聖書の探求(255,256) ルツ記1章 ナオミ家族のモアブ移住、モアブの飢饉、ルツの信仰による決意

アメリカのthe Providence Lithograph Companyにより1907年に出版されたバイブル・カードの一枚「Ruth’s Wise Choice(ルツの賢い選択)」(Wikimedia Commonsより)


1章の主題は、ルツの信仰による決意を扱っています。鍵の節は16節です。

1:16しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。

ナオミが神の約束の地ベツレヘムを離れて、モアブに移住して失ったものが、六つあります。

1、夫エリメレク
2、息子マフロンとキルヨン
3、財産
4、希望
5、嫁の一人オルパ
6、神の恵みと祝福

1~5節、エリメレクの家族のモアブ移住

1節、「さばきつかさが治めていたころ」

1:1さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。

本書は、日付を書くことから始まっています。それは士師記の時代でした。

イギリスの中興の説教者サムエル・チャドウィックは、「歴史を断片的に見る人は、神を偽りとする。」と言っています。ルツ記の執筆者は、エリメレクの家族に起きた不幸な出来事を聖書全体の歴史の中(ダビデ王にまで至る歴史の中)で語ろうとしています。

1節の原文の冒頭は、ヘブル語のWayehiという文字で始まっています。これは「そして……だった。」という意味です。すなわち、「そして、さばきつかさが治めているころだった。」となります。この表現は、この記録が他の有名な事件や記録につながっていることを示しています。すなわち、ルツ記は士師記につながっているものであることを示しています。

「さばきつかさが治めていたころ」は、文字通りの訳では、「さばきつかさがさばいていた」です。ですから正確な訳は「そして、さばきつかさがさばいていたのだった。」となります。この言い方のほうが、「治めているころだった」よりも、現実的に身近な経験を表わしています。

「ききんがあった。」士師記には大きな飢饉についての特別な言及はありませんが、飢饉は日照りなどの自然的原因以外にも、敵の侵入や戦争による土地の荒廃によって起きます。士師記の時代は動乱の時代でしたので、しばしば飢饉が起きていたに違いありません(士師記6:3~6)。

執筆者は「ユダのベツレヘム」と、わざわざ言っているのは、「ゼブルンのベツレヘム」(ヨシュア記19:15)があったことを知っており、これと区別するためでした。このことは、ルツ記の出来事が古い時代のことであることの証拠の一つです。

「モアブの野へ行き」の「野」は、ヘブル語の「サドエ(sdhe)」で、平野や台地のことを指していて、モアブの全土を指していません。ここではモアブのある一定の地域、おそらく、豊かな地であったアルノン南部の草原地帯(死海の東)を指しているのだろうと思われます。

エレミヤ書48章33節には、「モアブの果樹園とその国から、喜びと楽しみは取り去られ、」
イザヤ書16章10節には、「喜びと楽しみは果樹園から取り去られ、ぶどう畑の中では、喜び歌うこともなく、大声で叫ぶこともない。」
と、モアブが、豊かな実を収穫できていた地であったことを示しています。

「滞在する」とは、モアブの地で在留外国人として生活することを意味しています。

(むなしい苦難脱出の努力)

ベツレヘムの地を相当厳しい飢饉が襲っていました。イスラエルの地の飢饉は、イスラエルの不従順と罪悪の結果、ある時は長く続く日照りによって起こり、ある時は敵の襲撃によって作物が奪われ、田畑が荒らされることによって起きています。

この時の飢饉は、ミデヤン人とアマレク人の侵略によって起きたものと思われます(士師記6:1~6)。これは自然現象として起きたのではなく、イスラエル人が主の目の前に悪を行なったことによって起きたのです。この飢饉はベツレヘムにも起こり、住民は厳しい窮乏に苦しんでいたのです。「パンの家(ベツレヘムの名前の意味)」にパンがなくなったのです。そこでエリメレクとナオミの家族は、食料を求めて豊かな果実のあるモアブの地に移住したのです。

