聖書の探求(266) サムエル記第一 1章 ハンナの祈りとサムエルの誕生、サムエル献上

イギリスの画家 Frank William Warwick Topham (1838–1924)による「Samuel Dedicated by Hannah at the Temple(ハンナにより神殿で献げられるサムエル)」(Wikimedia Commonsより)

サムエルは士師(さばきつかさ)としては、士師の時代の最後の人物であり、預言者としては最初の人物です。サムエル記は、この預言者サムエルの生涯と働きの要約を記すことで始まっています。サムエルは、神制政治の法律を代表するモーセと王制政治を代表するダビデの間のイスラエルの歴史において最も重要な役割を果たした人物と言うことができるでしょう。

1章の分解

1~8節、エルカナの家族と宗教生活
9~18節、ハンナの切なる祈り
19~20節、サムエル誕生
21~28節、サムエル献上

「万軍の主(ヤーウェ)」について

最も荘厳な神の称号である「万軍の主(ヤーウェ)」が1章3節と11節に用いられています。

Ⅰサム 1:3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の【主】を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、【主】の祭司ホフニとピネハスがいた。
Ⅰサム 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

この称号は、聖書中ここに初めて用いられています。しかしモーセの五書、すなわち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の中には、一度も記されていません。サムエル記第一 1章3節より後には、この称号は度々用いられており、特に預言書には281回も使われています。もし、モーセの五書が、ある批評家たちが言うように、後代の記者たちが何人かで書いたものであるなら、後代の記者たちの時代の慣用語であった「万軍の主(ヤーウェ)」の称号が度々書かれているはずですが、ただの一度もモーセの五書の中に見られないのは、モーセの五書がモーセの手によって書かれたものであることを証明しています。

「万軍の主(ヤーウェ)」とは、キリストの称号であることが、次の聖句を対照することによって分かります。

イザヤ書6章1~3節
「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼びかわして言っていた。
『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主(ヤーウェ)。その栄光は全地に満つ。』」

ヨハネの福音書12章41節
「イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。」

イザヤ書8章13,14節
「万軍の主(ヤーウェ)、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。」

ペテロの手紙第一 2章5~8節
「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。
『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』
したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、『家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。』のであって『つまずきの石、妨げの岩。』なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。」

サムエルはキリストの型であって、彼は一人で、預言者と祭司と施政者(王)とを兼ねていました。イエス・キリストも神のみことばそのものであり、神のみことばを語られる預言者であり、私たち(罪人も、信者も)を父なる神にとりなしてくださる真の大祭司であり、私たちの心の王であり、永遠の神の国の王です。この面で、サムエルはイエス・キリストを予表している人物であると言うことができます。

また、サムエルが創設した預言者学校は、主イエス様が使徒を訓練され、伝道者、教師たちを任命され、聖霊を注がれることの予表だったのです。

サムエルは、祈りにおいても、キリストの型です。主が少年サムエルを召された時から(サムエル記第一 3:4~10)、サムエルの一生は、主との絶えざる交わりの生涯でした。

サムエルとモーセとは、主が選ばれた祷告(とうこく)者の模範であって、エレミヤ書15章1節には、「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしはこの民を顧みない。」とあります。

サムエルは主に背教したイスラエルの国民に向かって、「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」(サムエル記第一 12:23)と言っています。

ヘブル人への手紙7章の25節では、「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるからです。」とあります。
この面から見ても、民のためにとりなしているサムエルは、私たちのためにとりなしていてくださるイエス・キリストの予表です。

1~8節、エルカナの家族と宗教生活

Ⅰサム 1:1 エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。

サムエルの父はエルカナ(その意味は「神によって創造された。」あるいは「神によって獲得された。」です。)です。歴代誌第一 6章33~38節を見ると、エルカナの祖先はレビであったことが分かります。しかしアロン系の祭司の家系の人ではありませんでした。彼の家はエフライムの山地にあり、エフライム人と呼ばれています。

