音声:使徒の働き(011) 専念祈祷 1:12~14

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使徒の働き(011) 専念祈祷 1:12~14

1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
【新改訳改訂第3版】

(たけさんの一口まとめ)

イエス様が昇天されていなくなり、弟子たちは打ちひしがれ意気消沈していました。しかし、彼らはイエス様のご命令に従ってエルサレムに戻り、泊まっている屋上の間に集まって心をひとつにして祈りました。悲しい沈痛な雰囲気の祈祷会でしたが、この祈りの体験が、50年もたたないうちにローマ世界にキリストの福音を広める原動力になったのです。

この祈祷会の場所は、宿を経営していたマルコの母マリヤの家であり、以前、イエス様とともに最後の食事をしたところでもあると言われています。第一の鍵は、弟子たちが落胆した状態であっても、神のみことばに聞き従ったことです。弟子たちは魂が飢え渇いていて、集まって祈らずにはいられない状態でした。

この時、画期的なことが二つありました。
一つは、婦人たちも一緒に参加したこと。これは、男女を厳しく分けるユダヤ社会では前代未聞のことでした。もう一つは、イエスの兄弟が加わっていたこと。兄弟たちは、以前はイエスを救い主と信じていませんでしたが、イエスが十字架にかけられた後に信じるようになったものと思われます。つまり、男女の差別や兄弟の権威などの古いしきたりや偏見が取り除かれました。

この祈祷会では、みな心を合わせ、祈りに専念していました。心を一つにすることは大変重要です。自分の力なさ、むなしさ、魂の不安など、お互いの痛みを分かち合う一致があり、イエス様のみことばを信じる一致があり、10日間祈って待つという一致がありました。その後更に、喜び、悲しみ、痛み、乏しさ、などを互いに分かち合う一致へと成長して行き初代教会が形成されて行きました。

ペンテコステまでの10日間、120人もの人が一緒に生活していたわけですから、食事の用意だけでも大変な事です。ずっと祈りの部屋で祈ることはできません。彼らには炊事も掃除も生活すべてが祈りでした。祈りの霊が一人一人に注がれて、皆が、感謝して奉仕できたと思われます。しかし、長い時間祈り続けると、サタンの罠にかかる危険もあるので注意しなければいけません。祈りの時も聖書のみことばに立ち返る必要があります。

弟子たちは、ペンテコステの前のこの祈りで神の力に満たされる経験があったので、ペンテコステの後も様々な場面で祈りました。祈ると言うことは、身近に力を受ける最も重要な手段です。
祈りの力を経験するために必要なことは、
1. どんなこともみことばを信じて従うこと。
2. こころを合わせて祈ること
3. 何をしている時もこころは主と交わり、祈りの霊を受けること
私たちも祈りの霊を注がれて祈りの祝福を経験し、神様にお仕えしたいと思います。

写真は、イスラエル博物館に設置されたAD66年頃のエルサレムを再現した50分の1模型。左上部は上の町と呼ばれる高級住宅街、右下半分が庶民の家々が立ち並ぶ下の町。下の町のどこかに屋上の間があったものと思われます。