思いわずらい

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたし(キリスト)を信じなさい。」
(ヨハネの福音書14:1)
あなたは、いつの間にか思い煩いの中に落ち込んでいることがありませんか。
考え深いことと、思い煩いとは同じではありません。
考え深いことは物事を建設的に順序立てて考えますが、思い煩いは悲観的な思いや根拠のない心配が心を支配してしまっている状態です。
これが続くと、仕事が手につかなくなったり、病に陥る危険をはらんでいます。


ところで、あなたはこれまで何か思い煩うことによって、確かな解決を得たことがあるでしょうか。
思い煩っても、何も良いものが得られないことをあなたはよく知っておられるはずです。
しかし、なぜ思い煩ってしまうのでしょうか。
それは、あなたに物の道理が分からないからではありません。
全く安心して信頼できるお方をあなたの心に持っていないからです。
聖書に
「それは人にはできないことです。しかし、神はどんなことでもできます。」(マタイ19:26)
とあります。


私たちには出来ないことが沢山あります。
しかし、どんなことでも出来る神を知らないか、それとも神を自分と同じように何も出来ないお方としか思っていないなら、私たちはすぐに思い煩います。
しかし神は、全く信頼出来るお方です。
聖書はこの神を「あなたがたの天の父」と言っています。


この神はあなたの必要をよく知っておられ、あなたを創造してくださったお方です。
またあなたを養い、配慮してくださる「父」です。
ですから、このお方を自分の父として、信頼しているなら、思い煩うことはなくなります。

しかし、どうしてなかなかこの思い煩いから自由になれないのでしょうか。
それは求めているものを間違えているからです。
私たちがこれまで求めてきた富、健康、食べ物、衣服、住宅、車も、私たちに心の平安や幸福を与えてくれませんでした。
それらは必要に応じて与えられるものであって、本当に求めるべきものは、それらの全てを与えて下さる父でなければならないのです。


あなたはこれまで父(神)を求めず、父の下さるものしか求めてこなかったのではないでしょうか。
イエス・キリストは
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
と約束してくださいました。

神の国とは、神が私たちの心をご支配して下さることです。
神の義とは、神との正しい関係を保つことです。
この二つを心に持つことがキリストを信じる信仰です。


その為に、私が具体的にしなければならないことがあります。
第一は、これまで神を知らない間にしてきた罪の告白です。
あなたのウソや憎しみ、ねたみ、自分中心の思いと行動の為にも、キリストは十字架の上で私の罪の身代わりとして罰を受けて死なれたのです。
あなたは自分が悪かったと言うだけでなく、あなたの罪がキリストをどんなに悲しませ、遂に十字架にまで追いやったのだということを知らなければなりません。


第二は、神の約束のことばを単純に信じることです。
即ち、キリストがあなたの罪の身代わりとなって十字架にかかって死に、あなたの全ての罪を赦して下さるということを信じるのです。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
(ペテロの手紙第一 2:24)


そうすれば、あなたは神に信頼して、直ちに思い煩いから解放されます。
その後は、聖書のことばを信じ続け、キリストの十字架を見上げ続ければよいのです。
しかしここから離れるなら、また思い煩いに陥ってしまいます。
しっかりとイエス様を信頼していることが大切です。
思い煩いながら、心配顔で一生を過ごす必要はありません。


あなたもキリストに全ての罪と重荷を下して、思い煩いから自由になりたくありませんか。
教会ではこの「イエス・キリスト」を聖書からご紹介しています。
ぜひ、お気軽に教会へお出かけ下さい。

トラクト集の目次へ

前の記事

飽食時代の悩み

次の記事

心と健康