2節、エルカナには、二人の妻がいました。

Ⅰサム 1:2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。

その家庭はモーセが申命記で心配していた通りの状態になっていました。

「ある人がふたりの妻を持ち、ひとりは愛され、ひとりはきらわれており、」(申命記21:15)

子どもがいたペニンナ(その名の意味は「さんご」あるいは「真珠」です。)は、子どものいなかったハンナ(その名の意味は「恩寵」あるいは「恩寵に満ちた賜物」です。)を憎み、ひどくいらだたせていました。その理由は、ペニンナには世継ぎとなる子どもが生まれていたという優越感と、エルカナがハンナを愛していたからです。ペニンナは高慢とねたみから、ハンナを苦しめていたのです。旧約聖書では複数の妻を持つことが記されていますが、それは神が初めから計画されたことではなかったのです。

ヘブル人の妻にとって、子どもがいないことは、神の恵みと祝福が閉ざされていると思われており、最大の災難とされていました。

3節、そんな事情の中でも、エルカナは非常に信仰心の篤い人でした。

Ⅰサム 1:3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の【主】を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、【主】の祭司ホフニとピネハスがいた。 1:4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。

彼はレビ人のケハテの子孫の中でも、高位の人で、ツォフィム一家の長で、彼の村をその理由から「ラマタイム・ツォフィム」と呼んだのです。「ラマ」は高位という意味で、「ツォフィム」はエルカナの先祖のツフあるいはツォパイからきています。その村の名前はエルカナの地位をよく表わしています。

彼は、毎年、忠実に祭りを守るためにシロの聖所に上って行って、万軍の主に礼拝をささげ、自分のためにも、妻たちやすべての息子、娘たちのためにも、いけにえをささげています。「すべての息子、娘たち」とありますから、ペニンナには少なくとも複数の息子や娘がいたのです。これらの子どもたちがペニンナの誇りだったのです。

シロにはヨシュアの時代から主の会見の天幕が置かれていました(ヨシュア記18:1)。
ヨシ18:1 さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。

エリ(その名は「神は至高である」という意味を短縮した名前です。)はその時の大祭司でした。

エリの二人の息子ホフニとピネハスは、よこしまで、主を知らず、不信仰で堕落しており、二人の息子の罪は、主の前で非常に大きかったのです(2:12~17,22~25、3:13)。

父エリは、そんな二人の息子を戒めることもせず、その時代の祭司職は世襲制でしたから、堕落したままの息子たちに祭司職を受け継がせていたのです。

Ⅰサム 1:5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。 1:6 彼女を憎むペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

5,6節の「主が彼女の胎を閉じておられたからである。」というのは、子どもは主によって与えられるという信仰を示しています。しばしば、子どもが与えられないことは、信仰の試みとなっています。アブラハムとサラにとっても、ハンナにとっても、またバプテスマのヨハネの両親のザカリヤとエリサベツにとっても。

ハンナにとって、子どもがいないことによってペニンナに露骨にいやがらせをされる時は、特に祭りのいけにえが与えられる時でした。ハンナにとって、この最も悩む時が毎年やってきたのです。

Ⅰサム 1:7 毎年、このようにして、彼女が【主】の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。 1:8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

8節、夫エルカナは「あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」と、ハンナを慰めていますが、ハンナを慰めることはできなかったのです。ヘブル人の妻にとって、子どもがいないことは、恥辱の原因とされていたからです。

9~18節、ハンナの切なる祈り

ハンナは食事の後、立ち上がって、深い悲しみのうちに幕屋の入口で、心のすべてを主に訴えるように告げたのです。

Ⅰサム 1:9 シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、【主】の宮の柱のそばの席にすわっていた。 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は【主】に祈って、激しく泣いた。 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

