聖書の探求(018a) 創世記15章 アブラムの契約の恵みと信仰義認
15章ではアブラムの契約の恵みと、信仰義認の問題が取り扱われています。この章は、パウロによってローマ人への手紙4章でも取り挙げられている重要な章です。
この契約の当事者は神とアブラムですが、その契約を実行し、それを保証し、それを確約されたのは神です。これは全く神の恩寵の契約であって、アブラムのなすべきことは神を全面的に信じていることだけでした。
〔15章の概要〕
1~7節 信仰義認
① 激励のための神の顕現(1節)
創 15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
神のみことばに注意してください。
「わたしはあなたの盾である。」これは、ケドルラオメルの反撃の恐れに対して、神がアブラムを守られるという約束です。
「あなたの受ける報いは非常に大きい。」は、神ご自身がすぐれた報いとなってくださる(英訳)という意味です。
アブラムに対する神の顕現は四回なされており、これは四回目です。神の顕現はアブラムの生涯の特色の一つです。
第一回目 創世記12:1~3
創 12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
第二回目 創世記12:7
創 12:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。
第三回目 〃 13:14
創 13:14 ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
第四回目 〃 15:1
創 15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
② アブラムの跡取りは、しもべのエリエゼルではなく、アブラムから生まれてくる子であること(4節)
創 15:2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
15:3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。
15:4 すると、【主】のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
③ アブラムの子孫が星の数の如くなること(5節)
創 15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
これはただ民族的な子孫ばかりではなく、信仰的な子孫をも含んでいる(ガラテヤ3:7)。
ガラ3:7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
④ アブラムの信仰が義と認められたこと(6節)
創 15:6 彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
この出来事が新約における信仰義認の教えを明確に裏付けています。
ローマ人への手紙4章、ガラテヤ人への手紙3章も共に学んでください。ただヤコブはヤコブの手紙2章20~26節で、「行ないによって義と認められる」と言っていますが、これは信仰による義認を否定して、律法を行なうことによって義と認められることを言っているのではありません。ヤコブが言おうとしているところは、行ないの伴わない信仰は意味がなく、死んでいる、すなわち神に義と認められないと言っているのです。
ヤコブ 2:20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、
2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
2:25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。
2:26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。
⑤ 約束の地が与えられたこと(7節)
創 15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した【主】である。」
ここで初めてアブラムはウルを出発して来た時の目的地を知ったのです。
8~21節 神の契約の確認
神はアブラムが献げた祭壇上の犠牲の上に火を下して応えられました。これは神のみことばが実現する証拠(保証)です。しかし彼は火が下るまで猛禽(不信仰)を追い払い続け、犠牲を祭壇の上に置き続ける努力が必要でした(ヤコブ4:7)。
ヤコブ 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
〔神が契約を立てられた七つの段階〕
1、 神はアブラムの信仰を励ますためにみことばを与えられた(15:1)。
創 15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
「これらの出来事」とは、アブラムが信仰をもってメルキゼデクを受け入れ、ソドムの王の申し出を拒絶した後、ということです。神はこのようなアブラムを恵みに成長させようとして、幻のうちに彼に臨んで激励のみことばを与えられました。
「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
「わたしはあなたの盾」とは、アブラムが大勝利を得た原因を示しています。アブラムはソドムの王の申し出た報賞を拒絶しましたが、アブラムの報賞は神ご自身であると仰せられました。このようにして、神はアブラムを恩寵に成長させるために、それまでの勝利の理由を示し、真の報いを示されたのです。
2、アブラムが信仰をもって神のみことばに応えた時、神は三つの約束をされました。
アブラムは神のみことばによって信仰の激励を受けた時、彼は二つの質問をしました。
一つは、「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。」(2節)です。
創 15:2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
もう一つは、「神、主よ。それを私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」(8節)です。
創 15:8 彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」
これは信仰の質問です。神が私たちに与えられたものを知るためには、聖霊が与えられています(コリント第一、2:11,12)。
Ⅰコリ 2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。
神は、第一の質問に対して三つの約束を与えられました。
① 4節、跡継イサクが与えられること。
創 15:4 すると、【主】のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
イサクは、キリストの型です。
② 5節、大いなる子孫。
創 15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
これは民族的にはユダヤ人ですが、またキリストによる霊的子孫の型です。キリストが私たちの内に住まわれる時、私たちは彼によって霊的子孫となります(ガラテヤ3:7,29)。
ガラ3:7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
ガラ 3:29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
③ 7節、美しいカナンの国。
創15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した【主】である。」
