聖書の探求(229) 士師記4章 カナンの王ヤビンの圧迫と、デボラとバラクによる解放

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Jael Shows to Barak, Sisera Lying Dead(ヤエルはシセラ死んで横たわっているところをバラクに見せた)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


4章は、ヤビンの圧迫と、デボラ及びバラクによる解放を記しています。

これは、あらゆる学派によって、極めて古いものとされています。ある人々は、聖書の最古の断片だとまで言っていますが、勿論、その主張は正しくありません。本章と次の章(5章)はその出来事が起きた同時代に書かれ、その中心人物であったデボラ自身の作であり、士師記全体の記者によって加えられたのです。

本章で注意すべきことは、この戦いには、全イスラエルが加わったのではないことです。ルベン族とギルアデ族(ギルアデはマキルの子でマナセの孫、ギルアデ族はその子孫)、ダン族とアシェル族は戦いに参加していません(5:15~17)。

(4章と5章の重要な相違点)

1、4章10節では、ゼブルンとナフタリの二部族だけが戦いに従事しているのに、5章14,15,18節では、エフライム、べニヤミン、マキル(マキルはヨセフの子マナセの長子で、ギルアデの父であり、ギルアデ族の先祖です。マキルの指導者たちの参加は、5章17節ではギルアデの参加としては認められていません。)、ゼブルン、イッサカル、ナフタリと、六部族を挙げています。

士 4:10 バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。

士 5:15 イッサカルのつかさたちはデボラとともにいた。イッサカルはバラクと同じく歩兵とともに谷の中を突進した。ルベンの支族の間では、心の定めは大きかった。
5:16 なぜ、あなたは二つの鞍袋の間にすわって、羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。ルベンの支族の間では、心の秘密は大きかった。
5:17 ギルアデはヨルダン川のかなたに住んでいた。なぜダンは舟にとどまったのか。アシェルは海辺にすわり、その波止場のそばに住んでいた。
5:18 ゼブルンは、いのちをも賭して死ぬ民。野の高い所にいるナフタリも、そうである。

しかし、この二つの記事は互いに誤ったのではありません。4章10節は、バラクが戦いのために始めた最初の行動を述べているに過ぎません。4章23,24節では、勝利がゼブルンとナフタリの二部族に限定されてもたらされたのではなく、イスラエル人たちに与えられていることは注目しなければなりません。

士 4:23 こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。
4:24 それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。

2、4章21節では、シセラは熟睡している間に、ヤエルによって刺されていますが、5章25節では、シセラは凝乳を飲んでいる時に、ヤエルによって頭を打たれたとされています。
士 4:21 だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。

士 5:25 シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。
5:26 ヤエルは鉄のくいを手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し通した。

しかし、この二つの記事も、互いに補足し合っているものであって、全然矛盾していません。5章の詩としての記録は、すべてのことを詳細に述べようとしておらず、その力点を、シセラの死においているのです。たとえば、5章27節は明らかに詩的表現です。

士 5:27 ヤエルの足もとに彼はひざをつき、倒れて、横たわった。その足もとにひざをつき、倒れた。ひざをついた所で、打ち殺された。

3、4章は、カナンの王ヤビンのことを述べていますが、5章19節ではヤビンではなく、「王たち」と言って、その後、シセラのことが述べられています。

士 5:19 王たちはやって来て、戦った。そのとき、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦って、銀の分捕り品を得なかった。

しかし、この5章19節も、詩的表現であり、「王たち」という語は、カナンの王ヤビ ンの家臣たちの指導者のことを述べているに過ぎません。シセラがカナンの王たちの首長であるとは言っていません。シセラはヤビンの将軍として、確かに指導権を持っていました。それ故、シセラは4章でも、5章でも重要人物として扱われているのです。

4、ある人々は、デボラが歴史上の人物であることを否定して、「イスラエルに母として」(5:7)という語は、イスラエルの首都を示すのであって、一個人の人を指すのではないと主張しています。

士 5:7 農民は絶えた。イスラエルに絶えた。私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。

しかし、創世記35章8節には、「リベカのうばデボラ」という一個人の名前が明らか に歴史的に存在した人物として記されています。

創 35:8 リベカのうばデボラは死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それでその木の名はアロン・バクテと呼ばれた。

5章は歌として詩的表現をしており、この歌を適切に理解するためには、4章はその詳細な点を補足しているのです。4章は5章の歌の純正性と史実性を証明しているのです。

4章の分解

1~3節、カナン人に虐待されるイスラエル
4~10節、デボラの預言
11節、ケニ人へベルの紹介
12~16節、キション川における戦い(シセラ軍の全滅)
17~24節、ヤエルによるシセラの死

