聖書の探求(262) サムエル記第一 序(2)サムエル記第一について

フランスの画家 François-Léon Benouville (1821–1859)による「The Anointing of David by Samuel(サムエルによるダビデの油注ぎ)」(アメリカのColumbus Museum of Art蔵、Wikimedia Commonsより)

サムエル記第一について

一、イスラエルの歴史の記録ですが、人物の伝記の形で書かれています。

たとえば、
1~3章、サムエル誕生の経緯から預言者になるまでの伝記
16~17章、ダビデの油注ぎとゴリヤテを倒すまでの伝記

二、本書の中心人物は、サムエルです。

それ故、本書の記事の大部分はサムエルが書き、その後、ナタンとガドが補足して完成したものと思われます。

三、本書の内容

祭司エリの時代から、ダビデの逃亡時代のことを記しています。この記録は、宗教的用語、神学用語、信仰経験を表わす用語を確立するのに大きな貢献をしています。

1、「万軍の主(ヤーウェ)」(1:3)

Ⅰサム 1:3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の【主】を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、【主】の祭司ホフニとピネハスがいた。

主を示すこの呼称は、天と地との万軍(すべての戦いに勝たれる常勝の)主を表わす御名です。この呼称は、聖書中281回出てきますが、ここがその最初なのです。

2、「油そそがれた方」(24:6)

Ⅰサム 24:6 彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、【主】に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。彼は【主】に油そそがれた方だから。」

ここでは直接的には「サウル」のことを、ダビデがこう呼んだのですが、この言葉の真の意味は「メシヤ」を示しており、旧約聖書のギリシャ語訳の七十人訳聖書は「キリスト」と訳しています。

3、旧約聖書には、五つの貴重なことが記されています。

イ、本書は、その最初のもの「主(ヤーウェ)のことば」(3:1)が記されています。

Ⅰサム 3:1 少年サムエルはエリの前で【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。

ロ、「たましいの贖い」(詩篇49:8)

詩49:8 ──たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない──

ハ、神の聖徒の死

「彼らの血は彼の目に尊ばれましょう。」(詩篇72:14)
「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」(詩篇116:15)

ニ、「知識のくちびる」(箴言20:15)

箴 20:15 金があり、多くの真珠があっても、知識のくちびるが宝の器。

ホ、神のみこころ

「神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。」(詩篇139:17)

4、「イ・カボデ」(栄光がイスラエルから去った。4:3,21,22)

Ⅰサム4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」

Ⅰサム 4:21 彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは神の箱が奪われたこと、それに、しゅうとと、夫のことをさしたのである。 4:22 彼女は、「栄光はイスラエルを去りました。神の箱が奪われたから」と言った。

「エベン・エゼル」(7:12)

Ⅰサム 7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった」と言った。

「エベン」は「石」という意味で、「エゼル」は「アザル(「助ける」を意味する)」の派生語です。すなわち、「助けの石」という意味になります。「ここまで主が私たちを助けてくださった。」

「王さま。ばんざい。」(10:24)

Ⅰサム 10:24 サムエルは民のすべてに言った。「見よ。【主】がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない。」民はみな、喜び叫んで、「王さま。ばんざい」と言った。

口語訳も同じように訳しています。文語訳は「王いのちながかれ。」と訳しています。その意味は、「神が王を救われる(あるいは、助けられる。)」です。

5、預言者は、ずっと昔は「先見者」とか、「予見者」という名で知られていました。

「昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は、『さあ、予見者のところに行こう。』と言った。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。」(9:9)

6、サムエル記は、サムエルが文書による貴重な預言者であることを示しています。

「……サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。主は再びシロで現われた。主のことばによって、主がご自身をシロでサムエルに現わされたからである。」(サムエル記第一 3:20,21)

「また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、」(使徒3:24)

「その後、預言者サムエルの時代までは、」(使徒13:20)

サムエルの創立した預言者学校について

「……神のギブアに着きます。あなたがその町にはいるとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが」(サムエル記第一 10:5)

「そこでサウルはダビデを捕えようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。」(サムエル記第一19:20)

7、聖霊に関するサムエル記の教え

イ、新しい人(新生)と新しい心の創造者またそこに導く中保者(なかだち)としての聖霊

「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言し、あなたは新しい人に変えられます。」(サムエル記第一10:6)

「神はサウルの心を変えて新しくされた。」(サムエル記第一 10:9)

ロ、潔い、正しい怒りを起こさせる方

「サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。」(サムエル記第一 11:6)

