自分の考えと判断で、主が命じた命令(13節)を破って、「思い切って全焼のいけにえをささげ」てしまったことが、サウルの不服従の罪だったのです。

Ⅰサム 13:12 今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」

「思い切って」とは、「しかたなく」「しぶしぶ」したと言っているのです。

サウルがこれほどのやむを得ないと思われる理由と事情を挙げても、サウルが主の命令を守らなかった罪は正当化されませんでした。

13節、サムエルはサウルに、「あなたは愚かなことをしたものだ。」と言っています。

これは「あなたは無分別なことをしたものだ。」「自分の分を弁えないことをしたものだ。」という意味です。

Ⅰサム 13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。

サウルは、「自分は王だから、これくらいのことはしてもいいだろう。」という思い上がった思いを抱いていたことを指摘されたのです。

してしまった罪や失敗、敗北については、やむを得ないと思われる事情や理由を挙げてそれを正当化しようとすることは、主に決して受け入れられません。その罪が赦され、解決する道は、ただ一つです。

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒2:38)

サウルは釈明のための言い訳を並べ立てましたが、それらがサウルのしたことを正当化させるには無効であっただけでなく、ますます彼の不真実さを表わしてしまっているのです。サムエルは残念そうに「あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。」とだけ、肝心の点を宣言したのです。

もしサウルがたといペリシテ人に攻められても、主のご命令に最後まで従おうという信仰の姿勢を貫いていれば、「主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。」とサムエルは言ったのです。自分の思いには、不安や恐怖などによって惑わしが入って来るのです。こうしてサタンのわなに落ちてしまうのです。主は「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2:10)と言われたのです。

サウルは信仰の試みに失敗したのです。

一、信仰の試みは必ずやって来ます。

それは、危険が増す時、迫る時に来ます。心に恐れや不安がつのってくる時に来ます。仲間や友人が去って行って、人の助けがなくなって来る時に来ます。

二、サウルの罪は、

サムエルの到着を最後まで忍耐して待てなかったことです。
たとい王であっても許可されていない、祭司でない者が、自分で勝手に全焼のいけにえをささげたことです。これは神に対する越権行為です。
彼の罪の中心点は、神のみ旨よりも、自分の考えを優先させたことです。これがサウルの不服従の悲劇の始まりとなったのです。

三、不服従の罪の結果

自分の罪を認めず、言い訳の理由を並べて正当化したこと、神の恵みと祝福のすべてを失い、王国をうしなったこと、

その後に続くサウルの罪

14章、戦士たちに食事をさせない過酷な要求をし、兵士たちが血のついた肉を食べたこと、

15章、アマレクの王アガクを殺さず、生かしておいたこと、略奪物を取っておいたこと、これらは神のご命令への不服従です。

自分の罪の責任を民に転嫁したこと(15:21)、これはアダムやエバがしたことと同じです(創世記3:11~13)。

真実な悔い改めがないこと

人の前で見栄を張っていたこと、神のご命令に従うことより他人の評価を気にしていたこと(15:30)。

その結果、サウルは、

1、神から捨てられ、
2、王位を失い、
3、国は敗北し、
4、サウル自身悪霊に悩まされ、
5、滅亡の死を遂げたのです。

サウルの罪の特徴

1、忍耐して待ち通せなかったこと…神のみこころより自分の考えを優先させたこと(ヤコブ1:4、5:7、ヘブル10:36、12:2)

2、高慢

ウジヤ王の例(歴代誌第二 26:16~23)
ヤロブアムの例(列王記第一 13:1~10)

3、神のご命令に背いたこと

愚か者。自分の考えを優先させる無分別な者。(詩篇14:1~4、詩篇53:1~4、ルカ12:16~21、ローマ1:21~22)

14節、サウルが主のご命令に従わなくなった時、「主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。」

Ⅰサム 13:14 今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」

これはダビデのことを言っているのですが、そのことは16章にならないと起きていません。しかし、それは主においては確かなことでしたので、サムエルはすでに起きているかのように語っています。これはヘブル語でよく使われる預言的現在形の一例です。

15節前半、サムエルは主の命令を守らなかったサウルのいたギルガルを立ち去って、イスラエルがペリシテとの戦いの陣を敷いていたベニヤミンのギブアに上って行きました。

Ⅰサム 13:15 こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。・・・

ギルガルはヨルダン川の低地にあり、ギブアはエルサレムの近くの高地にありましたから、かなりの登り坂を上って行かれたのです。それと、2節に「ベニヤミンのギブアにいた。」と、16節には「ベニヤミンのゲバにとどまった」とありますから、ギブアとゲバは同じ地であった可能性があります。違っていても、すぐ近くだったでしょう。実際の戦闘においては地形は非常に重要になります。

