聖書の探求(199) ヨシュア記11章1~15節 ハツォル(ハゾル)とその連合軍の攻略

この章には、イスラエルによるカナンの北方軍の攻略と戦いの終結が記されています。


上の絵は、カナン時代のハツォル(ハゾル)の王国を描いた創造図、ハツォルはカナン地方最大の都市でしたが、紀元前3世紀頃に大火災によって破壊されたとのことです。(イスラエルの北方にあるテル・ハツォルの遺跡にある説明板より)


ヨシュアたちは、南方軍との戦いが終わると、息つく隙もなく、カナン北部の連合軍の襲撃を受けました。こうして、エリコから始まった戦いは、カナン全土の攻略が終わるまで続いたのです。

私たちの信仰の戦いも、始まると、私たちが天の御国に凱旋するまで続き、またサタンの王国が完全に崩壊するまで続けられるのです。

今回、ヨシュアたちが出会った、カナン北部連合軍は、今まで経験した中で、最もよく装備された、最も大勢の最強の連合軍でした。

彼らは、イスラエルが南方を攻略したのを見て、イスラエルに一息つく隙を与えず、全軍で襲撃してきたのです。これにはヨシュアも驚いたでしょう。ヨシュアは兵士を休ませることも、整えることも出来ないまま、連続の戦いをしなければならないのですから。

ヨシュアはその時の敵の軍勢の様子を1~5節に記しています。

11:1ハゾルの王ヤビンは、これを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、およびアクサフの王、 11:2また北の山地、キンネロテの南のアラバ、平地、西の方のドルの高地におる王たち、 11:3すなわち、東西のカナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、山地のエブスびと、ミヅパの地にあるヘルモンのふもとのヒビびとに使者をつかわした。 11:4そして彼らは、そのすべての軍勢を率いて出てきた。その大軍は浜べの砂のように数多く、馬と戦車も、ひじょうに多かった。 11:5これらの王たちはみな軍を集め、進んできて、共にメロムの水のほとりに陣をしき、イスラエルと戦おうとした。

それは彼が特筆すべきほどの軍勢だったということです。 この連合軍のリーダー格は、ハツォル(ハゾル)の王ヤビンでしょう。彼はまわりの部族の王たちに使いをやって、連合軍を結成したのです。

これに加わったのは、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、北方の山地、キネレテ(キンネロテ)の南のアラバ(「アラバ」とは、ガリラヤ湖(キンネレテの海、ティベリヤの海ともいう)、ヨルダン川、死海及びその南部地域、紅海をも含んで、低地全体を指す地理上の呼び名です。)、低地(シェフェラ)、西方のドルの高地にいる王たち。

2節に記されている地域の人々は、東西のカナン人、エモリ(アモリ)人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人(3節)であったことが分かります。彼らは大勢であるとは言え、日頃は各々、敵対意識を持っていた者たちの、俄か仕立ての連合軍ですので、利害が一致している間だけの団結力です。

彼らは、パレスチナの海岸近くの平原やシャロンの高地、そしてヨシュアたちがまだ征服していなかったエブス人たちでした。

4節を見ると、「そのすべての軍勢を率いて出てきた。その大軍は浜べの砂のように数多く」という表現は、聖書によく出てくる表現で、その人数の多さを強調する表現です。「馬と戦車も、ひじょうに多かった。」というのは、彼らが武器を持って重装備をし、しかもよく訓練された兵士を伴っていたことを示しています。

5節の「メロムの水」の位置については、今日、正確には分かりませんが、ヨルダン川の上流、キンネレテの海の北にあるフーレ湖(これをメロン湖とも呼んでいます)の付近であったことも、推測されます。またある地図では、キンネレテの海(ガリラヤ湖)に注いでいるカぺナウム側の小さい川の付近をメロムの水としています。これらのことを考え合わせますと、カナン北部連合軍は、ガリラヤ湖の北に陣取ったと思われます。

彼らは、イスラエル軍と戦って勝つ、幾つかの利点を持っていました。

1、彼らは非常に人数が多かった

2、彼らは大きな利害開係で一致していた

3、彼らは、馬に戦車、そしてよく訓練された兵士を持っていた

4、彼らは、自分たちがよく知っている地形の場所で戦えたこと、イスラエル軍にとっては全く新しい未知の地であったこと

5、彼らは、全滅か、大勝利か、命がけだったこと。もし、イスラエルの神の計画が実現するなら、カナン人は全滅することを、十分考えに入れていたからこそ、これほどの大軍を仕立てて、一挙にイスラエル軍を攻め落とそうとしたのです。

しかし、これほどの勝利の可能性があっても、神がともに戦っておられる者たちには勝てなかったのです。

「わたしが呼び求める日に、わたしの敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります。」(詩篇56:9)

「それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」(ローマ8:31)

6~15節、カナン北部連合軍の崩壊

ヨシュアたちが最強の敵に出会った時、神は直ちに勝利の保証を再更新して下さいました。

11:6その時、主はヨシュアに言われた、「彼らのゆえに恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らを皆イスラエルに渡して、ことごとく殺させるであろう。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼かなければならない」。

こうして、神の勝利の保証も、最初に一回だけでなく、戦いに臨む度に、何度も神が更新して下さっています。

ですから、私たち信仰者の側でも、毎日、信仰を更新して、主に従っていくことが必要です。救われた時だけ、潔められた時だけの、一回だけの信仰では十分ではありません。それを毎日更新していかないと、霊的恵みといのちを保つことが出来ません。神もまた、勝利の保証の更新をして下さらなくなります。

主は、「あすの今ごろ」と言われて、二十四時間以内に、敵の大軍を崩壊させてしまわれるという、驚くべき約束を与えて下さいました。もし、イスラエル軍が自分の力で戦ったのなら、ほとんど勝つ可能性はなかったでしょう。しかも戦いは長期戦になり、これまでの戦いの疲労とも重なり、長期戦になれば、度重なる疲労の故に、全滅することは目に見えていました。ですから、イスラエル軍が勝つには短期戦しかない。しかし、どうやって、この大軍を一日のうちに打ち破ることができるのでしょうか。人の知恵で考えるなら、不可能なことです。しかし全能の神は、このことを実行されたのです。

「馬の足の筋を切り」「戦車を火で焼く」ことは、敵に対してだけでなく、イスラエルにとっても重要な意味を持っていました。

馬と戦車は、敵にとって最大の機動力であり、戦力を発揮する重要な武器でした。しかし、この一つがはぎ取られてしまうなら、歩兵が多ければ多いほど身動きが取れなくなって、混乱を起こし、パニックになって自滅する確率が高くなります。人数が多ければいいと考えるのは人の知恵です。神はギデオンの時、三万二千人集まって来た者のうちから、精兵卒を三百人選んで、このわずか三百人を用いて勝利されたのです。主は、パンを食べに集まって来た、五千人や四千人の大群衆を用いず、わずか十二人の弟子たちを用いられたのです。あなたの計算は間違っていませんか。
この馬と戦車が破壊されることは、連合軍にとって戦力が削がれるだけでなく、彼らが大軍であればあるほど、そのこと自体が彼らの敗北原因になってくるのです。

しかし、このことには、もう一つの大きな目的があります。

「王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。」(申命記17:16)

「王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。馬は勝利に頼みとならない。その大いなる力も人を助けることはできない。」(詩篇33:16,17)

「主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。主はおのれを恐れる者とそのいつくしみを望む者とをよみせられる。」(詩篇147:10,11)

ソロモンは馬を多く持つことで失敗しています。彼は武力と、政略結婚によって周囲の国々からの勝利と安定を計ったのですが、偶像礼拝を招き入れ、自らの信仰を失い、神の刑罰を受け、国が二つに分裂する原因を造っていったのです。それはイスラエルとユダの捕囚にまで続いていくのです。

馬の足首の腱を切ってしまうと、馬は戦いには役に立ちません。戦車は火で焼いて使い物にならなくしています。これは、戦いの後、イスラエルが惜しんで、これらも自分のものとして持ち帰らないためです。こうして神は、神の民が、神以外に、馬や戦車に信頼を置く誘惑を取り除いてしまわれたのです。

こうして、ヨシュアは、自分が本当に神に信頼し、従い、神が自分の味方であってくださるなら、恐れるものは何もないことを身に泌みて学んだことと思います。あなたは、このことを、もうすでに学んでいるでしょうか。

7節、ヨシュアは主のご命令に対して、一刻を置かず、敏速に服従しています。

11:7そこでヨシュアは、すべてのいくさびとを率いて、にわかにメロムの水のほとりにおし寄せ、彼らを襲った。

イスラエル軍が北上しているという知らせが北方連合軍に届く前に、メロムの水のあたりの敵の陣営に急襲をかけたのです。この北上行軍は、イスラエル人に相当苦しかったと思われます。しかし彼らの霊魂には、勇ましい精神と不動の勝利の信仰が神によって吹き込まれていたのです。この時、敵軍は俄かに集まって来たばかりで、まだ明確な軍隊組織は出来上がっておらず、命令系統もなかったのです。ただ大勢集まって、ワイワイ、ガヤガヤやっている状態でした。ですからイスラエル軍の急襲は彼らに大混乱を引き起こしたのです。混乱は敗北です。秩序は勝利をもたらします。

