聖書の探求(013)創世記九章 ノアの祝福、神の契約、人間の失敗

9章は神がノアを祝福された章です。

〔ノアの祝福ー新生(真の自由)の生涯〕(9:1~7)

1、実を結ぶ(9:1)

創9:1 それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。
これは神の目的であり、救いの生涯のしるしです(ヨハネ15:1~8,16)。ローマ人への手紙6章と7章には新しい命に歩むことばかりではなく、神のために実を結ぶようになる(ロマ7:4)ことが記されています。実を結ばなければ、人間の救いの目的は達成できません。これはノアに対する神の第一の祝福でした。
ヨハ15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
ヨハ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

2、 支配権がゆだねられた(9:2)

創9:2 野の獣、空の鳥、──地の上を動くすべてのもの──それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。
神はノアにすべての動物を支配する権利をゆだねました。神は今も、クリスチャンに世界を支配する権利を与えておられます。もし世界からクリスチャンが一人もいなくなり、クリスチャンの祈りがなくなってしまったら、世界は暗黒になり、地獄と化してしまいます。それ故、クリスチャンは確信を持たなければなりません。時として信仰の弱いクリスチャンは未信者を恐れますが、実際は未信者がクリスチャンに頼るようになるのです。使徒2:43、4:13、5:11、19:17にあるとおり、当時のクリスチャンは迫害を恐れず、かえって神をおそれる畏敬の念があったので、未信者はクリスチャンとその力を見て、非常に恐れるようになったのです。これが聖霊に満たされている第一の証拠です。
使 2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
使4:13 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
使 5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。
使 19:17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。

3、 豊かな食物(9:3,4)

創 9:3 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。
9:4 しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。
神はノアとその子孫に、すべてのものを食べる自由を与えました。ここでは動物を食べることが許可されています。これまでは野菜のみを食べていたのです(創世記1:29、30)。しかし血を食べることは禁止されています(4節)。テモテ第一、4:3~5にはすべて神の造られたものは善きものであって、感謝と賛美をもって受けるなら、捨てるべきものは何一つなく、祈りとみことばによって潔められると記されています。また霊的にも、神は豊かな霊の糧を与えてくださるのです。
創 1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
1:30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
Ⅰテモ4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。
4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。

4、 いのちの保護(9:5)

創9:5 わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
大洪水から救われて、新しい大地が出来たことは、千年王国時代の預言的型であると思われます。その時、神はいのちを保護されますが、今でも神はいのちを保護されます。

5、 法律を執行する権利(9:6)

創 9:6 人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
恩寵の時代に死刑を行なうことは神の恩寵に合わないと考える人もいますが、このことが記されたのはモーセの律法の時代の前のことですから、これは恩寵の時代である今日にも適用されると考えてさしつかえないでしょう。すなわち、理由なく人を殺せば、その人もまた殺されるべきであるというのは、明らかに神のみ旨であるということです。その理由は、「神は人を神のかたちにお造りになったから。」です。

6、 安全の約束 (9:11)

創 9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」
神は再び大洪水をもって地を滅ぼすことはないと約束されました。これは全き安全の約束です。

7、契約のしるしの虹 (9:12~17)

創9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。
9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。
9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」
9:17 こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」
神は安全の約束の保証として虹のしるしを与えました。これは安全の約束の保証です。

9章の後半、8~29節は契約の始めについて記しています。

聖書の中には多くの契約があります。
第一に、ノアに対する契約
第二に、アブラハムに対する契約
第三に、イスラエル(ヤコブ)に対する契約
第四に、ダビデに対する契約
そして、新しい契約であるキリストによる新約です。

神は、ただそのみことばによって約束を与えただけでなく、ご自身が変わりたまわないお方であることを示す為に、契約を立てられたのです。また神は、ノアとその家族を救い出されて、恵みの生涯に入らせただけでなく、彼らを励ますために契約を立てられたのです。

〔神の契約〕(9:8~17)

1、 契約が立てられた理由(8:21)

創 8:21 【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。
神が再び洪水をもってすべての生き物を打ち滅ぼすことはすまいとおおせられた理由は、「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」です。これは不可解のようですが、その意味は次のようなものです。
人間は刑罰によって改善されるものではない。刑罰によって犯罪を少しばかり禁じることはできるけれども、人を救うことはできない。刑罰は報復的であるから、人類は刑罰を受けて滅ぼされるけれども、救われることはない。それ故、神はあわれみをもって契約を立て、再び洪水で人を滅ぼさないと言われたのです。

2、 契約の条件

神の立てられた他の契約には条件がついていますが、この契約だけは全く無条件です。これによって神の慈しみ深く、善であるご性質があらわされています。神は、「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)神です。

3、 契約の範囲(9:9,10)

創 9:9 「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。
9:10 また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。
この契約にはすべての被造物が含まれています。洪水の時には、人間の罪のために下等な動物までが、みな滅ぼされたのです。

4、 契約の性質(9:11)

