聖書の探求(230,231) 士師記5章 デボラとバラクの感謝の歌

上の絵は、フランスの画家 Gustave Doré (1832–1883) により1866年頃に描かれた「Deborah’s Song(デボラの歌)」(Wikimedia Commonsより)


この章は、デボラとバラクの感謝の歌です。4章は、戦いが勝利に至るまでの簡潔な記述でしたが、5章は詩的ではありますが、その時のデボラを初めとする、バラクやイスラエル軍の信仰的心情を詳しく記しています。

この詩は、「デボラの歌」として知られており、その言語も、形式も、旧約聖書の中の初期のへブル語の名作の詩の一つです。

1~5節、戦いへの主の出陣の賛歌

士 5:1 その日、デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。
士 5:2 「イスラエルで髪の毛を乱すとき、民が進んで身をささげるとき、【主】をほめたたえよ。

2節の「イスラエルで髪の毛を乱すとき」は、非常に分かりにくい訳になっています。

文語訳では、「イスラエルの首長(かしら)みちびきをなし」となっています。「髪の毛」は頭の上にあるものなので、「指導者」のことを指しているのでしょう。「乱すとき」とは、戦いに出陣することを促している姿を示しているでしょう(9節)。

【口語訳】士 5:2 「イスラエルの指導者たちは先に立ち、民は喜び勇んで進み出た。主をさんびせよ。
【ESV】Judges 5:2“That the leaders took the lead in Israel, that the people offered themselves willingly, bless the Lord!

この言葉の意味は、イスラエルのリーダーたちがイスラエルを戦いで導いたことです。一方、民も喜んで自らをささげて従ったのです。
そして、神が神の民とともに戦ってくださったことの故に、「主をほめたたえよ。」と賛美を奨励しています。

この神による勝利をデボラは、二つの昔の出来事にたとえて表現しています。

一つは、主がイスラエル人に最初に現われてくださった、シナイ山での主の顕現です。その時、シナイ山は神の御前に震えたのでした。

もう一つは、イスラエルの民がエジプトからカナンに来る時に、主がイスラエルをセイル山とエドムの野を通過して、カナンに向かって行軍したことに似ていると表現しています。

カナンの王ヤビンに対する勝利は、それらに匹敵するほどの大いなる神のみわざであったと賛美したのです。

3節の「王たちよ。」「君主たちよ。」は、イスラエルの族長たちに言っているのか、まわりの異教の国々の王たちに向かって言っているのかは、定かではありません。

士 5:3 聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。私は【主】に向かって歌う。イスラエルの神、【主】にほめ歌を歌う。

4節の「大地は揺れ、天もまた、したたり(諸天は落ち)、雲は水をしたたらせた。」

士 5:4 【主】よ。あなたがセイルを出て、エドムの野を進み行かれたとき、大地は揺れ、天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた。

これは先に記しましたように、昔の出来事を持ち出して主を賛美しているのですが、イスラエルの神、主の御前(臨在)では、シナイ山も、セイルの山も揺れ動き、自然界をもご支配しておられる神であることを示しているのです。

6~11節、民の背教と圧迫

これはイズレエルのエスドラエロンの谷の平原(イッサカルの地)で起きました。

6節、それは、アナテの子シャムガルの時であり、ケニ人ヘベルの妻ヤエルの時でした。

士 5:6 アナテの子シャムガルのとき、またヤエルのときに、隊商は絶え、旅人はわき道を通った。

この地は、メソポタミヤとエジプトの間の重要な通商道路でした。しかしその頃は、この地は非常に危険になっており、隊商(キャラバン)もその地を通らず、旅人も強盗(略奪団)を恐れて、遠回りして人の通らないわき道を通っていたのです。いのちと財産は、いつも危険にさらされており、人々は、要塞にしている隠れ場の中で保護を求めて生活していたのです。

イスラエルは混乱と無政府状態にあったのですが、そのような中で女預言者だったデボラがイスラエルの母として神によって立てられたのです。

士 5:7 農民は絶えた。イスラエルに絶えた。私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。

「イスラエルの母」とは、真に霊的女性として、また母性的重要を強調しています。パウ口も、「あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。」(テサロニケ第一 2:7)と言っています。