しかし、どんな理由があっても、神のご命令や御許しなしに、神の約束の地を離れることは、決して祝福の道ではありません。特にこの場合、イスラエルが主の目の前に悪を行なったために起きた飢饉ですから、そこから逃げ出すことによって、豊かな生活ができると考えることは、主を怒らせるのです。

何事かが起きる度に、いつも主を自分の前におく人もあれば、その反対の人もいます。普段の時には、信仰に熱心に見えていても、何かが起きると、それを解決したり、そこから逃れるために、また弁護するために、生まれながらの自分の知恵を持ち出す人がいます。この人の性質は、潔められる必要があります。これを続けていると、ナオミと同じ絶望を味わうことになるのです。

2節、「その人の名はエリメレク。」

1:2その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、ふたりの男の子の名はマロンとキリオンといい、ユダのベツレヘムのエフラタびとであった。彼らはモアブの地へ行って、そこにおったが、1:3ナオミの夫エリメレクは死んで、ナオミとふたりの男の子が残された。

エリメレクの名前の意味は、「私の神は王」です。彼の名前が示している信仰は、試練の時に、人の心の火は消え失せるように見えても、その信仰はかえって、ますます輝き出すはずでした。それなのに、神の民が苦難の時に、不信仰なこの世に助けと慰めを求めて、下って行くことは、すでにわざわいの始まりでした。まして、神の約束の地を捨てて、この世に助けを求めて、そこに入り込んで住むことは、なおさらわざわいを招くことになるのは当然のことです。

聖書は、エリメレクとその家族に対して、一言も非難の言葉を述べていませんが、その逃避の移住は、苦難を脱することにはならず、かえって一層深い、険悪な悲しみに直面することになったのです。最初に、一家の中心だったエリメレクが死にました。次に、二人の息子は、それぞれモアブの娘と結婚しましたが、各々その妻を残して、二人の息子も死んでしまいました。ナオミは夫と二人の子供を失い、やもめとして残されたのです。

こうして、ナオミは、神を離れることは損失であり、絶望であり、死であることを悟らされたのです。しかし神に近づくことは安息であり、平和であり、祝福です(詩篇16:8,9、11)。

ナオミはこのことを明確に実証しました(ルツ記1:20,21)。

1:20ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 1:21わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。

一つの苦難を避けるために神から遠ざかった者が、さらに一層大きな苦難に、しばしば遭遇するのを見ます。私たちは飢饉を逃れることができても、死を逃れることはできないのです。

理由が飢饉で神の地を離れて、わざわいに会った人にアブラハム(創世記12章)とイサク(創世記26章)があります。例外として、ヤコブは神の転機的経験をし、神の顕現に触れてエジプトに行っています(創世記46章)。

エリメレクの家族は「ユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。」エフラテ人とは、エフライムの部族と関わりのある意味を持つ言葉です。しかし買い戻しの権利のあるボアズはユダ部族出身であったことは明らかなので(4:18~21、マタイ1:3~5)、ここでのエフラテ人とは、旧約聖書の中でしばしば使われているベツレヘムと非常に関係のある言葉として使われていると思われます(創世記35:19、同48:7、ルツ記4:11、歴代誌第一、4:4、ミカ5:2)。

モアブの娘ルツは、兄のほうのマフロンの妻となり(4:10)、オルパは弟キルヨンの嫁でした(1:15)。

タルグム(バビロン捕囚後に作られた旧約聖書のアラム語訳。聖書としての権威はなく、いろいろな訳が現われたが、多くは失われてしまい、現在では、古代パレスチナ・タルグムとバビロニヤ校訂版タルグムの二つが残っており、後者の中には、モーセ五書のタルグム・オンケロスと預言書のタルグム・オンケロスがあり、この二つが公認タルグムとされています。)は、ルツをモアブの王エグロン(士師記3:12~23)の娘と言っていますが、これには何の根拠もなく、考えられないことです。

