聖書の探求(263) サムエル記第一 序(3)ハンナについて、サムエル出現の歴史的意義

古代風のユダヤ教の祈祷書「Hannah(ハンナ)」の金メッキしたブック・カバー(1902年以前、Wikimedia Commonsより)

ハンナについて

「ハンナ」はヘブル語で「恵み」という意味です。

一、妻としてのハンナ(1:1~8)

1、夫エルカナの愛を集めていました(1:5,8)。

Ⅰサム 1:5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。
1:8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

2、ハンナは夫の愛よりも、神の祝福を求めて泣いています(1:7)。

1:7 毎年、このようにして、彼女が【主】の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

3、妻としての苦しみ(1:6)

1:6 彼女を憎むペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

旧約においても、神は女性を尊重しておられます。ハンナだけでなく、ペニンナも女性として両方とも尊重されています。エルカナがハンナを愛したことによって、主はハンナの胎を閉じられ(1:5)、ペニンナには子どもが与えられていました(1:2)。しかしペニンナは自分に子どもが与えられ、ハンナの胎が閉じられていることで、ハンナをひどく苦しめていることは、ペニンナが、主が自分を尊重してくださっていることに十分応えず、却って、悪意のある高慢を抱いていたことを示しています。その結果、ペニンナとその子どもは、直ちに聖書の中から消えてしまったのです。

二、祈り手としてのハンナ(1:9~20)

ハンナの祈りの特長は、

1、「ハンナの心は痛んでいた。」(1:10前半)

苦しみの祈り、心を込めた祈り、真剣さのこもった祈り
ハンナに子どもが与えられないことは、敵対者に神の御名をあなどられる材料となると考えられていたのです。

2、「彼女は主に祈って、激しく泣いた。」(1:10後半)

涙の祈り、神のみわざを切に求める祈り

3、「そして誓願を立てて言った。『万軍の主よ。もし、…あなたが、はしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。』」(1:11)

献身の祈り、誓願と共になされた信仰の祈り(ハンナの信仰の行為です。)、28節で、ハンナは神との約束を果たしています。

4、「ハンナが主の前で長く祈っている間」(1:12)

長い祈り、継続的に時間をかけた祈り、答えられるまでの祈り、注ぎ出した祈り、確信を受けるまで続けた祈り

5、「……私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」(1:15)

心を神の前に明かして注ぎ出した祈り、神に全部を打ち明けた祈り、他人の目(反応)を気遣わない祈り

6、「……彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」(1:18)

確信に至った信仰の祈り、涙と嘆きがことごとく除かれた祈り

7、「……主は彼女を心に留められた。日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして『私がこの子を主に願ったから。』と言って、その名をサムエルと呼んだ。」(1:19,20)

神を動かした祈り、困難な事態を変えた祈り

その後も、ハンナはサムエルのために祈り続けています。ここに挙げましたハンナの祈りの特長の中に、主に答えられる祈りの要素が全部含まれています。

三、母としてのハンナ(1:21~28、2:18~21)

1、「この子が乳離れし」(1:22,23)

養育者としてのハンナ。幼児期における霊的人格の養育には、母親の信仰は大切な影響を与えます。2章11節の「幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。」という記録は幼子サムエルが、どのように母ハンナによってしつけられていたかを物語っています。それは祭司エリのもとで育ったエリの息子たちが、よこしまな者で、主を知らなかったことと比べると、ハンナの養育がどんなに、主を畏れる心をサムエルに与えていたかが分かります。

2、「…私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまでは。」(1:22後半)

「その子が乳離れしたとき、彼女は雄牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携え、その子を連れ上り、シロの主の宮に連れて行った。その子は幼かった。」(1:24)
「それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」(1:28)

信仰者としての母ハンナの愛と献身。この母ハンナの神に対する忠実な献身の態度は、サムエルの性質の中に受け継がれています。

3、「こうしてこの女は、とどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。」(1:23)

ここには、ハンナが祈っていることは記されていませんが、ハンナが幼児のサムエルのために心を配り、日ごとに祈っている母の姿が映し出されていると思っても間違いはないでしょう。

4、「日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして『私が主にこの子を願ったから。』と言って、その名をサムエルと呼んだ。」(1:20)

ここには、神から祝福された母としてのハンナの姿があります。ハンナの如き全き献身と信仰以上に神に喜ばれるものはありません。これはハンナの聖潔の恵みによる祝福と考えてもよいでしょう。