① デボラは、家庭ではラピドテという夫の妻として、責任を持っていました(4:4)。
彼女に子どもがいたか、どうかは聖書に記されていませんが、彼女にとってイスラエルはみな、彼女の子どもだったのです。

② 彼女は、女預言者として召されており、神のみことばを語り、イスラエル人が持って来る問題をさばく、士師(さばきつかさ)の働きもしていました。

③ 彼女は、バラクに信仰と勇気と、神のための正義感を起こさせて、神の器に育てて います(4:6~9)。

④ 彼女は、ヘブル語の詩をもって、最もすぐれた神への賛歌を表わしています。

9節で、デボラは、「私の心はイスラエルの指導者たちに、民のうちの進んで身をささげる者たちに向かう。」と言っています。

士 5:9 私の心はイスラエルの指導者たちに、民のうちの進んで身をささげる者たちに向かう。【主】をほめたたえよ。

デボラは、喜んで神と神の民の働きのために献身する若いリーダーたちに、彼女自身の心を注いだのです。もし、今日、教会の牧師たちが、デボラの如く、神の民の母としての心を若いリーダーとなる者たちに注いで育てていくなら、国民を悪魔の手から解放することができるのですが。

8節は、イスラエルがなぜ、周囲の異教の国々から攻撃を受けて、こんな悲惨な状態にまでなってしまったのか、その理由を語っています。

士 5:8 新しい神々が選ばれたとき、城門で戦いがあった。イスラエルの四万人のうちに、盾と槍が見られたであろうか。

それは、イスラエル人が主を捨てて、「新しい神々」(異教の偶像のこと)を選んで拝むようになったからです。この「選ぶ」という言葉は、非常に重要です。「選ぶ」とは、人間の独立した意志決定を意味しています。私たちが、主を礼拝することを選び、主のみこころを行なうことを選ぶ時、それを「信仰」と呼び、「忠実」と言い、「従順」と認められます。

しかし偶像を選ぶ時、それは反逆、不信仰、堕落、背教となります。主のみこころより、自分の考えや欲を優先させる時、それを「不従順」「不服従」として罰せられるのです。

それ故、信仰とは、主を自分の神として選ぶことだ、ということができます。私たちは自分の神として何も選ばないではいることができないのです。パウロは、「彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3:19)と言っています。

「城門で戦いがあった。」は、敵軍が町の入口に攻めて来たのです。そして戦いが始まり、四万人のイスラエル人が応戦したのですが、彼らには敵と戦うための盾も槍もなく、敵に対して全く無防備だったのです。

たとい、教会の人数が多くても、また国民の大半がクリスチャンだと言っている国でも、もし、一人一人の人が神のすべての武具(エペソ6:11~17)を持って、すぐに使えるように訓練されていなければ、サタンは容易に、何万人、何十万人、何百万人の人でも打ち倒すことができ、その信仰を引き抜いてしまうことができるのです。人数が多いだけで安心したり、誇ったりしてはいけないのです。

そこでデボラは、イスラエルの献身的な若いリーダーたち、すなわちバラクのような青年指導者となる者たちに神のすべての武具を身につけさせて、実戦に耐える者に育てたのです。教会は、何万人の聴衆を集める集会を開くことができても、神のすべての武具を身につけた若いリーダーたちを育てることができなければ、将来に至って、衰退していくだけです。

10~11節、イスラエルのリーダーたちが主に堅く立った時、民も主に立ち返り、神から新しい霊が注がれるようになり、神の霊が敵に圧迫されていたイスラエルの民の一人一人の心をしっかり掴んだのです。

士 5:10 黄かっ色のろばに乗る者、さばきの座に座する者、道を歩く者よ。よく聞け。
5:11 水汲み場での、水を汲む者たちの声に。そこで彼らは【主】の正しいみわざと、イスラエルの主の農民の正しいわざを唱えている。そのとき、【主】の民は城門におりて来た。

確かに、主の霊によって力づけられ、強められたのです。
「主にあって、その大能の力によって強められなさい。」(エペソ6:10)

