プリント紹介 「ゼカリヤ書」 A4 96枚

「ゼカリヤ書」

目次

Ⅰ、記者
Ⅱ、目的と使命
Ⅲ、歴史的背景
Ⅳ、特徴
Ⅴ、メシヤ預言
Ⅵ、分解
①使命から見た分解
②神殿建設から見た分解
Ⅶ、各章
1章
・序言(過去の事跡からの警告の声)
・第一の幻 ミルトスの木の谷における馬と騎士
・第二の幻 四つの角と四人の職人(鍛冶職人)
2章
・第三の幻 測り綱を持った人
3章
・第四の幻 大祭司ヨシュアに関すること(罪からの潔め)
・幻の持つ意味
・聖潔の恵みの予表
・主の道を歩む
・メシヤ来臨の預言
・異邦人(世界)宣教への預言
4章
・第五の幻 燭台と二本のオリーブの木 聖霊の預言
・幻の描写
・幻の意味
・聖霊の約束
・幻の約束
・幻の完成への方策
5章
・第六の幻 飛んでいる巻物・・・神の審判の象徴
・幻の描写
・幻の意味するメッセージ
・第七の幻 エパ枡の中の女
・幻の描写
・幻の意味
6章
・第八の幻 四台の戦車
・幻の描写
・幻の意味
・象徴的な戴冠式
7章、神が喜ばれる、真実な信仰への呼びかけ
・ベテルの人の質問
・預言の内容
・ベテルの堕落した儀式主義への譴責
・万軍の主のご要求
8章
・エルサレムとその民の回復の約束
・断食が祝祭に変わる
*9章~14章の純正性
*9章~11章 ハデラクとダマスコの重荷
*9章~11章 メシヤの最初の来臨を中心にした宣告
*9章~10章 ユダの復興とその敵の滅亡
9章
・ツロに対する審判
・ペリシテに対する審判
・ろばの子に乗ってこられる王
・ユダの回復
10章 真の牧者からの祝福
*11章~13章 牧者・王の拒否とその結果
11章 良い牧者と愚かな牧者
・イスラエルの敵の王たちの失脚
・牧者たち
・よい牧者を拒否
・不忠実な牧者
*12章から14章 メシヤの第二の来臨において、神のみわざが頂点に達することの宣告
12章
・神によるエルサレムの防衛
・悔い改めた民への特別な恵み
13章
・キリストによる罪からの潔め
・牧者が撃たれる
14章
・イスラエルをきよめるための審判と将来におけるエルサレムの光栄
・エルサレムの敵の敗北
・エルサレムの究極的な栄光

以下、一部抜粋

ゼカリヤ書

本書は、預言者自身の名ゼカルヤーに由来しています。

Ⅰ、記者

イエス・キリストの勝利の入城を預言した預言者です(ゼカリヤ書9:9、マタイ21:1~11)。

ゼカリヤ書1章1節では、「イドの子ベレクヤの子」と言っています。このイドは、多分パレスチナに帰ってきたレビ人イドと同一人であると思われます。ネへミヤ記12:4「イド」、ネヘミヤ記12:16「イド族ではゼカリヤ。」とあります。もし、そうであれば、ゼカリヤは祭司であり、ネヘミヤ記12章16節のゼカリヤと同一人となります。ちなみに、旧約聖書中には、ゼカリヤと呼ばれる人が二十人以上も記されています。

