音声と文書:ヨハネの黙示録(53) サタンの最期 20章7~10節

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PDF文書:ヨハネの黙示録(53)

ヨハネの黙示録 20:7~10
20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
20:9 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。【新改訳改訂第3版】

上の写真は、オランダの地図作家、彫刻画家、出版家である Gerard de Jode (1509–1591) により1585年に出版された「Icones Revelationum S Ihoannes Evangeliste in Pathmo(パトモスの伝道者ヨハネの黙示録のイコン)」の一枚、「Satan thrown into a lake of burning sulfur(悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた)」(Wikimedia commons より)
Published by: Gerard de Jode. After: Jan Snellinck


はじめに

ここはサタンの最期が記されているわけですね。
ヨハネは千年王国の間に、クリスチャンたちが何をするかについては何も記していません。彼はすぐに「千年の終わり」について話を進めている。
ということは、千年の間に何をするかということより、もっと大事なことは、千年の終わりに何が起きるかということでありました。
聖書は小さくコンパクトに書かれているわけですが、千年王国でどんなことが起きるか書いていたらどんどん大きくなりますから、省略してあるんだと思いますね。

この千年の終わりに画期的な出来事が起きるわけです。これが、サタンの滅亡。
サタンが堕落して以来、宇宙に存在するようになった悪が最後にさばかれる時、これが、「千年の終わり」ですね。

私たちが日頃直面している感情的な摩擦とか、怒り、悪意、敵意が完全に開放される時です。
これまで人類は、悪の権力が現れては消えていく、没していくのを繰り返し見てきましたね。ある時は独裁政治になって現れたり、ファシズムになって現れたり、軍国主義、戦争、共産主義、弾圧、迫害、こういう形をとって現れてきました。
人間は、特にクリスチャンは、そういう中を潜り抜けて生きてきたわけですが、悪の権力というのは、ずっと永遠に続いているものは一つもないですね。一時期を過ぎると没していく。

現在も 中国の共産主義者たち、毛沢東以後は続いていましたが、今は過渡期にあるなと思いますね。ソ連の方も過渡期にあると思います。
権力が永遠に続かないということですね。日本でも軍国主義は続かなかったわけで、消えていってはまた現れる。悪の権力が台頭してきたわけです。

ヨハネの時代は、歴史の中の一画として、ローマ帝国の隆盛と衰退を象徴的にとらえて、ヨハネの黙示録の中に書き記しているわけですね。
ですからこれは、ヨハネの時代の一つの悪の権力が盛んになることと、それが没していくことで、歴史がこういうことを何度も何度も繰り返していることが分かる。

ヨハネがこの黙示録の中で本当に書きたかったことは、何か。
それは20章7節以降のことなんです。これを書きたいために、ずうっとこれまで幻を書いてきたわけです。

ここは悪の原理であり、根源であるサタンの究極的な滅亡です。先ほどはしばらく捕らえられて縛られていましたが、これは究極的な滅亡ではなく、千年期の終わりに最終的にサタンが滅ぼされる。

Ⅰ.7節では、ヨハネは、千年期の終わりに再びサタンが牢から解き放たれるということが書いてあります。

20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、

1.私たちの考えでは、神様はせっかくサタンを捕まえたのですから、放す事はないじゃないか、と思います。

たとえば、お巡りさんが犯人を捕まえて、また放す。泳がすっていうんですか、それでまた追跡調査をする。せっかく捕まえたのに、なぜ放すんだろうって思いますよね。

神様のなさることは、人間の知恵では理解できないことがたくさんあるわけです。今も私たちの現実の生活では、そういうことが起ります。
理由は分からないんですけれども、神様のなさることは、いつでも最善であるということは事実でありますから、私たちはそれを固く信じる必要があります。
何故サタンをもう一度解き放してしまうんだろうか。私たちにはよく理解できないけれど、神様は最善のことしかなさいません。

2.サタンが、その牢から再び解放されるということは、教会と聖徒たちにとって、千年王国が最終段階ではないということだけは分かりますね。

クリスチャンの希望は、千年王国がその希望ではない。異端の人たち、エホバの人たちはさかんにこの千年王国を宣伝します。
しかし聖書は千年王国について、ほんの数節しか書いていないんです。もっと大事なことが書いてある。