4,5節、

1:4ふたりの男の子はそれぞれモアブの女を妻に迎えた。そのひとりの名はオルパといい、ひとりの名はルツといった。彼らはそこに十年ほど住んでいたが、 1:5マロンとキリオンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子と夫とに先だたれた。

「彼らは約十年間、そこに住んだ。」この表現は、全く味気なく、彼らの生活が幸せだったのか、不幸な悩み多い生活だったのか、何も記していません。この表現は神の約束の地を離れた者の生活のむなしさを表わしているようです。

「十年」という言葉にこだわるわけではありませんが、アブラムがカナンの地に十年住んだ後にハガルからイシュマエルを生んでいます(創世記16:3)。

十年経っても、忠実な信仰を守っていることは、その人の信仰の堅実さを表わしているでしょう。勿論、それは十一年目に堕落しないことを保証していませんが。また人生、十年を一区切りにして、試練やわざわいが来ることも考えられます。試練やわざわいは定期便ではありませんから、いつでも来る可能性はありますが、先ずは十年間続けて忠実な信仰で歩ませていただきましょう。

3~5節を、出来事の順序通りに記しているとすれば、先ず最初にナオミの夫エリメレクが死んだことになります。その原因は何も記していません。二人の息子の結婚は夫の死後、行なわれたことになります。そして移住から約十年間、モアブの地で生活しており、十年後に再びわざわいが襲って来たのです。二人の息子マフロンとキルヨンも死んだのです。二人の死は同時だったのか、別々の時だったのか、またその死因も記されていません。二人の息子の名前(マフロン – 病弱、キルヨン – 衰弱とか、消耗という意味)が意味するように、彼らの虚弱な体質によった死であったのかもしれません。

ルツ記の執筆者は、ここでは、彼らの死が神の約束の地を離れて、偶像礼拝の行なわれている地モアブに移住したための刑罰だったとは、言っていません。それを匂わせるような言葉も記していません。

しかし1章20,21節で、ナオミは、「全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。 … 主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」と言っていますから、ナオミは、このわざわいは主の懲戒であると受け止めていたのです。この意味は、執筆者が露骨に書き記さなくても、心ある者が読めば、それを十分感じとることができます。執筆者はそこをねらって書いたと思われます。もし執筆者が、「それは彼らが神の約束の地を離れたための刑罰であった。」と書き込むと、ルツ記に醸し出されている奥ゆかしさを壊してしまうことになります。執筆者は、それを直接書かないことによって、読者にその意味をより強く感じとらせることに成功しています。

6~14節、ナオミの説得

6節、

1:6その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。

「彼女は…共に立って、…帰ろうとした。」は、直訳では「彼女は…連れ立って…帰った。」です。ナオミは、モアブの地で、「主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いた」時、すぐに行動に移したのです。

そのニュースを「聞いた」のが、モアブ滞在の十年間の終わり頃なら、飢饉はずい分長い間続いたことになります。あるいは、戦争のためにベツレヘムのニュースがナオミの所まで届かなかったのかもしれません。ナオミはいつもベツレヘムのことを気にしていたはずですから、ちょっとした噂でもキャッチしたはずです。

「主(ヤーウェ)がご自分の民を顧みて」の「ヤーウェ」の御名が一般人の間にも親しく用いられていたことは、特に注意する必要があります。このことは、ベツレヘムの人々の間に信仰のリバイバルが起きていたことを暗示しています。

ルツとナオミがモアブからベツレヘムに帰る時にたどった道筋(いのちのことば社刊、ニック・ペイジ著、「バイブル・ワールド〔地図でめぐる聖書〕」より)