1~3節、カナン人に虐待されるイスラエル

1節、「エフデは死んでいた。」この記事は、その時、士師がいなかったことを示しています。

士 4:1 その後、イスラエル人はまた、【主】の目の前に悪を行った。エフデは死んでいた。

それ故、3章31節のシャムガルの働きは、極く短い期間に終わり、彼は士師として治める役割をしなかったことを示しています。

士 3:31 エフデのあとにアナテの子シャムガルが起こり、牛の突き棒でペリシテ人六百人を打った。彼もまたイスラエルを救った。

こうして、次の圧迫は、士師のいない時に始まったのです。聖書は、「その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。」と記しており、これが圧迫の原因なのですが、ここに、ややもすると、神に反逆しようとする罪の性質が、神の民の中に残存していることを明らかに示しています。この罪の性質こそ、人間の歴史の中で、また個人個人の生涯の中で、最大の災いと滅亡をもたらし続けているのです。

2節、新しい圧迫は、主がイスラエルをカナンの王ヤビンの手に渡されることによって始まりました。

士 4:2 それで、【主】はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいた。

ヤビンはその後「ハツォルで治めてい」ました。ハツォルは、ナフ夕リに割り当てられていた領域にあり、ヨシュアによって攻撃されて焼かれた町でした(ヨシュア11:13)。

ヨシ 11:13 ただしイスラエルは、丘の上に立っている町々は焼かなかった。ヨシュアが焼いたハツォルだけは例外である。

ヤビンはヨシュアの攻撃を逃れて生きていて、再びハツォルを支配していたのか、ヤビンの息子のヤビンだったのか、は分かりません。なぜなら、士師記の記事が年代順に書かれているか、どうか分からないからです。

とにかく、ヨシュアによって占領され、火で焼かれたハツォルにカナンの王ヤビンが再び住みつき、支配するようになっていたのです。後に、ソロモンによって、この地は要塞として建設されています(列王記第一 9:15)。

Ⅰ列王 9:15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は【主】の宮と、自分の宮殿、ミロと、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを建設した。

ハツォルの地は、フーレ湖の南西6.4kmの所にある現在のエル・クエダであると知られています。

旧約聖書中に、他にも四箇所、ハツォルと呼ばれている所があります。
ケデシュの近くのユダの最南端の町(ヨシュア記15:23)
テル・マインの南7.2kmほどのケリヨテ・ヘツロン(別名ハツォル)(ヨシュア記15:25)ベニヤミンの村落の一つ(ネヘミヤ記11:33)
アラビア砂漠の中のパレスチナの東端、ケダルの近く、バビロンの王ネブカデネザルが打ったハツォル王国(エレミヤ書49:28)
これらは参考までに、記しました。

ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいました。「ハゴイム」は文字通りには「国々の」という意味があり、デボラがシセラの住むハロシェテを「国々のハロシェテ」と言ったのは、この地点が最大の突破すべき拠点であったことを示唆しています。

ハロシェテの正確な位置を特定することはできませんが、メギドの北北西26kmにある
テル・アマルであるかもしれません。

「ハロシェテ・ハゴイム」は、「異邦人のハロシェテ」とも呼ばれています。「異邦人の要塞ハロシェテ」という意味でしょう。イスラエルが最も難所として考えていた場所だったことを暗示しています。

3節、シセラは鉄の戦車九百両を率いる将軍でした。

士 4:3 彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は【主】に叫び求めた。

この戦車はおそらく両側の車軸から突き出した鉄の大きな草刈り鎌を装備していて、これが回転しながら近づくと、人も馬も、ひとたまりもなく倒されたのです。これだけの武器があることは、当時としては無敵の軍隊として恐れられていたのです。イスラエルはこれによって二十年間も苦しめられていたのです。

この圧迫は、北部地域で行なわれ、イッサカル、ゼブルン、ナフタリが直接大きな影響を受けていました。イスラエルが全く主に従っている限りにおいては、彼らはカナンの地を完全に支配し、主からの約束の地として所有して発展することができていたのですが、彼らが主を捨てて従わなくなった時、圧迫は起きたのです。

この苦しみの中から、イスラエルは再び、主に叫び求めたのです。

4~10節、デボラの預言

デボラは、女性の預言者で、ラピドテの妻でした。ラピドテについては、何も記されていません。

士 4:4 そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。

彼女は、いつも、エフライムの山地のラマとベテルとの間にある「デボラのなつめやしの木」(デポラがいつもその木の下にいて、イスラエルの士師の働きをしていたので、そういう名前がついたのでしょう。)の下に座っていて、士師の働きをしていました。