15節後半~18節、戦いの緊張

Ⅰサム 13:15 ・・・ サウルが彼とともにいる民を数えると、おおよそ六百人であった。

サウルとヨナタンのもとにとどまっていた兵士たちは、約六百人に減っていました。

16節、彼らはベニヤミンのゲバにとどまっていました。

Ⅰサム 13:16 サウルと、その子ヨナタン、および彼らとともにいた民は、ベニヤミンのゲバにとどまった。ペリシテ人はミクマスに陣を敷いていた。

ゲバは先にヨナタンがペリシテ人の守備隊を大敗させた地です(13:3)ペリシテ人の陣営は、ゲバのすぐ北にあるミクマスにありました。

17,18節、そこからペリシテ人はイスラエルに向かって組織的に侵略を行なったのです。

Ⅰサム 13:17 ペリシテ人の陣営から、三つの組に分かれて略奪隊が出て来た。一つの組はオフラへの道をとってシュアルの地に向かい、 13:18 一つの組はベテ・ホロンへの道に向かい、一つの組は荒野のほうツェボイムの谷を見おろす国境への道に向かった。

「略奪隊」とは、文字通りには「破壊者」とか、「侵略者」です。ペリシテ人はイスラエルから家畜や穀物を略奪するだけでなく、イスラエルを壊滅しようと企んでいたのです。
ペリシテの軍隊は三組に分けられ、一つの組はミクマスから北へオフラへの道をたどってシュアルの地に向けられています。シュアルの正確な地は不明ですが、オフラ付近の地であると考えられています。
第二の組は西へベテ・ホロンへの道に向かっています。ベテ・ホロンには、上ベテ・ホロンと下ベテ・ホロンがあり、アヤロンの谷に向かう途中にあります。
第三の組は、南へユダの荒野の方にあるツェボイムの谷(ベニヤミン領内にある谷で、死海に流入するワディ・アブ・ダバとされています)を見下ろすことができる国境への道に向かっています。
ペリシテ軍は東(すぐヨルダン川になる)を除いて北、西、南へと軍隊を組織的に向かわせています。

19~23節、イスラエル人の武器の状況

この部分は、ペリシテ人の圧迫が圧倒的に優勢で、イスラエルの命運が危ないことを表わすために挿入されたものと思われます。これらの表現は、ペリシテ人の強力な圧迫が相当長く続いたことを示しています。

19節、もともとペリシテ人は鉄器を作る技術がすぐれていたようですが、その技術をイスラエル人に教えることをせず、イスラエルの地のどこにも鍛冶屋をつくらせなかったのです。

それはヘブル人が剣や槍の鉄の武器を作って、ペリシテ人と戦うようになることを恐れていたからです。

Ⅰサム 13:19 イスラエルの地のどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけないから、とペリシテ人が言っていたからである。

20節、鋤、くわ、斧、かまは農具ですが、それを研ぐことさえ、ペリシテ人の所へ下って行って頼んでいたのです。

Ⅰサム 13:20 それでイスラエルはみな、鋤や、くわや、斧や、かまをとぐために、ペリシテ人のところへ下って行っていた。

こうすることによってペリシテ人はイスラエル人の産業をも支配していたのです。

21節では、農具の修理代が記されています。

Ⅰサム 13:21 鋤や、くわや、三又のほこや、斧や、突き棒を直すのに、その料金は一ピムであった。

「ピム」は重さの単位で、取引の時に、銀を重さで計量して支払う時の単位です。一ピムは約7.8グラムです。これはラキシュやエルサレムや、ゲゼル、テル・エン・ナスベなどで発掘された「ピム」と刻まれていた十二個のピム衡石を平均した数値です。その平均値が7.8グラムなのです。

22節、農具をペリシテ人の鍛冶屋に研いでもらわなければ使えなかったということは、戦いが始まった時には、その農具さえ、役に立たない状況になっていたということです。

Ⅰサム 13:22 戦いの日に、サウルやヨナタンといっしょにいた民のうちだれの手にも、剣や槍が見あたらなかった。ただサウルとその子ヨナタンだけが持っていた。

ただサウルとヨナタンだけが剣と槍を持っており、他の民はだれも戦いのための武器を持っていなかったのです。この方法によって、ペリシテ人はイスラエル人の戦意を失わせ自分たちを優勢に立たせていたのです。

23節、ペリシテ人の先陣がミクマスの山道を占領し始めていたのです。

Ⅰサム 13:23 ペリシテ人の先陣はミクマスの渡しに出た。

あとがき

私たちの所には、うれしい信仰のあかしも届きますが、この近辺の人々からは「悩みを聞いてほしい」とか、「離婚したい」とか、「家族から見放されている」とか、「異端の集会に行ったから、精神的におかしくなってしまった」とか、様々な苦しみの訴えの電話がかかってきます。世の中を漠然と見ていると、みんな満ち足りていそうで、幸せに生活しているように見えますが、個人個人に当ってみると、不満、不安、孤独、恐れに心が捕われています。日本人の心には、イエス様も、みことばも入っていませんから、悲惨な状態になっています。私たちは根気よく、幸せそうに見えている人にも、気長にイエス様の愛をお伝えしていかなければなりません。愛には、だれもが心を開くものです。

(まなべあきら 2007.11.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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