7節、オルパもルツも、明らかにナオミと一緒にベツレヘムに行くつもりで、ユダの地に向かって旅立っていたのです。

1:7そこで彼女は今いる所を出立し、ユダの地へ帰ろうと、ふたりの嫁を連れて道に進んだ。

この点で、オルパもナオミを愛し、仕える心根を持っており、途中までは従っていたのです。ただ、ルツだけが最後まで従い通したのです。最後まで信仰を守り通す人と、途中までの人とは、全く反対の結果を生んでしまうのです。

「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ24:13)

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(テモテ第二 4:7,8)

「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2:10)

8節、ナオミは歩きながら考えたのか、気づいたのでしょう。そこで次のように二人の嫁に説得を始めています。

1:8しかしナオミはふたりの嫁に言った、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたように、どうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。

①ナオミの提案

「それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。」(8節)

オルパとルツの実母は生存していたようです。ルツの父母は両方とも生存していました(2:11)。ボアズはそのことを知っていたのです。
ナオミが8節で「それぞれ自分の母」と言って、「母」だけを取り上げたのは、ナオミが義母であることを強調し、実母の所に帰らせようとする気持ちを表わすためです。

1:9どうぞ、主があなたがたに夫を与え、夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」。こう言って、ふたりの嫁に口づけしたので、彼らは声をあげて泣き、1:10ナオミに言った、「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります」。

「それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」(9節)

「平和な暮らし」は、文語訳では「おちつきどころ」となっています。この語のヘブル語はmenuchanで、休息の場所を示し、目的の達成や希望の実現、試練や変動の終わりを示すのに使われています。

二人の嫁はモアブ人ですから、モアブ人と再婚するように勧めています。「主がしてくださいますように」と付け加えて、安心させる心遣いをしています。

これに対するオルパとルツの反応

「彼らは声をあげて泣き、」(9節)

ナオミの口づけは、別れの口づけだったのです。

「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります」(10節)

「いいえ」はヘブル語のkiで、強調する意味を示しています。ここでは、否定の強調です。この時点では、二人とも信仰の態度を表わしました。

②ナオミの提案の理由(11~13節)

1:11しかしナオミは言った、「娘たちよ、帰って行きなさい。どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。 1:12娘たちよ、帰って行きなさい。わたしは年をとっているので、夫をもつことはできません。たとい、わたしが今夜、夫をもち、また子を産む望みがあるとしても、 1:13そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。

・ナオミには、二人の嫁たちの夫となるべき子どもを生む可能性がないこと
・望みがあったとしても、その子が成人するまで、二人の嫁たちは独りでいるべきでないこと
・主の御手がナオミに下ったことを、二人の嫁たちのために憂いていること

これに対するオルパとルツの反応

1:14彼らはまた声をあげて泣いた。そしてオルパはそのしゅうとめに口づけしたが、ルツはしゅうとめを離れなかった。

二人共にまた声をあげて泣いた(14節)。

オルパ – ナオミに口づけして去る(14節)。この口づけは別れの口づけです。これによってオルパは永遠に聖書から消え去ったのです。

ルツ – ナオミを離れずー聖書に永遠に記されています。ダビデの先祖となり、イエス・キリストの系図に加えられました。

11,12節は、当時の相続人を得る方法としてのレビラート婚の法律(逆縁の法律)について言っているのです。

「兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は家族以外のよその者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところにはいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。
そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。」(申命記25:5,6)

この規定は、もしその人の兄弟が子の無いまま死んだら、その人はその兄弟の女やもめと結婚し、死んだ兄弟の相続人を残すことを要求するものです。その例は、ユダとその長子エルの妻タマルとが関係を持つに至った経緯の中に見られます(創世記38:6~30)。

また新約聖書では、復活を信じないサドカイ人が主イエス様を試みて質問したことの中にも、この規定が用いられています(マタイ22:23~32、マルコ12:18~27)。