9節の「宮」と訳されているヘブル語は「ヘカル(hekal)」で、荘厳な建物を意味する言葉です。「柱のそば」は脇柱のことです。

年老いた大祭司エリは、激しく泣きながら祈るハンナの口もとをじっと見守っていたのです(12節)。なぜなら、ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動いているだけで、声は聞こえなかったからです(13節)。それ故、11節のハンナのの祈りの内容は、後にサムエルがハンナから聞いて、書き記したものと思われます。

11節、おそらく主を「万軍の主よ」と呼んで祈りをささげたのは、ハンナが最初であると思われます。

Ⅰサム 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

ハンナは「あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、」と祈ったのは、万軍の主なる神が、名もない一人の女の自分に、しかも激しい悩みの中にある自分に御目を留めてくださり、彼女の悩みを顧みてくださり、決して主が彼女を見捨てたり、忘れたりなさらないことを信じたからです。祈りが答えられるためには、主が自分という取るに足りない者にも御目を留めてくださり、悩みを顧みてくださり、決して忘れられないことを信じなければならないのです。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)

子の誕生を願うハンナの祈りには、誓願が含まれていました。「その子の頭に、かみそりを当てません。」は、特別に神にささげられたナジル人のしるしでした。

「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。」(民数記6:5)

ナジル人の誓願の期間は、「聖別の誓願を立てている間」と、限定されていることが多かったのですが、ハンナは「私はその子の一生を主におささげします。」と祈っています。

この他にナジル人は、ぶどう酒や強い酒、ぶどう汁、ぶどうの実の生のもの、干したものを飲んだり、食べたりしてはならなかったのです。また死体に近づいてはならなかったのです。死体に触れると、儀式的に汚れると言われています。サムソンもナジル人としてささげられていましたが(士師記13:4,5,7)、彼は自分が神にささげられたナジル人である霊的意味を弁(わきま)えずに生活して、わざわいを招いたのです。

旧約聖書に記されているナジル人の誓約と生活は、新約聖書の聖潔の生活の型を示す部分があると思われます。

12節、「ハンナが主の前で長く祈っている間、」ハンナは、一度だけの嘆願で止めずに、長く祈っていました。

Ⅰサム 1:12 ハンナが【主】の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。 1:13 ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。

主イエス様も、そのように失望せず、すぐに諦めてしまわずに、忍耐強く、祈り続けることの大切さを明確に教えてくださっています(ルカ18:1~7)。一、二度祈って、すぐに諦めて止めてしまうので、祈りが答えられないことが多いのです。主は、「いつでも祈るべきであり(この意味は、「祈り続けることが必要不可欠である。」)、失望してはならない。」(ルカ18:1)と教えてくださいました。祈りを止めてしまうのは、失望することから来る場合が多いのです。主は、「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18:7)と、神は辛抱強く祈り続ける人の祈りに、必ず答えてくださることを教えて下さいました。

13,14節、大祭司エリは、そのように祈っているハンナを見て、彼女が酒に酔っているのだと誤解してしまったのです。

Ⅰサム 1:13 ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。
1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

人の外見だけを見て判断すると、しばしば誤解をしてしまいます。このエリの誤解は当時のシロの神殿における信仰状態がどんなに堕落していたかを示しています。サムエル記第一 2章22節に、「彼らが会見の天幕の入口で仕えている女たちと寝ているということを聞いた。」とありますが、当時のシロの天幕の入口には売春婦のような女たちがいたのです。エリの息子たちは彼女たちと関係を持っていたので、その信仰状態は一層悪くなっていたのです。エリはハンナを見て、彼女たちの一人だと誤解したのです。それでエリはハンナに、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」(14節)と言ったのです。

15節、「祭司さま」は、直訳では「わが主」です。ハンナは最大の尊敬を持って、大祭司エリを呼んでいます。

Ⅰサム 1:15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に、私の心を注ぎ出していたのです。

ハンナは自分が祈っていたことを、「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」と言っています。これこそ本当の祈りです。ハンナは内なる自分を主の前に注ぎ出して、ささげていたのです。彼女はただの願い事をしたのではなかったのです。自分の霊魂を神の前に注ぎ出すこと、これが神に答えられたハンナの祈りでした。それをハンナは心の中でしていたのです。くちびるはかすかに動くだけで、声にはなっていなかったのです。心を注ぎ出す祈りだったからです。

