聖書の探求(257) ルツ記 2章 ルツの働きと神の摂理、ボアズの慰めと賞賛と慈愛、ナオミへの報告

ポーランドの画家 Kazimierz Alchimowicz (1840–1916)による「Booz i Rut zbierająca Kłosy(落穂を集めるルツとボアズ)」(Wikimedia Commonsより)


2章の主題は、ルツの奉仕(労働)への摂理

1~7節、神の摂理とルツの働き

1節、ボアズの紹介

ルツ 2:1 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。

ボアズは、ナオミの夫の親戚で、エリメレクの一族でした。ここで使われている「親戚」、ヘブル語のmoda(モーダ)は、3章2節にも使われており、箴言7章4節にも使われており、その意味は「知り合い」や「友人」を意味する言葉です。この語は、ルツ記の他のところに出てくる「近親者」や「買い戻しの権利のある私たちの親類」とは全く別の言葉です。こちらの方はヘブル語のgoel(ゴーエール)です。

執筆者が最初に、goelを使わないで、modaを使っているのは、ナオミが買い戻しの権利のある贖い人としてボアズに全く関心がなく、計算に入っていなかったことを意味しています。それ故、ボアズに対して、親戚関係よりも、親友関係を表わす語のmodaを使ったものと思われます。しかし、もう一方、ナオミがボアズに対して買い戻しの権利のある贖い人であることに気づく前に、主はすでに摂理の御手を働かせて下さっていたことを暗示しています。

「有力者」は、ヘブル語のhayil(ハイール)で、霊的に、知的に、そして資産家としても有力者であることが含まれていますが、ここではボアズの富よりも、むしろ、ベツレヘムを襲った大飢饉の中でも、家族や使用人たちを守り支えてきた彼の霊的力と勇気を指しています。この語は3章11節では、ルツに対して使われており、この語は女性には、その徳を表わすのに用いられています。(箴言12:4、ルツ3:11の両方とも「しっかりした女」と訳されています。士師記6章12節は、男のギデオンに対しては「勇士よ」すなわち「勇気ある者よ」として使われています。男に対しては、勇気を表わすことに使われています。)

2節、ルツは落ち穂拾いの労働をナオミに申し出ました。

ルツ 2:2 モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。

ルツは1章16,17節で信仰の選択をし、「あなたの神は私の神です。」と選んだ後、その選択を信仰の働きとして、実際の行動に現わしています。心で選んだ信仰は、それを実際生活の中で行なうことによって、実を結ぶのです。

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ、聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)

「それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)

ルツ記の記者はルツを「モアブの女ルツは」と記しています。これは異教の女がベツレヘムの人たちの中に入って働くには、嘲笑されたり、意地悪をされたりすることを覚悟していなければならないことを示しています。ルツはそれらの冷たい仕打ちを受けることを覚悟していたのでしょう。

それ以上に、ルツにとってはイスラエル人と同じ神を信じていましたから、少しも違和感を持っていなかったと思われます。彼女は「私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」と、非常に積極的な心の姿勢が見られます。実際に信仰の踏み出しをする時に、主は御手をもって導いてくださるのです。それが次の節において、すぐに見られます。

3節、「それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。」

ルツ 2:3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

ルツは畑の持ち主を調べに行ったのではないのですが、主は見えざる摂理の御手を持ってルツを導かれています。

この小さい信仰の出発が、ボアズとの結婚に、オベデの出産に、そしてダビデ王につながり、ついに主イエス・キリストのご降誕へとつながっていったのです。人が小さい事と見ていることを、主はこれを用いて、偉大な終極へと導いていかれるのです。

「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。」(ゼカリヤ書4:10)

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21,23)

アハシュエロス王の眠られぬ一夜が、アガク人ハマンの企みによって、殺害の宣告を受けていたユダヤ民族の救いに導かれていったことを忘れてはいけません(エステル記6:1)。

