聖書の探求(265) サムエル記第一 序(5)サウル王の生涯の三区分、サウルという人物、サムエル記の分解

イギリスの画家 Edward Henry Corbould (1815–1905)による「Saul and the witch of Endor(サウルとエンドルの口寄せの女)」(Wikimedia Commonsより)

サウル王の生涯の三区分とその特色

一、サムエル記第一 9~12章、有望な初期

1、身体的優秀さ(9:2)身長、健康、美しい容貌

2、性格、謙遜(9:21、10:22)、慎重さ(10:27)、寛容(11:13)、父への思いやり(9:5)、勇気と機敏さ(11:6,11)、強い愛の心(16:21)、霊媒や口寄せに対する徹底した拒否(28:3)

3、神よりの備え(霊的条件)
新しい人(心)(10:6,9)
神の霊が下る(10:10)
神に心を動かされた勇者がついて行った(10:26)

二、同13~15章、下降線の後期

1、13章、思いあがりの不敬虔(14節、使徒13:21,22)、忍耐の欠乏、職分の把握の欠乏、神に対する不服従

2、14章、短気な性急さによる失敗(同13:81~14)、神の時を正しく待つことができなかったこと。

3、偽りと不服従(部分的服従)(同15:9~11,15~23)

三、同28~31章、最後的拒否

1、神の霊が離れ、悪い霊が彼をおびえさせた(16:14)。

2、ねたみ(18:8,9)

3、その心はひどくわなないた(恐怖)(28:5)神を求めず、霊媒を求め、最後は自ら命を絶ったのです。

これらはみな、自分中心の自我の性質から出たものです。

サウルという人物

サウルはベニヤミンの部族で、アビエルの孫、キシュの子でした。その将軍アブネル(26:5)は、サウルの叔父ネル(10:14)の子でした。その一族は、富と勢力があったのです(9:1)。

1、サウルは霊的力が微弱であったために、肉の力によって活動する人の型です。

彼は巨人のような体格の持ち主で、その力は強かったのです。
「彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」(9:2、10:23)
彼の筋骨たくましい肩が、人々の上に抜きん出ているのが見られ、その力量と耐久力を発揮したのですが、その優柔不断と不決断は、彼の生涯中、変わらず一貫していました。

彼は指導者として軍事的な技能を備え、為政者としての幾分かの資格も備えていましたが、彼は真実な霊的能力が欠乏していたのです。彼は「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。」(10:6)と約束され、10章9節では、「神はサウルの心を変えて新しくされた。」とありますが、彼はその後、主に忠実に従うことをしなかったために、主から与えられた主の霊を失ってしまったのです(15:22,23)。

2、サウルの統治下のイスラエルの状況

それはイスラエルにとって最悪の状況でした。イスラエルの民が周囲の敵国から救いようのない状態にあったことは、次の聖句が示しています。
「イスラエルの地のどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけないから、とペリシテ人が言っていたからである。」(サムエル記第一13:19)

イスラエル全国に鍛冶屋は一人もなく、サウルとヨナタンが持っている武器以外、だれの手にも剣も槍もなかったのです。それほどに、イスラエル人はペリシテ人に完全に支配されていたのです。それ故、イスラエル国民は、自分たちを守ることができず、生活上、必要な鋤や、くわや、斧や、かまを研ぐためにさえ、ペリシテ人の所へ下って行って頼まなければならなかったのです。これはイスラエル人にとって大いなる屈辱であり、これほど意気消沈したことはありませんでした。

3、サウルの嫉妬深い性質

サウルの嫉妬深い性質は、
自分よりも善良な実子ヨナタンに対して取った態度によって(サムエル記第一 14:38~44、20:30)
最も真実な友ダビデに対して取った態度によって(23章)
大祭司アヒメレクと祭司たちを殺害したことによって(22章)
見られます。

サウルの生涯は長い悲劇の生涯でした。奇妙な、感情が逆上する状態が彼にとりついたのです。聖書はこれを悪霊と呼んでいます(サムエル記第一 16:14~16、18:10、19:9等)。

彼は猜疑心にとりつかれ、暗黒の思いに悩まされ、暴君と化していったのです。彼の情熱は狂暴と化し、彼の良心を激しくけいれんさせ、嫉妬心は彼を殺人的衝動へと駆り立てていったのです。