クリスチャンの希望は、千年王国を超えたその上にあるんです。超越したところのものです。これは真正な教会の崇高な希望ですね。最上級の希望を成就するために、完成するために、サタンはしばらくの間解放される。
千年王国は最終の目的でも希望でもない。それは臨時のものなんです。ですから、ここでサタンが解放されるということは、教会が最終的に求めているものは、この千年王国じゃないということですね。

Ⅱ.8節を見ますと、サタンは千年間とらわれていても、少しも悔い改めるところは見られず、彼の目的も変っていません。

20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。

1.少しも悔い改めるところがない。これがサタンの特徴です。

そしてサタンに従う人々もこれと同じような特徴を持っています。
何度神様のさばきの災いにあっても、自分の罪を悔い改めたり、自分の生き方を変えようとはしません。
ですから、このサタンの高慢と自己中心性が、人間の高慢と自己中心性と非常に良く似ているということが見られるわけですね。自己中心性というのは罪深いですね。サタンと同じような性質で、サタンと相通じるものだということですね。

しかも、サタンが千年たっても変わらなかったように、人間のこういう性質も何千年たっても変わっていない。創世記の中に見られるような人間像が、今も私たちの周囲に見ることができる。千年経っても変わらないなんて驚く必要はないわけで、人間は何千年経っても変わっていない。

2.さてサタンは穴から出てくると、ただちに行動に移しました。

8節で「地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。」と言っています。

ここで私たちは聖書の中で、難問の中の難問の一つである「ゴグとマゴグ」に出会うわけですが、「ゴグとマゴグ」とは一体だれなのか。
本当にこれは難しくてね、しかし聖書を学んでいくと、避けて通れないわけです。
ですから今日はしばらく、そのことについてお話してみたい。

もう随分前ですが、14、15年前にヨハネの黙示録について講演したことがあるんですけれども、そのあと、ゴグとマゴグの話になりました。
講演の時にゴグとマゴグの話になると、まごまごするわけですけれども、これは大変なことなんです。
ですからその時は、また別の時にしましょうと言って、そのままになっているんですけれども、ゴグとマゴグはなかなか難しい。

しかし、ゴグとマゴグは重要なことなんです。なぜ重要かというと、最後にサタンに騙されて、神の聖徒と戦おうとして集まる人々ですからね。このゴグとマゴグがもしかして日本人だったら、大変なことになるわけですよね。これは最後に神と対立する人々だからです。

ゴグとマゴグについて簡単に言うなら、詳しいことは何も分からない、ということですね。たいていの註解書を読むとそれで済ませているんです。
しかし少し突っ込んで研究すると、結論は出ないわけですけれども、このゴグとマゴグのことで何冊もの本になっています。
ここでは、いくつかの点を指摘しておきたいと思います。

A.ゴグについて
① まずゴグとマゴグは、やがて将来、神の民の国を侵略する国民とその国々であることは確かなんです。

国民とその国々、今日ここでお話しすると、「あ、あそこの国の人がそうか。」と言って決定的にしてもらうと困るわけですが、そういう可能性もあるということです。

② ゴグとマゴグについては、実はヨハネの黙示録にだけ出てくるわけではなく、旧約聖書の中にすでに出ているんですね。

まず最初に、ゴグについて見てみましょう。

(1) 一番最初にゴグという名が出てくるのは、歴代誌第一5章4節です。初めは人の名前として出てくるんです。

Ⅰ歴代5:4 ヨエルの子は、その子はシェマヤ、その子はゴグ、その子はシムイ、

この5章の最初の方を読みますと、ルベンの子孫の話の中で出てくるんです。
1節にイスラエルの長子ルベンの子孫、彼は長子であったが云々、と出て来て、系図が書いてあって、その氏族の中の一人にゴグが出てくるわけですね。
しかし、ここでは名前が出てきただけであって、ゴグという人がどういう人物か全く何も書いていないんです。しかし、ゴグと書いてありますからおそらくこの子孫になるでしょうね。

(2) 次にゴグが出てくるのは、エゼキエル書なんです。
エゼキエル書にはゴグがたくさん出てきます。

エゼ38:2 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、
38:3 言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。

