聖書の探求(228) 士師記3章12~31節 イスラエルの罪、士師エフデのエグロン暗殺、シャムガルによる救出

上の絵は、1865–81年頃に出版された”Dalziels’ Bible Gallery”より、「The Death of Eglon(エグロンの死)」(ニューヨークのメトロポリタン美術館蔵)


12~30節、イスラエルの罪と士師エフデ(モアブ人に対するエフデの勝利)

1、12~14節、主の前に悪を行なったイスラエル

士 3:12 そうすると、イスラエル人はまた、【主】の目の前に悪を行った。彼らが【主】の目の前に悪を行ったので、【主】はモアブの王エグロンを強くして、イスラエルに逆らわせた。

神の民が主の前に悪を行なったために、異教の王を強くして、ご自分の民を懲らしめ、罰しなければならない、神の悲しみを考えたことがあるでしょうか。この神のお気持ちが分かってくると、主に背くことなど、できなくなってくるでしょう。

モアブの王エグロンが強くなったのは、主によってなのです。エグロンは単独でイスラエルを攻撃せず、アモン人とアマレク人と同盟を結んで、同盟軍を編成し、なつめやしの町エリコ(申命記34:3)を占領しました。

士師 3:13 エグロンはアモン人とアマレク人を集め、イスラエルを攻めて打ち破り、彼らはなつめやしの町を占領した。

モアブ人は、ヨルダン川から死海の東側で、アルノン川の間に住む、それほど大きな民族ではなかったので、エグロンの考えた同盟軍の戦略は効を奏したでしょう。

「アモン」とは、ヘブル語で「血族関係の」という意味で、「近親結婚で生まれた」ことを意味しています。アモン人の先祖はベン・アミで、ベン・アミはロトとロトの妹娘の間に産まれています。ちなみに、モアブ人の先祖はモアブですが、モアブはロトとロトの姉娘の間に産まれています。

「アマレク」とは「困難な」という意味です。アマレク人はエサウの子孫です(創世記36:10~16)。アマレク人は歴史上、ずっと長期間にわたってイスラエル人の敵となり続けています。

こうして三族の同盟軍は、簡単にイスラエルを打ち破り、その結果、イスラエルは十八年間、モアブの王エグロンの支配を受ける屈辱を味わったのです。

士師 3:14 それで、イスラエル人は十八年の間、モアブの王エグロンに仕えた。

2、15~25節、エフデのエグロン暗殺

このことは、イスラエル人の、主への求めから始まった。エグロンの十八年間の支配は、イスラエル人にとって、相当苦しかったと思われます。窮地に追い込まれたイスラエル人は、主に叫び求めたのです。この時、主が救助者として起こされたのが、エフデです。
エフデは、ベニヤミン人ゲラの息子です(歴代誌第一、7章10節に、もう一人、ベニヤミン人でエフデという人物が記されていますが、この人はビルハンの子で別人です)。

エフデが左利きであったことは、奇襲攻撃をする武器としての重要な要素を持っていました。

(奇襲の要素)

①、危機的な時に重要な働きをする。

②、それは、神と神の民のための力強い働きをもたらす。(悪とその影響のためにも、奇襲の要素が使われていることも注意しなければならない。)

③、主のしもべたちは、自分たちに与えられている能力と才能を、主と主の民のために十分に用いる必要があります。小さいことでも、主がその中にいて用いて下されば、大きいものとなるのです。

(経緯)

①、15節、イスラエル人は、エフデによってエグロンにみつぎものを送った。これはおそらく征服者に対して年貢を持って行かせたのだと思われます。

士 3:15 イスラエル人が【主】に叫び求めたとき、【主】は彼らのために、ひとりの救助者、ベニヤミン人ゲラの子で、左ききのエフデを起こされた。イスラエル人は、彼を通してモアブの王エグロンにみつぎものを送った。

②、16節、その時、エフデは長さ一キュビト(キュビトは、手の指の先から肘までの長さ、およそ四五センチメートル)の両刃の剣を特別に作り、右ももの上の帯にはさみ、その上から着物を着て隠した。

