聖書の探求(012)創世記7~8章 洪水の期間、神の態度と取扱い、新生の道

大洪水が始まったのは、ノアたちが箱舟に入ってから7日経った(7:10)、ノアの600才の年の第二の月の17日(7:11)でした。11節には、「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。」と記されていますから、大雨が降っただけでなく、地からも水が押し寄せてきたことが分かります。そして四十日間の大雨が続き、水は山々の頂上よりも更に15キュビト(約7m)も高くみなぎるに到りました(7:20)。
創 7:10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。
7:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。
7:20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。

21、22節に「死んだ」とあるのは人間の側からの見解で、23節の「消し去った」とあるのは神の側からの見解を述べています。
創 7:21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
7:22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。
7:23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。

〔洪水の年表〕

・ノアの年令(600才)
創7:6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。

・箱舟に入る ‥‥・・・ココカラ
創7:7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。
7:8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、
7:9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。

・洪水が始まる(2月17日)・・・・・・・・・ココマデ7日間
創 7:10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。
7:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。

・大雨が40日間降る・・・・・・・・ココカラココカラ
創 7:12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。

・水かさが増し、箱舟を押し上げる‥‥‥ココマデ40日間、ココカラ
創7:17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。

・山々がおおわれた
創 7:19 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。
7:20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。

・みな死に絶えた
創 7:21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
7:22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。
7:23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。

・水はふえ続けた
創 7:24 水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。

・水は引き始めた・・・・・ココマデ110日間、ココマデ150日間
創 8:1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。創
8:3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、

・大雨、洪水とどまる
創 8:2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。

・箱舟、アララテ山につく(7月17日)
創 8:4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。

・水、減り続ける。山々の頂上が現われる(10月1日)・・・・・ココカラ
創 8:5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。

・ノア、窓を開き、鳥と鳩を放つ・・・・・ココマデ40日間、ココカラ
創 8:6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、

・再び鳩を放つ(若葉)・・・・・ココマデ7日間、ココカラ
創 8:10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った

・さらに鳩を放つ(帰らず)・・・・・ココマデ7日間
創 8:12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。

・地上かわき始める(601才、1月1日)
創 8:13 ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。

・地は乾ききった。神、ノアに語る。箱舟を出る。全焼の犠牲をささげる。(2月27日)
創8:14 第二の月の二十七日、地はかわききった。
8:15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。
8:18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。
8:19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。
8:20 ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

洪水の全期間は、1年と10日間でした。

〔8章16、17、21、22節の神の語りかけの内容〕

1、箱舟から出ること(16節)

これは神のさばきが終わったことを示しています(イザヤ書40:2)。
創 8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。
イザ 40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを【主】の手から受けたと。」

2.地上で鳥や家畜がふえること(17節)

これは神の祝福です(マタイ6:33)。
創 8:17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」
マタ 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

3、神の契約(21、22節)

イ、地をのろわない。
ロ、生き物を打ち滅ぼさない。
ハ、地の続くかぎり、やむことがないもの
種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜
これがノアの全焼のいけにえ(8:2)対する神の答えでした。
創 8:21 【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。
8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」
創 8:2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。

〔罪人に対する神の態度と取扱い〕

1、神は人の心が悪いことだけに傾くのをご覧になられた(6:5、詩篇2:1~5)。

神は人の道徳的状態を見ておられます。
創 6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
詩 2:1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
2:2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
2:3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
2:4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。
2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。

2、神は人を造ったことを悔やみ、心を痛められた(6:6)。

人が神を捨てて罪を犯し、目的もなく、いたずらに人生を費して滅んでいくことは、神のみこころを痛ましめるのです。
創 6:6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

3、 神はひとりの人(ノアを見つけ出し、彼を用いて滅びゆく人類に警告を発せられた(6:13)。

神は人の罪のひどさにも拘らず、審判を下す前に、必ず救いの機会を与え、忠実なしもべを遣わして神の義を宣伝させ、神の怒りより逃れるように警告されます。
創 6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。

4、神は救いの備えもされた(6:14)。

神はノアに箱舟を造らせて、具体的に救いの道を人類の前に置かれたのです。これは今も同じです。神は私たちの前にキリストの十字架の救いを置いて、備えてくださっているのです。
創 6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。

5、神は罪を悔い改めるための時間を与えられた(7:4)。

七日間だけ大雨が降るのを延期されたのは、神のあわれみであり、これは罪人が罪を悔い改める期間です。しかし人々はかえって、この七日間に雨が降らなかったために、ノアの言葉を信ぜず、嘲笑い、神の審判を受けるに至ったのです(ペテロ第二、3:9)。
創 7:4 それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」
Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