アブラムの子孫に与えられたカナンは霊的安息の国の型です。キリストが王としてあがめられるところは安息の国です。安息とは、内住の主イエス様をあがめている霊魂の状態です。ヘブル人への手紙3章は安息の状態を語っており、4章は安息に入る日について語っています。霊魂の安息を保つためには、時々刻々の信仰の態度が必要です。これらの三つの約束の関連性が大切です。
3、アブラムの心に生きた信仰を起こすために、神は彼に創造力を示されました。
神は、アブラムを外へ連れ出して、天の星を見せて、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われました。神は何もないところから、無数の星を創造されたお方ですから、神のみこころにかなうことなら、どんなことでも出来るという信仰が、彼の心の中に起きたのです。
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(6節)
これは旧約聖書中、最も大切な節です。
神は彼の信仰を義と認められたのです。義も、聖も、愛も、みなこの信仰の中に種のように含まれています。パウロはローマ人への手紙4章にこの記事を引用して、信仰による義を論じていますが、アブラムの場合には罪のことが論じられていませんから、ダビデの例をも共に引用しているのです。
何もないところから無数の基を造り出された神は、義のないところに義を創造し、死者を甦らせる神なのです(ローマ4:5,17)。
ロマ 4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
ロマ 4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
これがアブラムの心の内に創造された信仰です。
4、神は、アブラムに確信を与えるために、犠牲を献げることを命じました(8~11節)。
創 15:8 彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」
15:9 すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」
15:10 彼はそれら全部を持って来て、それらを真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。
15:11 猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。
アブラムは神の約束を信じたけれども、さらに確信を得たく、「どのようにして知ることができましょうか。」(8節)とたずねました。神はこのアブラムの質問に答えて、確信を与えるために犠牲を献げるように命じました。これは罪祭として、全焼の犠牲としてキリストが十字架にかけられることの型です。私たちは、自分の罪のための犠牲としてキリストを信じて、キリストを見上げている時に、確信が与えられるのです。
まず、「それらを真二つに切り裂き」(10節)は、私たちがキリストの犠牲の意味を十分に知り、弁(わきま)えて信じるべきことを示しています。
さらに、「猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。」(11節)は、犠牲を献げて確信が与えられるのを待っている間に、この犠牲なるキリストを取り去ろうとするサタンを追い払うことを意味しています。私たちも、確信を受けるまで、キリストの犠牲を信じる信仰を堅く保たなければなりません。
5、アブラムが暗黒の恐怖を拒絶して、神を待ち望んだ時に、神はみことばを与えられました(12、13節)。
創 15:12 日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。
15:13 そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。
アブラムは犠牲を奪おうとする猛禽に襲われただけでなく、深い眠りや、ひどい暗黒の恐怖に襲われました。アブラムはこういう状況の中で、疑惑や恐怖や失望を排除して神を待ち望んでいる間に、神のみことばが与えられたのです。私たちが確信を求める時にも、疑いや、恐れや、失望を排除して、みことばが与えられるまで待ち望むべきです。
6、神は火をもって、そのみことばを確証されました(17節)。
創 15:17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
「そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。」
これは聖霊のあかしの型です。ヨハネの手紙第一、5章7,8節に、あかしするものが三つ記されています。
Ⅰヨハ 5:7 あかしするものが三つあります。
5:8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
御霊は火、水と血はキリストの犠牲(ヨハネ19:34)です。
ヨハ 19:34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
さらにこの上に、神のみことばを加えることができるでしょう。
7、神はアブラムと永遠の契約を立てられました(18~21節)。
創 15:18 その日、【主】はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。
15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、
15:20 ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、
15:21 エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
神はいろいろな道を通らせてアブラムを導き、恩寵の中に成長させられました。第一にアブラムは跡継ぎがないことを訴え(2節)、第二に約束を成就される神を信じ(6節)、第三にさらにすゝんで確証を求めました(8節)。このようにして、神はアブラムに永遠の契約を立てられました。
「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
(15章 完)
上の写真は、ドイツの画家Julius Schnorr von Carolsfeld (1794–1872)による木版画「Verheißung an Abraham, Nachkommenschaft so zahlreich, wie die Sterne am Himmel.(空の星のように多くの子孫をアブラハムに約束)」(1851-1860年頃出版された絵解き聖書の挿絵、Wikimedia Commonsより)
あとがき
ことしは日本列島が水びたしかと思えば、その次は日照り続きです。病弱の方や御高齢の方々には、心よりお見舞いを申し上げます。
この18号が皆様のお手元に届くころには、北の方から秋風が吹き始めているかもしれません。季節の移り変わりは早いもので各地から様々な季節のお便りをいただくのもうれしいことですが、それよりもうれしいのは、季節が変わっても、イエス様に対する心が変わっていないお便りをいただくことです。人の心は風向きよりも変わりやすいものです。一時は信仰に熱心な人でも一年もしないうちにイエス様にも、聖書にも心を向けない人になってしまうことがあります。そんな便りを受け取る時ほど、悲しい時はありません。なぜ、そうなってしまうのでしょうか。それは気分的熱心さでイエス様を信じているからです。信仰は最初にカァッと燃えるより、段々とみことばによって燃やされてくることが大切です。秋風が吹いても、心に変わりのないクリスチャンとさせていただきましょう。(1985.9.1)