週報No.2216 希望の預言エゼキエル書(1)「預言者エゼキエル」 エゼキエル書 1:1~3

2020年1月5(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 1:1~3
1:1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
1:2 それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、
1:3 カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと【主】のことばがあり、【主】の御手が彼の上にあった。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

預言者エゼキエルについて

 エゼキエルは、エルサレムの貴族に属するプジの子で、祭司でした(1:1~3)。彼はエホヤキンの捕囚の第五年に、預言者としての任命が始まり(1:1~2、3:1~15)、少なくとも、25年間は祭司となるための訓練を受けつつ、預言者の働きを続けました。

 彼は、イザヤやエレミヤのように、主なる神の現われを受け、主と交わる経験を得て(エゼキエル29:17「…私に次のような主のことばがあった。」)、神のみことばを受けて取り次ぐ、預言の賜物を与えられたのです。この奥義は、今日でも変わっていません。「祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。」(エゼキエル1:3)これは、エゼキエル書に繰り返されている奥義です。これが神からのメッセージが与えられることであり、神の預言を人々に伝達する使命でした。

 神の按手には、主の臨在が伴い、巻き物には、その内外に荘厳で、恐るべき哀歌と嘆きと悲しみの重荷が記されていました。
「それが私の前で広げられると、その表にも裏にも字が書いてあって、哀歌と、嘆きと、悲しみとがそれに書いてあった。」(エゼキエル2:10)

 紀元前597年、エゼキエルが25歳の時、即ちエルサレムの神殿が破壊される11年前に、彼は他の一万人のユダヤ人たちと共に、ネブカデネザルによって捕虜として、バビロンに捕らわれて行きました。五年後、紀元前592年に、神はエゼキエルを預言者として用い始めたのです。

 エゼキエルの預言した場所は、ケバル川のほとりの、テル・アビブでした。この川はユーフラテス川の支流であったか、或いはネブカデネザルが掘った大運河の一つであったか、どちらかであると思われます。ユダの捕囚民の植民地はケバル川のほとりにあり、エゼキエルは捕囚民の中に遣わされて、その使命を果たしました。

 エゼキエルの捕囚中の生活は、二つの期間に分けられます。

 前半は、彼の預言者への召命からエルサレムの滅亡まで(BC592~587年)、後半は、エルサレムの滅亡からエゼキエルの死まで(この部分は記録されていません)。恐らく、彼の最後の預言からさほど遠くない時期(BC587~572年頃)までだと思われます。

 前半のメッセージは、バビロンにいる捕囚民に、神がエルサレムを裁こうとされている、厳しいメッセージに満ちています。これはエレミヤの預言と重なっています。後半のメッセージは、失望している捕囚民を力づけ、神の約束によって将来の祖国への帰還の備えのために、希望に満ちているメッセージです。

 しかし、エゼキエルが語ったメッセージは、ケバル川のほとりの捕囚民のためだけではありません。これは明らかです。…事実、エゼキエルのメッセージは、当時の全イスラエルの回復と祝福のためであり、全ての時代のイスラエルのためでした。40章~48章は、その証拠です。

 エゼキエルは、エレミヤ、ダニエルたちと同時代の人でした。小預言書のゼパニヤ書、ハバクク書も大体において、同じ時代を論じ、同じ事件を扱っています。

 エゼキエルは、バビロンでは自分の家を持って、そこに住むことが許されました(エゼキエル8:1)。エゼキエルは結婚していましたが、妻はエルサレムの最後のバビロン軍の包囲が始まった年に死にました(エゼキエル24:18)。24:16~17に命じられていたからです。
「人の子よ。見よ。私は一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」
 エゼキエルは、バビロンに着いてから、5年後に30歳で預言を始めましたが、その頃、預言者エレミヤは偉大で、悲壮だった生涯を終わろうとしていました。エゼキエルの預言の声は、エレミヤのメッセージの声の継承、延長です。

 エゼキエルは、同時代の主の預言者が取り組んだ問題を扱い、選民イスラエルの未来を預言し、ますますこれを展開し、エゼキエルとダニエルは、神の経綸の黙示の全貌を示しています。

 エゼキエルの名は、彼の使命を現わしています。
エゼキエルは、「神が強めてくださる」という意味です。彼はユダヤ民族の堕落とカルデヤ(バビロン)にいる追放された捕囚民に対して語り、残りの民の預言者でもありました。

 また、彼の民族と世界の輝かしい未来を予見した、先見者でもありました。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書6章33節
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇ 8日(水)聖別会 午前10時半「クリスチャンの性格(3)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421