週報No.2206 涙の預言エレミヤ書(113)「敗北国と回復国」エレミヤ書50:11~28
2019年11月3日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
エレミヤ書50:11~28
【新改訳改訂第3版】
エレ
50:11 わたしの相続地を略奪する者たち。あなたがたは楽しみ、こおどりして喜び、穀物を打つ雌の子牛のようにはしゃぎ、荒馬のようにいなないても、
50:12 あなたがたの母はいたく恥を見、あなたがたを産んだ者ははずかしめを受けた。見よ。彼女は国々のうちの最後の者、荒野となり、砂漠と荒れた地となる。
50:13 【主】の怒りによって、そこに住む者はなく、ことごとく廃墟と化する。バビロンのあたりを通り過ぎる者はみな、色を失い、そのすべての打ち傷を見てあざける。
50:14 すべて弓を張る者よ。バビロンの回りに陣ぞなえをし、これを射よ。矢を惜しむな。彼女は【主】に罪を犯したのだから。
50:15 その回りに、ときの声をあげよ。彼女は降伏した。その柱は倒れ、その城壁はこわれた。これこそ【主】の復讐だ。彼女に復讐せよ。彼女がしたとおりに、これにせよ。
50:16 種を蒔く者や、刈り入れの時にかまを取る者を、バビロンから切り取れ。しいたげる者の剣を避けて、人はおのおの自分の民に帰り、自分の国へ逃げて行く。」
50:17 イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリヤの王がこれを食らったが、今度はついに、バビロンの王ネブカデレザルがその骨まで食らった。
50:18 それゆえ、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「見よ。わたしはアッシリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国を罰する。
50:19 わたしはイスラエルをその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べ、エフライムの山とギルアデで、その願いは満たされる。
50:20 その日、その時、──【主】の御告げ──イスラエルの咎は見つけようとしても、それはなく、ユダの罪も見つけることはできない。わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ。」
50:21 「メラタイムの地、ペコデの住民のところに攻め上れ。彼らを追って、殺し、彼らを聖絶せよ。──【主】の御告げ──すべて、わたしがあなたに命じたとおりに、行え。」
50:22 「国中には戦いの声、大いなる破滅。
50:23 万国を打った鉄槌は、どうして折られ、砕かれたのか。バビロンよ。どうして国々の恐怖となったのか。
50:24 バビロンよ。わたしがおまえにわなをかけ、おまえは捕らえられた。おまえはそれを知らなかった。おまえは見つけられてつかまえられた。おまえが【主】に争いをしかけたからだ。
50:25 【主】はその倉を開いて、その憤りの武器を持ち出された。それは、カルデヤ人の国で、万軍の神、主の、される仕事があるからだ。
50:26 四方からそこに攻め入れ。その穀物倉を開け。これを麦束のように積み上げ、これを聖絶して、何一つ残すな。
50:27 その雄牛をみな滅ぼせ。ほふり場に下らせよ。ああ。哀れな彼ら。彼らの日、その刑罰の時が来たからだ。」
50:28 聞け。バビロンの国からのがれて来た者が、シオンで、私たちの神、【主】の、復讐のこと、その宮の復讐のことを告げ知らせている。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージ>(一部)
バビロンの陥落が、2~3節、9~16節、21~27節に語られています。イスラエルの捕囚からの帰還が、4~8節、17~20節に語られています。神のさばきの厳しさと神のあわれみとが、歴史の中に見事に織り込まれています。
「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」(ローマ11:22)
私が、主なる神の愛とあわれみとを受けるためには、イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ていることです。救いのみことばを、心でしっかり信じていることです。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、「あなたがたはいやされたのです。」(ペテロ第一2:24)
そして、このみことばを信じているなら、聖霊が救いときよめのみわざを行なって下さっていることを、信じていることです。そうすれば必ず間違いなく、天国に行くことができます。
「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。『バビロンは捕えられた。ベルははずかしめられ、メロダクは砕かれた。その像ははずかしめられ、その偶像は砕かれた。』」(エレミヤ書50:2)
この「バビロンは捕えられた。」は、預言的未来時制で、バビロンの陥落が既に起きてしまっているかのように、通告されています。バビロンの国民は、宮廷や町の市場に旗を上げることによって緊急の事態を知らされるのです。
「ベル」と「メロダク」は、バビロンの偶像の主なものの名前で「主人」を意味します。バビロンの偶像の総称は「マルドゥク」で、日本で言えば「神社仏閣」という言い方に似ています。バビロン人の誇っていたこれらの偶像は、バビロンの町々を主が滅ぼされる時、免れさせることができませんでした。
主なる神様が、歴史上において実際に働かれる時、強力です。先の戦争の時、日本のありとあらゆる神々の偶像は、日本の自分の力で戦争を止めさせるカがありませんでした。自分で始めた戦争を、自分で止める力を持っていなかったのです。
バビロン帝国の敗北と滅亡は、その高度と暴虐を罰するために、主なる神様が起こされた北からの一つの国メド・ペルシャによって行われました。エレミヤの時代には、それはまだ未来のことでした。ここでは、エレミヤは紀元前539年に、メディヤとペルシャがバビロンの町と国土を征服し荒廃させた歴史的大事件を、まだ未来のこととして、展望しています。この事件はダニエル書5章に記されています。
「なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここに住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。」(エレミヤ書50:3)
「北から一つの国が攻め上り」は、バビロンより更に北の、隠れた、不吉な性質の国を暗示する隠語的表現です。
即ちメディヤがバビロンの北にあったことから、メディヤとペルシャの巨大連合軍を指していることは間違いないでしょう。
「その日、その時、-主の御告げ-イスラエルの民も、ユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、主を尋ね求める。」(エレミヤ書50:4)
「その日」とは、バビロンの崩壊と、新しいメディヤとペルシャの国家の樹立を展望しています。
この大混乱の中にあって、イスラエルとユダの民は神に罪を悔い改め、神との契約に忠誠を尽くし、祖国への帰還と回復の機会を与えられるのです。「罪の悔い改め」とは、心の思いと生活をイエス・キリストに向けていることです。これがはっきりしてくると、恵みの内に成長します。
この時代に、イスラエルの民は主に立ち返り、シオンに帰ることになります。この預言は、紀元前538~536年のペルシャの王クロスが、神の感動によって出された勅令によって実現しました(エズラ記1:1)。
「彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう。』と言う。」(エレミヤ書50:5)
主は、ゼルバベルのもとでバビロン捕囚から帰還したイスラエルの民と「忘れられることのないとこしえの契約」によって、神の民になると宣言されました。この契約は、帰還の民からメシヤ、救い主(イエス・キリスト)の家系が形成されることです。
この契約は、エレミヤが31章で語った新しい契約のことです。
これは、永遠の神の御子イエス・キリストの、ただ一度で、完全な十字架のいけにえによって結ばれた、とこしえの契約です(ヘブル9:14~16)
<今週の活用聖句>
ヘブル人への手紙9章14~16節
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。…」
<集会案内>
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい
◇11月6日(水) 聖別会 午前10時半
「神との和解の条件(1)恵みによる救い」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421