飽食時代の悩み
あなたは、マザー・テレサを知っていますか?
彼女は1954年、インドのカルカッタに「死を待つ人々の家」を開設しました。
現在では、世界70ヶ国で370をこえる働きをしています。
マザー・テレサの働きは、ノーベル賞受賞や映画化されることによって、世界的に知られるようになりました。彼女はこう言っています。
「飢えた人々はカルカッタだけでなく、ニューヨークにも、ロンドンにも、東京にもいます。」
彼女が言った「飢え」とは、パンの飢えではなく、「愛の飢え」です。
世界の二分の一の人は干ばつ、飢きん、戦争によって、食糧難に会い、餓死寸前にいます。
しかしもう一方の物の豊かな世界にも、飢えが押し寄せてきているのです。
マザー・テレサは「タイム」誌のインタビューにこう答えています。
「富んだ人々は貧しい人々よりも貧しくなっていると思います。
彼らの心は満たされていません。
彼らは孤独です。
彼らは愛に飢えています。
パンに飢える人々よりも、もっといやしがたいのは、愛に飢えている人々です。
さらに彼女はこう言っています。
「病気で苦しむ人々、飢えた人々をいかに多く救うかではなく、いかに多く主イエスの愛をその人々に与えるかが問題です。
肉体の飢えはパンを与えれば済みます。
しかし、人間にとって最も悲しむべきことは、病気でも飢えでもなく、自分はこの世にとって不必要な人間であり、無用な存在であると思って孤独になってしまうことです。
孤独は深い飢えなのです。
最近、若者の中にも、中年の人々の中にも、お年寄りの中にも、
「自分は家族からも、職場からも、社会からも、必要とされていない人間、無用な人間、邪魔な人間だ」と思う人が急増しています。
どこに行っても、「死にたい。」という人が多くなりました。
あなたの心は飢えていませんか?
聖書はこう言っています。
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」
(ヨハネの黙示録3:17)
ある婦人は泣きそうな声で、こう言って来られました。
「息子は一流大学に行っており、主人は真面目で会社で部長をしており、家は新築したし、物置にはいただいた贈答品がいっぱいだし、趣味、習いごと、ボランティア活動もほとんどみんなやってみたのに、心がむなしいのです。」
このように豊かな物の中で、心が空虚で、孤独で、どうしていいかわからない人が大勢います。
かつて、ローマ時代の悩みもコレでした。
時の皇帝ネロはローマの町に火を放ち、燃え上がるローマの町をながめて、そのむなしい心をなんとかしようとしたのです。
昨今、言いしれない心のむなしさから、ノイローゼになる人が沢山います。
これは、人がこれまでパンだけ必死に求めて、心の糧(キリストのことば)を得てこなかったからです。
イエス・キリストは、
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
(マタイ4:4)
と言われました。
これは人を創造された神が語られた言葉です。
あなたの心がむなしく、飢えているなら、教会でキリストの言葉を食べませんか。
これ以外に、真の満足を得る道はありません。
教会はあなたを心からお待ちしています。