士 4:5 彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた。

イスラエル人のうち、問題のある人々は彼女の所に来て、指導を受けていたのです。神は女性を男性以上に用いることがおできになるのです。今日でも、自分の知恵に頼らず、神から召された霊的指導者の所に行って、正しい健全な指導を受けることは大切です。自分の知恵に頼ること自体、高慢なので、しばしば道を誤ってしまうのです。また導く者も正しい導きが出来るように、たえず主と交わっている必要があります。

デボラは、この戦いの働きをする前に、すでに士師として働いていて、イスラエル人にはよく知られていました。

上の写真は、アメリカのネブラスカ州の議事堂の北側の西を向いた壁画「Deborah Judging Israel(イスラエルを裁くデボラ)」(Wikimedia Commonsより)


彼女は勇士ではなく、女預言者でしたが、その信仰と内的力は勇士以上の勇気と力ある確信を持っていました。もし、そうでなかったら、毎日、大勢のイスラエル人の悩みや問題をさばくことはできなかったでしょぅ。彼女の心はいつも神の知恵と力とで満ちていたでしょう。かつて、モーセでさえ、毎日、イスラエル人の問題を一人でさばき続けて疲れ果てていたのですから(出エジプト記18:13~26)。

主は、意気消沈していたアビノアムの子バラクに信仰と勇気を吹き込むため(士師記4:6~9,14)と、イスラエルの同胞が助けを必要としている時に、助けなかった人々を責めるために(士師記5:16,17)、女預言者デボラを用いたのです。

デボラは、バラクに、主の勝利の約束と進軍のご命令を告げました。

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Deborah Beneath the Palm Tree(なつめやしの木の下のデボラ)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


士 4:6 あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、【主】はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。
4:7 わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」

「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ彼をあなたの手に渡す。』」

しかしバラクは、デボラも一緒に行くのならば、主の命令に従うと言ったので、デボラは「私は必ずあなたと一緒に行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」と言いました。

士 4:8 バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」
4:9 そこでデボラは言った。「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。【主】はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」こうして、デボラは立ってバラクといっしょにケデシュへ行った。

この「ひとりの女」とは、ケニ人ヘベルの妻ヤエルのことです。

デボラは神の霊感によって、彼女の配下の兵士たちに戦いと勝利のための勇気と熱情を与えました。それ故、勝利は主が彼女に与えたものであると言えましょう。女預言者デボラが「私は女だから」と言って、声を上げて叫び出さなかったなら、イスラエルは救い出されなかったのです。それ故、デボラは自ら「イスラエルの母」(5:7)と称し、民は彼女を「祖国の母」と呼んだのです。

女性の信仰的感化の威力としては、
アブラハムの妻サラ、ラハブ、女預言者デボラ、サムエルの母ハンナ、バプテスマのヨハネの母エリサベツ、主の母マリヤ、ヨッパの女弟子ドルカス(タビタ)、殉教者ブランディナ、アウグスチヌスの母モニカ、ウェスレー兄弟の母スザンナ、ジョン・ノックスの娘ジェニ・グッディス、ウィリアム・ブースの妻キャサリン・ブースなどを挙げることができます。昔も今も、信者となった人に女性が多いことを見れば、名の知られていない無数の女性が家族や回りの人々に与えた信仰的影響力は測り知ることができないでしょう。

デボラのメッセーシは、「主はこう命じられたではありませんか。」で特長づけられています。これこそ主からみことばを預かって預言していたデボラの確信です。神の声を聞いたことがない者が、いくら聖者のことばを用いて流暢に話しても確信はありません。しかし神のご命令を受けている者にとっては、迷いも、疑いも、不安もないのです。

「主が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千人を追い、ふたりが万人を敗走させたろうか。」(申命記32:30)

デボラが住んでいた「ラマとベテルの間」のラマとはヘブル語で高い場所を意味しており丘陵地の多いパレスチナには多い名称です。ここに記されている「ラマとベテル」はエルサレムの真北約6kmの所にあります。

旧約聖書中、ラマと呼ばれている所は、他に五つあります。
サムエルの誕生の地(サムエル記第一 1:19)
アシェルの領地の境界線の町(ヨシュア記19:29)
ナフタリの防壁に囲まれた町(ヨシュア記19:36)
ラモテ・ギルアデとして知られているギルアデのヨルダン東岸の町(列王記第二 8:28,29)
シメオン族の村(ヨシュア記19:8)

バラクの住んでいた「ナフタリのケデシュ」はフーレ湖の北東7kmくらいの地にあり、ユダの最南端のケデシュ(ヨシュア記15:23)や、ガリラヤのケデシュ(ヨシュア記21:32、これはイッサカルのレビ人の町、歴代誌第一 6:72)とは異なります。