創 9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」
この契約の性質は神の寛容です。人がどんなに罪を犯し、神に逆いても、神は忍耐をもって悔い改める機会を与え、世の終わりの時まで審判を延ばしています(ペテロ第二3:9)。
Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

5、 契約のしるし(9:12,13)

創 9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。
この契約のしるしは虹です。勿論、虹は以前からありましたが、この時は神の契約のしるしとしてノアの目前に現われました。この美しい虹は神の恩寵の型です。このしるしは、だれにでも見えて、神の刑罰と神の愛の二つを覚えさせるものです。私たちは信仰によって歩むのですが、神はその信仰を励まし、堅くするために目に見えるしるしを与えられた。私たちも、この虹を見るたびに、神の愛を覚えて感謝すべきです。

6、 契約のしるしの目的(9.15,16)

創 9:15 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
9:16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」
この契約のしるしの目的は、人が見ることができるためですが、また神が見られるためでもありました。神のご忍耐は限りないものですが、この契釣を覚えておられるのでなければ、人類を滅ばされる時が何度もあったでしょう。しかし、「わたしの契約を思い出すから」(15節) 「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の、永遠の契約を思い出そう。」(16節)と、神ご自身の契約のしるしをごらんになって滅ぼされなかったのです。

7、契約のしるしの現われる時(9:14)

9:14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。
この契約のしるしは、困難と苦痛の時に見えるものです。空は晴れわたり、太陽が照り輝き、雲がどこにも見えない時には、虹の契約を思い出す必要を感じません。しかし黒雲が天をおおい、暴風雨の時には、私たちの心を平安にし、神の愛と真実を覚えるために虹のしるしが必要です。雲が出るときに必ず虹が現われるわけではありませんが、雲の上ではいつも太陽が輝いています。私たちは信仰によって天に上ぼり(エペソ1:20,2:6)、神と共に虹を見ることができます。この契約は永遠の契約であり、打ち沈みやすい私たちの心に神の愛と真実を保証するものです。
エペ 1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
エペ 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

9章18~29節にはノアの晩年が記されています。

① ノアの子供 18、19、22~24節

創 9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、

② ノアの晩年の失敗 20、21節

9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

③ノアの預言 25~27節

9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」

④ ノアの死 28、29節

9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。

ノアが死ぬ二年前にアブラハムが生まれています。アダムはノアの父レメクの時に死んだのですから、アブラハムは世界の始めからの歴史について、アダム、レメク、ノアと経て伝え聞いていたのです。

〔人間の失敗〕(9:18~29)

神の愛と真実の変わらない契約があったにも拘らず、ノアが悲しむべき失敗をしたことは驚くべきことですが、これが人間のいつわらざる真相です。神の御目の前に恵みを得、神の特別な器として用いられ、義と審判と愛を宣伝し、その家族とともに恐るべき滅亡から救われ、その世の人々の滅亡の光景を自分の目で見、箱舟から出て新に神に祝福され、永遠の契約が与えられ、その契約のしるしを見たにも拘らず、ノアが堕落した行為に陥ったのは信じられないほどのことですが、これが罪の性質をもつ人間の姿なのです。

1、 ノアの罪(酒に酔うこと)(9:21)

創 9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた
ノアは農夫になってぶどうを作り、そのぶどう酒を飲んで酔い、淫欲的な裸体をあらわしたのです。彼が、自分の働きの結果(収穫物)によって罪を犯したということは、実に厳かな警告を含んでいます。自分の仕事、自分の職業、自分の商売、あるいは自分の伝道活動が盛んになってくることによって、高ぶり、神から遠去かり、罪を犯すことは悲しむべきことです。「酔う」というのは、ただ酒に酔うことばかりではありません。ある人は商売の繁盛に酔い、事業の成功に酔い、人の栄誉に酔い、人生の快楽に酔います。人の心を興奮させ、心を奪って神から離れさせることは、みな酔うことです。ノアは自分の働きが盛んになることに全く心が奪われていたために、油断して失敗してしまったのです。私たちも、今、どれほど神と交わり、神と共に歩んでいても、決して油断してはいけません。

2、 罪人(9:24~27)

創 9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。
ノアがこの罪を犯したとき、これに関係する者があった。カナンの父ハムです。ハムは父ノアがぶどう酒を飲んで酔うように誘惑したのです。それ故、ハムの子孫カナンはのろわれました。ここにはセムとヤペテの子孫の名が出ていないのにハムの子カナンの名が出ているのは、ノアの罪はカナンに関係した罪で あったからです。

3、.恥辱(9:22)

創 9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
ハムはノアの裸を見て、外にいる二人の兄弟に告げたと記されています。ハムは父ノアを嘲笑ったのか、非難する意味で告げたのか分かりませんが、自分の尊敬すべき父の罪を吹聴したのです。
まことに人の心は、はなはだ悪いものです。(エレミヤ記17:9) また、大洪水という恐るべき審判を経験した人が、このような罪を犯したということは、刑罰は人の心をただしばらくの間だけ威嚇するのみで、その心の悪い状態を矯正することができないことを示しています。
エレ 17:9 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