多くの馬や戦車は、かえって彼らの逃げ道をふさいでしまったのです。馬は驚いて暴走したでしょう。

急襲は、先の南部地域の攻略にも用いられた戦術でしたが、これは、戦術と言うより、ヨシュアたちが主のご命令に即刻従って行動した結果が、この急襲となって、勝利を得たのです。

このことは今日の私たちにとっても必要なのではないでしょうか。主のご命令に対して自分で散々迷った末に従う時には、もう時が遅いということがあります。私の経験でも、すぐに従った時には、直面しなくてもよい危険や困難が、一か月、二か月、三か月と、迷って決断せず、実行しない間に、発生したり、病状が悪化したり、状況がもっと悪くなってしまっているのを見てきました。これを遅らせているのは、自分中心の知恵と考えと欲を優先させているからです。

8節で、ヨシュアはこの時の戦いを簡潔に記しています。

11:8主は彼らをイスラエルの手に渡されたので、これを撃ち破り、大シドンおよびミスレポテ・マイムまで、これを追撃し、東の方では、ミヅパの谷まで彼らを追い、ついにひとりも残さず撃ちとった。

「主が彼らをイスラエルの手に渡されたので」は、この戦いの勝利の最大の要因です。

「主がわれわれのために何か行われるであろう。多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」。(サムエル上 14:6)

戦いの範囲は、北は地中海沿岸の大シドン、ミスレポテ・マイムから、東はミツパの谷(ヘルモン山のふもとにあったと思われますが、現在の位置は不明です。)にまで、相当、遠くにまで及んでいます。

9節は、「主が命じられたとおりに」と、ヨシュアは告白しています。

11:9ヨシュアは主が命じられたとおりに彼らに行い、彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼いた。

またしてもヨシュアは、神のご命令と導きに従うことの大切さを思い知らされました。ギベオン人の来訪の時は、自分の知恵に頼って失敗しましたが、その差は歴然としています。

自分で納得するまで従わずに、議論している人がいますが、高慢であることに気づいていないのです。なぜ、それが高慢なのか、分からないのは、その人の性質が高慢だからです。高慢な人は自分の知恵に頼ることを第一にしているので、霊的奥義を悟ることが鈍いのです。私たちは、主のご命令を信じて、迅速に従う度に、主のみこころを悟ることに鋭敏になっていくのです。この世の方法では、納得するまで、理解出来るまで議論し、話し合うというのが、最も良い方法のように言われていますが、神のみこころと奥義は、即刻に従うことによってしか分からないものが多いのです。だから主は、

「あなたは、わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ21:22)

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ16:24)

と命じられたのです。このみことばを知っている人は沢山いるのですが、このみことばに従う人は、非常に少ないのです。私たちは、主の恵みを受けた経験があっても、それが神のご命令に従った時に与えられたものであることを、ほとんど意識していないために、神のご命令に即刻に従うことの重要性をほとんど自覚していないのです。

しかし、主のご命令に即刻に従うには、心から主を愛していないと、従うことはできません。自分が納得したから、従うというのは、主に従っているのではなくなります。それは半分以上、自分に従っているに外なりません。それは神に喜ばれる信仰ではありません。ヨシュアは実戦を通して、この重要な学課を身に付けたのです。あなたは、どうですか。

10節、ヨシュアは、メロムの水のあたりの戦いを終結させると、その足で、この戦いの中心的役割を果たしていたハツォル(ハゾル)を攻めています。

11:10その時、ヨシュアはひきかえして、ハゾルを取り、つるぎをもって、その王を撃った。ハゾルは昔、これらすべての国々の盟主であったからである。 11:11彼らはつるぎをもって、その中のすべての人を撃ち、ことごとくそれを滅ぼし、息のあるものは、ひとりも残さなかった。そして火をもってハゾルを焼いた。

ハツォル(ハゾル)はフーレ湖のすぐ南東にある首都でした。彼はその王ヤビンを剣で打ち殺しています。ハツォル(ハゾル)の王ヤビンが、周囲の王たちをそそのかして、神の民への襲撃を企てた張本人でしたから、その刑罰をも受けなければならなかったのです。

テル・ハツォル遺跡にあるハツォルの王の宮殿跡。紀元前14~13世紀頃のもの。ここは、王宮の祭礼が行われたところで、住居や仕事などは別の建物で行われた。ハツォルの他の建物と同じく、大火災によって破壊された。(2016年の訪問時に撮影、参照:「たけさんのイスラエル紀行 テル・ハツォル」


もし、あなたが、だれかから相談を受けた時、神のご計画の道を歩んでいる者を、ののしり、争うことを勧めるようにそそのかせるなら、ヤビンのように一時は多くの賛同者が得られても、やがて、あなたは神に打たれることになります。神に仕えている者に向かって、悪を行なうようにそそのかす者は、必ず、ヤビンと同じ結末に陥るのです。