ところが、エズラ記5章1節では「イドの子ゼカリヤ」、エズラ記6章14節では「イドの子ゼカリヤの預言によって」となっています。

これとゼカリヤ書1章1節「イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤ」は違っていますが、どういうことなのでしょうか。これは、多分、ゼカリヤの父は彼が幼い頃、死んでいて、その後は祖父のイドに養育されたものと思われます。ここでの「子」は、「孫」意味していると思われます。祖父が有名でよく知られていて、父があまり知られていない場合、特にこのような用いられ方をします。エズラ記6章14節では、「イドの子ゼカリヤ」と言
われていて、ゼカリヤの父ベレクヤの名前が省略されています。これは多分、ベレクヤが若くして死んでいたからでしょう。もし、ベレクヤが生きていたとしても、ベレクヤは何らかの理由でイドから家の長の権を受け継がなかったのでしょう。ゼカリヤは、ダビデの時代から続いていた祭司職の指導権を、祖父のイドから受け継いだのです。祭司イドは、バビロンからエルサレムにユダの民を連れ上った時に、指導者ゼルバベルと大祭司ヨシュアと同行した、すぐれた責任ある祭司の一人でした(ネへミヤ記12:4)。祭司は世襲制でしたから、孫のゼカリヤがイドの祭司職を受け継いだものと思われます。「・・・の子」という言い方は、一般的には「子孫」という意味です。

ゼカリヤは、最初は祭司であり、後に預言者となり、大詩人でもありました。エレミヤやエゼキエルも祭司であり、預言者としての召命を受けて働いています。当時、祭司は高揚されることもなく、あまり重要視されることもなく、少々退屈な職分として自分たちの職分を継承していたのです。祭司職はアロンからの世襲制で、預言者のような特別な神の召命というものはありませんでした。預言者は、神に直接召され、神によって遣わされ、神に任命された人でした。この経験について、預言者エレミヤは、「主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません、」(エレミヤ書20:9)と言っています。祭司であり、預言者であったゼカリヤも同じであったはずです。

ゼカリヤの意味は、「主は、おぼえてくださる。」「主が記憶される者」で、ベレクヤの意味は、「主は、恵んでくださる。」、イドの意味は、「定められた時」です。

預言者ゼカリヤは、ユダの捕囚の期間に、バビロンで生まれ育ち、若くして宣教を始め、「失われた者の回復と栄光の預言者」です。彼と同時代の預言者がハガイであったことは疑う余地がありません。ゼカリヤはハガイより若かったと思われます。

ゼカリヤの預言は、想像力と感受性が豊かで、詩的です。

ハガイの預言は、実際的です。

ゼカリヤの宣教は「ダリヨスの第二年の第八の月に」(ゼカリヤ書1:1)始まっており、ハガイの宣教は「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に」始まっています。ゼカリヤの宣教は、ハガイが宣教を始めたニヶ月後に始めています。

二人とも、ダリヨス・ヒュスタスペスの第二年(BC520年)に宣教を始めました。ゼカリヤが何年間宣教を続けたかは、決定し難いのですが、ダリヨスの第四年にも彼は主からメッセージを受けていますから(7章)、3年間、預言したことは確かです。ゼカリヤはハガイとともに、神殿再建の事業に携わっていたユダヤ人を激励するために働きました。その神殿再建の事業は、クロスの第一年(BC538年)以来、中止されていたのです。

(記者問題)

私たちは、ゼカリヤが本預言書全体の記者であると確信しています。しかし記者については広く議論されてきましたが、現代では、本預言書全体の統一性を支持する者(ロビンソン、デイヴイス、メーラー)と、9~14章をギリシャ時代のものとし、その大部分をBC3世紀に置く者(この説の擁護者はアイスフェルトで、「9~14章のゼカリヤ期後著作説」と呼ばれています。)とに二分されています。

9~14章のゼカリヤ期後著作説及びこの説に答えるための考察

1、ゼカリヤ期後(「期後」とは、バビロン捕囚期後という意味です。)著作説を挙げる者の有力な根拠は、9章13節に「ヤワン」とあり、七十人訳聖書では、この部分を「ギリ
シャ人たちの子らに」と訳していて、これがギリシャの人々についての記述であると言っています。そして、ギリシャ(すなわち、セシールド王朝)は、シオンに対して脅威であると考えられ、当時の世界的勢力として認められていると言っています。しかし、この説明には重大な間違いがあります。この預言は、「ヤワン(Javan、ギリシャのこと)にとっては、敗北の預言であって、勝利の預言ではありません。
これに関連して、預言者ゼカリヤは、捕囚民に要塞に帰れと、訴えたに過ぎません(12節)。このように、その状況はゼカリヤの時代に当てはまり、後代には当てはまりません。
この預言は、実際の戦闘の叙述ではなく、将来の勝利についての黙示的幻です。ゼカリヤの時代には、ギリシャはかなり重要な国であったことは疑う余地がありません。

