聖書の探求(015) 創世記11章 バベルの塔、セムの系図、テラの家族

創世記1~11章は聖書の総論ともいうべきもので、神は全人類を取り扱っておられます。そして創世記12章~使徒の働き2章は、神の選民イスラエルの歴史を扱っています。

ですから創世記11章は聖書の総論の締括りですが、ここに至って人類の大失敗が明らかになっています。人類は、エデンの園において罪を犯し、エデンの園から追い出されてまた罪を犯し、恐るべき刑罰(大洪水)によって警告されてもなお罪を犯したので、神はついに全人類を取り扱うことをやめて(完全にやめられたのではなく、神の民として扱うことをやめられたのです。)、特別に神の選民をつくって、取り扱われるに至ったのです。

この章には、恐るべきバビロンの起源が記されています。バビロンは聖書の初めからヨハネの黙示録の終わりまで見られ、神の民に敵対するこの世の本部であり、罪と高慢の中心、悪魔の本陣です。ヨハネの黙示録では、バビロンは悪魔の新婦のようなもので、キリストの新婦である新しいエルサレムのにせ物としても記されています。

この章の鍵語は4節の「名」です。10節の「セム」は神の選ばれた名ですが、神を棄てて神に反逆している民は、その「セム」の名を軽蔑して、自分のために名をあげようとして、バビロンという町の建設を計画したのです。

11章の主な要点を挙げてみますと、

(1)1~9節 バビロンの建設‥人間が社会をつくる計画
10~32節 神が社会をつくられる方法

(2) 1~9節 バベルの塔

創 11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。【新改訳改訂第3版】

10~26節 セムの系図

創 11:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。
11:11 セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。
11:13 アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。
11:15 シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
11:17 エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。
11:19 ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。
11:21 レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。
11:23 セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。
11:25 ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。
11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。

27~32節 テラの家族

創 11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。
11:28 ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。
11:29 アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。
11:30 サライは不妊の女で、子どもがなかった。
11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。
11:32 テラの一生は二百五年であった。テラはハランで死んだ。

1~9節の分裂は、罪のもう一つの実です。罪は多くの悪い実を次々と結んでいきます。人が増加しても、各国が成立し、その国境を設定することによって、幸福であり続けることはできたのです。しかし罪の故に、多くの災害が生じました。人間は互いに踏みにじり合ってきたのです。バベルの塔は歴史が語る最古の共謀です。人間の歴史はバベルの塔に見られるように、ちっぽけな人間が神に反逆して独立し、結束しようとする悲惨な努力の結末で満ちています。

国語は神の審判の証拠です。神は律法を授ける時に、唯一の言語で語られました。神は、ペンテコステの時に、神がどんな神であるかを語るのに多くの国語で語られました。世界の諸族が交わるために、言語の違いは大きな障害となっています。また、宣教のためにも聖書を学ぶためにも障害となっています。し
かしヨハネの黙示録に至って、バベル、シヌアル、諸族譜民、諸国語は、ことごとく消滅し、失われたパラダイスは回復するのです。

(人間の意図 4節)

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
(1)塔の頂を天に届かせる(自らを神とする)
(2)名をあげよう(自己高揚)
(3)われわれが全地に散らされるといけないから(神との対決のための結束)

(神の干渉)

(1) 5節 ご覧になるために降りて来られた
11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。

(2) 7節 降りて行って‥‥刑罰 (a)言語の混乱 (b)民の離散 (c)塔の建設の中断
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

10~26節は5章の系図の続きです。そして27節からはいよいよ神の民の先祖となるアブラハムの生涯の序曲が始まります。アブラハムの父テラはアダムから19代目に当ります。そしてテラは偶像を拝んでいる人でした(ヨシュア記24:2、14)。
ヨシ 24:2 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。
ヨシ 24:14 今、あなたがたは【主】を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、【主】に仕えなさい。

(テラとアブラハムの家族の系図)‥下の図

ヤコブは二人の妻レアとラケル以外から、ダン、ナフタリ(ビルハの子)、ガド、アセル(ジルバの子)を生んでいます。

〔社会を造る人間の計画〕

11章には、恐るべき大洪水から救われた者の子孫たちが、再び神に背く罪を犯す恐ろしい計画を立てています。

1、一致(11:1)

創 11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
この計画を達成するために一致がありました。ここでは一致が恐ろしい神に対する反逆のために用いられています。一致は悪をなすにも、善をなすにも大きな力となります。教会においても、家庭においても、職場においても、一致なくしては何事も達成することができません。とにかく、社会を組織するための成功の秘訣は一致です。

神はペンテコステの日に、ご自身の教会を建てるために、第一に真の一致をクリスチャンの間に新に起こされました。サタンは神の国を破壊するためにクリスチャンの一致をこわそうと団結しています。しかしクリスチャンはそれに打ち勝つ聖霊による一致(ピリピ2:1,2)が与えられています。
ピリ 2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