この法律がモアブで認められていたかどうかは分かりませんが、オルパとルツはこの法律をよく知っていたものと思われます。

15~18節、ルツの信仰の堅い決意

1:15そこでナオミは言った、「ごらんなさい。あなたの相嫁は自分の民と自分の神々のもとへ帰って行きました。あなたも相嫁のあとについて帰りなさい」。

(オルパの涙とルツの涙の分析)
①オルパの涙 – 人情による感情の涙

ナオミと別れることに対する淋しさや申し訳なさを含んでいたかもしれませんが、それは自分中心の選択をするために流した涙です。それは「自分の民とその神のところへ帰って行く」(15節)ための涙でした。

ナオミがルツに向かって、この言葉を言った時、少しも弟嫁(オルパ)を非難する気持ちを表わしていません。オルパが去って行ったことに対する気落ちした気持ちも表わしていません。しかし、ナオミは冷静に、オルパがモアブの生活に帰って行ったことは、モアブの偶像に帰って行ったことなのだと語っています。

ナオミの主を礼拝する生活は、ルツに対しては永続的な決断をさせるほどのあかしとなっていたのに、オルパに対しては、ナオミは「ただのやさしい義母」にしか映っていなかったのです。

ナオミはこのオルパの実質をよく知っていたのだと思われます。ですから、オルパが去って行っても、冷静に話すことができたのでしょう。

「そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。」(マタイ24:40,41)

「あなたがたに言いますが、その夜、同じ寝台で男がふたり寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。女がふたりいっしょに臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。」(ルカ17:34,35)

②ルツの涙 – 信仰の涙

ルツはナオミに「すがりついていた」(14節)は、ナオミに「くっついて離れなかった」という意味です。

ナオミはルツに、「あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」(15節)と勧めています。
これに対する16,17節のルツの、最高に敬虔で気高い言葉は、ナオミに対する愛だけでなく、主に対する愛から出ていることは明らかです。

1:16しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。 1:17あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください」。

「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。」(16節)
これはルツが母国モアブから離別することを意味しています。これはルツの真の信仰の決心、全き献身、ルツの心の高貴さを示しています。

主はアブラムにも同じことを命じておられます。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたは祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1~3)

「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。」(16節)

これはナオミへの忠誠を表わしています。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39)を、心の底から実行していたのです。

「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。」(16節)

これはルツの信仰告白です。

「あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。」(17節)

これは、死に至るまでの忠実な献身を表わしています(ヨハネの黙示録2:10)。

もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください。」(17節)

ルツは個人的に主を知っており、その主をルツは愛しており、命がけの全き献身と信頼を示しています。

ルツにとっては、
困難な旅、
貧困の生活、
宗教的に異なった民の中での生活、
新しい神への礼拝、
が待ち受けていました。

(ルツの信仰のテスト)

ルツはナオミから三回、モアブの生家に帰るように勧告されています(1:8,11,15)。

これに対して、ルツは明確に、変わらない堅固な信仰の応答をしています。ルツはモアブの偶像の神々を捨てて離れ、ナオミとともにイスラエルの神と神の民の中での信仰生活を選んだのです。それはルツがナオミという人物だけでなく、ナオミたちの信じていた主に、何か強く引きつけられる奥義を見つけていたからです。

ルツの信仰は、申命記23章3節の「アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会にはいることはできない。」という規定を乗り越えさせてしまったのです。旧約においてすら、信仰には律法をも乗り越える力を与えられていたのです。

18節、ナオミは三度も「帰りなさい。」と勧告しましたが、ルツはナオミと一緒にナオミの信じている神の国に行くことの堅い決意を変えませんでした。

1:18ナオミはルツが自分と一緒に行こうと、固く決心しているのを見たので、そのうえ言うことをやめた。

その堅い信仰の決意はナオミにも、また主にも受け入れられたのです。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)

