聖書の探求(227) 士師記3章1~11節 イスラエルの敵、イスラエルの罪と士師オテニエル

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Othniel(オテニエル)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


3~16章には、士師(さばきつかさ)の活躍が記されています。

[士師]

士師は、オテニエルからサムソンまで、デボラを加えて十四人です。預言者サムエルは士師の時代の最後の士師と見ることもできますが、サムエルは士師記に記されていませんので、ここでは含めておりません。

士師記に記されている士師たちは、神政政治下の普通の審判官のことではありません。
出エジプト記18章21~26節に、モーセを助けるために「民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、十人の長として、民の上に立て」(21節)られたような人々のことでもありません。

士師記の士師には、特異な目的のために起こされ、超自然の権力を与えられていました。その任務は、司法官よりも行政官であり、多くの場合、軍事的な司令官の働きをしております。そして、異教徒の圧制からイスラエルの民を救い出したのです。

しかし、士師は王のように継承する制度ではありませんでした。彼らは、敵の権力下に隷属させられ、奴隷となっていたイスラエルの民を救い出すために、神の御霊によって奮い立たされていた非常時の士官だったのです。

士師には、新たな律法をつくる権威は与えられていません。律法は神によって授けられ、制定されています。この律法を説くのは、祭司の領分でした。

士師は、律法の支持者であり、主の宗教の擁護者であり、罪に対して、特に、偶像礼拝と神を冒涜する者を処罰することをその任務としていました。

士師は、イスラエルの民の至高の支配者であられる神に従う使者として、イスラエルを治めるために、神によって、その高貴な任務に召されて、遣わされたのです。

[イスラエルの七回の衰退]

3章から16章までの歴史の中で、イスラエルは七回敗北し、七回救い出されたことが記されています。

イスラエルが偶像礼拝に陥ったので、神は周囲の異教の国を用いてイスラエルを罰しました。その時、イスラエルは神の懲戒の下で悔い改めて、神を呼び求めたので、神は救い手を遣わされました。

神は、イスラエルが、恣(ほしい)ままに罪を犯したので、神は彼らに懲罰を加え、カナン人や周囲の諸国民がイスラエルを制圧し、酷使することを許されたのです。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」(ヨハネ8:34)

私たちも、それがどんなに小さい罪であっても、罪であることを知りながら行ない続けるなら、やがてその罪が私たちの主人となって、私たちを支配するようになります。

カナンの王ヤビンと彼の軍勢の長シセラは、二十年間、イスラエル人をはなはだしく虐待したのです(士師記4:2,3)。

またミデヤン人がイスラエルに勝ち、イスラエル人はミデヤン人の圧制に耐えかねて、山の洞窟や洞穴に避難したこともあります(士師記6:2)。

イスラエル人が主に呼ばわった時に、主はすぐには救い手を遣わしませんでした。先ず、一人の預言者を送って、イスラエルの民が自分の罪を深く感じるように導かれたのです(士師記6:7~10)。

また10章7,8節には、「主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。」とあります。こうしてイスラエル人は18年間、敵の手によって虐待を受けたのです。彼らは、ここでも主に叫んでいますが、主は彼らに、彼らが主を捨てて、他の偶像の神々に仕えたことを思い出させて、「行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」(士師記10:14)と言われました。

イスラエル人は、この譴責の御声を聞いて、今更のように自分の罪を悟り、へりくだって呼ばわり、「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」(士師記10:15)と祈ったのです。

その結果、「彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。」(士師記10:16)と、主のみこころを記しています。

3章は、オテニエルとエフデとシャムガルについて記しています。

1~6節、戦争を知らないイスラエルの民を試みるために、残しておかれた国民
7~11節、イスラエルの罪と士師オテニエル
12~30節、イスラエルの罪と士師エフデ
31節、士師シャムガル

1~6節、戦争を知らないイスラエルの民を試みるために、残しておかれた国民(イスラエルの敵)

イスラエル民族はカナン入国後も、神の約束の地から異教のカナン七族を絶滅させなかったのです。その結果、絶滅を逃れたカナンの異教の民がイスラエルを悩ましたばかりか、恐るべき新たな敵が出現したのです。それがペリシテ人です。「ペリシテ」とは、「ちりや灰の中をころがる」という意味が敷桁して、「移住者になる」という意味を持つようになり、「外来者」とか、「外国人」という意味で、ペリシテ人を称して使われるようになったのです。彼らは、イスラエル人と同様に、比較的、他の民族より遅れてパレスチナに侵入してきました。

