プリント紹介 「ゼパニヤ書」 A4 39枚

目次

Ⅰ、書名
Ⅱ、記者と年代
Ⅲ、ゼパニヤが預言した時の事情
(ユダの国内事情)
(周辺諸国の事情)
Ⅳ、目的
Ⅴ、ゼパニヤの預言的メッセージ
Ⅵ、鍵語
1.「主の日」
2.「ねたみ」
3. 鍵の節
Ⅶ、分解
Ⅷ、各章
-1章
-2章
-3章

(以下、一部抜粋)

ゼパニヤ書

書名

本書は、その記者ツェファンヤー(Tsephanーyah)の名をとっています。
七十人訳では、∑oφoνιαζ
ヴルガータ訳では、Sophoniasをとっています。

このゼパニヤの名を持つ人が、ほかに旧約聖書の中に三人います。
歴代誌第一6:36、「ゼパニヤの子」
エレミヤ書21:1、「祭司ゼパニヤ」
ゼカリヤ書6:10、「バビロンから帰って来たゼパニヤの子ヨシヤ」

記者と年代

1、1章1節によれば、この預言は、ゼパニヤがヨシヤの時代(紀元前639~608年)に受けています。確定的ではありませんが、ゼパニヤがこの預言を宣べたのは、ヨシヤの宗教改革の少し前、ヨシヤの統治の初期の頃であったと思われます。

内的証拠(1:4~6、8~9、12、3:1~4、7)から推測して、当時の国民の宗教的、道徳的状態が、非常に低下していたことがわかります。

トレゲルスは本書の著作年代を、紀元前625~610年としています。アンガーはもう少し前にしています。

2、1章1節では、ゼパニヤの先祖の家系を四代先のヒゼキヤまで、さかのぼっています。自分の先祖をこのように四代までさかのぼって記した預言者は、ゼパニヤだけです。(ゼカリヤは祖父まで記しています。)その理由は、同名の他人のゼパニヤと区別するためであると共に、この個所に書かれているヒゼキヤと、ユダの王ヒゼキヤとが、同一人物であったことを示すのも、一つの目的であったと思われます。そうだとすると、ゼパニヤは王の家系にある王子であった可能性があります。それ故、ゼパニヤは多分、容易に王廷で、自分の説教を聞かせることができたでしょう。その可能性は、1章8節の「首長たちや王子たち」や、3章3節の「首長たち」に対して警告していることで、示されています。

3、ゼパニヤの名は、「神の秘密」、「神が保護される」、「神に守られた(隠された)もの」、あるいは、「神の見張り人」という意味です。

多分、彼は2章3節に「かくまわれる」と書いた時、自分の名を念頭においていたと思
われます。

「主の定めを行なうこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、主の怒りの日にかくまわれるかもしれない。」(2:3)

ゼパニヤは実際的な人で、沈着冷静な、慎み深い人のようですが、それとともに、非常に優れた想像力と力強い写実的な表現力に富んでいる人であることがうかがえます。

4、ゼパニヤは、アッシリヤの興隆時代の預言者イザヤやミカ(ミカの活動期間は、紀元前740~700年頃と考えられます。)の預言の声が聞かれなくなってしまってから、約70年経って、最初に現われた若き預言者でした。相当長い期間、預言者なき時代の後に、最初に現われた預言者がゼパニヤでした。ですから、ユダの民は驚いたに違いありません。

紀元前721年には、北のサマリヤ(北王国イスラエル)はアッシリヤに捕囚になってい
ましたので、南のユダの人々は、主の全能と、尊厳と、義に反抗して滅亡したサマリヤの運命に目を向けていたのです。ユダにとっても、ヨシヤ王が治めるようになる五十年前は、頽廃(たいはい)と不信仰の深刻さを示している時でしたから、サマリヤと同じ運命を予感する人々も少なくなかったでしょう。

いずれにしても、ゼパニヤの若い勇気と熱意ある信仰は、当時の状況の中で主のメッセージを語り続けるために必要だったことは、本書がそれを表わしています。彼は主の審判を、率直さと容赦のない調子で宣言し、強い確信と、鋭い道徳的感覚と熱情を表わしています。