事実、彼はその時、気が狂っているように見えました。サウルが憂うつ症に陥り、部屋に座って槍を手にし、しかも悪霊におおわれている時には、彼の従者たちは、彼の前で震えあがっていたのです。

サウルの勇気は彼を離れ去り、かつてその強健な体のために敬服されていたサウルが、絶望と戦わなければならない臆病者となり下がってしまっていたのです。

こうして、サウルと民について語られた預言者サムエルのことばは、完全に成就したのです(サムエル記第一 8:18、12:25)。ついに「血肉」の力は、行き着くべき所に到達したのです。

4、廃絶されたサウル

二つの不従順な行為が、彼の転落への入口となったのです。

第一は、王ではあっても、祭司ではなかったサウルが軽率に、また高慢にも、全焼のいけにえをささげてしまったことです(サムエル記第一 13:8~14)。

彼は、サムエルが来るまで待つように命じられていました。信仰も、精神的にも弱くて衝動的な人の最も耐え難いことは、不確定な時、または当惑した時に、忍耐強く待つことです。私たちは、待つことによって信仰と忍耐と忠実さがテストされるのです。

サウルはペリシテ軍の戦車と大軍に対峙し、イスラエルの民は恐れをなして、ほら穴などに隠れてしまい、サウルに従っていた者たちも震えながら従っていました。サウルが来ると定められていた日の七日間待ちましたが、サムエルはまだ来ていなかったのです。それでイスラエルの民はサウルから離れて散って行こうとしていたのです。サウルの心は、不安と恐れで試みられていたのです。そしてついに、王がなすべきではない(祭司がなすべき)全焼のいけにえをささげてしまったのです。ちょうどサウルが全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来たのです。サウルは九十九パーセント待ちました。しかし最後の一パーセントを待つことができなかったのです。

「『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。』私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(ヘブル人への手紙10:37~39)

ヤロブアムも、祭司がなすべき祭壇で香をたくことを自分でしてしまったために、ヤロブアムの伸ばした手はしなびて、戻すことができなくなってしまっています(列王記第一13:1~5)。

サウルは自分の弱さから、自分の分を越えてしまい、ヤロブアムは霊的高慢から、自分の分を越えて、神の刑罰を受けたのです。

サウルはサムエルに、ペリシテ人が迫っていたこと、民がサウルから離れ去って行こうとしていたこと、サムエルがなかなか到着しなかったことの理由を挙げて、「私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」(サムエル記第一 13:11~12)と、弁解していますが、サムエルはサウルに、「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが主の命じられたことを守らなかったからだ。」(同13:13~14)と宣告されたのです。これは、サウルとその家に来るべき運命についてサウルに与えられた最初の明白な警告でした。

第二は、アマレク人の王アガクに対して、その罪のために、主が「殺せ」と命じられたのに、サウルはそれを執行せずに、生け捕りにし、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで殺さなかったのです(サムエル記第一 15章)。これは主のご命令を故意に破棄したことです。

「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」(出エジプト記17:16)

「あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。」(申命記25:19)

この時、サムエルはサウルに決定的な宣告を与えました。
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(サムエル記第一 15:22,23)

「サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルはサムエルの上着のすそをつかんだので、それが裂けた。サムエルは彼に言った。『主は、きょう、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。』」(同15:27~29)

アマレク人の王アガグの首をはねるという主のご命令を拒んだサウルは、アマレク人の流浪人の手によって、とどめを刺され、彼の王冠と宝飾物を奪われたのです(サムエル記第二 1:8~10)。

「あなたの罪である、あなたの敵を殺せ。そうすれば幸いはあなたと共にあるだろう。あなたの罪である、あなたの敵を赦せ。そうすればあなたは奪い取られ、殺されるであろう。」これを罪と律法との報復の法と呼ぶのです。

5、サウルの死(サムエル記第一 28章、31章)

サウルは悲惨な窮迫に陥り、彼の王国は危急存亡の危機に瀕していたのです。サウル自身は不信仰、不忠実、不服従の故に神に捨てられ、もう逃れることのできない最期の運命を感じとっていたのです。この恐るべき終極にいたって、サウルは真剣に、真実に主のもとに立ち帰ることをせず、後悔と絶望にうめきながら、エン・ドルの口寄せの女の所に占いを求めて行ったのです。