「ハゾルは昔、これらすべての国々の盟主であった」とあるのは、かっては、ヤビンの支配が北部地域全体に及んでいたことを示しています。それ故、ヤビンの敗北は、北部地域全体の征服に大きな影響を与えました。

しかし滅んだのはヤビンだけではありません。彼の支配下で彼のそそのかしに乗って戦いに出て来た王たちと、その民、そしてその町々も滅んでしまったのです。

主によって、同じ審判がヤビンに従った他の王たちと一般民衆の上にも下されたのです。

11:12ヨシュアはこれらの王たちのすべての町々、およびその諸王を取り、つるぎをもって、これを撃ち、ことごとく滅ぼした。主のしもべモーセが命じたとおりであった。

13節、周囲の丘の上に建っている町々は焼かれなかったのに、ヤビンの都ハツォル(ハゾル)だけは、火で焼かれています。

11:13ただし、丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。 11:14これらの町のすべてのぶんどり物と家畜とは、イスラエルの人々が戦利品として取ったが、人はみなつるぎをもって、滅ぼし尽し、息のあるものは、ひとりも残さなかった。

これは神に反逆する象徴的存在を取り除いてしまわれたのです。しかし他の町々も、分捕り物と家畜もイスラエル人の戦利品とされています。それらはイスラエル人がこれからカナンの地で定住するのに大いに役立ったと思われます。

ここで、「丘の上に立っている町々」とは、「要塞化した町々」を意味しています。この町々を焼かなかった理由は記されていませんが、敵の要塞だった所をそのまま残しておくことは、カナンの残留者がそこに入って来て、再び敵対勢力を養っていく場所を与えることになるはずです。ですから、私たちは、霊的にも、悪魔と自己中心が再び活躍する場となるような性質を、敵のために残すべきではないのです。

「そのすべてのぶんどり物は、町の広場の中央に集め、火をもってその町と、すべてのぶんどり物とを、ことごとく焼いて、あなたの神、主にささげなければならない。これはながく荒塚となって、再び建て直されないであろう。」(申命記13:16)

「こうしてヨシュアはアイを焼いて、永久に荒塚としたが、それは今日まで荒れ地となっている。」(ヨシュア記8:28)

「 12:43汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 12:44そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 12:45そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう。」(マタイ12:43~45)

この戦いでは、カナン北部の連合軍は、人数的にも、地形をよく知り尽くしているという点でも、すぐに必要な物資や軍事用品や兵士を補給することができるという点でも、また当時としては、最新の重装備をしていたという点でも、さらに日頃から戦争には慣れていたという点でも、彼らが戦いに勝つ公算は非常に高かったのです。

イスラエル軍にとっては、主がともにいて戦って下さるということ以外は、全く不利な状態でした。通常では勝ち目は全くなかったのです。

こういう状態の下で、イスラエルが完全な勝利を収めたのは、「主がそのしもべモーセに命じられたように、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりにおこなった。すべて主がモーセに命じられたことで、ヨシュアが行わなかったことは一つもなかった。」(15節)ただ、この一事によるのです。

ヨシュアの優れている点は、指導者モーセが死んでも、モーセから教えられた主のみことばを一つも省かず、行ない従ったことです。この、主に対する完全な服従があったからこそ、イスラエルは、どんな危機的状態に置かれても、勝つことができたのです。

信仰による服従を嫌がるクリスチャンが沢山いますが、その高慢は神に敵対しているので、恵みが得られないのです。

さらにヨシュアの優れている点は、彼が一回だけでなく、戦っている全期間も、戦いが終わった後も、彼が生きている間中、モーセによって命じられた主のみことばに、忠実に従い通したことです。

ヨシュアは、この勝利をもって、ヨルダン川の西側のパレスチナ全土を征服することに成功しました。神のみことばに忠実に従うというこの一事を守り行なうことによって、神のご計画を成し遂げたのです。

このように、神のみことばを行なうことに忠実な者には、神は偉大な仕事を任され、それを成し遂げるための力も、恵みも、知恵も与えて下さるのです。もし、私たちが毎日、主のみことばを握って、みことばに従う生活をするなら、どんなにか主に信任され、偉大な仕事を成し遂げることができることでしょうか。


上の図は、ヨシュアが率いるイスラエル軍が反乱軍を攻め取っていく動き、青がイスラエル軍、赤が反乱軍。(参照:「バイブルワールド・地図でめぐる聖書」ニック・ペイジ著、いのちのことば社刊)


(まなべあきら 2000.10.1)
(聖句は口語訳聖書から引用。)


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