6、人が神の救いの道を拒絶したとき、神は人が逃れていくべき道をすべて断ち切ってしまわれた(7:17~20、使徒4:12)。

もし、イエス・キリストの救いを拒むなら、頼るべきものは何一つなくなってしまいます。財産も、地位も、身分も、名誉も、教育も、健康も、親兄弟も、友も、すべてが空しくなってしまうのです。
創 7:17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。
7:18 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
7:19 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。
7:20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。
使 4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

7、神はすべての生けるものを、ことごとく滅ぼされた(7:21~24)。

神は長く忍び、長く警告し、救いの道を備えられたのに、人は罪を悔い改めず、不信仰になって神に背き、神の愛を拒絶したために、ついに神の審判が罪人の上に下ったのです。全世界は、ノアの時代以後、再び腐敗し、神を拒み続けて罪悪は絶頂に達しています。それ故、神はもう一度、こんどは水ではなく、火をもってこの世とこの世にある一切を焼き尽くそうとされています。その時が、刻一刻と迫っているのです。
創 7:21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。
7:22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。
7:23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。
7:24 水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。

〔神の民に対する神の態度と取扱い〕

1、神は招いておられる(7:1)。

「箱舟に入りなさい。」とは、神の幸いな招きです。「来なさい。」という神の招きの言葉は、聖書中600回くらい記されています(たとえば、マタイ11:28、その他、調ベて書き出してみるとよい)。
創 7:1 【主】はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。
マタ 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

2、神は見ておられる(7:1)。

神は人の悪もごらんになるが、正しいのも見ておられます。神は世界中に正しい人が一人しかいなくても、神はその人を見落されることはない(歴代誌第二⒗:9)。神はいかに信仰によって義とされたクリスチャンたちを見ておられるだろうか。このことをクリスチャンはもっと意識すべきです。
創 7:1 【主】はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。
Ⅱ歴代 16:9 【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」

3、神は命じておられる(7:5)。

神の招きは命令的です。神はノアに箱舟を造ることを命じ、箱舟に入ることを命じ、箱舟に家族と動物たちを入れることを命じました。
「神は、‥‥‥今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」(使徒17:30)
これは、従っても、従わなくてもよいことではありません。箱舟には必ず入らなければならなかったし、キリストの救いは必ず受け入れなければならないものなのです。
創 7:5 ノアは、すべて【主】が命じられたとおりにした。
使 17:30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。

4、神は備えておられる(7:2、3、8、14)。

食物も、いけにえも、みな箱舟の中に備えられていたように、キリストご自身のうちに、すべての恵みが豊かに備えられています(エペソ1:3、コロサイ2:3,9)。
創 7:2あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、
7:3 また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。
7:8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、
7:14 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。
エペ 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
コロ 2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

5、神は守られる(7:16)。

「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」神はノアとその家族が箱舟に入ると、ご自身でその戸を閉じられました。これは私たちがキリストのうちにいる間は、何者も入って来て、私たちを奪い出すことができず、全く安全であることを意味しています(ヨハネ10:28、29)。
創 7:16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、【主】は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
ヨハ 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

6、神は心に留めてくださる(8:1)。

ノアと家族以外の者はみな滅ぼされ、審判の洪水が箱舟のまわりを逆巻いている時、神は箱舟の中にいるわずかの者に心を留めておられたのです。神は忘れることなく、眠ることなく、夜も昼も私たちを思ってくださるお方です(詩篇121:3、4)。神の記憶は決して衰えることがありません(イザヤ書49:15、16)。
創 8:1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。
詩 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

7、神は回復をされる(8:1)。

「神は地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。」審判の洪水を退かせて地を乾かした風は、救いの霊です。ヘプル語では霊という字は風と同じです。すなわち天来の風、聖霊は全き回復をしてくださるのです。十字架の恵みは救いの恵みの出発点であり、箱舟の中に閉じこめられたのは、更に広い所に至る恵みの準備なのです。

8章では、回復の初めが記されています。

十字架の救いがなければ、ただ永遠の滅亡と苦痛があるだけです。その十字架の救いは新生の生涯の入口なのです。ノアとその家族は箱舟に閉じ込められて、恐ろしい洪水から救われましたが、もう一度、箱舟から出て、さらに勝った幸福と一層すぐれた自由と、一段と高い生涯に入るようになったのです。 次に、この新生の道について、8章から考えてみましょう。

〔新生の道〕

1、箱舟の窓を開いて、神の審判が終わったことを確めたこと(8:6)。

ノアは洪水が地から退いたかどうか、分かりませんでした。ただ天を仰いで、雲が晴れ、雨が止んだことを知ったのです。私たちもイエスキリストを信じるとき、この信仰の窓をとおして審判の雨が止み、雲が晴れたことを悟るのです。
創 8:6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、