若いモアブ人のやもめルツが、自分と姑のために食糧を得ようとして、落ち穂拾いのために刈り入れ場に行ったことなど、珍しい話ではなく、どこででも聞かれる話です。この時期、落ち穂拾いをしていたやもめは、他にも沢山いたでしょう。しかしルツは、この、だれもがする小さな単純な行動を、愛と信仰と、希望を持って行なったのです。この小さい信仰の行ないが、一子を生み、大王を生み、ついに全人類が全能の救いの恵みを受けることに至らせたのです。世界的に、永遠的に偉大な出来事は、しばしば信仰による小さい行為に起因しているのです。

神の摂理は、小さいことも、すべてをことごとく働かせて、その祝福ある目的を成し遂げさせます。主に全く信頼しましょう。主は初めから、その終極までを見て導いておられるのですから。

4節、ルツが初めて落ち穂拾いに出た日、ボアズはちょうど、彼の畑の刈り入れがどれだけ進んでいるかを調べるために、畑にやって来たのです。

ルツ 2:4 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「【主】があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「【主】があなたを祝福されますように」と答えた。

そこで、ボアズが刈る者たちに、「主があなたがたとともにおられるように。」と言い、刈る者たちがボアズに「主があなたを祝福されますように。」と挨拶しているのを、ルツは聞いたのです。ルツは、こういう挨拶をモアブの地では聞いたことがなかったのです。

「有力者」のボアズ(2:1)は、敬虔な祝福をもって刈る者たちを励まし、刈る者たちも心から主人を祝福をもって答えたのです。

ここには言葉だけではない、深い信仰的意味が含まれていることを、ルツは悟ったのです。ただ、主人と刈る者たちとが良い関係を保っているだけではありません。特に、刈る者たちが、すぐに主人のボアズに、主の祝福の挨拶で答えたことには驚かされます。主人が忠実に働いている働き人に祝福の挨拶をすることは、よく見かけます。しかし大抵の場合、黙って頭を下げて答えるくらいのことしかしません。しかしここでは、大勢の刈る者たちが一斉に声を上げてボアズを祝福しています。この出来事によって、ルツはこの主人と働き人たちの中には、本当に神を愛し、互いに愛し合っている信仰があることを悟ったのです。

私たちは、だれかの側を通る時、特に、目上の人や指導者の側を通る時、声を出して丁寧な挨拶をして通らなければなりません。その人をチラッと見て、黙って頭を下げて通り過ぎて行くようなことをしてはなりません。自分は尊敬するつもりで頭を下げても、黙って通り過ぎることは、その人を無視している態度をとっていることになるからです。これをやっていると、あなたにわざわいが及んでくることになるでしょう。現代人は、敬虔な挨拶や返事をほとんど行なっていません。「何を言っていいか分からないので、黙っている」と言う人もいますが、これは拒否している態度にとられるのです。呼ばれたり、質問されても返事をしないのも同じです。そういう態度をとっていれば、主の祝福も失われていきます。相手を祝福する挨拶は、単なる挨拶で終わらないことを十分知らなければなりません。主の使いはギデオンに、「主があなたといっしょにおられる。」(士師記6:12)と言っておられます。

マリヤにも同じように、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1:28)と、挨拶されています。

主は弟子たちに、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20:19,21,26)と言わ
れました。

使徒たちは、各々の手紙の終わりに祝福を記して、「主が……あなたがたとともにありますように。」と祈っています。

敬虔な人の挨拶は、相手のための祝福の祈りなのです。

現在、私たちが用いている普通の挨拶の多くは、この祝福の祈りに基づいています。

「good by」は、「God be with you」の簡略形で、「神があなたとともにいますように」という意味です。

「フェアウェル」も「グッド・ナイト」も、すべて祈りです。

イタリア人は「アディオ」と言いますが、これは「神にあなたをゆだねる」という意味です。

かつては、これらの挨拶の言葉は、真実な祈りの心を持って、互いに願うことを意味していたのです。

5~7節、ボアズはすぐに、見慣れない娘が落ち穂を拾っているのに気づきました。

ルツ 2:5 ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」 2:6 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。2:7 彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」

