聖書の探求(009a) 創世記3章 蛇の誘惑と人間の堕落

3章は象徴的伝説ではなく、歴史的事実として記録されています。もしこれを伝説と考えるなら、私たちの罪性も、キリストの十字架のあがないも、すべてがただの伝説と考えなければならなくなりますから、事実に反してしまいます。異端はこの部分が全くでたらめですから、注意しなければなりません。


上の絵は、フランスの画家James Tissot (1836–1902) により描かれた「Adam and Eve Driven From Paradise(楽園から追放されるアダムとイブ)」(ニューヨークのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)


堕落の結果は人間生活に明らかに現われてきています。人は裸であることを知り、罪によって内側が汚れましたから、おおいを必要とするものになりました。人は罪の故に咎(とが)ある者となり、聖なる神の御前に立つことができなくなってしまいました。

人の言葉を語る蛇は異常で、目立っています。アダムは神から与えられた権威と知性によって他の被造物に名をつけ、また自らが神の人格的かたちに造られたことを自覚し、さらに各々の動物を管理することによって、下等被造物に対して優越性を自覚していました。

ところが、蛇は人の言葉を話すことによって、神が蛇に課した限界を破っています。本来、蛇は人に従うべきであるのに、人の上に立とうとしています。蛇はサタンの代弁者(道具)として使われています。

この記録の真実性を立証する証拠の一つは、古代における竜蛇崇拝が世界中に存在することに見られます(中国、インド、パレスチナ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、アフリカ、アメリカ大陸、日本など)。太陽崇拝以外にこれほど行き渡っている宗教はありません。

また、バビロン付近で発掘された絵画には、二人の人間が一本の木の両側に坐し、彼らの手を果実に向けて差し出し、その一人の背は蛇に引っ張られています(ジョージ・スミス著「カルデヤ人の創世の記録」参考)。

理性的人間が忌まわしい蛇に最高の尊敬を払うとは、神のみこころに全く反することでした。人類の始祖を誘惑し、礼拝を受けられる神の位置に自分を置くということは、老いた蛇、すなわち悪魔の目的だったのです。彼はそれに成功しました。この事実は、この種の偶像礼拝が世界各地に広がっていったことによって立証されているのです。

誘惑はサタンによって、人間の人格の外からやってきます。これに応答するとき、堕落の危険に陥ります。

中心点「ほんとうに神が言われたのですか。」(1節) 

3:1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。 

神のことばに対して疑惑をもたせることだったのです。

〔サタンの誘惑を撃退する方法〕

1、質問や疑いや誘いを、はっきりとサタンのものとして取り扱うこと
2、神のみことばで撃退すること(マタイ4章の主イエスの実例)

〔サタンの誘惑の仕方〕

1、目的  神に対する不従順な心を起こすこと。

神と人との正しい関係は全き従順によって成り立っています。従順は人間の幸せと平安と、正しい生活の中心です。この神に対する従順をこわさなければ、罪は侵入できなかったのです。

2、方法  自分の姿を蛇に偽装すること(コリント第二11:14)

サタンは蛇の形をとることによってエデンの園に忍び込んだのです。

3、道  神の真理を曲げ、これを否定すること。

神のみことばを疑わせ、神ご自身を疑わせること。神のみことばを取り去れば、クリスチャンの信仰は崩壊していくことをサタンはよく知っているのです。(マタイ13:3~23)

4、手段  神の愛を疑わせること。

神がよりよい賜物を出し惜しみしていると暗示しました。(5節)
創 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

〔エバの心の動き〕

1、2~3節 神のみことばに対する厳密な態度が失われている。

3:2女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。 

創2:16の神のみことばと比べてみますと、
2:16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

イ、2節 「心のままに」が省かれています。
ロ、3節 「触れるな」は神のことばの中にはない。エバが勝手に付け加えたものです。
ハ、3節 「きっと死ぬ」を「死んではいけないから」に変えています。

(注、ヨハネの黙示録22:18,19、神のみことばにつけ加えたり、取り除いたり、変えたりすることは、神のみことばが心の中に宿っていないこと、すなわち神のみことばがその人の良心を支配していないことを証明しています。聖書はすべて神の完全な霊感によって記された神のことばです。(テモテ第二  3:16))

