聖書の探求(305a) サムエル記第一 28章 エン・ドルの霊媒の女に頼るところまで落ちていったサウル

イギリスの画家 Edward Henry Corbould(1815–1905)による「Saul and the witch of Endor(サウルとエン・ドルの霊媒の女)」(Wikimedia Commonsより)


サムエル記第一の最後の4章(28~31章)は、イスラエルの初代の王サウルとダビデとの間の長く続いた問題が急速に結末に向かっていく記事を記しています。

28章は、いよいよペリシテ人がイスラエルに侵入を始めたことと、それを恐れたサウルが主に祈っても答えていただけず、ついにエン・ドルの霊媒の女に頼るところまで落ちていったサウルの姿を記しています。自分の知恵を頼り、自分の高慢を砕かれようとせず、主に不従順を続けて、主に捨てられた人の無残な最後をここに見せつけられることになるのです。主に王として選ばれた人物が、ここまで落ちるとは。それ故、私たちは「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言3:5)をしっかり心に信じて、いつも心砕かれ、従順に従わせていただきたいものです。

28章の分解

1~2節、ペリシテの出陣の準備
3~25節、サウルの側の態度
・3~7節、サウル、霊媒の女を求める
・8~14節、サウル、霊媒の女にサムエルを呼び出すことを求める
・15~19節、サムエルの再警告
・20~25節、霊媒の女の世話を受けるサウル

1~2節、ペリシテの出陣の準備

Ⅰサム 28:1 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「あなたと、あなたの部下は、私といっしょに出陣することになっているのを、よく承知していてもらいたい。」

「そのころ」とは、ダビデがアキシュの所に滞在している間のことです。そのころ、ペリシテ人はイスラエル人に新たな戦いを仕掛けたのです。
アキシュはダビデに、イスラエル人との戦いに一緒に出陣することを求めました。これはダビデに対するアキシュの信頼が絶大なものとなっていたことを示しています。もし万が一にもダビデがイスラエル側に寝返ることでもあるなら、アキシュは敗北してしまうから、そういう懸念が少しでもあるなら、アキシュはダビデの一隊をこの戦いに加えなかったはずです。むしろ、イスラエルとの戦いの勝敗はダビデたちの活躍にあるとさえ考えていたはずです。

Ⅰサム 28:2 ダビデはアキシュに言った。「よろしゅうございます。このしもべが、どうするか、おわかりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「よろしい。あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」

ダビデはこのアキシュの言葉に「よろしゅうございます。このしもべが、どうするか。おわかりになるでしょう。」と真意を明らかにしているようで、していない言葉で答えています。勿論、アキシュは全面的信頼をもって、ダビデに期待したのです。アキシュの信頼が厚いことは、「よろしい。あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」と言ったことでも表わされています。

3~25節、サウルの側の態度

3~7節、サウル、霊媒の女を求める

Ⅰサム 28:3 サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。

3節の前半は、25章1節のサムエルの死を再述しています。時代が移りつつあることと、その時代を担う指導者が変わりつつあることを読者に再認識させようとしている意図が読み取れます。

3節の後半は、サウルが先には律法に従ってイスラエルの国内から霊媒や口寄せたちを追い出していたことを記しています。

「あなたのうち自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。」(申命記18:10~12)

この記録は、この後、エン・ドルでサウルが霊媒の女の所に頼って行くことを説明するための備えとして記されています。サウルは自分が追放した者に助けを求めて行ったのです。これはサウルが自分の考えに従い、主に忠実に従わなかった結果であり、主から捨てられた結果の堕落した姿です。

4節、ペリシテ軍は北パレスチナのメギド平野の北端に位置するシュネムに陣を敷き、野営していました。

Ⅰサム 28:4 ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。

イスラエル軍はシュネムの少し南の高地のギルボア山にいました。サウルもヨナタンもこのギルボア山で最期の死を遂げたのです(31:1、8)。

5節、サウルはこのギルボア山からシュネムを見おろして対峙しているペリシテ軍を見て、「恐れ、その心はひどくわなないていた」のです。

Ⅰサム 28:5 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。

6節、「サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、」サウルの恐怖はますます増大していったのです。