デボラが持っていた信仰の霊が、まずリーダーたちに分け与えられ、そして民全体に分け与えられていったのです。こうしてイスラエルは一人の如く、神の軍隊として立ち上がったのです。

「エリヤはエリシャに言った。『私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。』すると、エリシャは、『では、あなたの霊の二つの分け前が私のものになりますように。』と言った。エリヤは言った。『あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。』」(列王記第ニ 2:9~10)

聖書を学ぶことによっても、伝道の働きの仕方を学ぶことによっても、霊的リーダーになることはできません。神の霊を分け与えられることによってのみ、神の力をもって神のみことばを誇り、神の働きをすることができるのです。

10節の「黄かっ色のろばに乗る者」は、文語訳では「しろき驢馬」となっています。これは貴族のしるしです(10:4、12:14)。

士 5:10 黄かっ色のろばに乗る者、さばきの座に座する者、道を歩く者よ。よく聞け。

「さばきの座に座する者」ここでの「さばきの座」とは「裕福なカーペット」という意味ですので、裁判官というより、金持ちという意味でしょう。
「道を歩く者」とは、忙しそうに歩き回っている人、すなわち、一般人のことを指していると思われます。
彼らは、神があわれみ深くなされたみわざをよく聞くように言われています。

11節、「水汲み場」イスラエルには各家に井戸があったのではなくて、共同の井戸があって、そこに生活に必要な水を汲みに人々が集まっていたのです。

士 5:11 水汲み場での、水を汲む者たちの声に。そこで彼らは【主】の正しいみわざと、イスラエルの主の農民の正しいわざを唱えている。そのとき、【主】の民は城門におりて来た。

日本でも「井戸端会議」という言葉が、消えかかっていますが、そういう時代があったのです。
イスラエルの村々の井戸端で、水を汲みに来た者たちが、主の正しいみわざをほめたたえ、あかしし合っている声が聞こえて来たのです。

「正しいみわざ」とは、主が神の義をもって神の民を助け、彼らに救いと勝利を与えられたことです。

「主の農民の正しいわざ」とは、主の戦いに加わったリーダーたちや一般兵士たちが農民たちだったことを言っているのです。何の取り柄がない者でも、主の霊が与えられると、神のりっばな兵士として働くことができるのです。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして‥‥わたしの証人となります。」(使徒1:8)

この時、イスラエルの北部と中部の部族が協力したのは、彼らに共通の敵が現われたからではなく、その時、主との契約を同時に回復したからです。このデボラの歌は、イスラエルの全部族が主を礼拝する者になったとみなしています。

「唱え」は、アラム語の「歌う(yethannu)」で、これほど早い時代に、ヘブル語の中にアラム語が使われているのは、注目に価します(11:40にも見られます)。この語の実際的意味は、主のみわざに対して、「答えて歌う」ということです。これはこの勝利があって後、再び平和な時代がやって来て、イスラエルのおとめたちが井戸辺にやって来て、この勝利の歌を歌ったことを言っているのです。

「そのとき、主の民は城門におりて来た。」再び、イスラエルの町々、村々で、平和な行政がもどってきたことを言っています。

12~18節、部族の点呼召集

①12,13節、呼びかけ

士 5:12 目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ、目ざめよ。歌声をあげよ。起きよ。バラク。とりこを捕らえて行け。アビノアムの子よ。

12節は、デボラとバラクへの呼びかけです。

これは神の召命の御声であったのか、どうかは分かりませんが、イスラエルの民の信仰を呼び覚まして立ち上がらせ、カナン人の束縛から解放するための戦いに率いるようにという呼びかけです。

デボラに対しては、「歌声をあげよ。」と言われており、アビノアムの子バラクに対しては、「とりこを捕らえて行け。」と言われています。どちらも完全な勝利を強調しています。

13節、デボラは、イスラエルの部族に召集の呼びかけをしました。

すると、主の民の 首長たちの残っている者たちが集まってきました。主が彼らの中にいてくださったので、彼らは勇敢な勇士となって集まってきたのです。

士 5:13 そのとき、生き残った者は貴人のようにおりて来た。【主】の民は私のために勇士のようにおりて来た。

②14~18節、部族の召集
14節、エフライム

士 5:14 その根がアマレクにある者もエフライムからおりて来た。ベニヤミンはあなたのあとに続いて、あなたの民のうちにいる。指導者たちはマキルからおりて来た。指揮をとる者たちもゼブルンから。