2、本書の1~8章までと9~14章までの両部分には、イスラエルの実際の王について言及されていません。12:7~13:1には、確かに「ダビデの家」について述べられています。しかしそれは実際的支配者についての記事ではありません。ゼカリヤ書の両部分に記されている一人の王は、「メシヤ」です(6:12、13、9:9)。
さらに、この両部分にあるメシヤについての描写には、本質的に違いがありません。むしろ、ここに言われているすべてのことは、一人の記者による作であることは明確です。

3、本書の両部分において、イスラエルとユダとの家が、一つとして言及されていることは重要です。この事実は、ゼカリヤの時代とよく一致しています。
1:19「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムとを散らした角だ。」
8:13「ユダの家よ。イスラエルの家よ。」
このほか、9:9、10、13、10:3、6、7

4、特殊な表現が、本書の両部分に使用されています。
たとえば、「行き来する」7:14、9:8
「主の御告げ。」10:12、11:6、12:1、4、13:2、7、8
この表現は、本書の最初の部分には、14回記されています。
「主の目」(神の摂理)4:10、9:1
「万軍の主」1:6、12、2:9、9:15、10:3、12:5 など
「住む」(動詞の単純能動形)2:10、11、7:7 受身の意味で使用
12:5(住民)、14:11能動の意味で使用
この用法は、本預言書以外には非常に稀です。
表現の類似点は、他にもあります。
2:10「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。-主の御告げ。-」
9:9「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和でろばに乗られ る。それも、雌ろばの子の子ろばに。」
このような類似は、預言の文献的統一性を証明する確定的証拠にはならないかもしれませんが、少なくとも統一性を高める方向に働きます。

5、ゼカリヤは彼以前のイザヤと同じように福音的預言者であり、この福音的強調が、本書の両部分に見られます。

6、両部分における用語の純粋性を強調しなければなりません。用語は、全然アラム語の影響が見られません。
両部分には、同じ思想とか、言葉を熟考してできた成熟した表現があります。さらに、強調するために思想の全体とその部分を共に述べています。
また両部分の強調する表現においては、へプル並行法の普通の規則を使わずに、節の中で五区分した表現が出てきます。この用法は、6:13、9:5、9:7、12:4に見られます。9:5の例
「アシュケロンは見て恐れ、
ガザもひどくわななく、
エクロンも、その望みは恥となり、
ガザには王が絶え、
アシェケロンには住む者なし。」(へプル語本文よりの直訳)
以上の考察から明らかになったように、ゼカリヤ書の中には、一見して考えた時よりさらに深い、一貫した統一性があります。

7、9~14章をゼカリヤが書いたことを否定する者は、以下のように、交互に、成立説を一致させることに賛成できていません。
(イ)9~14章は、一単位をなしているが、バビロン捕囚期前か、後か、ゼカリヤの時代ではないと言っています。
(ロ)9~11章は、紀元前8世紀のものであり、12~14章は紀元前6世紀の初期の頃か、ディアドキ王朝、あるいは、マカベウス家の時代のものと言われています。
(ハ)9~14章全体を、紀元前3世紀と紀元前2世紀におき、これをバビロン捕囚期前の預言者風に書いた黙示文学的著者の作とみなしています。
(ニ)ある者は、全預言を四区分しています。
このように、これらの論争されている章句に関して、意見の一致がないということは、ゼカリヤの著作に代わるべき、満足できる著者が発見されていないことを明確に示しています。すなわち、ゼカリヤ書はすべて、預言者ゼカリヤが書いたものであると結論せざるをえません。