ペリシテ人は他の異教民族よりも長く、四十年も(13:1)イスラエルを虐待しました。

士 13:1 イスラエル人はまた、【主】の目の前に悪を行ったので、【主】は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。

ぺリシテ人の武具の強さとその種類の多様さについては、旧約における最も完備した武器として記されています(サムエル記第一 17:5~7)。

Ⅰサム 17:4 ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。
17:6 足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。
17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。

ペリシテ人は巨人の子孫と交わり合ったようで、彼らの間には巨人級の肉体と力量を持った人物が見られます。

彼らの主要な偶像は、巨大なダゴン像であり、その胴体は魚のようであり、これに人間の手と足がついています。

神は、イスラエルの懲罰のために、このペリシテ人を敵として用いたのです。神の民は、彼らの神が、その約束に対して真実であられるように、その脅威においても真実であることを知らなければなりません。このことは、すべての堕落者が事実として受け取らなければならないことです。

神に逆らった者は、神の大能の御腕を離れたために、力を失ってしまった自分を思い知らされることになるのです。神の義は、反逆した者の罪を見逃しはしないからです。しかし、それでも神の愛は彼を完全に見捨ててしまったのではありません。

「あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対しては、それに報いる方であった。」(詩篇99:8)

カナンの地に異教の人々が残っていたことは、神の民の忠実さを試みただけでなく、戦いと防衛のために必要な注意深い戦略を訓練することにもなりました。

士 3:2 ──これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである──

残った異教の民は、四つのグループとして記されています。すなわち、3節、ペリシテ人の五人の領主(アシュドテ、アシェケロン、エクロン、ガザ、ガテの五つのペリシテの都市国家のかしらたち)によって率いられていたペリシテ人と、パレスチナの中央部にいたすべてのカナン人、シドン人、そして北方地域のバアル・ヘルモン山からレポ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人の四つの国々のグループでした。

士 3:3 すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。
3:4 これは、【主】がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。

「領主」という語は、「専制君主」を意味する外来語です。

ペリシテ人はカフトル(クレテ島と思われます。エレミヤ書47:4、アモス書9:7)から来た人々で、戦争好きな人々です。その名前は出エジプトの時代から使われており(出エジプト記13:17)、士師記の時代にイスラエルを支配することによって、マカベア王朝の時代〈イスラエルが国民的一致を失っていた時代)の後まで、イスラエルを苦しめ続けました。

出エジプト記23章31節には、一回だけ地中海が「ペリシテ人の海」と呼ばれています。これはペリシテ人が地中海にまで勢力を伸ばしていたことを意味しています。しかし新約聖書には、ペリシテ人のことが全く記されていません。

カナン人については、ヨシュア記3章10節のところで、詳しく記しましたので、そちらを見てください。

シドン人は、地中海沿岸の北西部のシドンとその周辺部分に住んでいたフェニキヤ人です。3節の「バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人」は、「ホリ人」と呼ばれていた人々と関係しているかも知れません。

レバノン山はパレスチナ最北端地域にあり約160kmにわたるレバノン山脈のことです。その中でも、二つの最高峰は海抜約三千メートルにも及び、その山々をレバノン(ヘブル語で「白い」という意味です。)と呼んでいました。それはその山々が石灰岩で白く見えていたからです。

ヘルモン山は、頂上が2700メートル以上もある三つの峰を持ち、一年中、雪におおわれています。この地はヨシュアの時代にイスラエル人が征服したパレスチナの最北端になっています。ヘルモン山は「シーオン(シルヨン)山」とも呼ばれています(申命記4:48)。これはシリヤの呼び方でしょう。

この山はヨルダン川の唯一の水源地であり、主イエス様の変貌の場所(マタイ17:1~13)でもあったと思われます。

バアル・ヘルモンは、おそらくその東斜面にある地で、ハマテはシリヤの大都市で、この都市の周辺をハマテと呼び、レボ・ハマテは、ハマテの入口と考えられます。ここは、パレスチナの北部の境界として考えられていました(民数記13:21、34:8、ヨシュア記13:5)。歴代誌第一 2章55節の「レカブ家の父祖ハマテ」とは関係がないと思われますので、混同してはなりません。