ルツの信仰の特長を挙げてみますと、

1、人情や感情によるものではなく、意志による選択でした。

2、考えられる状況と環境は将来においても、好い見込みのない、不利なものでしたが、見えるところによらない、見えないものをまこととする信仰でした。

3、不信仰な民よりも、信仰の民との交わりを選ぶ信仰でした。

4、主と主の民のために献身し、奉仕することを選んだ信仰でした。

5、決して、後ろを振り返ったり、退いたりすることのない信仰でした。

これらのルツの信仰の特長は、神の国とその義とを第一に求めている、今日の私たちにも必要な信仰です。

(ルツの信仰と献身)

エリメレクの家族はモアブの地に移住しても、そこで自分たちの信仰を隠さなかったのです。彼らはイスラエルの救い主を恥とせず(ローマ1:16)、特にマフロンとキルヨンの妻となったルツとオルパには、神の真理を教えたに違いありません。特に、ナオミが嫁たちに教えたことは、あり得ることです。その働きは実を結びました。
神のためのあかしの働きに、むだ花はありません(コリント第一 15:58)。

オルパは、さほど深い印象を受けませんでしたが(15節)、ルツは最も豊かな実を結びました。
モアブに来て十年経ってから、ナオミがベツレヘムに帰ろうとした時、ルツは見ず知らずの国に行って、どのような貧苦艱難を受けようとも、姑のナオミに仕えようと決心したのです。

ナオミの生涯には、ルツの心を引きつける何かがあったのでしょう。

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(コリント第二 4:7)

その美しさが嫁のルツの心を奪ったものと思われます。ルツは、その身をナオミにささげましたが、やがてナオミの神にささげるようになりました。

ルツはナオミから「あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」(15節)と促されましたが、ルツはこの試練によく耐えました。すべての誠実な人は必ず試練を受けます。彼女は、それまでに、あわれみ深いイスラエルの神について、よく学んでいたと思われます。それ故、神の民とともにいることこそ、自分も神の民と同じ祝福と約束に預かることが出来ると考えたのです。彼女はエリメレクの家庭において、主を自分の神とする民の麗しさと魅力を知ったのです。これはイスラエルの神を離れては得ることのできないものでした。それ故、彼女の決心は堅かったのです。

「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:8)

1章16,17節のルツの言葉が、麗しく勇敢な言葉として私たちの心に深い印象を与えているのは、単に、その言葉の形容が美しいためではありません。それは信仰のことばで、きっぱりと、純粋な自己否定と愛の徹底した献身を表わしているからです。

ナオミに対するルツの献身的な愛は、真実で確かな信仰から湧き出たものであり、ナオミの神を自分の神としたことが、その証拠です。

このようにして、主は決してご自分に近づく者を捨てないのです。一つの慰めを失う時、主は別の慰めを与えられます。アブラハムの妻サラが死んで淋しかった時、イサクの嫁として美しいリベカがやって来たのです。パウロがすべての友から捨てられた時、主が彼のそばに立たれたのです(使徒23:11、27:23)。

19~22節、ベツレヘムへの帰還

1:19そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた。彼らがベツレヘムに着いたとき、町はこぞって彼らのために騒ぎたち、女たちは言った、「これはナオミですか」。

19節、「そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた。」、この旅路は約80Kmで二日間くらいの旅でしかありませんが、暴虐に満ちていた士師記の時代に、無防備な二人の女が旅をするには危険でした。

「町はこぞって彼らのために騒ぎたち、」これはエリメレクの家がベツレヘムでは有名だったこと、よく知られていたことを示しています。それは地位も富もあったボアズがエリメレクの財産を買い戻す権利のある近親者であったことによっても裏づけられています。

「これはナオミですか。」、十年後に見るナオミの姿があまりにも、やつれて変わり果てていたので、「ほんとうにナオミですか。」と尋ねたくなるほど驚いている言葉です。

20,21節、ナオミの返事

1:20ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 1:21わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。