1910年に出版された「The story of the Bible for young People(若い人々のための聖書物語)」の挿絵「Ruth and Boaz(ルツとボアズ)」(作者不明、Wikimedia Commonsより)


ボアズの質問を受けた若者は、二つの点について答えています。一つは、その娘がだれかということ。もう一つは、彼女の勤勉さについてです。

落ち穂拾いについては、レビ記19:9,10、23:22、申命記24:19~22に規定されています。

これを見ても、主は弱者に対して実際的にあわれみ深いお方であったことが分かります。そして主は、主の民をこの規定に従わせることによって、ご自身のあわれみ深さをあかしされたのです。

7節の「朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」は、ルツが家で座って休むこともしないで、一日中、働き続けていたことを示しています。ルツの勤勉さと誠実さは、その日のうちにまわりの人に知れわたっていたのです。

8~16節、ルツに対するボアズの慰めと賞賛と慈愛
8,9節で、ボアズは三つの勧めをしています。

ルツ 2:8 ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。 2:9 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」

第一は、ルツが他の畑に行かずに、ボアズの畑で、若い女たちと一緒に落ち穂を拾いなさいと言っています。そうすれば、ルツが少しでも恥ずかしい思いをしなくてすむでしょう。

第二に、若者たちに、ルツの邪魔をしてはならないと、きつく命じています。これによって、ルツの働きは、さらにやり易くなるでしょう。

第三は、飲み物の備えをしました。一日中、畑で働くと、どんなにのどが渇くことでしょうか。

ボアズはすぐにルツに必要なことを三つ行なったのです。

10節、ボアズの親切に対するルツの感謝

ルツ 2:10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」

ルツは顔を伏せ、地面にひれ伏して、ボアズに「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」と言っています。ルツはモアブ人である自分が、これほどまでに親切にされることに驚いたのです。自分が受けるはずもないあわれみを受けたことを悟ったのです。

実は、ボアズの母はエリコのラハブであり(マタイ1:5)、ボアズは異邦人でも、真実な信仰を持つ人がいることを知っており、異邦人に対する偏見は少なかったのです。

次に、二人の人の感謝のことばを記しておきましょう。

ダビデに対するメフィボシェテの感謝のことば
「ダビデは言った。『恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。』彼は礼をして言った。『このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。』」(サムエル記第二9:7,8)

パウロの感謝のことば
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(コリント第一15:10)

パウロが言うように、感謝はすべて、「私にある神の恵み」によるのです。

11,12節、ルツの信仰による行動に対するボアズの賞賛

ルツ 2:11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。 2:12 【主】があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」

第一は、ルツの夫(マフロン、4:10)が死んでから後、姑ナオミに尽くしてきたこと。
ルツにとって、自分の夫の死は、将来の自分の生活を危くするにも拘らず、姑ナオミの世話をし続けたのです。姑ナオミは夫エリメレクと二人の息子を失うことによって、ルツ以上に絶望状態にあったのです。

第二は、「あなたの父母や生まれた国を離れて」ルツの両親は生きており、両親のもとに帰れば、すぐに安定した、なんの不自由もない生活をすることができたでしょう。ルツがオルパに続いてモアブの両親の家に帰ったとしても、だれも咎めることはできません。しかし、敢てルツはモアブの国と両親を離れてベツレヘムに来たのです。そこにルツの信仰があります。

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。」(創世記12:1~2)
これはアブラムに約束されたことばでしたが、ルツにおいても同じく実現したのです。
この世的安全を求めず、信仰によって神だけを求め続ける人を神は祝して、この契約を実現してくださるのです。

第三は、「これまで知らなかった民のところに来たこと」偶像礼拝を行なっている民の中から出て、真の神の民の中に来たことです。これこそ、ルツの信仰が本物であることを表わしています。彼女の愛と、誠実さと、信仰深さとを、ボアズは知っていたのです。

12節、ボアズはルツのために、「主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」と、主の報いを祈っています。

ルツ 2:12 【主】があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」

主を愛した信仰の行ないには、主は必ず報いてくださるのです。

「預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。
わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことにあなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:41,42)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)

