音声:信仰の列伝(51) 「サムエル(4) サウルの指導」(サムエル記第一、9~15章)へブル人への手紙11章32~34節(最終回)
2017年8月6日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
へブル人への手紙11章32~34節
11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
【新改訳改訂第3版】
<インフォメーション>
最後に、サムエル記第一、12章のサムエルの告別のための証の中から、私たちに求められているメッセージを頂きましょう。
「もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。」(サムエル記第一、12:14)
このみことばから、主に忠実であることを五つの点で求められていますので、それをサムエルのメッセージとしてお話して終わりましょう。
第一は、「主を恐れ」心を尽くして主を愛し、信頼し、感謝することです。
第二は、「主に仕え」主だけを霊と真を持って礼拝し、生活で主のみこころを行なうことです。
第三は、「主の御声に聞き従う」心砕かれて、従順に従うことです。
第四は、「主の命令に逆らわず」自分中心の自己主張をせず、心を頑なにしないこと。神とこの世に、二心にならないこと。主に忠実であること。
第五は、「主のあとに従う」ことです。ダビデのように、「いつも、私の前に主を置く」ことです。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)
<今週の活用聖句>
マタイの福音書、16章24節
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
上の写真は、1885年に出版された歴史事典にある挿絵「Saul Anointed by Samuel(サムエルに油注がれるサウル)」Ridpath, John Clark Cyclopedia of Universal History (Cincinnati, OH: The Jones Brothers Publishing CO., 1885)より
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