Ⅰサム 28:6 それで、サウルは【主】に伺ったが、【主】が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、

普段の生活で主に忠実に従っていない人が、危急の時だけ、形式的に助けを求めて祈っても、主は答えて下さいません。

7節、絶望の中でサウルは家来たちに、異教の霊媒の女たちを見つけるように命じています。

Ⅰサム 28:7 サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」

これはサウルの極度の堕落を示しています。「霊媒」とはヘブル語の「オブ」の訳で、その意味は「ぶつぶつ言う。もごもご言う。」です。それが変化して、「死者と会話することができる者」を指すようになっていたのです。旧約聖書の時代も、現代も似ているところは、こういう異教の降霊術者のほとんどが女性であることです。

8~14節、サウル、霊媒の女にサムエルを呼び出すことを求める

霊媒の女は、異教の人々の間では、死人の霊と通じることができると考えられていました。しかしサウルはかつて自分で追放していた霊媒の女により頼むとは、いかにサウルが自信を失い、恐怖に陥っていたかを表わしています。

家来の一人が、エン・ドルの霊媒の女を知っていました。エン・ドルはギルボア山の北約19.2kmの所にあり、そこは隠れ場に適した多くの穴があり、この霊媒の女は、おそらく、追放されて、そこに隠れていたのでしょう。

サウルは、その夜、王としての服装を脱いで変装し、わずか二人の部下を連れて、その女に会いに行っています。これは人目を気にし、見栄にとらわれ、信仰のない、主の臨在を失った人間の姿です。

Ⅰサム 28:8 サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」

8節の「私のために占い」は、「私のために聞いてくれ」という意味です。

「呼び出してもらいたい」は、死者の住む場所「シェオル」は地の深い所にあると信じられていたので、そこから呼び出してもらいたいという意味です。

「しかし、私のいのちを求める者らは滅んでしまい、地の深い所に行くでしょう。」(詩篇63:9)

「…これらはみな、死ぬべき人間と、穴に下る者たちとともに、地下の国、死に渡された。」(エゼキエル書31:14)

「…穴に下る者たちとともに地下の国に下らせよ。」(エゼキエル書32:18)

9節、この霊媒の女は、サウルの求めに従えば、サウルの命令によって自分のいのちが危くなることを知っていたので断っています。

Ⅰサム 28:9 すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」

10節でサウルは「主にかけて彼女に誓って」います。

Ⅰサム 28:10 サウルは【主】にかけて彼女に誓って言った。「【主】は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」

主に捨てられたサウルなのに、言葉上だけは信仰があるような言葉を使っています。しかし行なっていることは、彼の言葉とは全く正反対の霊媒の女に助けを求めているのです。サウルは女に「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」と言って、安心させています。

11節、女は「だれを呼び出しましょうか。」と言っています。

Ⅰサム 28:11 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」

彼女は自分にその力があると思っていたのか、職業的な言葉としてそう言ったのか分かりませんが、サウルは「サムエルを呼び出してもらいたい。」と頼んでいます。ここに至ってサムエルを頼るなら、最初からサムエルの指導に従っていればよかったのです。

12節、「この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。」

Ⅰサム 28:12 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」

この後のこの女の恐れ様を見ると、この女には予期できないことが起きたことが分かります。

13節、「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」

Ⅰサム 28:13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」

これは霊媒の女の呼び出しに答えてサムエルが現われたのではないことを表わしています。このサムエルの出現によって、女は依頼人がサウル自身であることが分かっています。おそらくサムエルがサウルの名を呼んだのでしょう。