13節、ルツの感謝の応答

ルツ 2:13 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」

ルツは、「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。」と、すぐに積極的にボアズの好意を受けたいと、自分の意志を表わしています。変に遠慮したり、「そんなにしてもらったら、申し訳ない」というような態度をとっていません。信仰によって与えられる恵みと祝福は、躊躇せず、すぐに積極的に受けることが大切です。

ザアカイは、主から「ザアカイ。急いで降りて来なさい。」と呼ばれた時、すぐに降りて来たのです。それは、あつかましいことではなく、主を喜ばせる信仰と感謝の応答なのです。

ここでルツはボアズを「ご主人さま」と呼び、自分を「このはしため」と呼んでいます。これはマリヤのことばに似ています。

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように。」(ルカ1:38)

この二人の人には共通して、信仰的に積極的な謙遜を見ることができます。

14~16節、ボアズの配慮(ボアズの約束の実行)

ルツ 2:14 食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。

ボアズは9節で、のどが渇いたら、水がめから水を飲むように言いましたが、昼食時になると、ルツに自分と刈る者たちと一緒にパンを食べるように招いています。パン切れを浸した「酢」とは、果実酒が発酵してできた酢であると思われます。それは疲れた身体をいやす効果がありました。

さらに、ボアズは自分の手で炒り麦を取って、ルツに与えています。ルツは遠慮することなく、午後の働きのために十分に食べ、余りをナオミのために残しておいたのです。こうして文字には書かれていないところにルツの愛の思いやりが表わされています。

15節を見ると、ルツは刈る者たちが立ち上がる前に、落ち穂を拾い集めようとして立ち上がっています。

ルツ 2:15 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。2:16 それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」

ルツがその場を離れていくと、ボアズは若者たちに、ルツのために特別な配慮をするように命じています。
「束の間でも穂を拾い集めさせなさい。」
「あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。」

私たちが主を愛して、忠実な信仰の働きをするなら、同じように主は私たちに特別な配慮をしてくださるのです。

「あの女に恥ずかしい思いをさせてはいけない。」とは、もはや普通の落ち穂拾いをさせておいてはいけないということです。
またルツが沢山拾っても、叱ってはいけないと命じたのです。
ボアズは愛をもって、ルツの信仰の働きを助けたのです。

17~23節、ナオミへのルツの報告

17節、ルツの労働

ルツ 2:17 こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。

ルツは朝から夕方まで拾った落ち穂を脱穀すると、一エパ(23リットル)ほどになりました。これはルツの愛と勤勉によって働いた収穫であり、ボアズの愛と親切によって与えられたものです。

18節、ルツは帰宅し、ナオミに拾い集めた大麦を見せ、昼食べ残しておいた炒り麦をナオミに与えています。

ルツ 2:18 彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。

ルツは決してナオミを忘れていなかったのです。ここには、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」(コロサイ3:23)のみことばが生きているのを見ます。

19節、ナオミは、ルツが見せた収穫物に驚きました。

ルツ 2:19 しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました」と言った。

それは通常の落ち穂拾いの量ではなかったからです。そこでルツに「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで、働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」と質問をし、祈っています。ナオミは主のあわれみがあってこそ、豊かな収穫が与えられたと悟ったのです。

これに対して、ルツは「ボアズという名の人の所で働きました。」と答えました。

イタリアの画家 Francesco Monti (1685–1768)による「Ruth e la suocera Noemi(ルツと義母ナオミ)」(Wikimedia Commonsより)


20節、ナオミは、惜しみなく恵みを与えてくださる、あわれみ深い神と、神の摂理の導きとに感謝しています。

ルツ 2:20 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない【主】が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」

この節の「御恵み」と訳されているヘブル語は「ケセド」で、無限の愛を表わしていますが、これが具体的に人になされる時には、厳格な正義が要求していること以上の神の愛とあわれみのみわざを行なわれることを指しています。新約聖書は、このケセドの愛を「恵み」として扱っているのです。