ここに、ゴグとマゴグが出てまいりますね。

エゼ39:1 「人の子よ。ゴグに向かって預言して言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。わたしはあなたに立ち向かう。

ここでもほとんど同じ事がいわれているんですけれどもね。ゴグは、メシュクとトバルの大首長であり、王様、プリンスですね。また、ゴグというのはマゴグの地を支配しているようであります。
あとでもお話したいと思いますが、マゴグというのはゴグの国、という意味ですね。ゴグというのは個人の名前を指すのか、国民を指すのかはわかりません。マゴグというのはゴグが支配している地域あるいは国を指すというのは、だいたい明らかであります。

エゼ38:14 それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。
38:15 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。
38:16 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。
38:17 神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。
38:18 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、──神である主の御告げ──わたしは怒りを燃え上がらせる。
38:19 わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。

15節を見ますと、ゴグの国は北の果てにあるようですね。そして、ゴグは多くの国の民を率いてイスラエルを攻めに上ってくる。ですから同盟国。連合軍を作るということが書いてある。
そして、18,19節を見ますと、攻めて来るときには神様の怒りが燃え上がり、イスラエルの地に大きな地震があると言われています。
馬に乗ってきたというから、馬がたくさんいる所である。北の方で馬がいるところってどこでしょうかね。

もう一つ読んでみましょう。ここにはハモン・ゴグというのが出てまいります。これはゴグの連合軍のことなんですね。

エゼ39:11 その日、わたしは、イスラエルのうちに、ゴグのために墓場を設ける。それは海の東の旅人の谷である。そこは人が通れなくなる。そこにゴグと、そのすべての群集が埋められ、そこはハモン・ゴグの谷と呼ばれる。

ハモン・ゴグというのはゴグの同盟軍ということです。ですから、旅人の谷というのは、ゴグの同盟軍たちの谷、ということですね。

39:15 巡り歩く者たちは国中を巡り歩き、人間の骨を見ると、そのそばに標識を立て、埋める者たちがそれをハモン・ゴグの谷に埋めるようにする。

15節を読みますと、ゴグとその同盟軍が神様によって滅ぼされた後の墓場ということですね。

ですから、ゴグはマゴグの王様として、プリンスとして、イスラエルから遠く離れた北の果てからやってくる。そして、最後の日に同盟国の大群を率いて、イスラエルに侵攻してくるということが分かっているわけですね。

私たちの国ではこういうことはあまり問題にはならないかもしれませんが、今でもイスラエルの人達は現実にいろんなことが起きてきて、武器を備えようとしていますね。彼らは真剣にこういうことを考えているわけですね。ハモン・ゴグがやってくるとどうしようもないわけです。
だんだんとゴグの正体が解かりかけてきました。

スコフィールドというアメリカの学者がいるんですが、この学者は分かりやすくはっきり言うので一時期評判が良かったのですが、だんだんと研究が進むとちょっと行き過ぎているんじゃないかという人も出てきました。
彼は、ゴグはメシェクとトバルの大首長である、と聖書に記されていることに着目し、メシェクというのはモスクワである、と言ったんです。

エゼ38:2 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、
38:3 言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。

メシェクというのは文字に書くとMで始まります。メシェクとモスクワと発音が似ているでしょ。それでメシェクはモスクワだと言っているんですね。トバルというのはトボルスクである、といくわけですね。

スコフィールドという人は、語源がそこから来ていると言うんです。
それから「大首長」と訳されていますが、この言葉は、もともとは「ロシ」である。ですから、ロシはロシアであると言うんです。北から来る勢力はロシアから台頭するという意味であると言ったわけですね。
分かり易いでしょ。「あ、そうか」なんて言って、みんな納得して、特にアメリカ人は「そうだ、そうだ」と言って、これがアメリカの間で非常に広まってしまったんですね。今はそれが行きすぎではないかという人もいるんですが。
メシェクがモスクワで、トバルがトボルスクになったとは、そうじゃないとも言えないし、そうだとも言えない、誰も証明できないんですね。

