プリント紹介 「ヨナ書」 A4 52枚

目次

・書名
・ヨナ書の興味
・年代と記者
・目的(型)
・ヨナ書の統一性
・ヨナ書の歴史性
・ヨナ書の歴史的記録
1)ヨナの宣教
2)ヨナの逃避(1:3)
3)ヨナの奇跡的な救い(1:17、2:1~10)
4)ヨナの説教とその結果(3章)
5)ヨナの伝道の著しい効果
・鍵の句
・使命と教訓とメッセージ性
・ヨナ書の特徴
・ヨナとイエス・キリスト
・分解
・各章
1章
-預言者ヨナの任命
-ヨナの不従順
-大風
-主が備えた大きな魚
2章
-魚の腹の中から
-置かれていた惨めな状態
-主はヨナを陸地に吐き出させた
3章
-主の再命令
-ニネベ
-ニネベの悔い改め
4章
-ヨナの怒り、神のあわれみと慈愛

以下、一部抜粋

ヨナ書

書名

本書の書名は、記者のヨナ(yonah「はと」という意味)から、その名を採っています。七十人訳聖書では、᾿Ιωναν、グルガタ訳聖書では、Ionas となっています。

ヨナ書の興味

多くの人にとってヨナ書は、興味深い預言書です。その興味は、「ヨナが大きな魚の腹の中で三日三晩、生きていた。」という奇跡の話のためです。また、他の人々は、ヨナ書を通して語られている神のあわれみ深い、救いのメッセージの故に、心を動かされずにはいられないでしょう。

C・H・コーニルは、この小さい預言書を少なくとも、百回読んだと言っています。その読んでいる時、目に涙が流れ、胸の鼓動が早くなることなしに、ヨナ書を読むことも、これについて語ることもできなかったと言っています。彼は、ヨナ書はこれまでに書かれた最も深遠で、偉大な書の一つであると言っています。そして、彼はヨナ書を読む人に、「あなたの足から靴を脱げ。あなたの立っている地は聖い地であるから。」(出エジプト記3:5、ヨシュア記5:15)と言いたいと、言っています。

ヨナ書は、主なる神とアミタイの子ヨナとの個人的な問題を扱っているようですが、その奥には、イスラエル人を初め、今日に至るまでのすべてのクリスチャンに対して、自分中心の性質を取り除かれて、どんな悪人に対しても、どんな民族に対しても、主のあわれみが注がれていることを悟り、福音を伝える必要があることを教えています。

ヨナ書の記録は、預言者ヨナの使命と彼の不従順な逃避の試みから始まっています。ヨナは自分に下された神のご命令が自分の心情と異なり、気に入らなかったのです。ヨナは、いかに神のご命令でも、従えないと決心して、遠いタルシシュに逃げることにしたのです。そこなら、神のご命令も届かないだろうと考えたのです。しかし、神はヨナを放置しておかなかったのです。

ヨナ書の前半では、ヨナが大きな魚の腹の中で、いのちを失いそうな、ぎりぎりのところまで行かせて、見守り、そして危機一髪のところで、ヨナを救い、もう一度、ニネベへの宣教命令を与えています。

ヨナ書の後半では、神のあわれみ深いみこころとご目的を悟らせるために、ヨナの自分中心性を悟らせておられます。ヨナは、最初、愛国心の故に不服従を示していましたが、その愛国心は、彼の自分中心性によって歪められており、彼の自分中心の心情こそ、取り除かれなければならないものだったのです。そこに神の光が当てられています。

年代と記者

ヨナ書自体には、本書をだれが、いつ、書いたのか、何も具体的なことを記していません。伝承は、本書の記者をヨナだとしています。もし、ヨナが書いたのなら、紀元前八世紀中のいつか、であるに違いないでしょう。もしそうでないなら、もっと遅い年代が考えられますが、はっきりした結論を下すことはできません。これについては、この後、ご説明していきます。

ヨナ書自体は、ヨナが書いたとは言っていませんが、さりとて、他の人が本書を書いたとも言っていません。むしろ、預言者ヨナの経験したことや、2章の大きな魚の中での祈りは、ヨナ自身でなければ、書くことができないとも考えられます。ヨナ書をだれが書いたにしても、ヨナ自身でなければわからない記事を書いています。しかしまた、ヨナには、わからない、水夫が知っていることも書き記しています。これについては、後に詳しく記していますが、このように本書には、記者を確定する証拠がないのです。

ヨナは、罪悪に満ちたアッシリヤの首都ニネベに対する、神の慈悲を示した預言者です。ヨナは、イスラエル人で、ガリラヤのガテ・へフェル(ナザレの北方)出身で、預言者であったアミタイの子でした(列王記第二14:25)。彼は、ゼブルン族の出身で、北王国の王の家臣であったと言われています。

ナホム(ヨナの後、ニネベの滅亡を預言した預言者)は、エルコシュ人とありますが(ナホム書1:1)、エルコシュはガリラヤにあったと言われています。また、預言者マラキもガリラヤ出身です。そうだとすると、ヨハネの福音書7章52節で、パリサイ人が言った言葉、「・・・調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」は、偽りです。

ある古代の権威あるユダヤ人の考えによれぱ、「ヨナは、エリヤが死より甦らせたツアレファテのやもめの子(列王記第一17:8~24)だった。」と言われています。これだと、ヨナはイスラエル人でなくなってしまうので、間違いだと思われます。

ヨナは、エリヤやエリシャの後継者となり、二人の偉大な預言者を親しく知っていたと思われます。とにかく、ヨナは、エリヤ、エリシャ、ホセア、アモス、イザヤたちとの間をつなぐ期間に働いたのです。ヨナは、預言者学校で教育を受けたようです。