同時代の重要な若き人物は、預言者エレミヤと、もう一人はユダ王国の最後の改革者となったヨシヤ王です。ゼパニヤが預言し始めたころ、彼はまだ、二十五歳を越えていない若者であったことは、ほぼ確かなことです。

ゼパニヤの預言活動は、マナセとアモンによる約77年に及ぶ邪悪な統治の期間が、ちょうど終わって、ヨシヤの統治が始まった頃であったと思われます。

若い王ヨシヤ(紀元前639~608年)の改革の熱意は、若い預言者ゼパニヤの真剣な宣教とよく調和しています。この時代に、若い二人の人物が登場したのは、「このような時のためであった」のです。
「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記4:14)

パウロは、次のように言っています。

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ビリピ1:6)

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ビリピ2:13)

主は、その時代、その時代に、必要なご自身の器を立てて、用いられるのです。わたしたちも、この時代に主が立ててくださったのですから、信仰を働かせて、主を証しさせていただきましょう。

5、ゼパニヤはニネベの滅亡を予告しました(2:13)が、それはゼパニヤの預言の後しばらくして起きました。また、彼は様々な形式の偶像礼拝の罪を責めました(1:4~6)が、それはヨシヤ王によって一掃されてしまいました。ゼパニヤはヨシヤの治世に起こったリバイバルを、その双肩に担った責任者でした。

ゼパニヤが直面していた困難な時代は、彼の働きを通して、新しい夜明けの時代へと、主はゼパニヤを用いられたのです。

エレミヤは、ゼパニヤが預言を始めて間もなく、預言者として現われたと思われます。エレミヤとゼパニヤの間に密接な交流があったかどうかは、分かりません。彼らのうちに密接な関係があったという証拠は何もありません。

エレミヤは、ゼパニヤの信仰復興運動の偏っている面を充分補足するように働いています。エレミヤは、ゼパニヤの働きの特徴を充分捕えて補足しています。この面で、二人は良い友、同労者ということができるでしょう。一人で何もかも充分に主の使命を果たすことは、到底できません。それを同労の友が助け、補うことができたら、すばらしいことです。

「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」(コロサイ1:24)

ここで、パウロが、「キリストの苦しみの欠けたところ」と言ったのは、キリストの十字架の苦しみのことではありません。福音宣教と教会を指導する時の苦難と迫害を受けることを言っているのです。

しかし、エレミヤは、ゼパニヤの預言活動によって、当時進められていたヨシヤ王による宗教改革が、より促進されていったことを喜んでいたことは、疑う余地がありません。それは、エレミヤがゼパニヤよりも長く生きたと思われるからです。

残念な面は、ヨシヤ王の改革は霊的面より、宗教儀式に関する面が多かったために、外面的な改革に止まってしまっていました。一見、華々しい改革運動に見えましたが、永続性のある、深みのある、真実な霊的改革に至らなかったことを、エレミヤは見抜いていたのです。このことは、この解説の中で、しばしばエレミヤ書の聖句が引用されていることで、お分かりいただけるでしょう。

6、ゼパニヤが主の摂理のうちに、召されてユダで預言の宣教に踏み出した時、新しい時代の預言者、すなわち、エレミヤ、ハバクク、オバデヤ、エゼキエル、そしてナホムまでが、新時代の改革的預言者として、次々と預言の活動を開始したのです。

これらの預言者は、すでに北王国イスラエル(サマリヤ)を襲っていた捕囚の滅亡から、南王国ユダを救おうと、必死に預言の働きをしたのです。ゼパニヤの預言活動は、その発端となったのです。

近代批評学者たちは、本書が編纂者によって改定されたと言っています。しかし、彼らの間でも、詳細の点では、あまり一致していません。

その代表者の一人のアイスフェルトは、
1:2~2:3の信憑性は疑う余地がないと言っていますが、
2:4~15の信憑性は、そんなに確かでないとしています。少なくとも、捕囚期か、捕囚期後に追加されたとしています。
3:1~13には、真正な詩が確かにありますが、8~10節には、資料の改訂があると、アイスフェルトは言っています。
3:14~17は、ゼパニヤが書いたものかもしれない。しかし、このような終末的な文章を追加するのは、当時の習慣であったので、この部分もそうであったとみなしています。
3:18~20は、ゼパニヤが書いたものではない、としています。これは、捕囚期か、そ
の後の時期に書いたものと、考えています。

