聖書の探求(218) 士師記 序(1) 聖書中の士師記の位置、士師について、時代、記者、年数

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Othniel(オテニエル)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


士師記という名称は、ヨシュアからサムエルまでの期間を通じて、イスラエルを統治した統治者(士師)に基づいて、その名が使われています。同じ名前が、七十人訳聖書にも、ヴルガータ訳聖書にも使われています。

聖書中の士師記の位置

1、パレスチナを征服したヨシュアの死からサムエルの時代までの中間期の350~400年間にわたるイスラエル国民の様々に交錯した不穏な時代の歴史の記録です。この時代の人々の特徴は、無拘束、乱行、放逸、無秩序です。

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(17:6、18:1、21:25)

2、ユダヤの伝統は、士師記の記者をサムエルとしています(詳しくは、記者の項目を参考)。そして聖書中の内的証拠も、早い時代に書かれたことを示しています(士師記1:21、サムエル第二 5:6~9)。

士 1:21 ベニヤミン族はエルサレムに住んでいたエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族といっしょにエルサレムに住んでいる。

3、ヨシュアの死後、国民は指導者がないままであったので、異教の近隣諸国のように王を持つことを望んでいた。しかし神は、この期間、非常事態が起きる度に、王の代わりに、士師と呼ばれる救い手を備えられました。

士師について

1、士師の由来

士師記の時代には、イスラエルの人々は偶像礼拝に走り、愚かな罪に陥っていました。その結果として、彼らは神の審判を受けたのです。すなわち、異教の軍隊が侵入し、イスラエルの民は圧迫されたのです。その苦しさの中から主に叫ぶ時、主は民の悔い改めの叫びに応えて、イスラエルの民に救い手を与えられました。これが士師です。

2、士師の名称、召命、奉仕

「士師(しし)」は、「さばきづかさ」とも呼ばれ、神から救い手として民の間に遣わされ、イスラエル民族を指導した人物です。
それ故、士師たちは、神ご自身によって任命されて立てられ、神の御霊に満たされて奉仕に当たったのです。彼らに対する御霊の満たしは、新約における霊的性質の奉仕のためではなく、また士師自身に霊的変貌を与えたことは、ほとんど見られず、ただ、サムソンにその特徴がよく表わされているように、働きのための力が与えられるという旧約的特徴を持っています。

3、士師の職分、職務範囲

士師たちは、イスラエル民族の危機の度に、力強く活動し、霊的(偶像を取り除くこと)、政治的(民の統一)、軍事的(異教の外的との戦い)リーダーとしての役割を果たしました。彼らの中のある者は、限られた部族や限られた地域に対して、その職務を行なっています。

士師記の時代

士師記の時代は、ヨシュアたちによるカナン占領の大勝利と、安定した定住生活に入ったにも関わらず、神の民の歴史の中で、最も暗黒の時代です。私たちクリスチャンも、救われ、潔められ、神の約束の地での祝福された平安な生活をしばらくした後に、主を忘れて、この世を慕い求め、信仰による戦いの緊張が緩んでくると、自分の肉の欲に再び陥って、暗やみの生活に舞い戻ってしまいやすいのです。イスラエル人は、あの輝かしい大勝利から、驚くほどの速さで異教の偶像礼拝へと堕落衰頽していったのです。

それで神は、カレブの甥のオテニエルを起こして、イスラエルの救い手としました(3:9)。

士 3:9 イスラエル人が【主】に叫び求めたとき、【主】はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。

これは、私たちにとって、大いに霊的教訓として受け止めるべきではないでしょうか。

どんなに、これまで霊的恵みを受けていても、今、現在の信仰と服従の厳密な歩みをしていないなら、神の約束にとどまる聖潔の生活を送ることはできません。聖潔の生活だけでなく、救いの恵みさえ保つことができなくなり、滅びの道をたどるようになるのです。

「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ5:8)

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(ヨハネ第一 1:7)

士師記の初め(1:2~18)には、ユダ族が上って行って、カナン人を撃破した時の勝利の記事を記していますが、この勝利の記事の直後に、「しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった。」(1:19後半)と言っています。これは、ユダの信仰の欠乏を表わしています。

ヨシェアが、「カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」(ヨシュア記17:18)と命じていたにも関わらず、イスラエル人は信仰の欠乏のために、戦うことさえしなかったのです。

士師記1章5~7節には、敵の王アドニ・ベゼクのことが記されています。これは、神がカナン人を裁くための理由を示したものです。この異教の王アドニ・ベゼクでさえ、「神は私がしたとおりのことを、私に報いられた。」(1:7)と言って、神の審判を認めているのですから、神の民であるイスラエルに、もっと真剣な信仰があってもいいのではないかと思われるのですが、緩んでしまった人々の心には、信仰が見られなくなってしまっているのです。
1章の残りの部分も、信仰の欠乏の故の、敗北の記録を連ねています(1:21,27,28,29~35)。