「その根がアマレクにある者も」南から来たアマレクの遊牧民のうちには、ケニ人ヘベルのように、故郷を離れ、中央カナンに侵入して住みついていた者もありました。彼らのうちから、イスラエル側についた者たちのことを言っているのでしょう。

あるいは、これを「アマレクに対抗する彼らの根が、そこにあった。」と読む者もいます。これは出エジプト記17章8~13節でヨシュアとともにアマレクと戦ったイスラエルの子孫たちのことを言っていると思われます。

「ベニヤミンはあなたのあとに続いて」は、ホセア書5章8節にも記されています。

ホセア 5:8 ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。

「ベニヤミンよ。警戒せよ。」直訳では、「ベニヤミンよ。あなたのうしろに」となりますが、別訳では、士師記5章14節にならって、「あとに続け」となっています。

どちらにしても、これはベニヤミン族がエフライム族に続いて戦いに加わって来て、エフライム族たちの中にいたことを示しています。

「マキル」はマナセの子(創世記50:23)で、普通は東マナセのことを言いますがここでは東西マナセを指しています。

「指導者たち」は、政治家たちのことです。

「ゼブルンから」は、「指揮をとる者たち」が加わっています。これは戦いの指揮をとる司令官たちのことです。

これを「記者つえ(ヘブル語で、Shebhet Sopher)をとる者たち」と読ませる人もいます。「つえ」はおそらく書記の職務を示す「つえ」でしょう。この当時(BC1150年頃)筆記者について書かれていることは驚くに値しません。士師記1章11節の「キルヤテ・セフェル」は「書物の町」あるいは「書記の町」という意味です。

またシナイ半島で使われていた原始的なセラビットのアルファベット(北セム族固有のアルファベットの初期の形)からシリヤ沿岸に沿ってフェニキヤ、その他のセム族のアルファベットが派生し、ラスシャムラのくさび形アルファベット(北セム族のアルファベットの改作)まで、すでに数世紀にわたって使われていました。BC1100年頃には、エジプトから大量のパピルスがフェニキヤに輸出されています。

18節では、ゼブルンは、命をも惜しまない民であると言われています。野の高い所にいるナフタリも、またそうであると言われています。

士 5:18 ゼブルンは、いのちをも賭して死ぬ民。野の高い所にいるナフタリも、そうである。

ゼブルンとナフタリはシセラに悩まされていたことで、強く結ばれていたのです。

エフライム、ベニヤミン、マキル、ゼブルン、イッサカルの各部族は、ヤビンとシセラの力で圧制を受けていた領地で、ヤビンとシセラが相当広い範囲を支配していたことを示しています。

イッサカルのつかさたちは、デボラとともにいて、デボラを守り、助けていました。そしてイッサカルの軍隊はバラクと他の歩兵とともに谷の中を突進したのです。
他方、ルベン、ギルアデの住民(ヨルダン川の東側の山地の住民)、ダン、アシェルは助けを求める周囲の人の訴えに無反応で、戦いに加わりませんでした。

15節、「ルベンの支族の間では、心の定めは大きかった。」とあります。

士 5:15 イッサカルのつかさたちはデボラとともにいた。イッサカルはバラクと同じく歩兵とともに谷の中を突進した。ルベンの支族の間では、心の定めは大きかった。

16節、「二つの鞍袋」とは、羊の小屋のことです。

士 5:16 なぜ、あなたは二つの鞍袋の間にすわって、羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。ルベンの支族の間では、心の秘密は大きかった。

ルベンは「なぜ、あなたは羊の小屋の間に座って、羊の群れのための笛を聞いているのか。」と叱責されています。ルベン族は、自分たちの羊を守ることだけに心を向け、仲間を助けに行かないという、一大決心をしていたのです。こういう人は今も大勢いますが、こういう信仰者にはなりたくないものです。