この近代批評学者たちの見解に対する答えとして、
それらの主張は、彼らの主観的見解であることと、具体的な、客観的根拠がないことです。ゼパニヤの預言のどの部分においても、ゼパニヤが書いたものでないとする、十分な理由は何もありません。

ゼパニヤが預言した時の事情

(ユダの国内事情)

ゼパニヤが預言者として召された時のユダの状況は、危険ではありましたが、また希望の光も見えていました。

善王ヒゼキヤの邪悪な息子マナセが王となった治世(紀元前697~642年)は、55年間にもわたる長い期間で、ユダの信仰状態も、道徳的生活状態も、最悪の状態で悪化する一方でした(歴代誌第二38:1~11)。

マナセはその治世中、彼の最後の回心の時を除いて、ほとんど全部の間、父ヒゼキヤの築いて来た宗教改革運動に反対し続け、ヒゼキヤが破壊して取り除いた高い所を築き直して、バアルの祭壇を立て、アシェラ像を作り、天の万象を拝んでいます。彼の心は低俗な自然崇拝や迷信に犯され、人身御供まで行なっています。マナセには、霊的信仰は全く見られず、倫理的要素も見られません。彼の宗教行動は、内的実質を欠いており、うわべだけで、サタンに支配された熱狂的な儀式宗教です。

彼は、熱狂的な神秘主義者であり、神の怒りをなだめようとして、盲目的に父祖たちの行なっていた偶像宗教に、狂信的に復帰しようとしたのです。これはマナセがあまりにもアッシリヤを恐れたからであり、アッシリヤの王に敬意を表わしていることを示すためだったのです。

このマナセの偶像礼拝と道徳的堕落に反対した、主に真実な礼拝者たちは、マナセから迫害を受け、時には殺害されたのです。

「マナセは、ユダに罪を犯させ、主の日の前に悪を行なわせて、罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった。」(列王記第二21:16)

マナセは主の命令によって、アッシリヤの将軍たちによって鈎で捕えられ、青銅の足かせにつながれてバビロンヘ引いていかれた後、主に対する態度を変えて、へりくだっています。このことは真実です。

「しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」(歴代誌第二33:12、13)

マナセの治世の間の、偶像礼拝の悪い影響が、全ユダの民衆を支配していたわけではありません。預言者エリヤの時のように、偶像にひざをかがめない忠実な信仰者も残っていたのです。ここに、この時代は危険でしたが、希望があります。このわずかに残っていた忠実な信仰者が、ユダを回復させたのです。彼らは、より勝れる信仰状態を求め、主を礼拝することを恐れずに守って来たのです。

「しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」(列王記第一19:18)

マナセの子アモンの次の王、ヨシヤは、よりきよい信仰を求めて止まない人々のいるユダの国の王となったのです。民衆の多くは、預言者ゼパニヤが預言を始めると、ゼパニヤに聞き、ヨシヤの宗教改革に従う準備ができていたのです。

(周辺諸国の事情)

当時のメディヤとアッシリヤは、スクテヤ地方(酉シベリヤから黒海、カスピ海地方)を侵略し、西方アジヤ諸国を、まるで、いなごの大群が通り過ぎると、実り豊かな土地も、荒地に変えてしまうように、荒廃させていたのです。戦争は、彼らの一番好んでいた仕事でした。

彼らは、紀元前632年、コーカサスを打ち破り、メソポタミヤを踏みにじって縦断し、さらにシリヤを打ち破り、エジプトに侵入しようとしていました。エジプトの王プサンメティコス一世は、莫大な贈り物によって、彼らを買収して、彼らを去らせたと、歴史家ヘロドトスは、この侵略の記事を記しています。