今日の教会には、教会とクリスチャンの心の中から異教と肉の欲を取り除いてしまうほどの信仰があるのでしょうか。

「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)

類似した書物

ヨシュア記→エペソ人への手紙(霊的戦い)
士師記→ガラテヤ人への手紙(霊的堕落)
レビ記→ヘブル人への手紙(霊的礼拝の欠如)

士師記の記者

士師記を書いた記者を特定することはできません。士師が各々、自分の歴史を書き、それを収集して士師記にまとめたと考えている人もいるし、ピネハスか、ヒゼキヤか、エズラが書いたと考えている人もいます。

ユダヤのタルムードは、「サムエルは、その名を帯びる書(サムエル記のこと)と、士師記とルツ記を記した。」と記しています。しかし、このユダヤの伝承は、どの程度まで信頼できるかは疑問です。

現代の破壊的批評家たちは、士師記を一つの統一した文書として認めず、種々の資料を編集して作り上げたと考えており、それを完成したのは、紀元前550年頃であるとしています。しかし彼らの主張は、どれもこれも正確な信頼に足る根拠がなく、ただ、聖書のほとんどすべての書から、神の権威を奪い取るための主張であり、暴論であるとしか言いようがありません。

士師記が極く古い時代から存在していた書物である証拠は存在します。

1、1章21節によれば、「まだエブス人がエルサレムにいた」時に、士師記は書かれています。それ故、士師記はダビデがエブス人の要塞であったエルサレムを占領した事件(サムエル記第二 5:6~9)の前に書かれていたことは間違いありません。

2、1章29節では、「カナン人はゲゼルで・・住んだ」と記していますが、これはパロがソロモンの妻となった自分の娘に、贈り物としてこの町ゲゼルを与えた(列王記第一 9:16)紀元前992年よりも前に士師記が書かれたことを示しています。

3、3章3節では、ツロよりも、むしろシドンがフェニキヤの首都であったと考えられます。これは紀元前12世紀以前の時代を示しています。

4、イザヤ書9章4節は、士師記7章21節~25節のミデヤン人に対するギデオンたちの勝利に言及しています。
またイザヤ書9章は、士師記4~6章のデボラとバラク、ギデオンの戦いと勝利に関係していると思われます。
そして、士師記17章6節、18章1節、21章25節の章句は、その出来事の記憶が新しいことを示しています。

5、士師記18章30節の「国の捕囚の日まで」と訳されている表現は、注意を要します。
これをそのまま捕囚の日とすると、

イ、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルがガリラヤとナフタリの全土を破壊した紀元前8世紀半ば頃(列王記第二 15:29)か、

ロ、アッシリヤがサマリヤを占領した紀元前722~721年であるということになります。

ハ、また、ある人は、この本文の読み方がはっきりしないので、「契約の箱が奪われる日まで」と読ませて、サムエル記第一 4章11節でペリシテ人が神の箱を奪った時のことを指すとしています。しかし、「捕囚」と訳されている語は、「捕え殺す」という意味で、それはデボラ(4~5章)とギデオン(6~8章)の時代を表現している言葉だとするほうが、一層適切です。

以上の内部の証拠から、決定的ではないにしても、士師記は、王国の初期、すなわち、サウル統治下か、ダビデの治世の初期に書かれ、編集されたと思われます。その時、記者が、口伝や書伝の資料を利用したことはあり得ることですが、士師記の構造の著しい統一性からして、破壊的な批評家が言うような、後代に収集したことは、あり得ないことです。

結論として、士師記は、記者の名前を特定することはできないけれども、口伝、書伝の資料を使用したとしても、間違いなく神の権威ある書であります。

士師記の期間の年数

士師記の期間をおおまかに挙げてみると次のようになります。

①3:7~11
. 偶像 バアル(バアリム)とアシェラ
. 敵  アラム・ナハライム(メソポタミヤ)の王クシャン・リシュアタイム
. 占領 8年
. 士師 カレブの弟ケナズの子オテニエル(出身ユダ)
. 平和 40年
. 背教順序 1番

②3:12~30
. 主の目の前に悪を行なった。
. 敵  モアブの王エグロン
. 占領 18年
. 士師 ゲラの子左ききのエフデ(出身ベニヤミン)
. 平和 40年
. 背教順序 2番