5節のカナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のリストは、ギルガシ人を除くと、ヨシュア記3章10節のカナン七族と呼ばれているリストと同じです。

士 3:5 イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、

6節、イスラエル人が偶像礼拝に陥っていったきっかけは、カナンの異教民族と婚姻関係を結んだことにあると言っています。

士 3:6 彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。

7~11節、イスラエルの罪と士師オテニエル

1、イスラエル人は、主を忘れてバアル(Baalim)とアシェラ(Asheroth)に仕えました。

士 3:7 こうして、イスラエル人は、【主】の目の前に悪を行い、彼らの神、【主】を忘れて、バアルやアシェラに仕えた。

アシェラはへブル語で木立を意味しますが、これはアスタルテの象徴の柱です。これは一つの祭壇の近くに建ててある木(柱)です。元々は、枝を全部切り払った木の幹であったと考えられています(申命記16:21、列王記第二 13:6、23:6,14,15)。

2、メソポタミヤ(別名アラム・ナハライム)の王クシャン・リシュアタイム(Cushan Rishathaim)による侵略

士 3:8 それで、【主】の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡された。こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。

主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、八年間もの長い間、この異教の王に支配され、貢物を払わなければならなかったのです。背信に対する神の唯一の処置方法は審判による刑罰です。

「クシャン・リシュアタイム」とは、ヘブル語で「邪悪の主(ぬし)エチオピア人」という意味になります。なぜ、メソポタミヤの王がエチオピア人と関係するのかは不明です。これは、この王について記している古代文書の唯一の説明文です。

メソポタミヤは、チグリス川とユーフラテス川の間にある地域で、「メソポタミヤ」という呼び名は、アレキサンダー大王の時代以後、この地域について用いられたギリシャ名です。広い意味では、アブラハムの出身地のカルデヤのウルも含んでおり(使徒7:2)、ペンテコステの日には、メソポタミヤからもエルサレムに人々が来ていたのです(使徒2:9)。

3、民が主に叫び求めた。

イスラエルの民は、バアルにではなく、主に叫び求めたのです。それ故、この叫びは、悔い改めの祈りと言うことができるでしょう。彼らは、歴史を支配される主、戦いにおいて勝利や敗北を与えられる現実の主、民の態度に応じて祝福も刑罰も与えられる主を知らなければならなかったのです。

4、民が主に立ち返ったので、主は一人の救助者オテニエルを起こされました。

士 3:9 イスラエル人が【主】に叫び求めたとき、【主】はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。

主の霊が彼の上にありました。彼はイスラエルを治めるために、特殊な賜物を与えられたのです。士師たちは、霊感を受け、力に満たされ、主の御霊の導きを受けて指導者の働きをしたのです。オテニエルはその最も顕著な人物です。

オテニエルは、国土占領のために戦ったのではなく、イスラエル人の不服従に対して圧迫した敵を、神のさばきによって取り除いたのです。この点では、ヨシュアやカレブの勝利とは異なります。

彼は、内に神の御霊を持ち、決断しなければならない時には、審判者として働き、敵による危険な時には軍事的な指導者として働き、民に対しては総合的な監督として、その役目を果たしました。

5、10.11節は、オテニエルの勝利が短く記されています。

士 3:10 【主】の霊が彼の上にあった。彼はイスラエルをさばき、戦いに出て行った。【主】はアラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡された。それで彼の勢力はクシャン・リシュアタイムを押さえた。
3:11 こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。その後、ケナズの子オテニエルは死んだ。

四十年間という数字は、おそらく、聖書の時代を測定する標準として使われているもので、正確な実数ではないと思われます。

あとがき

聖書は学ぶことによって、満足してはいけません。意味を理解することによって、満足してはいけません。上手に説教できることによって、満足してはいけません。神があなたに語るみことばを、心に素直に受け入れ(これを「信じる」というのですが)、従順に従うことによって、神のみことばを体験する時、あなたは聖書の力を知るのです。これがペンテコステの経験です。

もし私たち一人一人が、このことを経験するなら、世界はキリストの福音で満たされます。事の始まりは、自分からです。教会の人数がわずかでも、いや、一人しかいなくても、まず、自分から神のみことばを体験する者になってください。次に、このことを心を一つにして祈り合う人をさがしてください。それがリバイバルです。

(まなべあきら 2003.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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