しかし、他の学者たちの考えもその線から遠くはないんです。
確かにそうであるかどうかは、神の聖徒たちが最後に戦ってみないと分からないのですが、ロシアの大軍が戦うのかどうかは、推測であるということです。こんなことをロシアの人が聞いたらかんかんになって怒るやも知れないんですけれどもね。とにかく、ゴグの地は北の果てと言われています。

もう一人、カイルという学者がいるんですけれども、ゴグはスクテヤ人の母国マゴグ出身のプリンスの名前ではないかと、言っているんですね。
スクテヤはどのあたりかというと、カスピ海からコーカサス山脈一帯に住む人達をスクテヤ人というんですね。
ロシア人と少し違うかもしれませんけれども、そのあたりの民族ですね。
そこに遊牧民族が住んでいまして、7世紀から8世紀のあたりには東ヨーロッパの人がこのコーカサスあたりの人達から攻められて、非常に悩まされたという歴史があるんですね。

ですから、ロシ、メシェク、トバルはマゴグの近くであろう、スクテヤ人の周囲の民族であろうと思われます。
そうすると、コーカサスの近くのロシア、トボルスク、モスクワは近くなってきますね。これらが連合軍ではないかとカイルは言っているんです。
どうも北の方の人たちで、誰も南国、南の方の国の人だとは言わないんです。

他にデリッチという学者がいます。
この人は、ゴグは「アッシリア・ガグ」、これは一つの民族の名前ですが、アッシリアの北の山地に住む民族なんですが、これもことばが良く似ているものですから、これがゴグではないかというんですね。
ウガリットというところがあって、その北の方の未開民族の国、アルメニアとカッパドキアの国境にメリテネという荒れ果てた山があって、その北の方に碑が立っているんですね。
ボグハイーカイという名がついた碑があるっていうんです。石碑か何かなんでしょうけどね。そこに書いてあるっていうんですけど、行っていないから分からないんですけどね。学者が行ったんでしょうけどね。ウガリット語で書いてあって、古代語ですからウガリット語を勉強して文字を読み取らないとわかりません。
そういうふうにデリッチという人はいうわけです。
アルメニア地震がありましたから、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、アルメニアもソ連の一つの地域なんですね。

(3) もう一つのゴグの説は、
ゴグは個人の名前ではなくてある地域の名前である、というんですね。
ヨハネの黙示録20章8節では「地の四方にある諸国」と書いてあるからです。

黙 20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。

とにかく、カイルにしてもスコフィールドにしてもデリッチにしても、ゴグとマゴグは北の方ではないかと言っているんですが、これ以上のことは皆さんがこれらの地域に行って研究するか、ウガリット語を勉強して碑文を解読するか、そうすればもっと確かなことが分かるかもしれませんが、今のところこのあたりの事しかわからないわけです。
ゴグについてはこのような研究がなされています。

B.さて、マゴグについても旧約聖書の中に記されています。

(イ)、創世記10章2節に、ヤペテの子孫の中にマゴグという名が見られます。

創10:2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。

ここにマゴグ、トバル、メシェクというのがでてきます。ヤペテの子孫である。
ヤペテという人はご存じと思いますが、ノアの息子でセム、ハム、ヤペテがいましたね。マゴグはヤペテの子孫で非常に有力な北方民族になっているわけです。トバル、メシェクもその兄弟であります。
こうなってきますと、どうしても、ロシア、コーカサス地方になってきますね。

(ロ)、エゼキエル書38章2節でも、マゴグはゴグの地と書いてありました。

エゼ38:2 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、」

同じく39章6節では

エゼ39:6 わたしはマゴグと、島々に安住している者たちとに火を放つ。彼らは、わたしが【主】であることを知ろう。

とありますから、マゴグと島々が並べて書いてあるので、マゴグは人の名前でなくて地域であるということが分かります。

・ ある歴史的な研究家は、ゴグは未開人で、マゴグはイスラエルのすぐ北にある黒海の南の国を指すと言っているんです。

・ 一世紀のユダヤ人の歴史家でヨセフスという人がいますが、この人によると、ゴメルはギリシャ人が今ガラテヤ人と呼んでいる人々を創設し、先ほど出てきたヤペテの子孫のマゴグは、マゴグ人と呼ばれている人を創設し、それはギリシャ人にはスクテヤ人と呼ばれている。
先程お話ししましたスクテヤというのは、カッパドキアとメデイアの間の山脈地方にあるとしています。この近くですね。カスピ海からコーカサス山脈一帯を指しています。