③3:31
. 敵  ペリシテ人600人
. 士師 アナテの子シャムガル
. 武器 牛の突き棒
. 背教順序 2番

④4:1~5:31
. 主の目の前に悪を行なった。
, 敵  ハツォルで治めていたカナンの王ヤビンと、ヤビンの将軍シセラ
. 占領 20年
. 士師 ラビドテの妻で女預言者デボラ(出身エフライム)とアビノアムの子バラク(出身ナフタリ)
. 武器 バラクと一万人の軍隊の剣の刃
.    ケニ人へベルの妻ヤエルの手にある毛布、乳、天幕の鉄のくいと槌
. 平和 40年
. 背教順序 3番

⑤6:1~8:28
. 主の目の前に悪を行なった。
. 敵  ミデヤン人、アマレク人、東の人々、
. 占領 7年
. 士師 アビエゼル人ヨアシュの子ギデオン(別名エルバアル、出身マナセ)
. 武器 精兵三百人と角笛、からつぼ、たいまつ、叫び声、
. 平和 40年
. 背教順序 4番

⑥8:29~9:57
. 偶像 バアル、バアル・ベリテ
. 敵 エルバアルの七十人の子らの争い、エペデの子ガアルとその身内の者たち
. 士師 神ご自身(9:56,57)
. 背教順序 5番

⑦10:1~2
. 士師 ドドの子プアの息子トラ(出身イッサカル)
. 平和 23年
. 背教順序 5番

⑧10:3~5
. 士師 ヤイル(東マナセのギルアデ人)
. 平和 22年
. 背教順序 5番

⑨10:6~12:7
. 偶像 主の目の前に重ねて悪を行ない、バアル、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモンの神々、ペリシテ人の神々
. 敵 ペリシテ人、アモン人、
. 占領 18年
. 士師 勇士で、遊女の子エフタ(出身ギルアデ)
. 平和 6年
. 背教順序 6番

⑩12:8~10
. 士師 イブツァン(出身ベツレヘム)
. 平和 7年
. 背教順序 6番

⑪12:11~12
. 士師 エロン(出身ゼブルン)
. 平和 10年
. 背教順序 6番

⑫12:13~15
. 士師 ピルアトン人ヒレルの子アブドン(出身エフライム)
. 平和 8年
. 背教順序 6番

⑬13:1~16:31
. 主の目の前に悪を行なった。
. 敵  ペリシテ人
. 占領 40年
. 士師 マノアの子サムソン(出身ダン)
. 武器 神の力、ジャッカル三百匹、たいまつ、生新しいろばのあご骨、エン・ハコレの水
. 平和 20年
. 背教順序 7番

⑭サムエル記
. 士師 ハンナの子サムエル(出身レビ)

士師の一覧表

士師記中の年数を合計すると410年になります。しかし、3章31節のシャムガルのさばいた年数は記していないし、10章12節のシドン人、アマレク人、マオン人の圧制の期間も記していません。

それ故、パウロが使徒の働き13章19,20節で、カナンの地の分配から預言者サムエルの時代までの士師の時代を約450年間としていることと、年数上の数字を一致させようとしても、正確にはできません。
また、士師記11章26節に、「イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村落、アロエルとそれに属する村落、アルノン川の川岸のすベての町々に、300年間住んでいたのに、」とあることとも一致しません。

また、列王記第一 6章1節には、エジプトの地を出てからソロモンの神殿建設までの期間が480年であると記されていますが、これとも一致しません。ですから、これを無理に調和させて一致させようとしてはならないのです。すなわち、士師記に記されている年数は省かれていたり、重なり合っていたりしており、時代的年数として記されていなかったのです。

しかし、このように年数が一致しないからと言って、不信仰に陥ってはなりません。ただ記者が歴史的年数として計算して記さなかっただけなのですから、この書で、必要なことは年数の一致ではなくて、神にいかに信頼して忠実に従うか、ということなのです。

あ と が き

士師記の原稿を書きつつ、「神の大きな懲らしめが来ないと、人の心は目覚めないのだろうか。」と思わせられました。世の中を見れば、牛肉も、豚肉も、鶏肉も、みんなウソの表示をし、不当な値段で売りさばいていたと言っています。もともと、この世に真実があるとは思っていませんでしたが、これほどにウソが私たちの周りで蔓延していたとは。 しかしクリスチャンの心の中にも、高慢、偽り、自己主張するための言いわけ、弁解などが蔓延していないでしょうか、他人を見下げて侮る心や、永遠のいのちよりもこの世の栄を求める心で満ちていないでしょうか。
21世紀の初めには、20世紀の初めのような、福音の世界宣教のために真剣になっている信仰を見ることができるでしょうか。

(まなべあきら 2002.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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