ゼパニヤはここで直接、アッシリヤがスクテヤを侵略したことを言っているのではないと思われますが、ゼパニヤはアッシリヤのスクテヤ侵略については、よく知っていたので、もし、ユダの国が主に反逆している、現状の態度を取り続けているなら、ユダがどのような事態に陥るか、想像に難くなかったのです。事実、このときは、ゼパニヤやヨシヤたちの働きによって、アッシリヤによるスクテヤ侵略のような事態は、ユダには起きませんでした。その後のユダの罪に対する審判の器となったのは、アッシリヤの後に興隆して来たバビロンでした。

アッシリヤの勢力の絶頂期はここまでで、アッシリヤは衰退していきます。それで、ヨシヤが宗教改革を行なうことができる期間が与えられたのです。そして、アッシリヤの衰退の始まりは、バビロンが支配権を握る好機が訪れていることを表わしています。

目的

この短い書は、神の黙示に彩られた最初の預言で、「すべての預言の集約」と呼ばれ、全世界における主のご支配と、全地に対する神の審判を観察したものです。

主は、罪を憎まれ、だれの罪であっても、審判を行なわれるお方であることを、宣告しているのが、本書の示している原理です。この原理は、いつの時代の、どの民族においても、真実です。

ゼパニヤ書の直接的な目的は、罪を犯しているご自身の民に対して、近づきつつあった主の怒りの日の審判を宣告し(1章)、

さらに、ユダの国民に悔い改めを警告し(2章~3章8節)、

最後に、悔い改める民には、来るべき赦しと救いの約束を告げています。この「来るべき赦しと救いの約束」を語ることが目的だったのです(3章9~20節)。

ナホムが、その預言の中で教えた神の審判の教訓を、ゼパニヤは、その説教の中で、ユダに当てはめて、強い言葉で述べています。

ヘロドトスは、紀元前632年頃から、アッシリヤに追われたスクテヤ人がユダに侵攻していたことを記しています。

ゼパニヤは北方の野蛮な遊牧民スクテヤ人の侵入が近づきつつある、その脅威をもって、ユダとエルサレムに臨もうとしている大審判の日を説教しています。

しかしゼパニヤは、神の審判はユダだけでなく、ニネベだけでもなく、地上のあらゆる国民の上に臨むことを預言しました。

この書の構図は、二重になっています。

第一は、神の審判が宣言されており、審判の黙示がきわめて鮮明です。預言者の名前ゼパニヤ(主の見張り人)は、彼の使命をよく表わしていると思われます。彼は、罪を悔い改めない者に注がれる神の怒りの見張り人です(1章)。

第二は、神の審判を招いた罪の宣告です。ユダとエルサレムの破滅と荒廃は、さらに来るべき、はるかに大きな審判の雛型、すなわち、全地の審判を予表するものです。

神の審判を引き起こした罪は、

偶像礼拝(1:4~6)と、
圧制、貧欲、残虐、欺瞞(3:1~5)です。

主の審判の目的は、滅亡させることではなく、偶像礼拝や罪を取り除いて、聖なる民にすることにあります。

「主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、」(イザヤ書4:4)

たとい、罪の審判が切迫していても、真実な悔い改めは、その審判を回避させるのです。

「もし、ほんとうに、あなたがたが行ないとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行ない、在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分自身の身にわざわいを招くようなことをしなければ、わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。」(エレミヤ書7:5~7)

「『しかし、今、-生の御告げ。- 心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。』あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。」(ヨエル書2:12~14)

神の前にへりくだることが、人間の採るべき正しい態度であることは、聖書の中の古くからの教えであることは、しばしば語られて来たことです。

「モーセとアロンはパロのところに行って、彼に言った。『へプル人の神、主はこう仰せられます。いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。』」(出エジプト記10:3)

愛の神を信じて、強調している者にとっては、ゼパニヤ書の厳しい審判の預言は、過酷すぎると思われるかもしれません。しかし、愛の神は、神の民の罪を見た時、聖なる憤りに動かされたのです。それで、ゼパニヤは「わたしは取り除く。」、「わたしは断ち滅ぼす。」という主のメッセージを記しているのです。