・ またマゴグは、北方未開人と呼ばれる正式のメソポタミヤ人であると。メソポタミヤ人は、Mandaと呼ばれる人達とヘブルであるゴグが混ざった人達であるという説もあるわけです。ヘブルの血が流れているというわけです。
そうすると、ヤペテというのはノアの子孫ですから、血が混じっていることになりますね。これは間違いではありませんね。
しかし、それがコーカサス地方の人であるかどうかは分からない。
純粋なメソポタミヤ人であるといっている人もありますね。

・ さらに、マゴグの地域は今日のコーカサス地方として知られている地方とする者もいます。これはみんなパレスチナの北の方の地域ですね。今でいえば、ソ連の手の中にある。こう言ってよろしいと思います。
そしてイスラエルを攻撃する同盟国の中の一つのゴメルは、預言的には、ゴメルからジャーマニー、ゲルマンにいったというんですね。ジャーマニーというのはゴメルが移住した子孫であるともいうわけです。こうなってくるとややこしくなってきますね。ゲルマン民族、今のドイツ人とはちょっと民族が違うと思いますけれども。

・ この外にも、ゴメルとは誰か。
これはなかなか難しいわけですけれども、ほとんどの聖書の註解者たちは、エゼキエル書にでてくるゴメルを、ケルト人の子孫だと考えております。
歴史家によりますと最初、ケルト人の子孫、シンメリーと呼ばれていた人がクリミヤ地方の黒海の北の方に住んでいたが、この人たちはスクテヤ人と戦って、紀元前800~700年ごろにクリミヤを捨てて、追い出されて、西の方に移住した。
そしてさらに追放されて、シンメリーという民族は歴史から消えていったというわけです。
ケルト民族が北ヨーロッパのシンメリーと同一であると言われ、シンブリと呼ばれているようですけれどもね、これはゴグとマゴグの連合軍に加わる人達ですね。

さらに連合軍に加わるのに、トガルマというのがありますね。彼は創世記10章3節にゴメルの息子として記されています。

創 10:3 ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。

エゼキエルはトガルマの子孫をツロの商売の中で述べています。エゼキエル書の27章14節にトガルマというのがでてきます。

エゼ 27:14 ベテ・トガルマは馬、軍馬、騾馬を、おまえの品物と交換した。

先ほど38章15節でお読みしましたが、北の果ての国で彼らはみな馬に乗る者で大集団、大軍勢、とありましたから、馬がいっぱいいるということですね。

エゼ 38:15 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。

トガルマというのはアルメニア地方と呼ばれていますが、馬をたくさん生産していたということですね。だから話が通じてくるわけです。
ユダヤ人たちはこのトガルマを、トルコの遊牧民族の子孫としてのトルコ人、今のトルコ人とは違いますけれども、と理解していたようですね。
他の人々はアルメニア人だ、と。
トルコ人とすると少し離れているようですが、アルメニア人だとすると、まさにこれは北の国ですね。トルコもイスラエルからすると北にありますけれども。

ですから、歴史家によりますと、アルメニアは良い馬を生産していたとされています。エゼキエル書の27章14節と一致しますね。
この他にも、言語学上からも一致すると言われている。
そうしますと、トガルマはアルメニア人であろうということになってきますね。そしてゴグとマゴグの連合軍に加わっていく。
ゴグとマゴグのことをもっと勉強しますと、いろんなことが出てくるんですね。

Ⅲ.ゴグとマゴグの説明が長くなってしまいましたが、とにかくサタンは、千年期が終わった後、こういう国々の人を惑わすために出ていく。

ヨハネは、その数は海べの砂のようであるといっていますね。先ほどのハモン・ゴグのところを見ますと、もう一杯で埋めるところがないと書いてありましたから大変な数なんですね。