「ケデシュ」は「聖所」を意味します。ちなみに、「バラク」という名前は「稲妻」を意味しています。

デボラは、バラクにナフタリ族とゼブルン族から一万人の兵を召集してタボル山に進軍するように指示しました。

 

士 4:10 バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。

夕ボル山は海抜553mの高さがあり、イッサカルの境界にある石灰岩の山で、メギドの北東、約19kmにある、現在イエベル・エトツルと呼ばれている山です。タボルはまた、ゼブルンの地にあるレビ人の町の名前でもあります(歴代誌第一 6:77)。

ナザレの高台から望むタボル山


7節を見ると、主はヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍をキション川に引き寄せようとしておられます。シセラの軍隊がそこに出てくるには、キション川が地中海に流れる地域の平原を横切らなければならなかったのです。主は、その場所でシセラを渡されると言われたのです。

バラクは一万人の兵を集めて上り、デボラもバラクと一緒に上りました。この戦いでバラクは勝っても、誉れを得ることが出来ないと言われました。しかし、主の女預言者デボラが一緒に行ったことは、バラクにとっても、一万人の兵士たちにとっても、神の祝福と勝利を確信させたのです。

11節、ケニ人ヘベルの紹介

士 4:11 ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。

ケニ人は、ユダの南の荒野を中心にした遊牧民でした。しかしヘベルとその妻ヤエルと家族は南部のカナン(ユダの南の荒野)から移って来て、エスドラエロン平原のケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていました。

「モーセの義兄弟ホバブ」については、1章16節のところを読んで下さい。

「ヘベル」については、旧約聖書中、三人の人が「ヘベル」と呼ばれています。
アシェルの孫ヘベル(創世記46:17)
エズラの子孫のヘベル(歴代誌第一 4:18)
ベニヤミン族のシャハライムの家族の中のヘベル(歴代誌第一 8:17)

このほかに、「エベル」と呼ばれている人物もいます(歴代誌第一5:13、8:22、ルカ3:35)。

ケニ人ヘベルがこれらのうちのだれかと関係があるかどうかは、定かではありません。

ヤエルは、ケニ人ヘベルの妻で、彼女はカナン人に対するよりも、イスラエル人に対して忠誠を尽くしています。これはエリコの人ラハブの信仰と忠誠(ヨシュア記2章)に匹敵するほど感動的です。

神のために立ち上がる者に対しては、神も助けを与えられるのです。神はデボラたちに対して、ヤエルを助け手として備えておられたのです。

「主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。」(ローマ10:12)

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」(ヨハネ14:13)

12~16節、キション川の戦い

12~13節、戦いのためのシセラの準備

士 4:12 一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、
4:13 シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。

シセラは、バラクがタボル山に登り、そこにイスラエル軍を集めたことを知った時、
①彼が持っていた鉄の戦車九百両全部
②自分と一緒にいた民を全部動員し、
③ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めました。

14~16節、主はシセラを打ち破られました。

士 4:14 そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、【主】があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。
4:15 【主】がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。
4:16 バラクは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。

①14節、デボラは主のみことばの命令を繰り返しています。
②バラクは、タボル山から一万人の軍隊を連れて下って行きました。
③主は、剣の刃で、シセラと、そのすべての戦車と、すべての陣営の者をかき乱して、打ち破られました。
④シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げました。これは、ヘブル語で、「追い出す」「混乱させる」「散らす」「全く破壊する」という意味です。
バラクは、戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめました。
⑤シセラの軍隊は全員倒され、残された者は一人もいなかったのです。

17節~24節、シセラ(Sisera)の死

①17節、シセラはケニ人ヘベル(Heber)の妻ヤエルの天幕に逃げ込みました。

士 4:17 しかし、シセラは徒歩でケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げて来た。ハツォルの王ヤビンとケニ人ヘベルの家とは親しかったからである。

その理由は、ハツォル(Hazor)の王ヤビン(Jabin)とケニ人へベルの家は親しかったから、と記されています。おそらく、シセラとヤエルは、顔見知りだったでしょう。シセラはかつて、ヤエルからもてなしを受けたことがあったかも知れません。

②18~20節、ヤエルの考え

士 4:18 ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください、ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕に入ったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。

18節、ヤエルは言った。「お立ち寄りください。ご主人さま。私のところにお立ち寄り ください。ご心配には及びません。」(シセラを安心させた。)
18節、ヤエルは彼に毛布を掛けました。(休息を与えた。)