ハ、勇気を与え、臆せず、神のことばを語らせる方

「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。」(サムエル記第一 16:13)

「……私はベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。琴がじょうずで勇士であり、戦士です。ことばには分別があり、体格も良い人です。主がこの人とともにおられます。」(サムエル記第一 16:18)

ニ、悪い霊から私たちを保護してくださる方

「主の霊はサウルを離れ、主からの悪い霊が彼をおびえさせた。」(サムエル記第一 16:14)
サウルは主の霊が彼の内にいてくださる間は、悪い霊から守られていたのです。しかし主の霊が彼を離れると、悪い霊が彼をおびえさせたのです。

イスカリオテのユダも、心がイエス様から離れた時、悪霊が彼の心に入ったのです。
「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが」(ヨハネ13:2)

ペテロも、サタンにねらわれていたことが記されています。
「シモン。シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」(ルカ22:31)

8、サムエル記の中心思想は王国です。

本書は、神の選びの民イスラエルが、彼らと神との関係を、神を自分たちの王とすることから、人間の支配者を自分たちの王とする、根本的な転換をした、その変遷を記しています。

それまでは神が神の民の王でした。しかし、彼らの不信仰から、異教の民と同じように、人間の王を持つことを要求した時、神はそれに答えられ(8:5~9)、彼らに人間の王を与えられたのです。これは、神のベストではなくて、神が民の不信仰を見て許可されたことであって、決して、神が喜んで許可された最善のことではありません。

これと同じことが、民数記22~23章にも記されています。神はバラムに「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」(民数記22:12)と命じておられます。しかしバラムは、モアブの王バラクの贈物に心が引かれ、何度も、主に伺いを立てた時、主はバラムに「この人たちといっしょに行け。だが、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」(民数記22:35)と許可しておられます。しかし、許可されたからと言っても、これは神が喜んで許可されたことではなかったのです。バラクの招きに従ったバラムは、イスラエルの民にバアル・ペオルの偶像礼拝を行なわせるようにし(民数記25章)、ペオルの子バラムは剣で殺されています(民数記31:8)。

王を求めたイスラエルの民は、ソロモン王によって近隣諸国から偶像礼拝が侵入し、レハブアムの時に国が分裂し、ますます偶像礼拝に進み、ついにアッシリヤとバビロンの捕囚にまで至ってしまったのです。その発端は、ここで、神の民が神を自分の王とすることを嫌い、異教の民と同じように人間の王を持ちたいと要求したことにあったのです。

神の民イスラエルは、人間の王に対して直接の責任を取らなければならなくなりました。民は王のために仕事をさせられ、息子たちが兵士にとられ、王の支配を受けることになったのです。
民は目に見えない神の主権よりも、目に見える人間の王の権威を見て安心しようとしたのです。そして、民は、神に対して王を通して支配を受ける間接的な関係になってしまいました。

この神と民との関係の変化によって、神のみこころを伝えるために、預言者という新しい職務が必要になりました。預言者という職務は、モーセやその他の人々が行なっていたように(民数記12:6~8、申命記34:10)、以前からありました。しかし、今回の預言者職の必要性は、神の民が直接、神が指導されることを拒み、失落したことによって生じたものなので、それまでとは同じではありません。しかし神は、この預言者の職務を起こされることによって、無限の善のみわざを行なわれたのです。私たちは預言によって、神の恩寵と経綸の黙示を得ることができたのですから。

サムエル記第一は、国民の失敗、古い偶像の因習の打破、王の任命、預言者の職務の公認を記しています。

(神の民を悲惨に導いた五つの反則)

それは、神の律法からそれることでした。

イ、エルカナの重婚(多婚)(1:2,6)…… 一夫多妻より生じる悩み

Ⅰサム 1:2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなか
Ⅰサム 1:6 彼女を憎むペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

ロ、エリの親としての指導をしなかった怠慢(2:12~25)サムエルもまた息子たちを指導できなかった(8:1~5)。……子女の霊的教育の欠如
ハ、神聖なる物体(主の契約の箱)に対する盲目的信頼(4:3)……単なる儀式的、礼典主義の危険

Ⅰサム 4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」

ニ、サムエルの到着を待ち切れなった、サウルの不忍耐と、祭司以外の者がしてはいけなかった全焼のいけにえをサウルがささげた高慢(13:8,9)…短気、不忍耐、自分の分を越えた高慢

Ⅰサム 13:8 サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。
13:9 そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。

ホ、主のご命令のすべてに従わず、自分の考えで部分的に服従して、それでよしとしたこと(アマレク人の王アガクと肥えた羊や牛を生かしておいたこと)(15章)…部分的服従は不服従であること