「呼んでください。」は、ベツレヘムの女たちとのかけことば形式になっています。この形式は旧約でよく使われています。

ナオミは13節でも、自分の不幸な、厳しい状態を語りましたが、ここでも繰り返しています。

「ナオミと呼ばないで」、ナオミとは「私の喜び」とか「心よさ」とか「楽しみ」という意味です。

「マラと呼んでください。」マラとは「マラル」の派生語で、「苦しい」という意味です。

ナオミは、自分の受けた不幸の故に、主を非難したり、不満を漏らしたくなるような誘惑を受けたようです。彼女は三回も、神の刑罰について語っているからです。

1:13、「主の御手が私に下ったのですから。」
1:20、「全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。」
1:21、「主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」

ここでは、ナオミは自分たちが神の約束の地を去った、不信仰の行動についての悔い改めの言葉が見られませんが、それはおそらく執筆者が省略したものと思われます。彼女の悔い改めた心は、神の約束の地ベツレヘムに帰るという行動自体によって十分表わされていると考えたからでしょう。

21節の「主がわたしを悩まし、」は、ギリシャ語の七十人訳聖書からの引用です。

「全能者がわたしに災をくだされた」は、「神が私を粉々に砕かれました」という意味です。これはナオミが受けた不幸の厳しさだけを言っているのではなくて、神の前に自分の力では立てないことが思い知らされるほどに、彼女の霊魂が砕かれていたことをも意味しているでしょう。ナオミは二度と不信仰な考えになれないほどに、「自分の力で努力すれば何とかなる」という思いを持てないほどに打ち砕かれていたのです。それは確かに失望の状態ですが、そこに神のあわれみは注ぎ始められたのです。

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)

「わたしは出て行くときは豊かでありましたが、」先には、ナオミには夫とふたりの息子があり、大飢饉の前には、エリメレクは資産家の一人だったのでしょう。それ故、彼らがモアブに移住する時には、人目につくほどの財産を携えてベツレヘムを去って行ったのです。それはちょうど、ルカの福音書15章の放蕩息子が、お父さんの財産を持って家を出て行くのに似ています。彼もまた携えて行った財産のすべてを失って、父のもとに帰ってきた時、真の幸福を知ったのです。この原理は今も同じです。

「全能者」と訳されている語は、ヘブル語の「シャダイ」です。その意味は「全的に十全な者」、「いのちを与える者」です。

シャダイのもとにいる時、たとい大飢饉の時でも守られ、恵みを受けるのです。シャダイのもとを離れて、ロトや、このエリメレク一家のように異教の繁栄を求めて行くと、すべてを失うことになるのです。ナオミが、「主はわたしをから手で帰されました。」と言っているのは、そのことを悟らされたことを意味しています。それ故、ナオミがベツレヘムに帰って来た時の姿は、出て行った時の姿とは比べものにならないほど悲観的でした。十年前のナオミの姿を知っていたベツレヘムの女たちが驚くほどだったのです。

22節は、2章へと話をつなぐための句であり、神のあわれみがナオミとルツに与えられ始めることを暗示させる言葉です。

1:22こうしてナオミは、モアブの地から帰った嫁、モアブの女ルツと一緒に帰ってきて、大麦刈の初めにベツレヘムに着いた。

「大麦刈の初めに」これは豊かな祝福の始まりを暗示しています。ベツレヘムに残っていた人々には豊かな収穫があるのに、モアブの豊かさを求めたナオミは素手で帰って来たのです。執筆者はこのコントラストを上手に描き出しています。しかし、その素手に、信仰によって豊かな収穫が与えられるのです。恵みと祝福は信仰によってしか与えられないことを、ナオミはここでも学ぶのです。

「義に飢え渇いている人は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(コリント第二8:9)

また、「大麦刈の初めにベツレヘムに着いた。」ことは、主の摂理の御手が働いていることを示しています。

ルツ記に見られる主の摂理は、
①、1:6、「主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、」

ナオミがこのことをどのようにして聞いたのかは記されていませんが、そこには主の摂理が働いています。

私たちの家の近くに教会の働きが始まったり、トラクトを受け取ったり、福音の話を聞いたりすることは、すべて主の摂理によっているのです。どんな方法にしろ、主の福音を聞くことは、神の摂理によっています。