この書の二区分(1~8章と9~14章)は、文体や歴史的観点が非常に異なっているために、異なる著者によるものと論争されてきましたが、ここに見られる相違は、ゼカリヤ一人が書いたということで十分説明できます。

すなわち、1~8章では、ゼカリヤは、彼の生きていた時代の出来事、特に、神殿再建に関心を払って書いており、9~14章はメシヤの来臨とそのすばらしさなど、未来に起きることを扱っています。それ故、1~8章は歴史的内容になっており、9~14章は黙示的内容になっているのは当然です。おそらく、1~8章はゼカリヤの生涯の比較的初期に、9~14章は彼の晩年に書いたものと思われます。

本書の内部的証拠によって、本書はゼカリヤ一人によって書かれ、両方の区分ともバビロン捕囚からの帰還後に書かれたものと思われます。

(預言者ゼカリヤは、マタイの福音書23章35節のバラキヤの子ザカリヤと同一人物か)
多くの注解者は、これを否定しています。
マタイの福音書が言っているのは、エホヤダの子祭司ゼカリヤのことで、彼は神殿の中で殺されました(歴代誌第二24:20~22)。しかし預言者ゼカリヤの死は、歴代誌のどこにも記されていません。というのは、歴代誌の記録している時代は、預言者ゼカリヤは、まだ死にまで至っていないからです。

ユダヤ人の文書タルグム(旧約聖書のアラム語訳で、バビロン描囚後ユダヤ人がアラム語を用いるようになり、一般のユダヤ人の会衆がへプル語聖書を読む時、通訳が必要になり、旧約聖書のアラム語訳が作られました。その時の翻訳者を「タルゲマン」と呼び、翻訳された旧約聖書のアラム語訳をタルグムと呼んだのです。)には、イドの子、預言者で、祭司であるゼカリヤが聖所で殺されたという記事があります。

ネへミヤ記12章4節には、祭司とレビ人の名の中にイドの名前があります。ゼカリヤ書
1章1節では「イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤ」とあります。

歴史家ヨセフスは、バルクの子ゼカリヤが神殿の中で殺されたと言っています。バルクとバレクヤと近い言葉で、混乱していますが、エホヤダの子祭司ゼカリヤとイドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤとは、別人のように思われます。

Ⅱ、目的と使命

ゼカリヤは、ユダの人々が神殿再建の工事に取り掛かってから、妨害や困難にぶっつかって気落ちした時に、預言を始めました。彼は、ユダの民が先祖たちのように、不信仰になり、神を失望させることのないように民に警告しました。彼は、民が神から与えられた使命を果すように励まし、神の怒りは、先祖たちの罪の故に下されたことを教えています。

もし、神の民が神の御前に謙遜になるなら、輝かしい将来が約束されています。主を拒む異教の国々は、ある日、崩壊されますが、エルサレムは将来、栄えます。この将来の霊的祝福は、メシヤによってもたらされます。

また、当時の知事のゼルバベルは自分の弱さと、その日を「小さいこと」と感じていたので、ゼカリヤは特に、ゼルバベルに対して励ます神のみことばを語りました(4:6~10)。この神の約束によると、困難の大山は取り除かれ、神殿の礎石を据えたゼルバベルは必ず、この工事を完成し、かしら石を運び出すでしょう。これは、キリストが教会の礎石であり、教会のかしら石であることを預言しています。

(鍵の言葉)「ねたみ」

(鍵の節)「私と話をしていた御使いは私に言った。『叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。』(1:14)
「主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。』(2:8)
「万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。』」(8:2)