また、神の契約の箱が移動されている書でもあります。

イスラエルの民がヨルダン川を渡って、神の約束の地に入って後、最初に聖所が設置された場所は、ギルガルでした(ヨシュア記5:10)。

ヨシ 5:10 イスラエル人が、ギルガルに宿営しているとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で彼らは過越のいけにえをささげた。

ほどなくして、会見の天幕はシロに移され、そこで礼拝をささげていました(ヨシュア記18:1)。

ヨシ18:1 さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。

そして、神の契約の箱がペリシテ人に略奪される時まで、シロに留まっていました(サムエル記第一、4章)。

その後、主の箱はキルヤテ・エアリムのアビナダブの家に移されました(同7:1,2)。

Ⅰサム 7:1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、【主】の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、【主】の箱を守らせた。
7:2 その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は【主】を慕い求めていた。

最後に、ダビデがエルサレムに主の箱を持って来て、そこに留まったのです(サムエル記第二 6章)。

神の契約の箱のある所は、神の家でした(士師記18:31、サムエル記第一 3:3)。

士 18:31 こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てた。

Ⅰサム 3:3 神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている【主】の宮で寝ていた。

主に礼拝をささげる所は、他にもありましたが、神の箱がある神の幕屋は特別な所だったのです。
他の礼拝をささげる所は、神の幕屋に付属するものであり、後に、離散したユダヤ人たちは神殿から遠く離れていたために、各地で礼拝をささげるために会堂(シナゴグ)を建てたのです。

祈りの書

本書の鍵の言葉は、「祈り」あるいは「祈った」です。

ハンナの祈り(1:10~28、2:1~10)

サムエルのイスラエルのための祈り(7:5,9)

民が王を求めた時のサムエルの祈り(8:6)

民のためのサムエルの執り成しの祈り(12:19~23)

「サムエル」という名前の意味は「主(ヤーウェ)に聞かれる」(1:20)です。

このように、本書は祈りに満ちています。本書の使命は、人生のすべての経験において、祈りがどのような位置を占め、どのような力を持っているかを示すことにありました。

1、1:10~28、サムエル自身、ハンナの祈りの答えとして誕生しました(神より与えられました)。

2、7:5~10、サムエルの祈りによって、イスラエルに勝利が与えられました。

3、8:5,6、イスラエル人が地上(人間)の王を要求したため(これは明らかに主が王であることを拒絶したことになります)、サムエルは悲しんで、祈りによって神を求めました。

8章21節でも、民が王を求めた時、サムエルはそれを主の耳に入れています(祈っています。)。この民が神を拒絶することは、この時より以前から始まっていました(士師記21:25)。民は神のみこころよりも、めいめい自分の目に好ましいこと、自分で正しいと思うことを行なっていたのです。

4、9:15、「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。」
祈る人は、神の御声(みことば)を聞き、神のみこころを学ぶ必要があります。

5、12:19,23、民のために祈らないことを、サムエルは罪と思ったのです。

Ⅰサム 12:19 民はみな、サムエルに言った。「あなたのしもべどものために、あなたの神、【主】に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えたからです。」

Ⅰサム 12:23 私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて【主】に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。

6、28:6、サウルが最後に主から捨てられたことは、主がサウルの祈りに耳を傾けられなかったことで分かります。

Ⅰサム 28:6 それで、サウルは【主】に伺ったが、【主】が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、

ダビデが語った有名な言葉(要注意です)

これらの言葉は、ダビデが民の指導者となるのに相応しい資質を示していると思われます。

「私といっしょにいなさい。恐れることはない。私のいのちをねらう者は、あなたのいのちをねらう。しかし私といっしょにいれば、あなたは安全だ。」(22:23)

「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」(30:6)

「だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」(30:24)

あとがき

聖書は、「あれをしてはいけない。これをしてはいけない。こうしなさい、」という人間の努力目標を掲げているのではありません。人には神に逆らい、自己義を主張する性質があることを明らかにしているのです。その自分中心の性質は、人の努力では取り除くことも、改善することもできないので、神様のみわざが必要であることを、私たちに分からせてくださろうとしているのです。これを読み違えると、聖書は苦しく、恐ろしいことを私たちに要求している書と思ってしまいます。
聖書は私たちの内なる性質を明らかに悟らせてくださって、信仰によって恵みを受け取るように勧めているのです。どの聖書のことばも、そのように受けとめていただくと、主の恵み深さを経験することができます。

(まなべあきら 2006.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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