ここで使われている「こうごうしい方」は、ヘブル語の「ハ・エロヒム」で、神性や超自然的存在を表わす一般的用語です。この語が、単数形の動詞と一緒に使われる時には、唯一の真の神を表わす時に使われますが、ここでは複数形が使われています。この場合、旧約聖書では、諸国の民の偶像の神々や、天使たち、その他の超自然的存在、あるいは王としての権力を持っている人々などを示すために使われています。ここでは「神のようなかたちをした」という意味です。

14節、サウルは、サムエルかどうかを確かめるために、「どんな様子をしておられるか。」と尋ねています。

Ⅰサム 28:14 サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。

「年老いた方……外套を着ておられます。」「外套」はサムエルが生涯、身に着けていた預言者の衣服です。サウルはサムエルであることを確かめると、地にひれ伏しておじぎをしています。この時、サウルは実際にサムエルの姿を見たかどうかは記されていませんが、その時、サムエルとサウルは会話をしています。

このサムエルの出現について、後に根拠のない様々な解釈がされてきました。ある人は悪魔がサムエルに扮したのだと言い、他の人は、亡くなったサムエルとサウルが接触したことを信じさせるために、サウルが心を取り乱しているのを利用して、霊媒の女が他の男と共謀してサウルをだましたのだと言っています。しかし聖書の記録を素直に受け入れるなら、サムエルは実際に現われ、サウルと会ったのです。そのような例はマタイ17章の変貌の山でのモーセとエリヤの出現にも見られます。しかし死者の交通は神の律法によって厳しく禁じられていたので、この場合、神が、サウルに対する審判をサムエルに語らせるために遣わされたのだと考える人もいます。

15~19節、サムエルの再警告

15節、「なぜ、…私を煩わすのか。

Ⅰサム 28:15 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」

サムエルはシェオルで味わっていた休息を煩わすのかと言っているようです

「ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、」(ルカ一6:25)

サウルは「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」と哀れなことを言っていますが。

16節、サムエルは、その絶交が起きたのは、サウルが神に不従順、不服従になり、心が神の前に砕かれなかったからだと教えています。

Ⅰサム 28:16 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。【主】はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。

サウルが神の敵となる態度をとったので、「主はあなたから去り、あなたの敵となられた」と答えています。この時はサウルにとって最後のチャンスであったのに、サウルは非常な恐怖を持っただけで、神に明確に立ち返ることをしなかったのです。

17節、主はサムエルを通して告げられた通りのことをなさったのだと、言っています。

Ⅰサム 28:17 【主】は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。【主】は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。

ここでも主は自分のみことばを必ず実現されることを述べておられます。
「はぎ取って」は、「引き裂いて」という意味です。主はご自身の名誉のために不服従になったサウルの手から王国を引き裂いて、ダビデに与えられたと宣言されました。権力や繁栄は、奪い取るものではなく、主から与えられるものです。そしてそれを主の栄光のために用いるなら、その繁栄は持続するのです。

18節は、サウルがこの神の審判を受けるに至った主な原因は、アマレクとの戦いで、アマレクを滅ぼし尽くせという主のご命令に不服従であったことが挙げられています。

Ⅰサム 28:18 あなたは【主】の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、【主】はきょう、このことをあなたにされたのだ。

19節、あすのイスラエルとペリシテとの戦いは、イスラエルが完全に敗北し、サウルもサウルの息子たちも、シェオルで一緒になろうと言われています。

Ⅰサム 28:19 【主】は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして【主】は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」

旧約聖書ではまだ、シェオル(死者の住む所)で、義人と不義な人との完全な分離は示されていませんが、イエス様はこの分離をはっきりと示されました。

「そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」(ルカ16:26)

「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。」(テモテ第二 1:10)