その祝福は、

イ、更にハンナに三人の息子と二人の娘が与えられただけでなく(2:21)、
ロ、サムエルによって、全イスラエルが主の恵みを受け、
ハ、信仰によって、今日の私たちにももたらされているのです。

ハンナの記事から、私たちは、一人の母の信仰がどんなに重要かを深く教えられます。神のみわざは、決して偶然によってなされるのではなくて、一人の人の信仰に応えてなされるのです。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)

四、預言者としてのハンナ(2:1~10)

ハンナの賛美は、マリヤの賛歌(ルカ1:46~55「マグニフィカート」と呼ばれています。)のもととなっています。

1、ハンナの賛美は、救いの喜びを歌っています(2:1)。

Ⅰサム 2:1 ハンナは祈って言った。「私の心は【主】を誇り、私の角は【主】によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。

2、神ご自身をほめたたえています。

Ⅰサム 2:2 【主】のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。
2:3 高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに【主】は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。

「聖なる神」(2:2)
「唯一の神」(2:2)
「岩なる神」(2:2)
「全知の神」(2:3)
「力と権威とあわれみの神」(2:4~10)

3、メシヤ(キリスト)の預言を含んでいます。

Ⅰサム 2:10 【主】は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。【主】は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」

ハンナが初めて、旧約聖書中でヘブル語の「メシヤ」という言葉を用いています(2:10「主に油そそがれた者」)。

サムエル出現の歴史的意義

サムエルは、その母ハンナの切なる祈りに答えられて生まれました(サムエル記第一 1:10,11)。

Ⅰサム 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は【主】に祈って、激しく泣いた。
1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

神から与えられたその子は「サムエル」と名づけられました(1:20)。

Ⅰサム 1:20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を【主】に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

アメリカのジャストロー教授(1899年)は、「サムエル」という字の意味について、次のように解き明かしています。

ヘブル語に最も近い関係にあるアッシリヤ語の「スム」は「子」という意味で、「エル」はヘブル語で「神」という意味です。それ故「サムエル」とは「神の子」という意味だと説明しています。もっともなことで、サムエルの母ハンナは、心を尽くして、サムエルを全く主に捧げています。サムエルは生まれたその時から「神の子」だったのです。

アッシリヤ語とヘブル語とが、まだ分離しない頃に、両方に共通した「スム」と「エル」の語が用いられているのは、サムエル記が古い時代のものであることを証明しています。
しかしアッシリヤ語は、その後、イスラエエルの言語の中から全く消えてしまったので、後代のユダヤの聖書学者は、これを解明できなかったのです。

ハンナの時代には、まだアッシリヤ語も古代へブル語も、普通に使用されていたものと思われます。なぜなら、ハンナは自分の子が全く神のものであることを、すべての人に知らせたくて、だれもが知っている、この分かりやすい言葉を選んだのに違いないからです。

ハンナの歌とマリヤの歌は、よく似ていますが、これはどちらも、世界の人々の救いのために、神が立てられたキリストの幻を明らかにして、ほめうたいあげています。

ハンナは、
「主は、はむかう者を打ち砕き、
その者に、天から雷鳴を響かせられます。
主は地の果て果てまでさばき、
ご自分の王に力を授け、
主に油そそがれた者(ヘブル語の「メシヤ」)の角を高く上げられます。」
(サムエル記第一 2:10)

マリヤは、ハンナに和して、
「主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
(ルカ1:51~55)

ハンナの歌とハンナがその子につけた「サムエル」という名前は、キリストの預言です。

ハンナは初めて「メシヤ(ヘブル語でメシヤ、ギリシャ語ではクリストスで、意味は同じ「油そそがれた者」です。)」という言葉を用いる光栄を受けたのです。

あとがき

聖書を探求してきて分かることは、アブラハムにしても、モーセにしても、ルツやハンナやサムエルにしても、ただ神のみことばを覚え、その意味を理解し、慰められたり、励まされたりしていただけではないことです。
彼らの信仰は教えや議論ではなく、生涯をかけての実際の行動に現わしています。アブラハムはカルデヤのウルから神の示す地に旅をし、モーセはミデヤンの生活からエジプトに行き、イスラエル人を引き連れて四〇年間、神の約束の地に向かって旅をしています。ルツはモアブを離れてナオミとともにベツレヘムに来ています。ハンナは祈りの通りにサムエルをささげています。サムエルはイスラエルの国民を主のもとに導く働きをしたのです。こうして神のみことばは力を現わしたのです。

(まなべあきら 2006.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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