4.、愛と悲しみ(9:23)

創 9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
セムとヤペテはハムの恥知らずの態度を見て、深く恐れ悲しみ、父ノアの罪深い姿をうしろ向きに歩いていっておおいました。愛は多くの罪をおおうものです(箴言10:12、ペテロ第一4:8)。
箴 10:12 憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。
Ⅰペテ 4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

5、 のろい(9:24~27)

創 9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
ノアは酔いからさめて自分の罪を悟り、苦しんで悔い改めたに違いありません。そして罪の原因を知ったのです。24節の「末の息子」というのは「最も若い子」という意味です。普通この子はハムだと言われていますが、6.10、7.13、9.18のどれを見てもハムは二番目に記されているので、ハムが一番若い子であったというのは少し無理があるようです。そこで、この最も若い子は、ハムの子で、ノアの孫のカナンであったという説もあります。これは考えられることです。25~27節では、ハムは一度ものろわれず、ハムの子カナンがのろわれています。これによってノアの罪にカナンが関係していたことが明らかです。
カナンの子孫(10.15~19)はカナンの国に住むようになって、ますますのろわれた者となり、ヨシュア記を見ますと、イスラエル人がカナンの国を占領した時に滅ぼされています。カナン以外のハムの子孫はバビロン、アッシリヤ、エジプトなどに住みつき、全く世に属する者(10.6~14)になったけれども、カナンの子孫のようにのろわれてはいません。
創 6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
創 7:13 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。
創 9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
創 10:6 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
10:7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。
10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
10:9 彼は【主】のおかげで、力ある猟師になったので、「【主】のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
10:11 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
10:12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
10:13 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、
10:14 パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ。

またカナンの子孫が自分の兄弟の奴隷となる預言がされています(9.25~27)。
事実、イスラエルがカナンを占領したとき、滅ぼされずに残った者はイスラエルに仕える者となりました。さらに幾世紀にもわたって行なわれた奴隷制度の中で奴隷となった者のほとんどがハムの子孫であったことも事実です。これらの事実の中に、この罪に対する恐るべき預言の成就が見られます。
聖書にあるほとんどののろいは、主イエスを信じることによって取り除かれますけれども、サタンに対するのろいと、ここにあるカナン人に対するのろいとは、取り除かれず、恐ろしい結果をきたしているのです。

(聖書中ののろい)

第一に、悪魔がのろわれている(3.14)

創 3:14 神である【主】は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。

第二に、アダムのために土地がのろわれている(3.17)

創 3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

第三に、カインがその地よりのろわれている(4.11)

創 4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。

第四に、カナンがのろわれている(9.25~27)

6、 セムの祝福(9.26)

9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
ノアはこの時、二人の息子を祝福しました。第一にセムが祝福されました。「ほめたたえよ。セムの神、主を。」この言い方はめずらしい言い方です。セムは直接に祝福されず、「セムを選び、セムを守り、セムが従い、セムが信じた神はほむべきかな。」と言ったのです。セムの祝福はみな神にかかわっています。神とセムとの関係によって祝福されてくるのです。セム族の多くの者もやはり神から離れて、偶像礼拝に陥りました。けれどもノアの語った祝福は、神に従ったセム族、すなわちアブラハムの子孫に与えられていったのです。

7、 ヤペテの祝福(9.27)

9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
ヤペテの子孫はアーリア人で、ヨーロッパに住む人々です。この祝福には、ヤペテの子孫が広がってセムの国を占領するような意味が含まれています。そしてもう一度、カナン人が奴隷となるというのろいが操り返されて、彼らがヤペテの子孫に支配されるということが付け加えられています。

〔九章の人間の失敗からの教訓〕

1、 どんなに恵まれ、どんなに幸福な経験を持っていても、みことばの光に従っていなければ、再び罪に陥ることがあること。

2、 聖書は真実を記していること。普通、人の伝記はその人の美点ばかりを記して、欠点や短所を隠すのに、聖書は私たちに警戒を与えるために、失敗や罪もありのままに記しています。

上の写真は、フランスの画家James Tissot(ジェームズ・ティソ 1836–1902) により1896年頃と1902年頃の間に描かれた「Noah’s Drunkenness(ノアの泥酔)」(New YorkのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)

あとがき

洗礼を受けているが教会に行っていない。教会に行っているが聖書を読んでいない。聖書を読んでいるが分からない。という方々がクリスチャンと呼ばれている人々の中に大勢いるのではないでしょうか。聖書が分からなければ、信仰が落ちていくのは当然です。聖書はただ字句の意味が分かるだけでは糧にはなりません。霊魂の喜びと納得となるまで、心の中の明けの明星とならなければ、聖書を読んだことにはなりません。もし、聖書を探求するのをおろそかにして、平気でいるクリスチャンがいるなら、その人は最も危険な状態にあるのです。
聖書はすぐに分かるものではありません。少しずつ、忍耐強く探求していくとき、いつしかあなたの心の中で神の火が燃え始めていることに気づくようになるのです。主も、「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8.15)と言われました。(1985.4.1)