15~19節のサムエルの再警告から分かることは、

主がサウルから離れておられること。

サムエルが現われたのは、霊媒の女の力と働きによったのではないこと。サウルが「サムエルを呼び出してもらいたい。」と言った次の瞬間に女はサムエルを見て大声で叫んでいます。また霊媒の女は、現われた人がサムエルであることを知りませんでした。それ故、サムエルは自分自身で現われたのです。モーセもエリヤも変貌山で、自分から姿を現わしています。

これらの事実は、地上を去った聖徒たちが消滅していないことと、無意識の状態にはないことを明白に証明しています。

サウルは、主の警告がある間に、忠実に従うべきだったのです。

サムエルはサウルに四つのことを語りました。

1、16節、主がサウルの敵となられたこと。かつて主はサウルの味方であってくださったのに。

2、17節、主が王位をダビデに与えられたこと。

3、18節、主がサウルを捨てられた理由(不服従)

4、19節、サウルとイスラエルがペリシテ人の手に渡されること。サウルの最期とイスラエルの敗北を示されたこと。

サウルの反逆の道筋の終末が、サウルの取り乱した言葉の悲惨さに表わされています。

20~25節、霊媒の女の世話を受けるサウル

20節、「すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。」

Ⅰサム 28:20 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。

サウルのこの状態は、心に罪の強い自覚を持っている者に起き得ることです。サウルの絶望は過激であり、更に前の日から終日、食事を採っていなかったことによって衰弱が倍加されており、彼の力が失せてしまっており、地上に棒のように倒れてしまったのです。

21,22節、霊媒の女はサウルの所に来て、食事をするように勧めています。

Ⅰサム 28:21 女はサウルのところに来て、サウルが非常におびえているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたの言われたことに聞き従いました。私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。
28:22 今度はどうか、あなたがこのはしための言うことを聞き入れてください。パンを少し差し上げますから、それを食べてください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」

この女は霊媒という忌まわしいことを離れて、いたって人間的な勧めをしています。彼女はサウルが非常におびえている状態を心配して、食事を勧めています。彼女は「私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。」と言っています。彼女は王に禁じられていた霊媒の働きをしたのですから、死を覚悟したと言っています。ですから、今度は、サウルが彼女の勧めを聞き入れて、パンを食べてくれるようにと勧めています。
しかしサウルはあまりの恐怖の故に、全く食欲を失っていたのです。

23節の「しきりに勧めて」は、「強要した」という意味です。

Ⅰサム 28:23 サウルは、これを断って、「食べたくない」と言った。しかし、彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上にすわった。

彼女と家来たちの説得によって、サウルはついに同意して、地面から立ち上がり、床の上に坐っています。彼女は肥えた子牛と小麦粉を練った種を入れないパンを急いで焼いて、サウルと家来たちの前に差し出したのです。サウルと家来たちは、それを食べて、夜の暗やみの中に立ち去って行ったのです。こうしてサウルは絶望の時に霊媒の女から心を打つ親切を受けたのです。

Ⅰサム 28:24 この女の家に肥えた子牛がいたので、急いでそれをほふり、また、小麦粉を取って練り、種を入れないパンを焼いた。
28:25 それをサウルとその家来たちの前に差し出すと、彼らはそれを食べた。その夜、彼らは立ち去った。

あとがき

預言者エリヤは主の働きをするために、先ず、自分自身が主によってだけ養われることを訓練させられました。彼はケリテ川に身を隠して主が遣わされたカラスによって養われたのです。主はこの訓練が終わると、偶像の地、シドンのツァレファテに行くように命じました。そしてエリヤがケリテ川にとどまっていないようにケリテ川の水をかれさせたのです。
私たちの生涯はずっと主によって訓練されています。しかし最初に遣わされたケリテ川での生活に慣れると、ケリテ川の水がかれて、主の次のご命令が出ているのに、いつまでもケリテ川に止まっていようとしてしまいます。「そこは主が遣わされた地だから」と。
私たちは主のみことばを私の足のともしび、私の道の光として歩まなければなりません。
(まなべあきら 2009.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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