士 3:16 エフデは長さ一キュビトの、一振りのもろ刃の剣を作り、それを着物の下の右ももの上の帯にはさんだ。

この短剣の長さは、エグロンの前にひざまづいて、みつぎものをささげる儀式をする時にも、気づかれないためです。

③、17節、エグロンは非常に太っていたので、下方に注意を払うことがおろそかになり、エフデの差し出したみつぎものに目も心も奪われていたことでしょう。

士 3:17 こうして、彼はモアブの王エグロンにみつぎものをささげた。エグロンは非常に太っていた。

④、18節、みつぎものの儀式が終わると、エフデはみつぎものを運んで来た者たちを帰らせた。エフデは、彼らの援助を求めなかった。

士 3:18 みつぎものをささげ終わったとき、エフデはみつぎものを運んで来た者たちを帰らせ、

むしろ、彼らが近くにいて捕虜になる危険があったので、帰らせて、単独行動をとったのです。

⑤、19節、エフデ自身もギルガルのそばの石切り場まで帰って行ってから、エグロンのもとに戻っています。

士 3:19 彼自身はギルガルのそばの石切り場から戻って来て言った。・・・

この「石切り場」という語は、「刻んだ像」という意味で、石で彫刻された偶像を意味しています。エフデが、そこまで行って、帰って来ることもエフデの心中で計算されていたと思われます。エフデが行って、帰って来るまでの時間、エグロンは何をしていたでしょうか。エフデがささげたみつぎものを調べて、満足し切っていたでしょう。エグロンが満足に酔っている時に、エフデは帰って来たのです。

⑥、19,20節、「王さま。私はあなたに秘密のお知らせがあります。」

士 3:19 彼自身はギルガルのそばの石切り場から戻って来て言った。「王さま。私はあなたに秘密のお知らせがあります。」すると王は、「今、言うな」と言った。そこで、王のそばに立っていた者たちはみな、彼のところから出て行った。
3:20 エフデは王のところへ行った。そのとき、王はひとりで涼しい屋上の部屋に座していた。エフデが、「私にあなたへの神のお告げがあります」と言うと、王はその座から立ち上がった。

これは「あなたへの秘密の神の使命」を持っています、という意味です。王は、「家臣たちのいる所で言うな。」と言って、側近の者たちを出て行かせました。

20節で、エフデは、「私にあなたへの神のお告げがあります。」と言っていますが、この「神」はへブル語の「ハ・エロヒム」で、「神々」を意味しています。エグロンは偶 像礼拝者でしたが、彼はエフデが自分への神々のお告げを話してくれると思って、「王はその座から立ち上がっ」ています。これは神々に敬意を表したのです。

⑦、21節、その一瞬、エフデは左手を伸ばして、右ももから剣を取り出し、王の腹を刺しています。

士 3:21 このとき、エフデは左手を伸ばして、右ももから剣を取り出し、王の腹を刺した。

もし、エフデが右手を動かしていたら、エグロンは警戒して、後ろに退いたかもしれません。しかし左利きのエフデは、エグロンに警戒心を与えず、逃れるすきを与えず、家臣を呼ぶすきも与えず、打ち取ったのです。

22節、エフデの左手の突き刺す力があまりにも強かったので、刃だけでなく柄もエグロンの腹の中に入ってしまい、食い込んで、太っていたエグロンの脂肪が刃をふさいで抜けなくなってしまいました。

士 3:22 柄も刃も、共に入ってしまった。彼が剣を王の腹から抜かなかったので、脂肪が刃をふさいでしまった。・・・

四五センチの刃が貫通したら、一声も上げることが出来ず即死でしょう。文語訳は「切っ先うしろに出づ」と記しています。

⑧、22,23,26節、「エフデは窓から出て」

士 3:22 柄も刃も、共に入ってしまった。彼が剣を王の腹から抜かなかったので、脂肪が刃をふさいでしまった。エフデは窓から出て、
3:23 廊下へ出て行き、王のいる屋上の部屋の戸を閉じ、かんぬきで締めた。

エフデは王がまさかの時のために作っていた抜け穴を通ってバルコニーに出て、エグロンのいる後ろの屋上の部屋の戸を閉じ、かんぬきで締めました。
ここに「廊下」と訳されているへブル語の正確な意味は現在のところ分かっていません。

エフデは、エグロンのしもべたちがとまどっている間に、先のギルガルのそばの石切り場(石の偶像の所)を通り過ぎて、セイラにまで逃れています。

士 3:26 エフデはしもべたちが手間取っている間にのがれて、石切り場の所を通り過ぎ、セイラにのがれた。

⑨、24節、エフデの姿が見えなくなると、王の家臣たちは秘密会談は終わったと思って、王の部屋に戻って来ました。

士師 3:24 彼が出て行くと、王のしもべたちがやって来た。そして見ると、屋上の部屋にかんぬきがかけられていたので、彼らは、「王はきっと涼み部屋で用をたしておられるのだろう」と思った。