2、4~6節 蛇の偽りのことばに耳を傾け始めた。

創  3:4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

イ、4節 「決して死ぬことはない。」
ロ、5節 「神は知っておられるのです。」
ハ、6節 欲望と良心の声との葛藤があり、そしてついに決行。

〔人間の堕落の道〕

1、 エバは蛇のことばに耳を傾けた。

エバは、蛇を支配する立場にあったのに、神から与えられていた権威を捨てて、蛇に従った。エバは神の御声を聞く代わりに、蛇の声を聞いたのです。

2、次にエバは目の欲に従った。

彼女は神のみことばに従う代わりに、目の欲に従ったのです。

3、さらに、耳と目を通してかき立てられた。

肉の欲がエバの良心を裏切って、「食べるに良い」と意志を決断させました。
そしてさらに、神のように賢くなりたいという高ぶりに陥った。
サタンが堕落した根本的な罪も、神の栄光をねらった高ぶりでした。果実を食べるという一時の楽しみはすぐに過ぎ去りましたが、罪の根はいつまでも残ることになったのです。

〔堕落による直接的結果〕

1、7節 ふたりの目は開いた。

3:7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

2、7節 自分たちが裸であることを知った。(恥の自覚)
3、7節 腰のおおいを作った。(自分を義とする細工)

自己義はいちじくの葉のように、しばらくは青々としていても、やがてしおれて枯れてしまい、役に立たなくなります。

4、8節 身を隠した。(有罪の自覚、神との楽しい交わりが断たれた。)

3:8彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
参考 カイン(創世記四章)、ヨナ。

5、12,13節 責任転嫁

3:12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 3:13そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
(アダム→エバ→蛇、罪人の特色の一つ)

6、14,15節 蛇に対するのろい

3:14主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、
一生、ちりを食べるであろう。3:15わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

7、16節 出産の苦痛の増大

3:16つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。

8、16節 夫婦のうるわしい調和と愛の関係がくずれた。
9、17~19節 生活の苦しみ

3:17更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。3:18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。3:19あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

10、19節 肉体の死 (ローマ5:12)

ロマ 5:12このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

11、23、24節 エデンの園からの追放

3:23そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 3:24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

12、15、21節 救いの約束

15節 キリストの十字架の最初の預言

3:15わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

21節 血が流され、神の与えられる(キリストの)衣を着なければならないこと(ローマ13:14、ガラテヤ3:27)これはキリストの救いの型です。

3:21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

〔罪に対する神の取扱い〕

1、神は罪人を捜された。「あなたは、どこにいるのか。」(9節)

3:9主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。

これは神の愛のしるしです。神はすぐに滅ぼさず、罪を赦し、交わりを回復するために罪人を捜しておられます(ルカ19:10)。
ルカ 19:10人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

2、神は罪人に罪を自覚させ、告白することを求めておられます。

これが罪の赦しの基礎です。

ヨハネ16:8‥‥罪の自覚
ヨハ16:8それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

ヨハネの手紙第一、1:9‥‥罪の告白
Ⅰヨハ 1:9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

罪を告白することによって私たちは、私たちの罪を背負ってくださったイエス・キリストの上に各々の罪を置くのです。

3、神は罪を罰せられます。

たとい罪が赦されても、犯した罪の結果は刈り取らなければなりません.(ガラテヤ6:7)。

ガラ 6:7まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

エバは生みの苦しみを、アダムは労働の苦しみを、そして二人共に肉体の死を刈り取り、いのちの木から離れなければならなかったのです。

4、神は獣の皮を与えて、罪をおおわれました。

創 3:21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

これは救い主の約束を意味しています。この獣の皮は罪の犠牲となった動物のものです。これは罪のあがないを示しています。
3章15節の「女の子孫」とは、救い主イエス・キリストのことなのです。


「聖書の探求」の目次


【月刊「聖書の探求」の定期購読のおすすめ】
創刊は1984年4月1日、2019年3月現在では通巻420号になりました。まだまだ続きます。
お申し込みは、ご購読開始希望の号数と部数を明記の上、振替、現金書留などで、地の塩港南キリスト教会文書伝道部「聖書の探求」係にご入金ください。バックナンバーも注文できます。
一年間購読料 一部 1,560円(送料共)
バックナンバー 一部 50円(送料別)
郵便振替00250-1-14559
「宗教法人 地の塩港南キリスト教会」
電話・FAX 045(844)8421