2、建設者(10:8~10)

創 10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
10:9 彼は【主】のおかげで、力ある猟師になったので、「【主】のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
シヌアルにこの社会を建設したのはニムロデです。ニムロデは有力者で、その名前の意味は「謀反人」です。彼は、この世の終わりに現われる「反キリスト」の型でもあります。彼は、神に選ばれたのでもないのに、自ら立ち、自分の心のままに利己的に振舞い、神に背く社会をつくり、その結束を堅くするためにバビロンを建てる計画を考え出したのです。

3、場所(11:2)

11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
バビロンが建てられた場所は、シヌアルの地の平野でした。ノアの子孫たちは大洪水から救われて後、段々と東の方に進み、遊牧民となって、ついにメソポタミヤの肥沃な平野に着いた時、これを見て、ここは、その富を増し、財産を蓄えるのに適していると考えて、遊牧生活(旅人の生涯)を棄てて、立派な町を建てることに定めたのです。この土地は、神が選ばれた所ではなく、自分の心を喜ばすために自分が選んだ所だったのです。多くの人々はこの地上の生活を楽園にすることを目的にして生きています。それはシヌアルの地に町をつくるのと同じです。神の選ばれた都は、この地上に人間がつくった汚れた楽園ではなく、神が設計された堅い基礎のある都(ヘブル11:10)です。
ヘブル 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

4、町(11:4、9)

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
立派な町は、この社会の中心として建てられました。そしてこの町を永久に住む場所とするつもりだったのです。すなわち、天国をこの地に建てる考えでした。その町の名はバベルと呼ばれました。これが神の民の敵の中心地となり、すべての偶像の悪の源となり、新しいエルサレムとは正反対のものになってしまったのです。

5、町を建てた材料(11:3)

11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
シヌアルの平野には大きな石がありません。しかし彼らは他の所から材料を取り寄せることをせず、その所で造ったのです。すなわち、材料はすべて人工的なもので、神の命と愛によって造られたものではなかったのです。これがこの社会の特長です。現代の社会も同様で、外面は美しくても、神の命と愛によってつくられている真の社会ではないのです。しかしキリストの教会こそは、神によってつくられた真の社会であらねばなりません。

6、塔(11:4)

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
彼らはこの町に、非常に高い、天に達するほどの塔を建てようとしました。その目的は、「われわれが全地に散らされるといけないから。」です。それは、メソポタミヤは平野ですから、高い塔を建てれば、遠 方からでも見ることのできる立派な目印となり、人々を支配するための社会の中心地とすることができ、人々が離散していくのを防ぐためだったのです。

7、「名をあげよう。」(11:4)

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
この言葉の元の意味は「われわれをして名を作らしめよ。」です。「セム」という意味は「名」です。これは神が選ばれた名です。ニムロデはハムの子孫でしたが、神が選ばれた名に反対して、別の名を作る考 えであったのです。このために、セムの子孫たちはバベルの町をつくった人々から離れていったようです。10章25節に、エべルの子ぺレグの時に地が分けられたと記されています。これは、神が選ばれた民、セムの子孫がニムロデの建てた社会の者たちから分かれていったことを意味していると思われます。
時代は変わっても、人の心と神に対する態度は変わりません。バベルの町と塔の精神は今も続いています。人間は今も、この世を自分の天国(楽園)にしようとしています。それを自分の人生の目標にしているのです。今も、神のみ名を引き下げて、自分の名を高く上げ、永久に上げたいと考えているのです。
しかしこういう社会はこれまで必ず滅亡を繰り返してきましたし、これからも滅亡します。

〔神が社会をつくられる方法〕

1、 神に反逆する社会は破壊される(11:6~9)

11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
神は、神に反逆するために出来たこの一致を、彼らのことばを混乱させることによって民を分散させて破壊された。ペンテコステの日(使徒2章)には、真の教会を建てる目的で、異なった国語を全く一致せしめられた。

2、 神は神の民を反逆者から離れさせられる(10:25)

創 10:25 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。
セムの子孫の五代、すなわちぺレグまでの系図が10章2~25節と11章10~16節とに、二回記されています。それは10章25節にあるとおり、ぺレグの時に地が分けられたから、すなわち、セムの子孫はその時バベルの町を建てるニムロデの仲間から別れてしまったのです。
神はご自身の民を養うために、信者を不信者の仲間から別れるように導かれます。
「キリストとベリアル(サタン)とに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。」(コリント第二、6:15、16)
聖書はどこを見ても同じことが記されています。しかし人間の仕方はこれと全く反対です。人間は、特に罪の性質を残したままの神の民は、どんなに区別をつけても、異なるところがあっても、不信者と同じようにしようとするのです。その仕方は全く自己中心です。
けれども神の仕方は、同じ信仰、同じ心、同じ志、同じ品性のある人を一つに集められます。これが神が与えられる真の一致であり、真の教会の姿です。