屋上の部屋にかんぬきがかけられていたので家臣たちは、王が用をたしておられる(トイレに入っておられる)と思ったのでしょう。
「涼み部屋」とは、夏の間の客間で、屋上にあり、涼を楽しむための隔離した一室でした。

25節、家臣たちは「いつまでも待っていたが」は、「恥じるまで待っていたが」とな ります。

士 3:25 それで、しもべたちはいつまでも待っていたが、王が屋上の部屋の戸をいっこうにあけないので、かぎを取ってあけると、なんと、彼らの主人は床の上に倒れて死んでいた。

「どうしたんだろう」と悩み、困惑するほど待っていたのです。この待っている間に、エフデは安全な所まで逃れることが出来たのです。
ついに家臣たちは、かぎを取ってあけると、彼らの主人エグロンは床の上に倒れて死んでいたのです。

イスラエル人を懲らしめるために神に用いられたとは言え、やり過ぎると、神の審判がその人自身の上にも下されるのです。アッシリヤもバビロンも、これで滅んでしまいました。
最後の審判は神が下すものです。人が高慢になって、神の導き以上の攻撃を加えてはならないのです。特に、神の人を攻撃するのは危険です。

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:
19~21)

3、26~30節、イスラエルによるモアブ追放

思い出してください。ルツ記のルツはモアブ人で、そしてルツ記は士師記の時代の出来事を記しています。ですから、ルツは、こういう事情をよく知っていたと思われます。しかし、それでもルツはイスラエル人を憎まず、ナオミについて行ったのです。それ故、ルツには霊的な真理を見分ける、真偽を判別する洞察力があったものと思われます。自分の知恵と考えに頼っていたら、ルツは、イスラエルに敵対さえしていたことでしょう。神の知恵を受けることは、いかに大切なことでしょうか。

エフデはギルガルのそばの石の偶像の所を通ってセイラに逃れました。ギルガルは二箇所ありますが、モアブから逃れて行く時に通ったのですから、このギルガルはヨルダン川の近くにあるギルガルでしょう。セイラは27節によると、「エフライムの山地」の近くにあったと思われますが、今は特定することができません。

士 3:26 エフデはしもべたちが手間取っている間にのがれて、石切り場の所を通り過ぎ、セイラにのがれた。
3:27 エフデは行って、エフライムの山地で角笛を吹き鳴らした。すると、イスラエル人は彼といっしょに山地から下って行き、彼はその先頭に立った。

エフデはベニヤミン人でしたから、普通なら、同族の仲間のいるベニヤミン族の所に逃れて行くと思われるのですが、彼はエフライムに逃れて行き、そこで角笛を吹き鳴らして兵を集めています。それは多分、この時代、エフライム族がイスラエルの中枢をなしていたからだと思われます。エフライムにはシロもあり、士師の末期には、シロで万軍の主への礼拝がささげられているほどです(サムエル記第一、1章)。

エフデは集まって来た兵の先頭に立ち、「私を追って来なさい。主はあなたがたの敵モアブ人をあなたがたの手に渡された。」(28節)と確信を語り、集まった人々はエフデに従って、モアブに通じるヨルダン川の渡し場を攻め取って、モアブ人の侵入を一人も許しませんでした。28節の言及は、モアブ人がエフデを追って渡し場まで来ていたことを示しています。それにしても、エフデの取った行動は敏速で、イスラエル人の応答もいかに迅速だったことでしょうか。この信仰の行動の敏速さが敵の攻撃の矛先を折り、大勝利をもたらしたのです。

モアブ人は、王エグロンの突然の死によって大混乱の状態にあり、指揮者を失ったモアブの兵士たちは、みな、たくましい、力ある者たちであったにも関わらず、一人も助からずに打たれて死んでしまったのです。その数約一万人と記されています。当時の人口からすると、モアブが一万人の兵を失うことは国全体が崩壊することを意味していたのです。

しかし、十八年間、屈辱を味わわされていたイスラエルにとっては、大勝利だったのです。その結果、イスラエルに八十年間の平和が訪れたのです。信仰による勝利は平安な生活をもたらします。

しかし問題は、その信仰をいかに継続して成長、発展させて活用していくかです。イスラエルはこの問題に何度も失敗し、異教の敵の攻撃を受けて屈辱的な敗北を繰り返していくのです。こうして、懲らしめを受けても悟らない者は、「滅びうせる獣に等しい。」(詩篇49:12)と警告されています。イスラエルが敗北を繰り返した最大の原因は、神のみことばを強力に語る霊的指導者が育っていなかったことです。そのため、神の民でありながら、神に従うことを好まず、自分の知恵によって、各々の好むところを行ない、神の怒りを引き起こしたのです。信仰者が自分の知恵によって、各々の好むところを行なう危険は、今日、私たちの時代にもあるのです。