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

教会の集会で、神のみことばを聞くのを当たり前のこととせず、主の摂理の御手を覚えて、もっともっと渇いて聞きたいものです。

②、2:1、ボアズが夫エリメレクの親戚で、有力者で、買い戻しの権利を持っている人だったことも、神の摂理によります。

2:1さてナオミには、夫エリメレクの一族で、非常に裕福なひとりの親戚があって、その名をボアズといった。

主を信じて求め続けるなら、主は必要な助け主に会わせて下さいます。このボアズはイエス・キリストのひな型であり、私たちは求め続けることによって、道であり、真理であり、いのちであるイエス・キリストに出会うのです。

③、2:3、「彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。」

ルツは、よくよく一晩考えた末に、その畑を選んだのではありません。またボアズの畑だと知っていて、将来こうなるだろうと見通した上で、行動したのでもありません。ただ、ナオミと主に仕える思いで落穂拾いに出かけたのです。

また、いつも親切なボアズのような人の所で働くことが出来るとは限りません。入社した会社が自分中心な人ばかりということは、しばしばあることです。しかしその中で信仰によって一筋に歩んで行くと、生けるキリストに出会うことができるのです。神の摂理は今も働いているのです。

「きょう、私は泉のところに来て申しました。『私の主人アブラハムの神、主よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら、ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。おとめが水を汲みに出て来たなら、私は、あなたの水がめから少し水を飲ませてください、と言います。その人が私に、「どうぞお飲みください。私はあなたのらくだにも水を汲んであげましょう。」と言ったなら、その人こそ、主が私の主人の息子のために定められた妻でありますように。』
私が心の中で話し終わらないうちに、どうです、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来て、泉のところに降りて行き、水を汲みました。それで私が「どうか水を飲ませてください。」と言うと、急いで水がめを降ろし、「お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。」と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。……そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。」(創世記24:42~48)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」(創世記50:20)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

ルツは、「わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。」(エレミヤ書30:21)という問いかけに、真実に応えた人でした。

あとがき

日本全国の福音宣教を、一人の人や、牧師だけがしようとしたり、教会や教団の活動としてしようとしても、非常に難しいのです。
しかし日本中のクリスチャンが各々、ひとり一人、自分の家族に、友人に、周りの人々にイエス様の恵みを分かち与えるようにすれば、難しいことではありません。しかし、クリスチャンたちが「どこかのだれかがしてくれるだろう。」と他人まかせに考えているなら、今後、百年経っても日本に福音は根を下ろさないでしょう。福音宣教するためには、どんな信仰でもいいわけではありません。「純粋なみことばの乳」で養われて成長していくことが不可欠です(ペテロ第一 2:2)。みことばが自分の内に生きて力となるまで慕い求めてください。


最近、私たちの教会に来られるようになった方が、日曜日の朝、入口を入られて、真っ先に言われた言葉が、「そんな笑顔で迎えられると、元気が出るー。」でした。振返って見ると、その人に対する慈愛に満ちた笑顔がこちらに向いていました。私はその時、この笑顔はイエス様からいただいた笑顔だと、すぐに気づきました。それはただ明るく笑っている笑顔ではなく、「あなたの苦しみ、心の痛みをイエス様のもとで分かち合いましょう。」と物語っている笑顔でした。これはイエス様が下さった慈愛に満ちた笑顔だと、私は直感したのです。この言葉を言った方は、深刻な試練の中にありますが、主の下さる慈愛に満ちた笑顔は、どんな深い傷を負った人の心をもいやすことを教えられたのです。


(まなべあきら 2005.8.1)
(聖書箇所は【口語訳聖書】より)


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