A.こういう人達と、地上の神の民との最後の戦いということになっていく。

これはもう恐るべき軍隊になってくる。
この戦いについてもいろいろな意見があります。

① ある人は、エゼキエル書のゴグとマゴグの侵入を、ヨハネの黙示録の20章の戦いと同じであると言う人もあります。

それは千年期の直前のハルマゲドンの戦いとも同じである、と言っています。そうしますとね、ゴグとマゴグの戦いは一回だけということになります。
しかも、ゴグの同盟軍たちは、ペルシャ(今のイラン)、エチオピア、リビア、ゴメル、トガルマである。
最初の三つは今も国家として知られていますが、ゴメルとトガルマは先程お話した通りですね。

② 他の学者たちは、ゴグとマゴグは二回イスラエルを侵略するんだと言っています。

第一回は千年期前のハルマゲドンの時です。
第二回は千年期が終わった時です。

この考え方は、ヨハネの黙示録20章8節で、サタンが千年期の後でゴグとマゴグを惑わして、戦いに臨むと記しているからですね。

黙 20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。

ハルマゲドンが、ゴグとマゴグの侵略であるかどうかは、はっきりとは分かりません。
二つあったとしても、ハルマゲドンにゴグとマゴグがやってくるのか、また、千年期が終わってゴグとマゴグがやってくるのか、聖書は何も言っていませんから分かりません。

ヨハネの黙示録を素直に読んでいきますと、千年期の前にハルマゲドンの戦いがある。それが行われて、そして千年期の後にゴグとマゴグの侵略が行われる、ということになります。
ですから、ハルマゲドンの時にゴグとマゴグが来るのか、他の者が来るのか、聖書は何も言ってないから分からないんですね。
私たちにはどちらかに決定する資格はありません。ただ言えることは、ハルマゲドンという戦いがあり、ゴグとマゴグの侵略があるということが、事実のようですね。
今のところはそれで満足するしかない。

それにしても、サタンの人を惑わす力というのは相当なものだと思われます。
ゴグとマゴグの人々は、聖徒たちの千年王国というのを見ていたわけですね。彼らは大患難期というのも通過して知っているわけです。それでもなお、サタンの力の側につこうとする。
ひどい目にあえば、これは大体ダメだなと思うんですが、彼らはそう思わないということです。

ですから、サタンの影響がいかに強いか考えさせられます。サタンの影響はただ、信仰によってのみ防ぐことができる。
パウロはエペソの6章16節で、

エペ6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

と教えています。信仰によってのみサタンの影響力を防ぐことができる。信仰がなければ、人間的にどんなに真面目でも、常識も、決心も、努力も、修業もサタンの影響から逃れることはできません。
サタンの影響力を私たちは馬鹿にすることはできない。

B.エゼキエルは、ゴグとマゴグの戦いにおいて、彼らはイスラエルに侵略すると言いましたね。

ところがヨハネの黙示録の20章9節を見ますと、

黙20:9 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

と書いてあります。

エゼキエルは、ゴグとマゴグはイスラエルに侵略するといいましたが、ヨハネの方は、「地上の広い平地に上って来て、」と言っています。
ですから彼らの侵略は、イスラエルの国という一か所にとどまっていないということです。
エゼキエルの時代にはイスラエルという国しか幻になかったんでしょうが、実は彼らは地上の広い範囲において、聖徒たちの陣営と愛された都、すなわち教会と、キリストの活動の根拠地を全部取り囲むということですね。相当の数になる。

そしてゴグとマゴグの同盟軍たちは、こういうことをしながらも実は自分たちが完全にサタンに騙されていることに、まったく気づいていないということです。

人を騙(だま)し欺(あざむ)くということは、サタンの最大の武器ですからね。サタンはピストルも刀も何も持っていないんです。彼は騙すことができる力を持っている。
サタンに騙された人は、その心が全くサタンの虜になってしまっていますから、それが真実だと疑わないんです。どんな警告も忠告も耳を貸そうとしません。これが恐ろしい。心がサタンに惑わされている人は何を言っても目が覚めない。彼らは自分がサタンに騙されていることに全然気が付かない。

こういう人には「あなたはサタンに騙されているよ」と言ってもかえって怒りだすだけですね。
サタンは人々や国に麻酔薬を打ち込んで、真理でないものを真理であると信じ込ませる。そして神の真理と正義に反抗させて、ついに滅びていくわけですね。

