聖書の探求(010a) 創世記4章(2) アベルの宗教とカインの宗教

〔神の恩寵の道(アべルの宗教)〕

一、アベルは罪を自覚していました。そのままでは、神に感謝をささげるために神の御前に出られないものであることを自覚していました。

私たちは神に感謝をささげる前に、贖いのためのいけにえ、すなわちイエス・キリストの十字架を信じることが必要です。アべルは両親のアダムとエバから罪について詳しく聞いていたに違いありません。それが聖霊によって彼の心に浸透し、真の悔い改めの果を結ばせたものと思われます。

二、アべルは神の義と愛を信じ、信仰によって自分の罪のための身代わりのいけにえをささげました。

ヘブル人への手紙11章4節には、アべルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげたと、記されています。人の目には、アベルのいけにえは火をもって焼き尽くされると、ただ灰だけが残り、カインの供え物はいつまでも立派に見られたでしょう。しかし神は罪のために身代わりの血を流したささげ物を喜ばれたのです。それは、そのささげ物の中にアべルの心の動機、すなわち神の義と愛を信じる信仰があったからです。
ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

三、アべルは羊のいけにえとともに、自分自身をささげました。

ヘブル人への手紙11章4節の「彼のささげ物」は複数形で記されています。英語聖書などで調べてみましょう。
英語聖書【TEV】
Heb 11:4 It was faith that made Abel offer to God a better sacrifice than Cain’s. Through his faith he won God’s approval as a righteous man, because God himself approved of his gifts. By means of his faith Abel still speaks, even though he is dead.
これは、彼が羊と自分との二つのささげ物をしたことを意味しています。これは私たちの信仰にとっても大切です。ある人は、キリストのあがないの血を信じるけれども、自分自身を神にささげることをしません。またある人は、熱心に自分をささげて奉仕に励むけれども、キリストの血に信頼しようとしません。これは両方とも間違いです。キリストの血を信じるとともに、自分のすべてを神にささげ、全く神にまかせて、安心して神に従う生活をすることが真の信仰です。

四、アべルは神のあかしを得ました (ヘブル11:4)。これは聖霊のあかしです。

聖霊は二つのものについてあかしされています。
第一に、キリストの血についてあかしし、第二に、信じる私たちが神に受けいれられていることをあかしされています。
これが真の救いの道です。私たちが自分の罪を悟り、キリストの血を信じ、自らを神にまかせれば、必ず心の中にキリストの血によって罪が赦され、神の家族とされている幸いなあかしを受けることができます。

五、アベルは、神より聖霊のあかしを受けたことを公表しました。

カインの前にもそれを発表したのです。創世記4章8節の「しかし、カインは弟アべルに話しかけた。」とあるのを見ますと、カインはアベルの平安と喜びとを見て、その理由をたずねたものと思われます。アベルはそれに答えて、大胆にカインにあかししたでしょう (ローマ10:10)。
創4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
ロマ10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

六、アベルは信仰のために迫害され、殉教の死をとげました。

多くの信仰者は迫害を受け、殉教していきました。今、私たちは血を流すような迫害を受けていないかもしれないけれども、幾分か迫害を受けることがあっても当然のことと思わなければなりません(テモテ第二、3:12)。
Ⅱテモ3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

七、アベルは信仰によって、今なお私たちに語っています(ヘブル11:4)。

創世記4章のアべルの声は、神に復讐を求める声ではありません。それは信仰による訴えです。ヘブル人への手紙11章4節をみれば、アベル自身が信仰によって語っていると記されています。彼は数千年前に殺されたけれども、彼の信仰のメッセージは今なお、私たちに響いているのです。

〔人間生来の道(カインの宗教)〕

一、 エバはカインが生まれたとき、彼を約束の救い主だと思ったことは間違いありません。

創世記4章1節の原文は、
「私は、ひとりの人を得た。すなわちエホバである。」です。カインという名の意味は「所有」です。
エバはカインを救い主だと思いましたが、後に非常に失望させられました。そのことは弟が生まれた時、アべル(「むなしい」という意味)と名づけたことによって分かります。
とにかく、自然、すなわち肉に属する者が先に出てくるのです(コリント第一、15:46)。
Ⅰコリ15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。