(使命)落胆する者を励ますことと、メシヤ的預言ゼカリヤは、遠い将来に、イスラエル人に来るべき栄光について、熱烈な預言のことばで、落胆していたユダの民を励ましました。
本書の中心的メッセージは、ゼカリヤの福音です。彼の福音は、悔い改めへの招きで始まっています(1:4)。これは、イエス・キリストご自身のご奉仕と同じです(マタイ4:17)。さらにゼカリヤの預言には、全体を通してメシヤのことが言及されています。ゼカリヤは、ほかのすべての小預言者よりも、メシヤ(キリスト)について多くを預言しています。旧約聖書の中で、ゼカリヤ書ほど集中的にメシヤ的預言をしている書は、ほかにありません。ゼカリヤ書は最もメシヤ的な預言書です。

(本書の難解性)
本書は、幻を比喩的言葉や黙示的表現によって記していますので、新約の学者にとっても難解な書と言われていますが、ユダヤ教の学者や信者にとっては、もっと難解になっています。と言うのは、ユダヤ教がイエス・キリストをメシヤと信じないからです。そのイエス・キリストが本書のメシヤとしての中心メッセージだからです。ユダヤ教の学者と信者たちは、このキリスト(メシヤ)の預言を、どのように受け留めたらいいのか、全く分からなくなっています。ユダヤ教のメシヤ論とゼカリヤ書のメシヤ預言とが、適合しないからです。

しかし、本書を学ぶ人にとって、一つの手がかりになることは、本書がバビロン捕囚の後に、パレスチナにおけるユダヤ人の復興工事をしている期間中に書かれたものであることが明らかであることです。このことによって、ゼカリヤが未来に起きると預言している、輝かしい特別な日についての預言は、ユダヤ人がバビロン捕囚から解放されて、エルサレムに帰還する時のことではないことは明らかです。この未来の特別な日は、イエス・キリストの第一の来臨(クリスマスの時)と第二の来臨(再臨)によって、すべてのキリストを信じる民が迎える、大いなる購いの日のことを預言していると理解することは容易です。

Ⅲ、歴史的背景

「ダリヨスの第二年の第八の月に」紀元前520年11月、若い預言者ゼカリヤに主のことばが与えられました。この時、ゼカリヤの預言が始まったのです。

紀元前538年、バビロンを征服したペルシャの偉大な皇帝クロスは、ユダヤ人たちに彼らの熱愛する母国に帰ることが出来る勅令を発布したのです(歴代誌第二36:22、23、エズラ1:2、3)。このことは預言者エレミヤの預言の成就でした。エレミヤはイスラエル人のバビロン捕囚は70年間続くと預言していました(エレミヤ書25:11、12、29:10)。ダニエルはこのエレミヤの預言を読んで、バビロン掃囚が70年で終わり、その後、ユダヤの民が母国に帰ることができる許可が出ることを悟ったのです(ダニエル書9:2)。イザヤはどの預言者よりも早く、約180年も前に、まだクロスが存在する前に、イスラエルが捕囚される前に、主がクロスを感動して、ユダヤ人がエルサレムに帰還し、神殿を再建する許可を与えることを預言しています。

「わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基だ据えられる。』と言う。」(イザヤ書44:28)。

クロスによる、ユダヤ人のエルサレム帰還の勅令が出ても、すべてのユダヤ人が帰還したのではありません。すでにバビロンの地で地位を得ている者もあり、バビロンの都会的な地域に分散して生活している者もあり、バビロンに安住することを好む者もありました。
またユダの国を覚えている者たちは、年老いていて、遠い、長い旅をするには耐えられない人もいました。若者たちはすでに、へブル語を理解できなくなっており、その上、エルサレムには敵対的なサマリヤ人やエドム人が住み着いており、荒廃したエルサレムに帰って行くことを好まない者も沢山いたのです。それで、第一回目に帰還したのは、全集団と彼らの男女の奴隷を加えて、約五万人でした(エズラ記2:64、65)。