ヨナについては、旧約聖書では、ヨナ書以外には、列王記第二14章25節のみに記されています。

「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・へフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりでした。」(列王記第二14:25)

ヨナは、ヤロブアムニ世(紀元前793~753年)の治世に、宣教の働きをしました。ここでは、ヤロブアムニ世が、イスラエルの沿岸ハマテの入口から、アラバの海(死海のこと)まで、神がヨナによって語られたように回復したと、述べています。

それ故、私たちは、ヨナの宣教の時代を、少しは知ることができます。ヨナがヤロブアムニ世の治世下で宣教活動を行なった時代は、エリシャが奉仕の生涯を終えた時だったと言えるでしょう。この時代は、北王国イスラエルがアッシリヤによって陥落させられる前で、この時期にヨナ書が文書にされたとするのが、自然と思われます。

そして、イスラエルがニネべに支配されていたのは、紀元前733~612年(紀元前612年は、ニネべ滅亡の年)の間ですから、この期間に、ヨナ書はイスラエル人に知れ渡り、さらに水夫たちによって広い範囲の地域に知れ渡って行ったと考えられます。

ヨナの預言自体には、年代を示す歴史的事件が記されていませんが、ヨナがニネベから帰った後、間もなく、ヨナ書を書いたことは、十分あり得ることです。

また、ヨナがニネベに行ったのは、アッシリヤの王テグラテ・ピレセル三世の治世の少し前であったことも、十分可能性があります。

テグラテ・ピレセル三世は、紀元前734年にペリシテを打ち破り、その翌年、733年にイスラエルを占領して、貢を納める国とし、その十二年後に、イスラエルは滅亡してしまっています。紀元前732年には、アラムも首都のダマスコが陥落させられ、四つの州に分割されました。イスラエルの王アハズは、テグラテ・ピレセル三世に迎合して異教の祭儀を持ち込んで、当面の危機を乗り越えましたが、ついにイスラエルは完全に滅亡させられたのです。ヨナの預言は、その前の時代のことであろうと思われます。

テグラテ・ピレセル三世は、よく訓練された強力な軍隊と、組織化された官僚制度、完備した駅伝の通信制度、騎兵、戦車による機動的な軍隊、そして征服した諸国に容赦のない重税を課して、人民の心を震撼させていました。彼は、紀元前727年に没しています。

しかし、次のような見解もあります。

ヨナ書は、預言者ヨナの生涯に起きたことが、根本的な資料となっており、そのうちの、ただ一つの劇的挿話を記した伝記的作品であって、かならずしも、ヨナ自身によって書かれたと考えなければならないこともありません。記者がだれかと言うことは、どこにも記されておらず、預言者ヨナは、常に三人称で描かれています。

さらに、ヨナ以外の人の資料によって書かれているものもあります。たとえば、1章各節前半の、水夫たちが積荷を海に投げ捨てたことは、ヨナが船底で熟睡していた時のことで、ヨナが書くとすれば、後に水夫たちから聞いたものと思われます。1章16節も、ヨナが海に投げ込まれた後に行なわれた、いけにえや誓顧のことが書かれています。ヨナがどれほど長い間、海の中にいたかは、恐らく水夫たちが教えてくれたものと思われます。これらの点を考え合わせると、ヨナ書はヨナ自身の経験だけでなく、船長や水夫たちの提供した資料にも基づいていると思われます。

3章3節で、ニネべに関して過去形が使われていることにより、ヨナ書は紀元前612年のニネベ滅亡以後に書かれたものであると考える学者もいます。

「ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。」(3:3)

もし、ニネベの滅亡以後にヨナ書が書かれたのであれば、主が、「まして、わたしは、この大きな町ニネべを惜しまないでいられようか。」(4:11)と言われたみことばと、一致しなくなります。このヨナ書が書かれた時には、ニネベは存在していたことは明らかです。

ヨナは、イスラエルを慰める、みことばを宣べ、主が、ヨアシュの子ヤロブアムの手をもって、イスラエルの民を救い、シリヤの来襲によってイスラエルが失っていたダマスコとハマテを回復されることを告げました(列王記第二14:25~28)。

ヨナの預言によって、イスラエルは回復しつつあったのです。その時に、アッシリヤの首都ニネべに行って、主の警告を説教することは、万一それによって、ニネベが悔い改めて、主のあわれみを受け、滅ぼされないことになると、イスラエルは再びアッシリヤの脅威にさらされて、危機に直面することになると、ヨナが考えたとしても不恩義ではありません。せっかく回復し始めたイスラエルが、アッシリヤによって滅ぼされるかも知れません。そんな危険な命令に従うわけにはいかないというのが、ヨナの決心です。

「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・へフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。
主がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。
主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。
ヤロブアムのその他の業績、彼の行なったすべての事、および彼が戦いにあげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。」(列王記第二14:25~28)

列王記は、ヨナ書よりも、はるか後に書かれたものと思われますが、ヨナ書は、ヨナ自身の欠点を隠さずに、正直に記しているのに対して、列王記の記者は、ヨナを特別に尊敬しているようです。それは、恐らく、多くの欠点を持っていた預言者でも、主に用いられた器を、尊んだからでしょう。

以上、4ページの途中まで抜粋

写真は、フランスの画家James Tissot(1836 – 1902)が1888年に描いた「The Prophet Jonah(預言者ヨナ)」

このプリント・シリーズは、原稿をA4用紙に印刷したもので、本にはなっていません。
「ヨナ書(A4 52枚)」の価格は1040円+送料です。購入ご希望の方は、下記にお問い合わせください。

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