週報No.2205 涙の預言エレミヤ書(112)「バビロンと現代の危機」エレミヤ書50:1~10 +神の「ことば」について

2019年10月27日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書50:1~10
50:1 【主】が預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデヤ人の国について語られたみことば。
50:2 「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。『バビロンは捕らえられた。ベルははずかしめられ、メロダクは砕かれた。その像ははずかしめられ、その偶像は砕かれた。』
50:3 なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。
50:4 その日、その時、──【主】の御告げ──イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、【主】を、尋ね求める。
50:5 彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、【主】に連なろう』と言う。
50:6 わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡って、休み場も忘れてしまった。
50:7 彼らを見つける者はみな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場である【主】、彼らの先祖の望みであった【主】に、罪を犯したためだ』と言った。
50:8 バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。群れの先頭に立つやぎのようになれ。
50:9 見よ。わたしが、大国の集団を奮い立たせて、北の地からバビロンに攻め上らせる。彼らはこれに向かって陣ぞなえをし、これを攻め取る。彼らの矢は、練達の勇士の矢のようで、むなしくは帰らない。
50:10 カルデヤは略奪され、これを略奪する者はみな満ち足りる。──【主】の御告げ──
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 全能者なる神は、この大バビロンを用いられた後、その残虐性と高慢の故に、崩壊されました。このバビロンは国々の間で、征服、破壊、略奪、捕囚を繰り返して、勢力を増強して来たのです。

 彼らは、不義で、利己的な欲のために、神が任せられた力を、自分の勢力を増強するために利用したのです。

 神に用いられれば、何をしてもいいのではありません。弱い者の弱さを担い、重荷を分かち合い、不満を抱く者があっても互いに赦し合い、助け合うことです。そうすることによって、神の栄光を現わすことができるのです。ところがバビロン人は、神の刑罰の仕事をするに当たって、極端なまでに冷酷で。残虐でした。

 クリスチャンたちも、集まって話した話は、他人の噂話、隣人の批判などが多くて、お互いの徳を建てる話になっているでしょうか。他人を批判して、攻撃して、分裂させる話や愚痴は、信仰を全然活用しなくても、いつでも容易に、何時間でもできます。罪の性質がそれをさせるからです。しかし「他人の徳を高める話をして下さい。」と言うと、誰もうんともすんとも言わなくなります。常日頃、神の徳を、頻繁に活用していないからです。この世のグレーゾーンの話ならいつでもできるのに、心に徳になることは、何も話せず黙ってしまうのは、神の愛と隣人を愛する愛が、あまり活用されていないからです。

 バビロンの軍隊の通った後は、流血で満ちていました。彼らは人類に最大の苦しみを与えたのです。もしバビロンが通った後に、神を畏れる町々ができていたなら、バビロンは栄え続けていたでしょう。ダビデ王国がますます栄えていったのは、ダビデが治めていった町々では、貧しい者、弱い者が保護され、神の恵みを分かち合うことを、ダビデ自身が模範を示していったからです。

 現代の戦争でも、経済戦争でも、強い者、大国優先の、残酷さが目立っています。やがてお互いの削り合い、足の引っ張り合い、落とし合いが始まります。

 今の日本の現状について言えば、この数年の間に襲っている大災害を見れば、1~2年で回復できないものばかりです。今や日本は、一人一人の生き方を真剣に考えなければなりません。オリンピックどころではありません。前回の東京オリンピックの後、大不況が起こり、初めて赤字国債を導入して、それ以来、今日まで、赤字国債から抜け出せなくなっています。若者の自殺者、一家心中する者、生きる意欲を失う者が増えています。

 近年の災害によって、農業や漁業を辞める人、離職する者が増えると、大不況に襲われることになります。仕事がなくて、自殺者、一家全滅する人が増えてくるでしょう。生きることを諦める人が増えて来るのです。

 事業を営んでいる人は不況に強い体質にしたほうがいい、借金を減らし、特異技術を生かし、自分だけが助かろうとせず、隣人と助け合う関係を作り出すことです。

 時代が大きく変わろうとしています。

 消費社会から、節約社会に変ります。

 真っ暗闇になる前の花火が、一番、華やかです。

 猛烈な勢いで、大帝国にのし上がって来たバビロンは、急速に滅亡したのです。

 今日の最後には、神の「ことば」についてお話します。

「初めに、ことばがあった。」(ヨハネ1:1)この「初め」は、永遠の初めです。それ故、この「ことば」は、言語や文字ではなく、永遠のご人格の存在です。次に「ことばは神とともにあった。」これは、神と同一の存在であること。即ち三位一体の神であることです。そして「ことばは神であった。」これで「ことば」の正体が明らかになりました。「ことば」は、霊なる神のご人格です。この「ことば」は、すべての創造の源です(ヨハネ1:3)。「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:4)人のたましいは、神のみことばによって生まれ変わらされます。そして人のたましいは、このみことばによって、神の光を経験するのです。

 「みことば」は、これで終わりではありません。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)この「ことば」は、人となって下さったイエス・キリストです。「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」(ヨハネ1:16)これらが分かる時、私たちは聖書をどのように読めばよいのでしょうか。イエス様とお会いする気持ちで、みことばを読むこと。みことばを通して、いのちと光を受け止めることが、大切です。日頃みことばを信じて、活用させていただいていることは、イエス様と出会っていることです。このことに気づいて下さい。

<今週の活用聖句>

ガラテヤ人への手紙2章20節
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇10月30日(水)聖別会 午前10時半
  「キリストの救いの計画(3)福音宣教」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421