C.彼らの滅亡は、聖徒たちと戦う直前に一瞬の内に天からの火によって滅ぼされる。

エゼキエルはゴグの滅亡についてこう言っています。

① エゼ38:21 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。──神である主の御告げ──彼らは剣で同士打ちをするようになる。

② エゼ 38:22 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。

最初の方では同士討ちで滅びる、ということが書かれている。
22節の方では、彼らの上に降り注がれる豪雨や雹(ひょう)や硫黄の火によって滅びる、と。
何はともあれ、神によってなされる業だということですね。

悪の滅亡は、教会の活動によって来るんじゃない。ですから、私たちは悪を滅ぼすために働いているんじゃなくて、悪の中から人々が救われるように働いているんですね。どうか間違わないでいただきたい。
サタンと対決するために一生懸命にやっているわけではない。サタンと対決できるのは神様だけですからね。
そりゃ私たちはこの世にあって悪を取り除きたいなあと思いますが、それが私たちの役目ではない。罪の世の中から人々が救われるためである。

悪の滅亡は、教会の活動によるものではないし、地上の平和運動や正義の活動によってでもなくて、神のみわざによって起きる。最終的に悪は神によって滅ぼされるんだということですね。
これを私たちはよく知っておかないと、うっかりすると、悪に対決することを生涯の仕事にしてしまいますからね。間違わないようにしたい。

黙示録の方に帰りますけれども、サタンは、すでに獣とにせ預言者が投げ込まれている火と硫黄の池に投げ込まれる、と書いてあります。

黙 20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

サタンが一番先に投げ込まれるのかなあ、なんて思いますけれども、10節を見るとすでに獣とにせ預言者が先に投げ込まれているんですね。これは霊的悪の完全な滅亡です。
そして聖書は、「彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」と記している。釈放というのはない。これが、地獄ですね。人間は「死んだら終わり」ではないということですね。これは気を付けたい。

これでサタンと霊的悪に対する神の国の勝利は、永遠に完成する。
これを勝ち取るためにクリスチャンと教会は、この二千年間迫害を受け、殉教に耐えてこの代価を払い続けたわけですね。信仰の戦いはこれを得るためである、ということです。

最後の勝利の日は間近に迫っているわけです。ですからますます、私たちは主のみ足の後を忠実に歩んで行きたいと思います。
ゴグとマゴグも非常に恐ろしい戦いをなすわけでありますが、願わくは私たちがゴグとマゴグに加わらない者としてありたいなあと思いますね。それだけではなく、神の民として生涯を全うさせていただきたい。

もう一つ付け加えるなら、ゴグとマゴグがスクテヤ人だとするなら、スクテヤ人はどうなるのかと思いますけれども、実はこのスクテヤ人のなかにも結構クリスチャンの人は多いんです。ですからスクテヤ人はみんなそうなるわけではありません。ですから、その地方であるということです。

例えば、ソ連に行けば全員が共産主義者じゃないんですね。共産主義者というのはごく一部なんです。中国の学生運動を見てもみんなが共産主義者ではないんです。ごく一握りの人なんですね。あとの人たちは、そんなこと望んでいないんです。ですから、みんながそうではなくて、その地方から起きるということだけを聖書は記しているということですね。

お祈り

「そこは獣もにせ預言者もいるところで、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」
恵みの深い天の神様、やがて私たちの前にこの世の終わりが来て、千年の終わりの後にサタンも滅亡の中に追い込まれます。
その前に大いなる戦いがあることを聖書は教えてくれました。
私たちも今、霊的戦いの中にありますが、しかしイエスさま、あなたが信仰によって悪魔の火矢を打ち消すことができると約束してくださいました。
ありがとうございます。
信仰に立っている時、私たちはどんな攻撃を受けても神の火によって相手は打ち砕かれ、私たちは守られるということを知っております。
どうか、これから臨もうとしている戦いも恐れず、信仰によって進ませてください。
戦いの前に神がそのみわざを成し遂げてくださいます。
私たちの戦いにおいて勝利を得るのではなくて、神のみわざによってなされることをしっかりと心に留めさせてください。
やがての日に、主と共に立つ日を与えられますように、心からお願い致します。
この時を感謝して、イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。

地の塩港南キリスト教会牧師
眞部 明