主の憤りは、愛から生まれています。それ故、本書には、厳しい審判とともに、やさしいあわれみが、入り混じっているのです。しかし、最終的には、ユダの回復こそが、ゼパニヤの中心メッセージなのです(3:14~20)。 最後の、この主の民の救いの賛歌は、主ご自身が指揮しておられます。

ゼパニヤ書の預言的メッセージ

ゼパニヤはエルサレムの住民であったことは確かです。なぜなら、その住民でなければ分からないエルサレムの特定の場所について、よく知っているからです。たとえば、以下の個所です。

「わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、偶像に仕える祭司たちの名とを、その祭司たちとともに断ち滅ぼす。」(1:4)

「その日には、-主の御告げ。- 魚の門から叫び声が、第二区から嘆き声が、丘からは大いなる破滅の響きが起こる。泣きわめけ、マクテシュ区に住む者どもよ。商人はみな滅びうせ、銀を量る者もみな断ち滅ぼされるからだ。その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、そのぶどう酒のかすの上によどんでいて、『主は良いことも、悪いこともしない。』と心の中で言っている者どもを罰する。」(1:10~12)

ゼパニヤは、エルサレム市中にあて、暴力や不正な手段によって富を得ることに夢中になり、偶像礼拝に陥り、主に不信仰になっている民衆を見ていたのです。そのため、ゼパニヤの初期の預言は、非常に暗い、厳しいものになっています(1:1~3:8)。この光景には、神の怒りと苦渋に満ちた御顔が表わされています。

しかしこの預言の後半(3:9~20)は、新しい未来観に満ちています。

ゼパニヤは、神の怒りの恐ろしい記録の後に、この後半で、ユダの普遍的救いと、究極的な回復の喜びと希望と、勝利の歌について記しています。この後半の部分が、前半の部分とあまりにも違いすぎるので、学者たちの中には、前半と後半を切り離そうと考える人がいますが、この二つの部分を切り離すための充分な理由も根拠もありません。

ゼパニヤの預言の大きな重荷となっていたものは、ユダに対する神の審判が迫っていたことでしたが、しかし、罪に対する主の審判はユダだけでなく、近隣諸国にも、エジプト、アッシリヤにも、全世界に対するものであって、未来の地平線上には、主の審判の中に、主の愛と恵みがあることを、ゼパニヤは見ているのです。

ゼパニヤは、ユダに対する審判を預言しながら、ユダが主に祝福された者になり、全世界に主を証しする者となるために与えられる、シオンの栄光、主の民に与えられた恩寵、贖われた者に対する神の喜び、回復したイスラエルの聖潔と献身、希望と歓喜と平和との幻で、結んでいます。このように、ユダは主のしもべとなるために、きよめられることを預言しているのです。この意味で、ゼパニヤ書は黙示の書です。

ゼパニヤ書に見る贖(あがな)い主と贖われた民

贖い主

1、主は、救いを与える全能者であられます。
2、主は、贖われた民を見て、喜ばれます。
3、主は、贖われた民の高ぶりを取り去られます。

贖われた民

1、贖われている民は、究極的には、永遠に救われます。
2、彼らは、高く上げられます。
3、彼らの罪は、赦されています。
4、彼らは、永遠に幸福となります。

ゼパニヤの預言の特徴は、「主の日」を強調している点にあります。終わりには、この日を「キリストの日」に当てはめているようです。

この日のことを描写するのに、非常に恐ろしい言葉を連ねていますが、この預言はヨハネの黙示録6章に記されている「小羊の怒りの大いなる日」に成就します(ゼパニヤ書1:15、16)。

「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」(ヨハネの黙示録6:16,17)

(続く)

以上、8ページ分の抜粋

写真は、フランスの画家James Tissot(1836 – 1902)が1888年に描いた「The Prophet Zephaniah(預言者ゼパニヤ)」

このプリント・シリーズは、原稿をA4用紙に印刷したもので、本にはなっていません。

「ゼパニヤ書(A4 39枚)」の価格は780円+送料です。購入ご希望の方は、下記にお問い合わせください。

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