「ルベンの支族の間では、心の秘密は大きかった。」欄外には、「ひどい良心のとがめがあった。」と注釈されています。もし、そうだとすれば、ルベン族の人々は、仲間の戦いに加わらなかったことの故に、良心が責められつつも、自分の欲と自分の身の安全のために、仲間を見捨てたのです。

17節、ギルアデは、ヨルダン川の向い側にとどまったままで動こうとはしませんでした。ダンもアシェルも、無反応でした。

士 5:17 ギルアデはヨルダン川のかなたに住んでいた。なぜダンは舟にとどまったのか。アシェルは海辺にすわり、その波止場のそばに住んでいた。

「なぜ、ダンは舟にとどまったのか。」
このダンについて言われている「舟」は、ガースタングによれば、これはダンが後に住みついたパレスチナ北部の居住地近くの「フーレ湖」であると言っています。しかし、ダンの北部移住は、この事件よりずっと後なのです。先発隊が北部に住んでいたかも知れませんが、大部分はまだ移動していなかったのです。ですから、この「舟」とは、ヨシュアの時代に居住地としてダンに割り当てられていたパレスチナの南部の地中海沿岸地帯を指しています。その「舟」とは、地中海を象徴しているのです。これが正しいと思われるのは、アシェルも、ダンとは反対の地方の地域ですが(フェニキヤに近い)、地中海に面しています。ダンとアシェルはともに地中海に面していることで共通しているのです。

出陣しなかったアシェルは間もなくフェニキヤに侵略されてしまいました。自分の身の安全だけを守って、他の人の非常時に助けようとしない人は、自ら助けが必要な時に、神の助けを得ることができないのです。

19~23節、戦い

19節、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦ったけれども、銀の分捕り物は得られなかったのです。それはむなしい戦いに終わったのです。

士 5:19 王たちはやって来て、戦った。そのとき、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦って、銀の分捕り品を得なかった。

メギドの流れは、カルメル山から流れるキション川の急流です。このメギドは世界で最も人の血を吸い込んでいる所と言われています。そして人類史上最後の戦いと言われているヘブル語でハルマゲドン(メギドの戦いという意味)も、このメギドに兵が結集することを言っています。

シセラとその軍隊は、このメギドの近くのタナクで攻撃を仕掛けたのですが、彼らはそこでは戦利品は何も得られなかっただけでなく、敗北してしまったのです。その戦いが、主によるものだったからです。そしてメギドの町は荒廃してしまったのです。

20~22節は、人の力の戦いではなく、神の戦いであることを強調しています。

士 5:20 天からは、星が下って戦った。その軌道を離れて、シセラと戦った。

星が天の軌道を離れて、シセラと戦ったと言っています。これは神の助けを求めたことに対する神のお答を表わしている詩的な言葉です。

別の解釈をするなら、創世記15章5節でアブラハムの子孫は、星の数のようになると
約束されていますので、イスラエルの部族が各々の生活の場を離れて、この戦いに下って来たことを言っているとも考えられます。この方が事実を直接的に説明しているでしょう。

21節では、昔からの川、キションが氾濫し、シセラの戦車を押し流してしまったのです。

士 5:21 キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キションの川。私のたましいよ。力強く進め。

預言者エリヤの時、祈りによって大雨が降ったことがありましたが、キション川の急流は大雨によって、しばしば氾濫しています。

21節は、敵の軍隊を破壊するために神が採られた手段を記しています。氾濫したキション川は、渡ろうとした敵軍の兵隊たちを押し流してしまい、泥沼となった地面は戦車がはまり込んで、動けなくなってしまったのです。

「私のたましいよ。力強く進め。」今や、イスラエルは、戦いに必ず勝つと自信満々だった実力と権力と支配力と勝つまで忍ぶことのできる耐久力とを持っていたヤビンとシセラたちを、あたかも、打ち場の穀物を踏むように、あるいは酒ぶねの中のぶどうの果実を踏むように、足下に踏みつけていたのです。

22節、シセラの戦車を走らせていた者たちは、馬に蹄鉄を打っておらず、そういう馬を情け容赦なく、でこぼこの地形の山道を走らせたので、馬のひずめがはがれてしまって、痛がって、はねまわっており、戦車は役に立たなくなってしまったのです。

