聖書の探求 009a 創世記三章 蛇の誘惑と人間の堕落

三章は象徴的伝説ではなく、歴史的事実として記録されています。もしこれを伝説と考えるなら、私たちの罪性も、キリストの十字架のあがないも、すべてがただの伝説と考えなければならなくなりますから、事実に反してしまいます。異端はこの部分が全くでたらめですから、注意しなければなりません。

堕落の結果は人間生活に明らかに現われてきています。人は裸であることを知り、罪によって内側が汚れましたから、おおいを必要とするものになりました。人は罪の故に咎(とが)ある者となり、聖なる神の御前に立つことができなくなってしまいました。

人の言葉を語る蛇は異常で、目立っています。アダムは神から与えられた権威と知性によって他の被造物に名をつけ、また自らが神の人格的かたちに造られたことを自覚し、さらに各々の動物を管理することによって、下等被造物に対して優越性を自覚していました。

ところが、蛇は人の言葉を話すことによって、神が蛇に課した限界を破っています。本来、蛇は人に従うべきであるのに、人の上に立とうとしています。蛇はサタンの代弁者(道具)として使われています。

この記録の真実性を立証する証拠の一つは、古代における竜蛇崇拝が世界中に存在することに見られます(中国、インド、パレスチナ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、アフリカ、アメリカ大陸、日本など)。太陽崇拝以外にこれほど行き渡っている宗教はありません。

また、バビロン付近で発掘された絵画には、二人の人間が一本の木の両側に坐し、彼らの手を果実に向けて差し出し、その一人の背は蛇に引っ張られています(ジョージ・スミス著「カルデヤ人の創世の記録」参考)。

理性的人間が忌まわしい蛇に最高の尊敬を払うとは、神のみこころに全く反することでした。人類の始祖を誘惑し、礼拝を受けられる神の位置に自分を置くということは、老いた蛇、すなわち悪魔の目的だったのです。彼はそれに成功しました。この事実は、この種の偶像礼拝が世界各地に広がっていったことによって立証されているのです。

誘惑はサタンによって、人間の人格の外からやってきます。これに応答するとき、堕落の危険に陥ります。

中心点 「神は、ほんとうに言われたのですか。」(1節)神のことばに対して疑惑をもたせることだったのです。

〔サタンの誘惑を撃退する方法〕

一、質問や疑いや誘いを、はっきりとサタンのものとして取り扱うこと
二、神のみことばで撃退すること(マタイ4章の主イエスの実例)

〔サタンの誘惑の仕方〕

一、目的  神に対する不従順な心を起こすこと。

神と人との正しい関係は全き従順によって成り立っています。従順は人間の幸せと平安と、正しい生活の中心です。この神に対する従順をこわさなければ、罪は侵入できなかったのです。

二、方法  自分の姿を蛇に偽装すること(コリント第二、11:14)

Ⅱコリ11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。サタンは蛇の形をとることによってエデンの園に忍び込んだのです。

三、道  神の真理を曲げ、これを否定すること。

神のみことばを疑わせ、神ご自身を疑わせること。神のみことばを取り去れば、クリスチャンの信仰は崩壊していくことをサタンはよく知っているのです。(マタイ13:3~23)
マタ 13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
13:9 耳のある者は聞きなさい。」
13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
13:17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。
13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

四、手段  神の愛を疑わせること。

神がよりよい賜物を出し惜しみしていると暗示しました。(5節)
創3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

〔エバの心の動き〕

一、2~3節 神のみことばに対する厳密な態度が失われている。

創2:16~17の神のみことばと比べてみますと、
創 2:16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

イ、2節 「思いのままに」 が省かれています。
ロ、3節 「触れてもいけない」は神のことばの中にはない。エバが勝手に付け加えたものです。
ハ、3節 「必ず死ぬ」を「死ぬといけないからだ。」に変えています。
(注、ヨハネの黙示録22:18,19、神のみことばにつけ加えたり、取り除いたり、変えたりすることは、神のみことばが心の中に宿っていないこと、すなわち神のみことばがその人の良心を支配していないことを証明しています。聖書はすべて神の完全な霊感によって記された神のことばです。(テモテ第二、3:16))
Ⅱテモ 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