民族的、政治的指導者ゼルバベルと大祭司ヨシュアは、礼拝とともにエルサレム再建のために、力ある人々を引き連れて帰還したのです。その中に、祭司となるべき若者のゼカリヤがいたのです。

彼らはすぐに、イスラエルの神の祭壇を築いたのです(エズラ記3:2、3)。そして翌年の第二の月に、新しい神の宮の礎を据える工事を始めました(エズラ記3:8~11)。しかし工事はすぐに中断されました。「ユダとベニヤミンの敵たち(サマリヤ人やイシュマエルの子孫たち)」がその地に住んでいて、神殿再建の工事をしていることを聞いて、これに目をつけたのです。彼らは、いつもイスラエルの繁栄をねたんでいました。今回、クロス王の宝庫から費用が支払われている工事に、自分たちも加わって、その一部の利益を受けたいと企んでいたのです。そこで彼らもユダの人と同じように神の民であり、「あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。」と申し入れて、きたのです(エズラ記4:2)。ゼルバベルと大祭司ヨシュアと一族のかしらたちがこれを断ると、その地に住む敵対者たちは、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、おどし、工事の妨害を始めたのです。さらに、議官を買収して工事に反対させ、神殿再建の計画を打ち壊そうとしました。この妨害は、クロス王の時代からダリヨス・ヒエス夕ペスの第二年まで、14年間も続いたのです。悪意のある者の執拗さを示しています。

この間、ユダの人々は、どのような生活をしていたのでしょうか。その間のことを預言者ハガイは語っています。彼らは神を忘れて、豊かな社会だけを求めて、安住してしまっていたのです。

「万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」(ハガイ書1:2)

「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。-万軍の主の御告げ。- それは、廃墟となった私の家のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。」(ハガイ書1:9)

ユダの人たちは、初めの信仰を忘れて、自分の家を建てて安住することだけを求めて、主の宮を建てることをしなかったことを警告しています。

「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」(ヨハネの黙示録2:4)

それ故、彼らは、いくら働いて、稼いでも、「穴のあいた袋に入れるような」ものだったと言っています。

「あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが温まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。」(ハガイ書1:6)

ハガイに主のことばがあったのは、「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日」だったと、記されています。この時、ハガイは主から驚くような、戸惑うような、みことばを受けたのです。それから二カ月後、「ダリヨス王の第二年の第八の月に」同じような主のみことばがゼカリヤにも臨んだのです。

ダリヨスは、古い文書保管所の調査をし、そこでクロスが、神の民のユダヤ人に、エルサレムで神殿を建設させる勅令を発布した文書を発見したのです。それで、ダリヨスは中断されていた神殿再建の工事を許可し、王の金庫から必要な資金を与えたのです。そして、この二人の預言者は、神殿再建をユダヤ人に呼びかけたのです。

Ⅳ、特徴

1、メシヤ来臨の時までのメッセージ

「それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。-万軍の主の御告げ。-測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」(1:16,17)

「私は言った。『彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。』すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服を着せた。そのとき、主の使いはそばに立っていた。

主の使いはヨシュアをさとして言った。『万軍の主はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道を歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。

聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前に座っているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。』」(3:5~8)

2、神の家を建てる仕事は、霊的な仕事

「すると彼は、私に答えてこう言った。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」(4:6) 主の神殿の真の建設者は、枝(メシヤ)です。

「彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。』」(6:12)

3、ゼカリヤは、エゼキエルやダニエルのように、彼の育ったバビロンの影響を受けていたので、しばしば幻や象徴で語っています。

1章~6章 夜見た八つの幻(神が、彼らの工事の真中に宿っておられることを信じさせ、励ますことを目的としていた幻です。)

6章1~15節 幻の頂点(ダビデの子孫のゼルバベルと大祭司ヨシュアの二人は、メシヤが王であり、祭司であることを示しています。)