4、31節、シャムガルによる救出

士 3:31 エフデのあとにアナテの子シャムガルが起こり、牛の突き棒でペリシテ人六百人を打った。彼もまたイスラエルを救った。

三人目の士師は、アナテの子シャムガルです。彼は牛の突き棒(片方の先端がとがっているか、鉄がかぶせてある長い棒で、牛を追う時に、ムチの代わりに使われていたもので、武器としてはほとんど価値がありません。)で、六百人のペリシテ人を打ち殺し、勇士としての働きをしています。

シャムガルについては、デボラの歌の中でひと言取り上げられているだけで(士師記5:6)、他には知られていません。

士 5:6 アナテの子シャムガルのとき、またヤエルのときに、隊商は絶え、旅人はわき道を通った。

これによると、シャムガルの働きは、士師の時代の初期のことであると思われます。

「アナテ」という語は、他には地名として出て来る(「ベテ・アノテ」ヨシュア記15:59、「ベテ・アナテ」ヨシュア記19:38、士師記1:33)ので、この「アナテ」は親の名前ではなく、出身地の名であると思われます。とすると、シャムガルは「アナテ出身の人」ということになります。

オルブライトによると、「シャムガル」 という名前は、ヒッタイト語であると一言っています。

J・ガースタングによると、シャムガルはラ・メス二世の治世の末期に、ラ・メス二世と同盟を結んだシリスの水軍の長ベン・アナテであると言われています。もし、そうだとすると、シャムガルが攻撃したペリシテ人とは、この事件より五十年後にパレスチナの海岸地方に定住したペリシテ人の本隊の先兵たちであったと考えられます。

また彼は、フルリ人の血筋の人かも知れないと言われています。「フルリ人」とは、ホリ人のことか、モーセがレフィディムでアマレク人と戦った時、丘の頂でアロンと共にモーセの両手を支えて勝利をもたらした(出エジプト記7:10~13)フルの子孫か、それとも、ノアの子セムの子孫でアラムの子孫のフルの子孫(創世記10:23、歴代誌第一 1:17)かも知れません。

どの説も、真偽は定かではありませんが、シャムガルの功績がデボラの歌の中で取り上げられていることは、彼が相当に有名な人物であったことは間違いないことでしょう。

しかし、このシャムガルの働きは、神と共にあるならば、最も小さい方法、手段によっても、神の偉大なことをなし得ることを証明しています。モーセは一本のつえを用いて、サムソンはロバのあご骨を用いて、ヨナタンは槍、エステルは信仰とことばをもって、神の偉大なみわざを行なったのです。しかしこれらはみな、神の権能によってなされたことを忘れてはなりません。

シャムガルはここでは士師とも呼ばれていないし、彼の活動の期間も年代記に記されていません。その上、彼は長期にわたる恒久的な勝利を得たのではないようです。しかし、彼は、明らかに深く、憂慮すべき国の状態を見て、信仰によって奮い立ち、手に入った武器を用いて戦ったのでしょう。

主はモーセに、「あなたの手にあるそれは何か。」(出エジプト記4:2)と言われました。

出 4:2 【主】は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」

私たちは、どんなに才能がないと思っている人でも、神から何の賜物も受けていない人はいません。今、あなたの手にあるもの、今、あなたにできるそれを用いて、神と神の民のために働いて下さい。神はあなたを祝してくださいます。

1,2節だけで記されている勇士は、他にヤベツ(Ⅰ歴代誌4:9,10)がいます。

Ⅰ歴代 4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけた。
4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

新約聖書では、ヘブル人への手紙11章の短縮化された信仰の勇士の列伝の中に見ることができます。

あとがき

聖書は学ぶことによって、満足してはいけません。意味を理解することによって、満足してはいけません。上手に説教できることによって、満足してはいけません。神があなたに語るみことばを、心に素直に受け入れ(これを「信じる」というのですが)、従順に従うことによって、神のみことばを体験する時、あなたは聖書の力を知るのです。これがペンテコステの経験です。もし私たち一人一人が、このことを経験するなら、世界はキリストの福音で満たされます。事の始まりは、自分からです。教会の人数がわずかでも、いや、一人しかいなくても、まず、自分から神のみことばを体験する者になってください。次に、このことを心を一つにして祈り合う人をさがしてください。それがリバイバルです。

(まなべあきら 2003.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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