16節、「よこしまな女」(ヘブル語のベリヤールは、無価値で邪悪という意味です)

Ⅰサム 1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」

ここでは、下劣な、邪悪な人のことを指す言葉です。この言葉は旧約聖書中16回使われていますが、そのうち9回はサムエル記第一と第二で使われています。しかし大祭司エリは、激しい悩みと深い悲しみの中で主に叫んでいた敬虔なハンナを、「よこしまな女(ベリヤールな女)」と誤解してしまったのです。表面的、外見的な観察だけで、人を判断し、評価することは、常に危険な誤ちを犯すのです。

しかしハンナは「つのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」と言っています。この言葉は、ハンナがどんなに苦しかったかをよく表わしています。憂いといらだちの中に置かれる時、ハンナのように自分の心を注ぎ出して主に祈るなら、主は聞き入れて下さいます。

17節、エリはハンナの話を聞いて、自分の誤解を認めて、「イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」とハンナの祈りを支えています。

Ⅰサム 1:17 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

18節、ハンナは「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と、謙遜で敬虔な言葉を返していますが、ハンナには自分の祈りを主が聞き入れてくださったと確信したのです。

それは、その後の言葉「それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」が証明しています。ハンナには自分の願いが万軍の主に聞き入れられたという確かなしるしはなかったけれども、彼女は祈りは主に聞き入れられたと信じたのです。そして再び、悲しくなることはなかったのです。ハンナは、新約聖書が教えている信仰の本質をそのまま実行したのです。

「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」(マルコ11:23~25)

ハンナは、ペニンナの悪意を赦していたと思います。祈りを妨げる原因の一つは、他人のした悪を赦さない心を抱いていることです。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました(直訳では、「あかしを得たのです。」)。」(ヘブル11:1,2)

昔の人ハンナと同じく、現代の私たちも同質の信仰を持って祈り、またあかしの生活をさせていただきましょう。

19~20節、サムエル誕生

主はハンナの祈りに答えられて男の子を与えられました。

Ⅰサム 1:19 翌朝早く、彼らは【主】の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。【主】は彼女を心に留められた。
1:20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を【主】に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

ハンナがその子の名をつけた理由として、「私がこの子を主に願ったから。」と言っています。ハンナは男の子の誕生を、はっきりと祈りの答えだと確信したのです。それ故、その子の名をサムエル(ヘブル語でShemuel)と名づけました。ヘブル語のサムエルの文字通りの意味は「神の名」だと言われていますが、ハンナの祈りの答えとして与えられた子ですから、「神は聞かれる」という意味だと言う人もいます。おそらくハンナは両方の思いを持って、この名をつけたのでしょう。ヘブル語で「エル」は一般に神を表わす言葉です。旧約聖書の人物の中には、その人の名前の中に「エル」を含んでいる人が沢山います。ダニエルやエゼキエルなども、神の名を含んでいる人です。みんな、その名をつけた親たちがその子に、神を畏れる敬虔な性質を求めて名前をつけたのです。

21~28節、サムエル献上

21節、サムエル誕生後の翌年も、夫エルカナは年ごとのいけにえと自分の誓願を果たすために、シロに上って行っています。

Ⅰサム 1:21 夫のエルカナは、家族そろって、年ごとのいけにえを【主】にささげ、自分の誓願を果たすために上って行こうとしたが、

この部分はギリシャ語訳の七十人訳聖書では、「自分の誓願と自分の土地のすべての十分の一をささげるため」となっています。このエルカナの誓願とは、ハンナが息子サムエルのために立てた誓願にエルカナも共にあずかっていたことを表わしています。