Ⅴ、メシヤ預言

ゼカリヤは、イザヤとともに、メシヤ預言をした最も重要な預言者です。

彼は、メシヤ預言を語る中でも、捕囚から帰ってきたユダヤ民族が、主なる神に対して忠実でなかったことを強く警告しています。彼らの背信があまりにもひどかったことは、エズラとネへミヤも認めています。

ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書には、「イスラエルと呼ばれる者がすべてイスラエルなのではない。」と明言されています。神の民としての真の信仰と性格があったのは、ただわずかな者だけでした。マラキは厳粛に、敬虔な残りの者と残りの背信の者(それが祭司であれ、一般の民であれ)を区別しました。

このような状況だったので、旧約の最後の三人の預言者は、描囚から帰還したユダヤ人の将来には希望の目を向けず、メシヤの降臨における喜びと望みに目を向けたのです。このメシヤのうちにこそ、すべての約束と預言は成就するのです。

(1)3:8、9「聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。
見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。-万軍の主の御告げ。- わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。」

メシヤ(キリスト)が「枝」という名で呼ばれているのは、ゼカリヤ書では二回です(3:8、6:12)。イザヤ書でも三回(4:2、11:1、53:2)、エレミヤ書では二回(23:5、33:15)見られますから、確実です。

メシヤは、この名によっても、他のことの中でも、わたしたち人間と同じであり、わたしたちと同じ骨肉をお持ちであることが明らかです。

メシヤは、女から生まれなければなりませんでした。アブラハムの株から出、特にエッサイの根、ダビデの子孫から芽を出さなければなりません。

それ故、メシヤは、王の系統にあり、君主の子孫です。彼は、神のしもべ(イザヤ42:1)であり、神のみこころを成し遂げ、神の民がないがしろにしていた神の義を完成させるのです。

彼はまた、聡明な君主です。ゼカリヤが言っている「七つの目を持っている」ことは、その聡明さを表わしています(ヨハネの黙示録5:6)。メシヤは、神の御心を知って、これを行なう力を持ち、人がだれも成し遂げられなかったことを、必ず成し遂げられるのです。

(2)6:12、13「彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に一致がある。』
このみことばは、メシヤは、祭司と王の威厳を一身に合わせ持っておられ、その間に不一致も不調和もないことを言っています。

(3)9:9「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子ろばに。」
これは、キリストの勝利のエルサレム入京を預言しています(ヨハネの福音書12:14、15)。

(4)9:11「あなたについても、あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。」
ここでゼカリヤは「契約の血」について語っていますが、主イエスは、このみことばをご自身に当てはめられています。
「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイの福音書26:28)

(5)9:16「その日、彼らの神、主は、彼らを主の民の群れとして救われる。彼らはその地で、きらめく王冠の宝石となる。」
11:11「その日、それは破られた。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それ
が主のことばであったことを知った。」
これらのみことばは、キリストが偽りの牧者に対して、その羊の群れを救う真の善き牧者として、羊を救うことを言っています(ヨハネの福音書10:9~14)。

(6)11:12~13「私は彼らに言った。『あなたがたがよいと思うなら、私に貸金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。』すると彼らは、私の貸金として、銀三十シェケルを量った。主は私に仰せられた。『彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。』そこで、私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。」
これは、キリストが、ユダヤ人に拒絶され、イスカリオテのユダに銀貨三十枚で売られたことを預言しています(マタイの福音書26:15、27:3~10)。

(7)12:10~14「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために激しく泣く。その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。
この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。
ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
(続く)

以上、10ページ分の抜粋

写真は、フランスの画家James Tissot(1836 – 1902)が1888年に描いた「The Prophet Zechariah(預言者ゼカリヤ)」

このプリント・シリーズは、原稿をA4用紙に印刷したもので、本にはなっていません。

「ゼカリヤ書(A4 96枚)」の価格は1920円+送料です。購入ご希望の方は、下記にお問い合わせください。

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