週報No.2167 涙の預言エレミヤ書(75)「正義の若枝」エレミヤ書33:10~18

2019年2月3日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書33章10~18節
33:10 【主】はこう仰せられる。「あなたがたが、『人間も家畜もいなくて廃墟となった』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、
33:11 楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の【主】に感謝せよ。【主】はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、【主】の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」と【主】は仰せられる。
33:12 万軍の【主】はこう仰せられる。「人間も家畜もいなくて廃墟となったこの所と、そのすべての町々に、再び、群れを伏させる牧者たちの住まいができる。
33:13 この山の町々でも、低地の町々、ネゲブの町々、ベニヤミンの地、エルサレム近郊、ユダの町々でも、再び群れが、数を数える者の手を通り過ぎる」と【主】は仰せられる。
33:14 「見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する。
33:15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽ばえさせる。彼はこの国に公義と正義を行う。
33:16 その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『【主】は私たちの正義』と名づけられる。」
33:17 まことに【主】はこう仰せられる。「ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が絶えることはない。
33:18 またレビ人の祭司たちにも、わたしの前で全焼のいけにえをささげ、穀物のささげ物を焼き、いつもいけにえをささげる人が絶えることはない。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 「その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」(エレミヤ33:16)

「主は私たちの正義」は「ヤーウェ・ツィドケ」を訳したものです。この新しい名は、回復されたエルサレムにではなく、私の救い主キリストの名であることを、パウロは明らかにしています。「しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(コリント第一、1:30)信仰による義は、自分の努力によって得る義ではなく、神の義であるキリストを持つことです。イエス・キリストの義は、死からの復活と昇天によって、明らかです。それ故、復活された主イエス様を信じて受け入れることが、私が神の義を持つ、唯一の方法です。

17、18節は、この方の人格的職分を表わしています。
17節では、ダビデの王座に着かれる、永遠の王としての職分です。18節では、レビ人の祭司に表わされている神と罪人との間を執り成す、永遠の祭司としての職分です。

 この約束の救い主は、王であり、祭司です。そしてご自分で、神を啓示なさる、預言者、祭司、王です。このお方はイエス・キリスト以外にありません。この三つの主イエスに与えられた職分は、神がこの世界で、みこころとみわざを行なわれる不変の救い主の働きです。

 この三つの職分によって、私が罪を犯した時には、私を懲らしめられ、私が敵から苦しめられ、しいたげられた時には、あわれみを与えられ、私の罪と汚れは、消し去られます。この約束は、霊的には、もうすでに、完全に実現しています。

 「まことに主は、こう仰せられる。『ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が絶えることはない。』」(同33:17)

 ダビデの王家としての職分は、預言者ナタンを通して、主が与えられた職分です(サムエル記第二、7:12~16)。

 ダビデの子孫が、歴代の王座を継承するだけでなく、神が遣わされる預言のメシヤが、ダビデの子孫であり、永遠の神の王国を治めることを宣言しています。

 「またレビ人の祭司たちも、わたしの前で全焼のいけにえをささげ、穀物のささげ物を焼き、いつもいけにえをささげる人が絶えることはない。」(同33:18)
18節の、祭司の職分については、モーセによって、ピネハスに約束されたものです(民数記25:12~13)。

 これらの正義の若枝の、エレミヤの預言は、新約聖書のイエス・キリストの内に、永遠に完全に完成しているのです。

 「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(ルカ1:32~33)

 「律法は弱さをもつ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。」(へブル7:28)

「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(ヨハネの黙示録22:16)

 このみことばは、永遠の祭司職を示しています。

 この預言で語られて来た、メシヤの四つの名前、即ち
「若枝」…新しいいのちの契約
「主は私たちの正義」…信仰によって神の義が与えられること
「王」…平和の王、平和の神ご自身、私の心を平安で満たす王
「大祭司」…私の罪の身代わりの代価を払われ、執り成しをして下さる神・人

 これらのお名前は全て、人となられた神、イエス・キリストに当てはめてきましたから、この預言の解釈は、適切です。

 このエレミヤの希望のメッセージは、紀元前536年に、捕囚からの帰還によって、預言の成就が始まり、神の御子イエス様が受肉降誕されたことによって、大きく、永遠の救いと御国の完成に近づいているのです。この預言は、イエス・キリストの再臨によって、永遠に完成するのです。イエス・キリストの王としてのご支配と、祭司としての毎日の執り成しは、全ての人に、そして私にも霊的祝福を与えて下さっているのです。

<今週の活用聖句>

へブル人への手紙7章25節
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

<集会案内>

 ◇2月6日(水)聖別会 午前10時半
  聖潔に関する旧約聖書の証言(2)
     「神にある聖性(ホーリネス)」

地の塩港南キリスト教会
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