22節、しかしハンナはサムエルが成長して乳離れするまでは、家族と一緒にシロに上らなかったのです。

Ⅰサム 1:22 ハンナは夫に、「この子が乳離れし、私がこの子を連れて行き、この子が【主】の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまでは」と言って、上って行かなかった。

乳離れするまでとは、二、三才になるまでのことだと思われます。それにしても、ハンナが家族と一緒に祭りに行かないことは、もしエルカナに愛がなく、ものわかりの悪い人だったら、非難されたことでしょう。しかしエルカナはハンナの心の中をよく知っていたし、ハンナの信仰があついことも、サムエルが乳離れするまでシロに上らないこともハンナの信仰から出ていることを信じていたのです。

24,25節、ハンナは約束通り、サムエルが乳離れすると、幼いサムエルをシロの主の宮に連れて上って行っています。

Ⅰサム 1:24 その子が乳離れしたとき、彼女は雄牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携え、その子を連れ上り、シロの【主】の宮に連れて行った。その子は幼かった。
1:25 彼らは、雄牛一頭をほふり、その子をエリのところに連れて行った。

それはおそらく二、三年後のことだと思われます。その時、携えて行ったものは、雄牛三頭(ヘブル語)、七十人訳とシリヤ語訳聖書では「三歳の雄牛一頭」となっています。最初の一頭はサムエルをささげるための全焼のいけにえでした。おそらく七十人訳とシリヤ語訳は、この一頭のことだけを念頭において記したのでしょう。他の二頭の牛は毎年の供え物のためでした。

小麦粉一エパは、二三リットルですから、相当多い量です。ぶどう酒の皮袋一つも、かなりの量だったと思われます。これらはハンナの心のこもった感謝のささげ物でした。ハンナは祈りに答えられた感謝を口で「感謝します。」と言っただけでなく、その感謝を実際にささげ物をもって表わしたのです。主に心からの感謝をささげる人は、主から次の恵みと祝福を受ける人です。パウロも、

「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ第一 5:18)と言っています。

26.27節、ハンナは幼子サムエルを年老いた祭司エリのところに連れて行って、「祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。」と言って、ハンナの祈りを思い起こさせています。

Ⅰサム 1:26 ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、【主】に祈った女でございます。
1:27 この子のために、私は祈ったのです。【主】は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。

エリは覚えていたのでしょう。ハンナは幼子サムエルを連れて来ることによって、主が祈りに答えてくださったことを証ししたのです。

28節、「この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」

Ⅰサム 1:28 それで私もまた、この子を【主】にお渡しいたします。この子は一生涯、【主】に渡されたものです。」こうして彼らはそこで【主】を礼拝した。

この言葉の直訳は、「この子はヤーウェに求めて与えられたものですから、この子が生きている限り、わたしはこの子を主にお返ししたのです。」となります。これによっても、ハンナの信仰は自己満足のためのものではなく、どこまでも主の栄光を現わすためのものだったのです。

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(コリント第一 6:20)

「こうして彼らはそこで主を礼拝した。」欽定訳聖書は「彼はそこで主を礼拝した。」となっています。これは、幼子サムエルがシロに残って神の幕屋での奉仕をしながら、成長し、主を礼拝することを学んでいったことを強調しているのでしょう。

あとがき

ハンナの信仰も、祈りも特別なものではありませんでした。屈辱の中で、主を全く信じて、献身の祈りをささげたのです。彼女の祈りによってサムエルが与えられ、士師の時代の不信仰の蔓延していたイスラエルに、信仰が甦ったのです。私たちひとり一人の祈りを無力だと思ってはなりません。あなたの祈りが日本の多くの霊魂をイエス様の救いに導くのです。

イエス様は次のように言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37)日本において福音宣教は緊急に必要です。国民のすべての人の心が病んでいるのですから。どうぞ、あなたも祈ってください。

(まなべあきら 2006.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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