ルツが落ち穂拾いで多くの収穫をいただいたのは、ケセドの主が、ボアズを通して、あわれみを与えてくださったからだと、ナオミは感謝し、その主がボアズを祝福してくださるようにと祈っています。

さらに、ナオミは、ルツからボアズの名前を聞いた時、「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」と気づいています。本書において、ここに初めて「買い戻しの権利」が出てきます。これが本書の最大のテーマとなるのです。

20節の「親類」は、ヘブル語のゴエル(goel)で、これはgaal(贖う)から派生した語です。実際には、身請人とか、贖う(買い戻す)権利を持つ者を意味しています。通常の場合、この人は最も近い近親者なので、「親類」とか、「親戚」とか訳されています。

ナオミがここで、「ゴエル」という言葉を使っているのは、彼女がすでに、ボアズを、自分たちの家族と財産を身請けできる贖い人と考えていたことを示しています。

21節、この時、ルツはまだ、「買い戻しの権利」がどんなに重要なもので、自分に関係するものかは、全く理解していません。ただボアズの親切な言葉だけを、ナオミに伝えています。

ルツ 2:21 モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない』と私におっしゃいました。」

22節、ナオミはケセドの神が、さらにあわれみ深いことをしてくださることを感じとっていたでしょうが、そのことはルツに話さず、ボアズの畑で、若い女たちと一緒に落ち穂拾いを続けることを勧めました。

ルツ 2:22 ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」

ルツはモアブ人だったので、人々の冷たい目でじろじろ見られるのは、ルツにとって心の中で戦いを感じるだろうと、ナオミは細かに配慮したのです。「ほかの畑でいじめられなくても済みます。」とは、「ほかの畑で男たちがあなたを妨害しないため(襲わないため、害しようとしないため)」という気持ちが含まれています。

23節、ルツは、ボアズの招きに従い、またナオミの勧めに従い、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れが終わるまで、ずっとボアズの畑で若い女たちと一緒に落ち穂拾いを続けたのです。

ルツ 2:23 それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。

ルツのしたことは、落ち穂拾いという、貧しい人がする働きでしかありませんでしたが、それを行なった動機は高潔な信仰です。イエス様もしもべのする、人の足を洗う仕事をされましたが、その御心は愛に満ちておられたのです。主は弟子たちにパンと焼き魚の食事を用意されましたが、その御心は聖なるもので満ちておられたのです。私たちも卑賤な奉仕を高潔な信仰を持ってさせていただきましょう。

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

あとがき

聖書の探求を書き始めて、今年で22年目に入っていますが、ますますこの働きがどんなに大切かを思い知らされています。神様は私たちを救って、天の御国に入れてくださるために、イエス様の十字架と聖書と聖霊をお与えくださいました。そしてこの三者は聖書自体が真理と呼んでいます(ヨハネ14:6、ヨハネ17:17、ヨハネ第一5:6)。
この三者を信じることによって、私たちは救われ、天の御国を相続する者となります。しかしベレヤの信者(使徒17:11)のように自ら聖書を探求する人は少ないのではないでしょうか。「どこかの先生がああ言った、こう言った」という話をよく聞きますが、聖書は聖書によって解釈しなければなりません。ぜひ聖書の箇所を開いて読んでください。


ルツの信仰、いかがでしたか。ルツの信仰を知ると、大いに励まされます。また新な希望が与えられます。ルツの小さな信仰の決断と行動が救い主のご降誕にまで繋がったのです。だれも自分の未来のことを知らないまま生活しています。しかし目先のことに惑わされずに真実な信仰を実践していくなら、主は必ず、私たちの生涯を、そして未来を、私たちが考えも及ばないように祝してくださるのです。私はこの日本に福音を満たしたいという思いで、この三十数年間奉仕して来ました。その働きはまだほんの一歩も進んではいません。しかしこの微々たる信仰の歩みも、大いなる主のみわざに繋がっていると、新なる希望を持たせていただけるのです。今日も日本のどこかで主を信じる人が起こされています。


(まなべあきら 2005.9.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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