聖書の探求 009b 創世記四章(1) カインとアベル

この章には堕落の後の定着した結果が記されています。

ここには二種類の宗教と社会があります。すなわち、カインの流れとアベルの代わりに生まれたセツの流れの宗教と社会です、そして文化的には、かなり高度に発達していたことが分かります。

1~2節  彼らの人となり

カインの名前の意味‥‥ヘブル語で「得る」
アベルの名前の意味‥‥ヘブル語で「はかない」
創 4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、【主】によってひとりの男子を得た」といった。
4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

3~5節  献げもの

カイン‥‥土から出たもの(自分の努力の産物)
アベル‥‥羊の初子の中から最良のもの(自分の罪のための身代わりの犠牲として)
創 4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

4~5節  神の嘉納と拒否

カインとそのささげ物を受け入れなかった。‥‥農作物(人間の努力の誇り)
アベルとそのささげ物は受け入れられた。‥‥羊(罪を除く神の小羊なるイエス・キリスト ヨハネ1:29)
ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
(参考 へブル11:4~6)
ヘブル 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

5節 カインは怒った。‥‥怒った最初の記録

① 自分とささげ物が受け入れられなかったことの故に。
彼には自分自身の反省と悔い改めがない。むしろ、あくまでも自分が正しいと考え、他人(アベル)をねたんでいます。
②6節 神の反省を求める声にも耳を傾けなかった。
これは神のあわれみの御手を拒絶したことを意味しています。
③8節 神のあわれみを拒絶したカインは、ますますねたみと怒りに燃えて、アべルを殺害するに及んでしまったのです。
創 4:6 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
4:7 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。

9、10節 神の詰問

創 4:9 【主】はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
①9節 「あなたの弟アべルは、どこにいるのか。」 「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
これはうそです。彼は第4の罪を犯してしまいました。(第一は高慢、第二は神を拒絶、第三は殺人、第四はうそ)
② 10節 「あなたは、いったいなんということをしたのか。」
先に弟のことをたずねた後、本人のことを詰間される神の方法は、アモス書でイスラエルを譴責するまえに近隣諸国を譴責したのに似ています。

11~12、15節 カインへの神の宣言

創 4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」

4:15 【主】は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで【主】は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。

① 11節 カインに対して土地はのろわれたものとなる。
② 12節 実を結ばない。
③ 12節 さすらい人となる。
④ 15節 神のあわれみ (カインに会う者が彼を殺すことがないように、一つのしるしを与えられる。) 厳しい刑罰の中にもあわれみを忘れたまわない神。しかし、最後のさばきの時には、このあわれみが
ないことをお互いは覚えなければなりません (ローマ11・22)。
ロマ 11:12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

〔カインの系統とセツの系統〕

一、カインの系統

① カインとその子孫の住んだ地は、エデンの東、ノデ。
彼らは神と無関係の生活を続ける。
② 彼らは無神論的文化と文明を作り上げる。
アダム→カイン→エノク(町を建設し、エノクと名づける)→イラデ→メフヤエル→メトシャエル→レメク(7代目)

創 4:23 さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。
4:24 カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」

人類の最初は一夫一婦で、野蛮ではなかった。しかし罪が深く浸透してきたレメクの時に、一夫多妻と野蛮なことが始まったのです。カインの子孫はレメクの子供たちで、その記録はこれ以後全く跡切れています。おそらく、ヤバルたちの時代はノアの時代と同時代で、カインの子孫はノアの大洪水のときに滅ぼされてしまったものと思われます。

二、セツの系統

四章ではセツについて、わずか2節しか記されていませんが、これはこれに続く神の民の本流の序となっています。

セツの系統の7代目はエノク(ユダ14)です。
ユダ 1:14 アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。

エノクは3百年神とともに歩みました(5:22)。
創 5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。

またセツにエノシュが生まれた時から、主の御名によって祈ることを始めています (4:26)。
創 4:26 セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。

これは自分たちが神の民であることを公に示すことにもなったのです。
このようにセツの子孫とカインの子孫には大きな相違が出来てしまいました。

〔アベルとカインの型〕

一、アベルはキリストの型

アベルは羊の犠牲をささげた上に、自らの血を流して殉教したことは、キリストのあがないを示しています。

二、カインはユダヤ人の型

カインがアべルを殺してのろわれ、さすらい人となったように、ユダヤ人はキリストを十字架にかけて殺したために、その後二千年間のろわれて放浪の旅を続けています。

三、さらにアベルとカインは、互いに相反する二つの道をあらわしています。

すなわち、
1、超自然宗教と自然宗教
2、岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家
3、いのちに至る狭い道と滅亡に至る広い道
人物的に言うなら、
4、アベルとカイン
5、アブラハムとロト
6、イサクとイシュマエル
7、ヤコブとエサウ
8、取税人とパリサイ人
9、罪ある女とパリサイ人シモン
10、ザアカイと若い役人
11、放蕩息子とその兄
12、十字架上で悔い改めた犯罪人と悔い改めなかった犯罪人

アベルとカインとの間には、神の恩寵の道と、人間の生来のままの道との相違が明らかに示されています。

〔4章については残ってしまいました。神の恩寵の道(アべルの宗教)と人間生来の道(カインの宗教)、カインの道の行く末、そしてカインとセツの子孫が形成していく二つの社会について考察していきます。このあたりは罪悪論やキリストのあがないと深くかかわっており、また異端との相違点を明確にするためにも十分に学びたいものです。〕

上の写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyによって1906年に出版されたBible cardのイラスト「The Story of Cain and Abel(カインとアベルの物語)」 (Wikimedia Commonsより)

(聖書の探求 通巻9号のあとがき)

私がクリスチャンになって本当にうれしかったことは、聖書の奥義を少しずつ知ることができるようになったことです。聖書を探求することがこんなに楽しいとは、予期しなかったことです。聖書を深く探求する度に、新な神の力を経験し、何度も目が聞かれる思いがします。そして真理の光を得て、物事に対
する洞察力も鋭くなってきます。

私は、クリスチャンと教会に底力ができてくる鍵は聖書の奥義をある程度十分に知ることにあると確信しています。クリスチャン各々が、聖書から新な神の力を経験するようになった時、本当のリバイバルが始まるものと信じています。これがない限り、どんなクルセードも、キャンペーンも線香花火のように立ち消えになってしまうでしょう。パッと燃え上っても、すぐに細々と消えかかってしまうのです。しかし聖書の探求は初めは細々とした火ですが、枯葉の火が山火事になるように、心に灯ったみことばの火はリバイバルの火となるのです。(1984年12月)