士 5:22 そのとき、馬のひづめは地を踏み鳴らし、その荒馬はけりまくる。

シセラが自分の戦車を捨てて、徒歩で逃げたのはそのためです(4:15)。

士 4:15 【主】がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。

見捨てられた戦車と馬は、洪水の中に取り残され、恐れて興奮している馬は、そこから抜け出そうと、けりまくって暴れているのですが、戦車が泥沼にめりこんでいて抜け出せないでいる様子を描いています。

23節、この歌の中で、最大の警告は「勇士として主の手助けに来なかった」メロズをのろうことです。

士 5:23 【主】の使いは言った。『メロズをのろえ、その住民を激しくのろえ。彼らは【主】の手助けに来ず、勇士として【主】の手助けに来なかったからだ。』

「メロズ」は、北部パレスチナのケデシュ・ナフタリの南、約12Kmにある、今のキルベット・マルスとされています。このメロズの住民が神に逆らったという特別な記事は知られていませんが、ここでは、彼らも、神の戦いに加わらなかったことで激しくのろわれています。メロズは、自分に与えられた特別な責任と任務を裏切ったのです。

私たちも、自分に恵みを受けるだけで、主をあかししなかったり、助けを必要としていて訴えている同信の仲間を助けることをせず、見捨てているなら、良いサマリヤ人のたとえ話の中に出てくる祭司やレビ人と同じで、神ののろいを受ける者となるでしょう。あるいは、一タラント預かったしもべがその一夕ラントを働かせず、土を掘って埋めておいたことに対して、主はこのしもべから、その一タラントも取り上げ、外の暗やみに投げ出すようにと命じられているのに似ています(マタイ25:24~30)。

23節の「主の使い」はThe angelとなっていますから、受肉前のイエス様である可能性があります。私たちは毎日、小さなことにも、善かつ忠実なるしもべとして積極的に信仰を活用して、主を喜ばせる働きをしたいものです。

24~27節、ケニ人ヘベルの妻ヤエル

ヤエルは「女の中で最も祝福された」人と賞賛されています。

士 5:24 女の中で最も祝福されたのはヤエル、ケニ人ヘベルの妻。天幕に住む女の中で最も祝福されている。

主のみこころを勇敢に行なう人はみな、最も祝福された人になります。

「『しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。』と。‥‥しかし、主を畏れる女はほめたたえられる。」(箴言31:29,30)

25節、「ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。」

士 5:25 シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。

シセラは水を求めたのですが、ヤエルはそれ以上の最上のもてなしをしました。「高価な鉢」は将軍シセラを高位にある者として、もてなしたことを示しています。
「凝乳」は、クリームか、チーズか、バターでしょう。乳と乳製品は疲れをいやし、睡眠に役立つことが知られていました。

「もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。」(箴言25:21,22)

実に、ヤエルは主の報いを受けたのです。

26節、「鉄のくい」は、ヤエルにとって、手慣れた道具でした。

士 5:26 ヤエルは鉄のくいを手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し通した。

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Jael Smote Sisera, and Slew Him(ヤエルはシセラを打って彼を殺した)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


ベドウィンの女性は自分の手で天幕を張るのが慣例でしたから。「右手に職人の槌をかざし」とは、ヤエルが天幕張りに熟達した職人のような人であったことを示しています。ヤエルには失敗は許されなかったのです。彼女は最初の一打でシセラを打ち殺してしまったのです。そのために、ヤエルはこめかみをねらい打ちしています。シセラは横向きに寝ていたのだと思われます。くいはシセラの頭を貫通しています。

かつて、デボラはバラクに「あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に渡されるからです。」と言われましたが、この預言はヤエルによって成就したのです。

27節については、七十人訳聖書は特殊なことを示唆した訳になっています。

士 5:27 ヤエルの足もとに彼はひざをつき、倒れて、横たわった。その足もとにひざをつき、倒れた。ひざをついた所で、打ち殺された。

すなわち、シセラは深い眠りに陥る前に、ヤエルを強姦したので、ヤエルは彼女の自尊心が許さず、シセラを殺したのだ、ということを意味するように訳されています。しかしマソラ本文の文脈によれば、そのように訳することは無理で、根拠がありません。むしろ、これはシセラの劇的な死を詩的に表現したものです。