19節、シセラは水を求めましたが、ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおいました。

士 4:19 シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。

遊牧民は、水や酒や乳の容器として、やぎや羊の皮を使っていたので、その皮袋に入れてあった、ヤエルにとっては大切な乳を飲ませたのです。これは最高のもてなしであり、最高の親切です。

20節、シセラはヤエルの親切なもてなしに、安心し、ヤエルに「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか。』とあなたに尋ねたら、『いない。』と言ってください。」と頼んで、深い眠りに落ちていきました。

士 4:20 シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか』とあなたに尋ねたら、『いない』と言ってください。」

激しい疲れと、安心とが重なったからでしょう。しかし将軍である者が、敵の手の届く範囲内で、深い眠りについたのは、不覚としか言いようがありません。(ヤエルはシセラを信頼させた。)

③21節、天幕の鉄のくいと槌

士 4:21 だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。

ヤエルは、そっとシセラに近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通しました。

上の絵は、フランスのJames Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Jael Smote Sisera, and Slew Him(ヤエルはシセラを打って彼を殺した)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵)


④22節、ヤエルは、迫って来たバラクに、死んだシセラを見せた。

士 4:22 ちょうどその時、バラクがシセラを追って来たので、ヤエルは彼を迎えに出て、言った。「さあ、あなたの捜している人をお見せしましょう。」彼がヤエルのところに来ると、そこに、シセラは倒れて死んでおり、そのこめかみには鉄のくいが刺さっていた。

バラクは自分でシセラに手をかけることなく勝ったのです。デボラの預言の通りになったのです。神の約束は、忠実に従うなら、目先、不可能に見えていても、必ず実現するのです。人の目には神の備えておられる助け手や伏兵が見えませんが、主のみことばを信じて、忠実に従っていく人は、必ず、勝利を得るのです。失望させられることはありません。

「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」(ペテロ第一 2:6)

このヤエルの取った行動を、信仰以外の点から正当化しようとする試みがなされています。それは聖書の上からすると、無意味なものですが、参考のためにご紹介しておきます。

それは、当時の風習で、ベドウィン(遊牧民)の女の天幕に入った外国人は、死に定められていたからである、というものです。

一方、ヤエルの行動は、善意と友好に見せかけた裏切りであるという批判もあります。

しかし聖書は、ヤエルの行動について、道徳的な判断を加えることなしに記しています。
それは、当時が狂暴と反逆の時代であったことも考え合わせると、聖書の記述の仕方が最も適切です。

遊牧民であるケニ人が、カナンの住民と平和に暮らすために、ヤビンやシセラと平和を保っていたのは当然ですが、ケニ人の歴史を見ると、イスラエルとの結びつきの方が、ずっと密接で、強力だったことは、明らかです。

⑤23~24節、服従させられたヤビン

士 4:23 こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。
4:24 それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。

シセラの軍隊は敗れ、シセラの死によって、カナンの王ヤビンとその王国は崩壊しました。
23節「こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。」

この勝利は、すべて神から出ていました。さらに、イスラエル人の勢力がますます強くなり、ヤビンを圧するようになり、ついにヤビンを断ち滅ぼしてしまったのです。
私たちは、自分の回りの情況でも、国の情況でも、ただ嘆いて、憂いているだけでなく、神のみことばを聞いて、積極的に神に従い、神をあかししていく時、不可能に見える状態をも神が服従させてくださるのです。ただ 「祈っています。」と言っているだけで、何も実際的あかしの攻めの実行がなければ、その「祈っています。」ということが、どれくらい真剣なものであるかは、疑わしいのです。その証拠に、日本では、忠実な神への服従と、みことばの積極的なあかしの宣教が行なわれて来なかったために、今もキリスト教は深く根づいておらず、豊かな実を結ぶまでに至っていないのです。

緑の文字が4章に関する地名と人名です。

あとがき

何年か前に、私が蒔いた梅の種が、今年は満開の花をつけています。そのすぐ横で、スモモの花の白いつぼみが沢山ついています。
「こんなの蒔いても、咲くかどうか分からない」と思って、種を捨ててしまえば、それでおしまいです。しかし種をまき、水をやり続けてみると数年後に見事な花をつけたのです。
私は、もう一つの種を蒔き続けています。それは神のみことばの種です。これも信仰と祈りによって蒔き続けています。そして聖霊が働いてくださると、ある年から突然、満開の花を咲かせてくれるでしょう。いのちのある種を蒔けば、あとは信仰と忍耐の水を注げば、必ず、満開の日を迎えるのです。その日、人々は言うのです。「なんと、美しいのでしょう。」と。
たねまきし心の中は梅の花。

(まなべあきら 2002.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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