霊媒や口寄せの所に行くことは、主が最も嫌われることであり、サウルも先には国内から霊媒や口寄せを追放していたのですが、主がサウルに、祈りによっても、夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えて下さらなくなった時、彼自ら、エン・ドルの霊媒の女に占いを求めて行ったのです。

この危険は今日でもあります。聖書を読んでも、主と交わることができず、説教を聞いても、賛美をしても、祈っても、主から恵みの交わりが得られなくなると、この世の代用品で心を満たすことを求め始めるのです。ですから、私たちはいつも主とともにいて、主と交わる生活を続けていなければなりません。

人類史上、サウル王の最期以上に深い失望と深い悲劇を記している記録はありません。神に王として召され、用いられたサウルが神を捨てた時、神もサウルを捨てられました。 神がサウルを受け入れてくれなかったので、彼はすでにこの世を去っていた、若き日の指導者であり、友であり、相談相手であったサムエルを呼び出して、言葉を交わし、サムエルの口から自分の運命を聞くことができたらと考えたのです。サムエルはエン・ドルの口寄せによって呼び出されたのではなく、サムエル自身のほうから現われたのです。

(サムエルが口寄せの女の呪文に応じて現われたという主張に対して)

1、サウルは、神がすでに彼に全くお答えにならないことを証言していました(サムエル記第一 28:15)。神はご自身がお立てになった人との交わりの経路によってサウルとの交わりを拒絶なさりながら、エン・ドルの霊媒をする女の魔術に答えてサムエルをお遣わしなさるようなことは考えられません。神はそれほどまでに、暗黒の術をお認めになられるのでしょうか。あり得ないことです。

2、28章12節から14節を見ると、霊媒の女の魔術がサムエルの死の床にまで届き、サムエルの安眠を覚ましたとは記されてはいません。むしろ、霊媒の女はサムエルが上って来られるのを見て、恐れと驚きの叫びを上げています。

3、神はサウルの運命を告げるために、サムエルをお用いになったのです。それはちょ うど、主イエス様の十字架の死を知らせるために変貌の山でモーセとエリヤをお用いになったのと同じです(マタイ17:1~13、マルコ9:2~13、ルカ9:28~36)。

霊媒の女は、すでに知られていたことのほかに何も告げていません。当時、サウル王と全イスラエルの現状を見て、目前に迫った戦争の結果を告げることは難しいことではなかったのです。しかし、神はサウルの運命を告げなさったのです(同16:1)。

4、見たところの、この霊媒の女の記録は、透視眼者や腹話術者の能力の記録に過ぎな いとされています。七十人訳聖書には、霊媒の女を「腹話術者」と訳しているのは、注目すべきことです。

「サウルの死について」

サウルは霊媒の女を訪れた直後に、死んでいます。

「わたしは怒ってあなたに王を与えたが、憤ってこれを奪い取る。」(ホセア書13:11)

サウルの死の二つの記録には、外見上の相違が見られます。

1、サムエル記第一 31章4,5節では、「サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」とあり、サウルは自分の手によって死んだと記されています。

2、しかし、サムエル記第二 1章10節においては、アマレク人の一人の男が、「そこで私は近寄って、あの方を殺しました。」とダビデに告げています。

しかし、このアマレク人の話は、自分の手柄にしてダビデから何かを得ようとする不自然に作られた話に見えます。不自然に作られた、証拠のない話には、真実な言葉は常に稀であって、偽りが多いのです。「アマレク人」とは「なめる民」という意味です。アマレク人の男は、野良犬のように、ただダビデをなめて、その血を吸い取ろうとしたのでしょう。しかし彼はその欲を果たすことはできなかったのです。

サウルの系図(サムエル記第一 9:1)

ベニヤミン…アフィアハ-ベコラテ-ツェロル-アビエル。アビエルには二人の息子ネルとキシュがいました(同14:51)。

ネル(サウルの叔父、同10:14)-アブネル(サウル軍の将軍、同14:50,51)。

キシュ(同9:1)-サウル(同9:2)

