週報No.2135 涙の預言エレミヤ書(45)「信じ切らない王」エレミヤ書21:1~14

2018年7月1日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(45)「信じ切らない王」エレミヤ書21:1~14

エレミヤ書21章1~14節
21:1 【主】からエレミヤにあったみことば。ゼデキヤ王は、マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤをエレミヤのもとに遣わしてこう言わせた。
21:2 「どうか、私たちのために【主】に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。【主】がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。」
21:3 エレミヤは彼らに言った。「あなたがたは、ゼデキヤにこう言いなさい。
21:4 イスラエルの神、【主】は、こう仰せられる。『見よ。あなたがたは、城壁の外からあなたがたを囲んでいるバビロンの王とカルデヤ人とに向かって戦っているが、わたしは、あなたがたの手にしている武具を取り返して、それをこの町の中に集め、
21:5 わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、
21:6 この町に住むものは、人間も獣も打ち、彼らはひどい疫病で死ぬ。
21:7 そのあとで、──【主】の御告げ──わたしはユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデレザルの手、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。彼は彼らを剣の刃で打ち、彼らを惜しまず、容赦せず、あわれまない。』」
21:8 「あなたは、この民に言え。【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
21:9 この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。
21:10 なぜならわたしは、幸いのためにではなく、わざわいのためにこの町から顔をそむけるからである。──【主】の御告げ──この町は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼くであろう。』」
21:11 ユダの王家のために──「【主】のことばを聞け。
21:12 ダビデの家よ。【主】はこう仰せられる。朝ごとに、正しいさばきを行い、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。さもないと、あなたがたの悪行のために、わたしの憤りが火のように燃えて焼き尽くし、消す者はいない。」
21:13 「ああ、この谷に住む者、平地の岩よ。あなたに言う。──【主】の御告げ──あなたがたは、『だれが、私たちのところに下って来よう。だれが、私たちの住まいに入れよう』と言っている。
21:14 わたしはあなたがたを、その行いの実にしたがって罰する。──【主】の御告げ──また、わたしは、その林に火をつける。火はその周辺をことごとく焼き尽くす。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 この場面は、紀元前588年の、バビロン軍がエルサレムを包囲した、早い時期のことです。

 「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデネザルが、私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行なわれたように、私たちにも行ない、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。」(エレミヤ書21:2)

 この時、ゼデキヤ王はネブカデネザルの攻撃に耐えかねて、かつての善王ヒゼキヤの時のように、神が敵軍から解放軍の助けを送ってくださるかもしれないと考えて、エレミヤに主のみ旨を確かめてくれるように、伝言を送ったのです。

 しかし、彼の心には、主に対する悔い改めがないのに、主がかつて善王ヒゼキヤを助けてくださった時のように、奇しい解放のみわざを行なってくださることを期待したのです。

 このような人は、今日でも大勢います。これは、聖なる神を侮っていませんか。本心から主イエスを信じる気持がないのに、目先の困難を解決してもらいたくて、主に執り成しの祈りを求めたり、助けを求める人は少なくありません。

 ゼデキヤは、最後の最後まで、神の愛の呼び掛けに答えようとせず、耳をふさいでいながら、臆面もなく、自分の窮地だけは主の救いを期待して、神の助けを求めたのです。

 これに対するエレミヤの答は、「そのあとで、-主の御告げ- わたしはユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデネザルの手、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。彼は彼らを剣の刃で打ち、彼らを惜しまず、容赦せず、あわれまない。」(J/21:7)です。

 自分が蒔いた種は、必ず、刈り取らされます。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテ
ヤ書6:7~8)

 しかし、このような最悪の状態になっていても、まだ悔い改めて、主に立ち返るなら、主が救いの道を開いてくださることを忘れてはなりません。

 「主を求めよ。お会いできる間に。近くおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(イザヤ書55:6~7)

 ゼデキヤは、37:1~10でも、エレミヤに主のみ旨を確かめています。この場合は、包囲中の後期に、二回目の質問団がエレミヤの所に来たのです。

 マアセヤの子、祭司ゼパニヤは、両方に加わっています。

 自ら主に立ち返ることをしないで、何度主のみこころを確かめに来ても、主のお答えが変わるはずがありません。主のみこころを動かすためには、主を真心を持って、信じて従う以外に道はありません。

<今週の活用聖句>

ガラテヤ人への手紙6章7~8節
「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

<集会案内>

◇7月4日(水)聖別会  午前10時半
    聖潔とは何か(8)
   「旧約と新約の中間時代の証言(2)
   へプル人に見る罪と人間に内住する神の霊」

地の塩港南キリスト教会
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