3、 神は新しいエルサレムをつくるために、その国とその場所を選ばれました。(11:31、12:5)

11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。
創12:5 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。
神はアブラムの家族をバビロンから遠く離れたカナンの地に導かれました。そしてそこを世界の中心地として選ばれました。
カナンは極く小さい国ですけれども、長い間、政治、文化、貿易の中心地となり、そして再びこの地が中心地となるのです。

4、 神の社会の建設者にアブラムが選ばれた(12:1~3)

創 12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
ニムロデはバビロンを自分の思いのままに建てましたが、アブラムは神の社会(エルサレム)の建設者として神に選ばれ、カルデヤを離れ、様々な困難を経験して訓練され、永遠の国の建設者となったのです。

5、 神の都はアブラハムの望みでした(ヘブル11:9、10)

ヘブル 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
カナンの地に建てられたエルサレムは天のエルサレムの模型です。神の都はヨハネの黙示録21章に記されています。
バビロンのぜいたくと物質的繁栄は、現在の物質的社会の模型であり、その繁栄の象徴は町と塔でしたが、神の都の象徴はアブラハムの生涯に見られるように祭壇と天幕です。この二つの象徴をみれば、神の社会とこの世の社会、信仰者の生涯と不信者の生涯とがはっきりと区別されているのが分かります。

6、 神の都の基礎は重い岩(ヘブル11:10、マタイ16:18)

ヘブル 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
マタ 16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
バビロンの町をつくった材料はすべて人工的なものでした。しかし神の都は生ける石(ペテロ第一、2:4、5)で造られています。この生ける石とはイエス・キリストであり、またイエス・キリストを信じる者ひとり一人です。これが神の栄です。
Ⅰペテ 2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
2:5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
神の目から見れば、バビロンの立派な町、立派な文明、立派な物質的富は、全く価値がありません。バベル、エレク、アカデ、ニネべなど、今はすべて崩壊してしまいましたが、生ける石である聖徒、神に忠実に従う者は常に神の目の前に保護されています。

7、 神が建てられた塔(箴言18:10、11)

箴 18:10 【主】の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。
18:11 富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。
バビロンの町には立派な塔が建てられました。この塔は非常に高く、人を集める目標であり、これによって人々が離散しないようにし、人の名を上げるためのものでした。
しかし神の社会にも塔があるはずです。
蔵言18章10、11節には二つのやぐらが記されています。11節はバベルの塔で象徴されている富と高慢です。10節は神の町の塔、すなわち主の名です。申命記26章19節には神の民が賛美と名声と栄光を与えられて、すべての国々の上に高くあげられることが約束されています。すなわち神の社会の塔は主のみ名と、そのみ名をたたえる神の民であるということができます。
申 26:19 主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民となる。

ニムロデは自分の名を上げるためにバビロンを建てましたが、神の民は自分の名を上げず、神のみ名を上げるのです。
アブラハムは天幕と祭壇ばかりを建てて、この世を旅人として過しましたが、神は彼の信仰の子孫のために永遠の町を建て、その目標となるために、やぐら、すなわちイエス・キリストを立てられました。この町は今もなお建設中ですが、キリストの再臨の時には新しいエルサレムは天より下り、栄光ある永遠
のすまいとなるのです。
それに比べて、ニムロデは滅びましたが、その子孫、すなわち神に適う不信者はなお、ニムロデと同じように物質的繁栄を求めて、社会作りに忙しそうです。しかしその文明も、富も、繁栄も、やがて確実に滅びてしまうのです。
(以上 創世記11章)

あとがき

創世記は、聖書全体の基礎となる書ですから、十分に掘り下げてみたいと思って執筆しているわけですが、力いまだ及ばずといった感じがしますし、またこれでよいというところに到達することもないのではないかと思ったりしています。
読者の皆様にとっては、興味深い号もありましょうし、あまり面白くなかったと思われる号もあると思います。しかしこの聖書の探求が目指しているところは、各号が面白いか、面白くないかではなく、この冊子の号が重ねられていくに従って、この探求が予備知識となって読者の皆様の心の中で聖書全体が生き
て働き始めることです。おそらく、面白くなかったと思われた箇所からも聖霊の炎が燃え上がってくるのを感じられるようになるでしょう。そのことを私は期待し、祈っています。
この聖書の探求も今号で15号ですが、「聖書の探求を読むようになって、聖書が分かるようになった。」という声も寄せられるようになり、御名を崇めています。感謝。(1985.6.1)

上の写真は、16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel(Brueghel) de Oude(1525年-1530年頃 – 1569年)により1563-1565年頃に描かれた「The Tower of Babel(バベルの塔)」(オランダのロッテルダムにあるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (Museum Boijmans Van Beuningen)蔵、Wikimedia Commonsより)