2、烏(カラス)を放って確信を求めたこと(8:7)。

ノアは雨が止んだことを感謝したけれども、これで満足せず、周囲の水が引いたことも知りたいと思って、箱舟から鳥(カラス)を放ちました。しかし鳥(カラス)は水の上に浮かんでいる死体に飛びかかり、そこを足の休み所として死体をついばんでいて、箱舟には帰ってこなかったのです。鳥(カラス)は人間の生まれながらの理解力の型です。すなわち、私たちも自分が救われている確信を得ようとして、自分の人間的知恵と理解力をふりしぼって、その証拠を捜し求めようとします。しかしそのようなこの世の理屈では、自分の心を十分満足させる救いの確信を得ることはできません。
8:7 烏(カラス)を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。

3、鳩を放って確信を求めたこと(8:8,9)。

鳥で失敗したノアは、次に鳩を放ちました。鳩は鳥(カラス)と違って、穀物のようなきよい食物でなければ満足できませんから、長い間飛びまわった後、休み所が発見できず、箱舟に帰ってきたのです。先に、自分の理解力で救いの確信を得ようとして失敗しましたが、今度は聖霊によらなければならないことを悟ったのです。しかし確信はすぐには与えられませんでした。忍耐深く、神の時がくるまで待たなければならなかったのです。信仰の忍耐が必要なのです。
創 8:8 また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。
8:9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。

4、鳩が持ってきたオリーブの若葉(聖霊の証し)(8:10,11)

七日たってノアは再び鳩を放った。この時も鳩は夕方まで帰らなかった。鳩はずい分遠くまで捜しに行ったに違いない。そして夕方になると、オリーブの若葉をくわえて帰ってきた。鳩は聖霊の型です。鳩が審判の水がひいた証拠としてオリーブの若葉をくわえてきたのは、神を待ち望んで疲れ果てている心の中に聖霊が神のみことばをもたらしてくださったことを表わしています。これは多くのクリスチャンの霊的経験と一致しています。
罪赦されて神の子となったという聖霊の証しを待ち望む者に、聖霊が一つの聖句を当てはめてくださる時、私たちは感謝と喜びをもって確信することができるのです。
創 8:10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
8:11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。

5、神の命令(8:15,16)

これまでの一つ一つの段階も大切でしたが、神の命令があるまでは大胆に箱舟の外に出ることはできなかった。ノアは心の中に平安と喜びと確信を持っていたけれども、神の命令を待っていました。
私たちも救いの確信が与えられても、なお従順に神に祈って、神の命令を待たなければなりません。
創 8:15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。
8:16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。

6、箱舟を出て自由の第一歩(8:18)

ノアたちは再び乾いた地に踏み出しました。
ノアの心には感謝と賛美と喜びがあふれていました。しかし世界は全く変わってしまっていたのです。忙しく活発に働いていた商工業の社会は消え去って、沈黙の世界に変わっていました。どこを見まわしても人の姿はなく、足音は聞こえず、建物の影はなく、ただ荒涼たる大地があるだけでした。
ノアたちは、この想像もできない恐るべき経験をとおして神を恐れ戦(おのの)いていたでしょう。
まことに、私たちが滅びから救われていることも、これと同じ思いをもたらします。
実にこれは神の奇跡なのです。
創 8:18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。

7、全焼のいけにえ(感謝のささげ物)(8:20)

ノアは箱舟から出て堅い大地を踏んだ時、祭壇を築いて感謝と賛美のしるしとして全焼のいけにえをささげた。神は、このささげ物を喜ばれた。このようなささげ物をすることは、真の霊的本能が働いている証拠です。私たちも主イエスの救いの尊さが分かれば分かるほど、へりくだって自分自身を生きた供え物としてささげて、 神を喜ばせるべきです。
創 8:20 ノアは、【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

上の写真は、ドイツの画家Julius Schnorr von Carolsfeld (1794 – 1872)により描かれた「Noah Sent Out this Dove(ノアは鳩を放った)」(BIBLEing.com – reDISCOVER the Holy Bible!より)

あとがき

聖書の探求も本号で満1才になりました。遅々たる歩みでしたが、お喜び下さる方も大勢おられて毎回励まされています。異端の人たちはよく聖書を知っているようですが、それは自分でよく聖書を読んだからではなく、むしろ聖書よりも耳で聞いた知識の受け売りでしかありません。彼らは意気盛んのようですが、実は神の前に力がありません。それは人の力でしかないのです。しかしもし、クリスチャンが真剣に聖書に取り組み始めたら、何が起きるでしょうか。それを予測することはできません。教会の指導者の中には祈りを強調される方もありますし、賛美を強調される方もあります。どれもみな大切ですが、これらはみな、みことばを信じる信仰から生まれるものです。聖書から離れたら、祈りも賛美も横道にそれてしまいます。私は、聖書こそ最も強調されなければならないものと思います。聖書のみことばが多くのクリスチャンの心の中で熱くなり始めたら、聖霊の働きの時です。恵みの大雨の時です。乞う、御助祷。(1985.3.1)