週報No.2166 涙の預言エレミヤ書(74)「幸福の預言」エレミヤ書33:1~9

2019年1月27日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書33章1~9節
33:1 エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような【主】のことばがあった。
33:2 「地を造られた【主】、それを形造って確立させた【主】、その名は【主】である方がこう仰せられる。
33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
33:4 まことにイスラエルの神、【主】は、塁と剣で引き倒されるこの町の家々と、ユダの王たちの家々について、こう仰せられる。
33:5 彼らはカルデヤ人と戦おうとして出て行くが、彼らはわたしの怒りと憤りによって打ち殺されたしかばねをその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のために、わたしがこの町から顔を隠したからだ。
33:6 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。
33:7 わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを建て直す。
33:8 わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。
33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 祈りにおいて不可欠なものは、敬虔な祈りのことばでもなく、激しい熱情でもなく、自分の正しさ、真面目さ、熱心さでもなく、心の内に抱いている、主に全く信頼している、信仰の思いです。御霊の思いを抱いていることです。

「・・・御霊による思いは、いのちと平安です。」(ローマ8:6後半)

 この思いを抱くためには、不信仰な思いを捨て、他人のことばに惑わされず(ヨブは友人のことばに反論したために、ずいぶん苦しめられました。)、自分自身の知恵の思いに頼らず、みことばと聖霊に、純真な心で、全く信頼して祈ることだけです。

 祈りの奥義に、隠されているものなど、ありません。幼子のような、少しも疑わない信仰だけです。

「この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』するとすぐに、その子の父は叫んで言った。『信じます。不信仰な私をお助けください。』」(マルコ9:22~24)

 父親は、子どもの病気が問題で、その病気を引き起こしている病の霊が、難問だと、主イエスに訴えています。

 そこで、その難問をイエス様が何とかおできになるのでしたら、私とこの子をあわれんで、お助けくださいと、謙遜に、控えめに、突然のお願いをしたのです。

 しかし、イエス様のご指摘は、その子の病気でもなく、病の霊でもなく、父親自身の敬虔を装った不信仰でした。

 どんなに丁寧な、謙遜をまとったことばで祈っても、疑いを抱いて、信じきっていない隙間を心に持っていれば、主を呼び求めても、答えて下さいません。

 ベタニヤのラザロが死んだ時、主がマルタに言われたみことばを読みましょう。

「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」(ヨハネ11:40)

 祈りに奥義があるとすれば、主と、主のみことばを、少しも疑わずに、信じて祈ることです。主はそう言われています。

「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また立って祈るとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。』」(マルコ11:22~25)

 次に、「理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」とは、パウロがエペソ3:19で、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」と言っていることと同じです。人間がこれまで経験的に知り得た知識よりも、はるかに、祈りに価値があることを、神が保証していると、言っているのです。

 エレミヤにとって、祈りは、自分の願っているものを手に入れるための手段ではなく、神の霊的な奥義、ご性質、みこころ、力を、新しく体験する扉を開く、信仰の鍵、霊的手段です。

 祈りに対する神のお答えは、大きさにおいても、力においても、規模においても、価値においても、偉大です。

 祈りは「人知を越えた神の奥義」を開く力です。

 神はしばしば、私たちの心に神を経験させるために、祈りを用いられるのです。

<今週の活用聖句>

エレミヤ書33章3節
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

<集会案内>

 ◇1月30日(水)聖別会 午前10時半
  聖潔に関する旧約聖書の証言(1)
    「イザヤのヴィジョン」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421