サウルはアヒマアツの娘アヒノアムと結婚し(同14:50)、五人の子どもを産んでいます(同14:49)。三人の息子ヨナタン(同18:1)、イシュビ、マルキ・シュア、二人の娘、姉メラブ、妹ミカル。このミカルは後にダビデの妻となっています。

またヨナタンの息子にメフィボシェテがいますが、このメフィボシェテは、後にダビデとヨナタンとの契約の故に、ダビデの保護を受けるようになっています(サムエル記第二 9章)。

サムエル記の分解

(サムエル記第一と第二の大まかな分解)

第一部、サムエル記第一 1~7章

序論的、最後の士師としてのサムエル(エリ及びサムエル統治下の神制政治)
1~2章、サムエルの誕生と青年時代
3章、サムエルの召命と職務
4~7章、時代背景とサムエルの働き

この部分は、祭司エリの統治下にあったイスラエルの歴史の中で、サムエルの誕生から王の要求までのことが取り上げられています。

第二部、サムエル記第一 8~31章

最初の王サウルの統治
8~10章、サウルの王としての任命
11~12章、サウルの有望な出発
13~15章、サウルの愚行と罪(サウル、神に拒絶される。15:23,28,35)
16~31章、油注がれたダビデ
16~20章、サムエルによる油注ぎとサウルの前での奉仕(ダビデに対するサウルの嫉妬と憎悪)
21~30章、逃亡者としての年月
31章、サウルの死

大まかに言うと、サムエル記第一は、神制政治から王制政治への移行を記しています。それに対して、サムエル記第二は、ダビデの四十年間の治世を記していますが、その内容は、ダビデの罪によって、勝利がわざわいに変わっていくことを描いています。

第三部、サムエル記第二全体、ダビデの統治

1~12章、ダビデの興隆と勝利
1~4章、ユダのみの王として…ヘブロンにて七年半
5~12章、イスラエル全体の王として…エルサレムにて33年間
13~24章、ダビデの衰退と災い
13~19章、家庭における災い(アムノンの罪からアブシャロムの反逆)
20~24章、王国における災い(シェバの反逆から疫病まで)

(人物によるサムエル記第一の分解)

1~7章、サムエル

1:1~2:10、誕生
1:7、ハンナの苦悩
1:10、ハンナの祈り
1:28、ハンナの感謝
2:11~3章、召命
4~7章、服務(ペリシテ人による契約の箱の奪取と返還)

8~15章、サウル

8~10章、王に選ばれる(王国の組織)
8:5、王の要求
9:16、王の選択
10:24、王の即位
11~12章、統治
13~15章、捨てられる(拒否)
13:9、サウルの第一の不服従(ペリシテとの対戦)
15:9、サウルの第二の不服従(アマレクとの対戦)

16~31章、ダビデ

16~20章、奉仕
16章、ダビデの密かなる油注ぎ
17章、ダビデとゴリヤテ
18~20章、サウルの嫉妬
21~31章、逃亡
21~27章、避難するダビデ(忍耐)
21章、ノブ
22章、アドラムの洞穴(アヒメレクの死)
23章、ケイラ、ジフ、ハキラ、マオン、エン・ゲディ
24章、やぎの岩(エエリムの岩)
25章、パラン(ナバルとアビガイル)
26章、ハキラ、ジフ
27章、ガテ
(ダビデの逃亡の足跡、ノブ→ガテ→アドラム→ミツパ→ハレテ→ケイラ→ジフ→マオン→エン・ゲディ→パラン→ガテ)
28章~31章、ツィケラグの出来事とサウルの死

あとがき

「いのちのみことばをしっかり握って」(ピリピ2:16)
聖書は、みことばを信じる時、生けるイエス様の御霊を内に経験できることを約束しています。みことばと聖霊は一体です。みことばを信じる時、イエス様のご人格が自分の内にお入りくださるのを知るのです。この時、私たちはキリストの平安を味わい、試練の中でも心に輝きを持っていることができます。神の愛も心に注がれています。
しかし、聖書のことばを覚え、理解しているだけなら、それを使って自己主張したり、他人を責めることに使う危険があります。主が自分に語られたと、みことばを信じて従順に従う時、主が自分の内に住んでおられることを体験として知るのです。これが信仰です。

(まなべあきら 2006.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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