二、 カインは無神論者ではなく、宗教を信じる者でした。

彼もアベルのように神の御前にささげ物を持ってきましたが、それは和解(感謝)のささげ物だったのです。レビ記をみますと、和解のささげ物は、罪のため(贖いのため)のいけにえか、全焼(献身)のためのいけにえとともに献げるのでなければ、ささげることが出来ないことが分かります。けれども、カインは自分の罪を自覚せず、贖罪の必要を悟らず、自己義を盾に神に近づいたのです。
これは肉につける道、自然宗教の道です。自己の義を立てる道です。これが根本的な罪なのです。

三、カインは自らを無罪と考え、そのままで神の御前に出る価値があると思っていました。

が、神に受け入れられないことが分かると、すぐに怒りを発して自分の中に恐ろしい罪があることを表わしました。彼には、へりくだりもなく、悔い改めもなく、かえって神にそむく心がはっきりと現われてきたのです。

四、神は驚くべき愛をもって救いのチャンスを差し出されたけれども、カインはこれを拒みました。

神はやさしくカインの罪を示したのみならず、彼に贖罪の必要なことを示して救いのチャンスを与えたのですが、カインはこの神のあわれみを拒んだのです。

五、カインは神の声を聞いたのみでなく、アべルのあかしをも聞いたのです。

アべルは自分の平安と確信をカインに語ったに違いありません。この平和と喜びは神の御前にいけにえをささげた結果であることをあかししたでしょうが、カインはこれをも受け入れなかったのです。

六、カインは、自分の心に人殺しの罪が入っていることを知っていたにもかかわらず、心は高慢になり、神のあわれみを拒み、弟のあかしをも受け入れず、具体的に憎悪の心を表わし、ついに弟を殺したのです。

七、それのみならず、その心は全く頑固になり、数々の罪の上に偽りの罪も加えて、さすらい人となりました。

〔カインの道の行く末〕

これはキリストを受け入れない罪人の恐ろしい生涯の状態です。

一、 カインはアベルの血によって、神に訴えられました (4:10)。

創4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
これは不信者の今の状態です。不信者を神の御前に訴えるものは、キリストの流された血です。罪人が罰せられるのは、罪を赦すところの救いを拒み、これをなおざりにし、軽視したからです。

二、カインの命が助かったのは、神が愛の故にただちに死刑を執行せず、悔い改めるべき機会を与えられたからです。

これは今も、神が未信者を取り扱われる方法です(ローマ2:4~5、テモテ第一、2:4、ぺテロ第二、3:9)。
ロマ 2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
Ⅰテモ 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

三、カインは神の選ばれた者を殺したために、彼は地よりのろわれました(4:11)。

創 4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。

アダムは罪を犯してエデンの園から追放された時に、地が彼のためにのろわれました。(創世記3:17)。同じように、キリストの血を流した人、キリストの血の声を聞かない人、キリストの血を拒む人はのろわれているのです。
創 3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

三、 のろわれたのはカイン自身だけでなく、カインの労するところはすべてのろわれました。

カインの労働に対して、地は十分に実を結ばないようになったのです (4:12)。
創 4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」

四、 カインは神より離れて、神の御顔を見ることができず、神と交わることもできなくなりました (4:14)。

創 4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」

これは不信者の運命です (マタイ8:12、22:13、エペソ2:12)。
マタ 8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
マタ 22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。

五、 カインは神から逃れて休む所なく、一生涯さすらっていました (4:12)。

これも不信者の状態で、心に平安がなく、休む所がなく、行きつく所もなく、さまよっているのです。

六、 それにも拘らず、カインは悔い改める思いがなく、へりくだって神に立ち帰り、罪赦されて、み救いにあずかりたいという心もなく、かえって高慢になり、華かな町を建てて、その子の名をその町の名としたのです。(4:16、17)。

創 4:16 それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
4:17 カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。

この世にあっては、旅人また寄留者であるのに、カインはこの世を自分の天国にしようと考えたのです。彼はこの故に偽りの安息を求め、自分を欺き、暗黒に呑み込まれてしまったのです。

(聖書の探求 010bに続く)


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