28~30節、シセラの母

28節、シセラの母は、格子のついた窓越しに、息子が戦車に乗って来るのが遅いので、外を、もの悲しそうに、心配そうに見ている様子が描かれています。

士 5:28 シセラの母は窓越しに、格子窓越しに外を見おろして嘆いた。『なぜ、あれの車の来るのがおそいのか。なぜ、あれの車の歩みが遅れているのか。』

イスラエルの母として立ったデボラは、シセラの母の思いを的確にとらえています。

29節、「知恵のある姫君たち」とは、シセラの母に仕えていた侍女たちでしょう。

士 5:29 知恵のある姫君たちは彼女に答え、彼女も同じことばをくり返した。

30節、彼女たちは、万事好調で心配いりませんと、確信をもって励ましています。

士 5:30 『彼らは分捕り物を見つけ出し、それを分けているのではありませんか。めいめいひとりの勇士にひとりかふたりの娘を。シセラには染めた織物の分捕り物を。染めた織物の分捕り物、色とりどりに刺繍した織物。分捕り物として、首には二枚の刺繍した織物を。』

シセラ様は、今、分捕り物を家来の兵士たちに分けて与えているので遅くなっているのですよ。ひとり一人の勇士に、捕虜にしたイスラエルの娘(この娘と訳されている語は「raham」で、侮辱的な意味で使われる「売春婦」を指す)を一人か二人与え、シセラ様には、染めた織物の分捕り物、色とりどりに刺繍した織物を。

ヘブル人は染物と刺繍の技術がすぐれていました。それは会見の天幕や祭司の衣服についての記事からも明らかです。デビルやベニヤミン人の住んでいたミズパでは、羊毛の染色が主要産業だったことが、発掘によって明らかになっています。

「首には二枚の刺繍した織物を。」これは、母音を一つ違えることによって、「わたしの首のための獲物」と訳することができます。

このようにして侍女たちは、シセラの母を励ましたのです。29節には、それを聞いて、シセラの母も、自分にそう思い込ませるように 「彼女も同じことばをくり返した。」と記しています。

主に逆らう者は、家族にさえ、むなしい希望を抱かせるのですが、それはしばらく実現していくかに見えるのですが、最終的滅びをもたらすのです。

31節、デボラの祈り

士 5:31 【主】よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日がさし出るようにしてください。」こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。

デボラの歌の結論は、主に敵対する者には滅びを、主を愛する者には力強く昇ってくる朝日のようにしてください、という祈りで締め括られています。この祈りは、詩篇68:1~3節とよく似ています。

詩 < 68 > 指揮者のために。ダビデの賛歌。歌
68:1 神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。
68:2 煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。
68:3 しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。
こうして、シセラの軍隊が滅んだ後に、四十年間の平和な生活が続いたのです。

(この他に、感謝の歌として)

出エジプト記15:1~18
サムエル記第一 2:1~10(ハンナ)
歴代誌第二 20:26(ベラカ)
ルカ1:46~55(マリヤ)
使徒16:25(真夜中の賛美)
コロサイ4:2
テサロニケ第一 5:18

(まなべあきら 2002.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


「聖書の探求」の目次


【月刊「聖書の探求」の定期購読のおすすめ】
創刊は1984年4月1日。2023年6月現在、通巻472号 エステル記、まだまだ続きます。

お申し込みは、ご購読開始希望の号数と部数を明記の上、振替、現金書留などで、地の塩港南キリスト教会文書伝道部「聖書の探求」係にご入金ください。
一年間購読料一部 1,560円(送料共)
単月 一部 50円 送料84円
バックナンバーもあります。
(複数の送料) 3部まで94円、7部まで210円.多数の時はお問い合わせ下さい。
郵便振替00250-1-14559
「宗教法人 地の塩港南キリスト教会」


発行人 まなべ あきら
発行所 地の塩港南キリスト教会文書伝道部
〒233-0012 横浜市港南区上永谷5-22-2
電話FAX共用 045(844)8421