二、4~6節 蛇の偽りのことばに耳を傾け始めた。

創 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
イ、4節 「決して死にません。」
ロ、5節 「神は知っているのです。」
ハ、6節 欲望と良心の声との葛藤があり、そしてついに決行。

〔人間の堕落の道〕

一、 エバは蛇のことばに耳を傾けた。

エバは、蛇を支配する立場にあったのに、神から与えられていた権威を捨てて、蛇に従った。エバは神の御声を聞く代わりに、蛇の声を聞いたのです。

二、次にエバは目の欲に従った。

彼女は神のみことばに従う代わりに、目の欲に従ったのです。

三、さらに、耳と目を通してかき立てられた。

肉の欲がエバの良心を裏切って、「食べるに良い」と意志を決断させました。
そしてさらに、神のように賢くなりたいという高ぶりに陥った。
サタンが堕落した根本的な罪も、神の栄光をねらった高ぶりでした。果実を食べるという一時の楽しみはすぐに過ぎ去りましたが、罪の根はいつまでも残ることになったのです。

〔堕落による直接的結果〕

一、7節 ふたりの目は開いた。

創 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

二、7節 自分たちが裸であることを知った。(恥の自覚)
三、7節 腰のおおいを作った。(自分を義とする細工)

自己義はいちじくの実のように、しばらくは青々としていても、やがてしおれて枯れてしまい、役に立たなくなります。

四、8節 身を隠した。(有罪の自覚、神との楽しい交わりが断たれた。)

創 3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
参考 カイン(創世記四章)、ヨナ。

五、12,13節 責任転嫁

創 3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
3:13 そこで、神である【主】は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
(アダム→エバ→蛇、罪人の特色の一つ)

六、14,15節 蛇に対するのろい

創3:14 神である【主】は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

七、16節 出産の苦痛の増大

創3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

八、16節 夫婦のうるわしい調和と愛の関係がくずれた。
九、17~19節 生活の苦しみ

創3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

十、19節 肉体の死 (ローマ5:12)

ロマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、― それというのも全人類が罪を犯したからです。

十一、23、24節 エデンの園からの追放

創 3:23 そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたの で、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

十二、15、21節 救いの約束

15節 キリストの十字架の最初の預言
創3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

21節 血が流され、神の与えられる(キリストの)衣を着なければならないこと(ローマ13:14、ガラテヤ3:27)これはキリストの救いの型です。
創3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
ロマ13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
ガラ3:27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。

〔罪に対する神の取扱い〕

一、神は罪人を捜された。「あなたは、どこにいるのか。」(9節)

創 3:9 神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
これは神の愛のしるしです。神はすぐに滅ぼさず、罪を赦し、交わりを回復するために罪人を捜しておられます (ルカ19:10)。
ルカ19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

二、神は罪人に罪を自覚させ、告白することを求めておられます。

これが罪の赦しの基礎です。
ヨハネ16:8‥‥罪の自覚
ヨハ16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
ヨハネの手紙第一、1:9‥‥罪の告白
Ⅰヨハ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
罪を告白することによって私たちは、私たちの罪を背負ってくださったイエス・キリストの上に各々の罪を置くのです。

三、神は罪を罰せられます。

たとい罪が赦されても、犯した罪の結果は刈り取らなければなりません.(ガラテヤ6:7)。エバは生みの苦しみを、アダムは労働の苦しみを、そして二人共に肉体の死を刈り取り、いのちの木から離れなければならなかったのです。
ガラ6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

四、神は獣の皮を与えて、罪をおおわれました。

これは救い主の約束を意味しています。この獣の皮は罪の犠牲となった動物のものです。これは罪のあがないを示しています。
創3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
3章15節の「女の子孫」とは、救い主イエス・キリストのことなのです。
3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

上の写真は、フランスの画家James Tissot (1836–1902) により描かれた「Adam and Eve Driven From Paradise(楽園から追放されるアダムとイブ)」(ニューヨークのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)


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