聖書の探求(020) 創世記18章 アブラハムの祷告(とうこく:祈り願うこと)

18章は「アブラハムの祷告(とうこく:祈り願うこと)」と題することができるでしょう。

へブルへの手紙1章1,2節によると、神は昔の時代にはいろいろの方法によって語られたが、今この末の世には御子イエス・キリストによって語られると記されています。
ヘブル 1:1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

すなわち、神は人にみ旨を知らせるのに、時代によって異なる方法をとられたのです。昔は、御使いが人のかたちをとって現われて、神のみ旨を伝えたことがありましたが、この18章はその一つの例です。マムレの樫の木のそばでアブラハムに現われた三人の人のうち、一人は受肉以前のキリストであり、他の二人は御使いです。

〔18章の概要〕

1~21節 三人の人とアブラハム

1~8節 三人の人の到来

創 18:1 【主】はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。
18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
18:4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
18:5 私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください。」
18:6 そこで、アブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って、言った。「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ。」
18:7 そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。
18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した子牛を持って来て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。

9~21節 三人の人とアブラハムの対話

10節 男子の誕生の告知
創 18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」

16~21節 ソドム滅亡の告知

創 18:16 その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。
18:17 【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」

22~33節 主とアブラハム (アブラハムの祷告(とうこく))

22、23節 祷告の場所
22節「主の前に立っていた。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、【主】の前に立っていた。

23節「近づいて」
創 18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。

アブラハムの態度や動きに注意してください。
23~32節 祷告の内容(三つの特色)
創 18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」
18:26 【主】は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
18:30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
18:32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」

① 神のご性質に訴えている。
25節 神は義なるお方

② 自分自身の存在を十分に弁(わきま)えている。
27節「私はちりや灰にすぎませんが」
これは、自分が捨てられてもよいもの、価値なき者であるという神のみ前でのへりくだった告白です。

③ しつこい祈り
27、30、31、32節
主イエスもしつこい祈りを求めておられます(ルカ2:1~13、ルカ18:1~8)。
ルカ 2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。

ルカ 18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

33節 アブラハムの祈りが終わると、主は去られた。
アブラハムがしつこく祈っている間中、主はとどまって、彼の祈りを聞いておられたのです。
創 18:33 【主】はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。
私たちも祈る時、主がとどまって聞いていてくださっているという自覚を持って祈りたいものです。

〔18章と19章の比較〕

18章の初めと19章の初めとを比較してみると、面白い対照があることが分かります。

①18章では、御使いは命と幸福のメッセ-ジを伝えるために来ており、
19章では、審判のメッセージをもって来ています。

②18章では、アブラハムは天幕の入口で三人を迎え、
19章では、ロトはソドムの門のところで二人の御使いを迎えています。
これは特に、注意すべきことです。アブラハムもロトも共に故郷を去って、カナンの地に向かって旅し、共にカナンの地に住み、苦難を共にしたのですが、ある日、利害問題のために別れてから、次第に異なる生活をするようになっていったのです。アブラハムは、どこまでも天幕生活を続け、カナンの地にあってもやはり旅人として生活したのです。しかし、ロトは、ソドムに家を建てて住み、ソドムを故郷とし、そこの住民となったのです。

そして今、御使いは、アブラハムには祝福のメッセージを持って、ロトには審判のメッセージを持って来たのです。

〔主に対するアブラハムの態度〕

1、神を接待して仕えるアプラハム(1~8節)

創 18:1 【主】はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。
18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
18:4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
18:5 私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください。」
18:6 そこで、アブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って、言った。「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ。」
18:7 そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。
18:8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した子牛を持って来て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
ヘブル人への手紙13章2節は、アブラハムのことを言っています。彼は初め、この三人がだれであるか知らずにもてなしたのですが、実は神を歓迎してもてなしていたのです。
ヘブル 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。

ヨハネの黙示録3章20節に、
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
とあります。これはキリストのみことばです。キリストは私たちの食事に臨み、そして私たちにも祝福を与えてくださるのです。
神のために祝宴を設けることは、愛と感謝と讃美をもって神を喜ばせまつることです。
神はこれを求めておられます。
ヘブル人への手紙13章15、16節の賛美のいけにえと、善を行なうことや持ち物を人に分けることのいけにえは、神を喜ばせる供え物です。
ヘブル 13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
13:16 善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。
また、テサロニケ人への手紙第一、5章16~18節の
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」
は、神の喜ばれるみ旨です。
Ⅰテサ 5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

2、神と対話するアブラハム(9~22節)

創 18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
18:16 その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。
18:17 【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、【主】の前に立っていた。

ここには、アブラハムが神と親しく交わっていることが記されています。交わることは、双方にとって共に幸いなことです。
幼い信者は子どものように甘い菓子ばかりを欲しがりますけれども、いつまでもそんな状態であってはいけません。必ず成長して、神と交わることができるようにならなければなりません(ヘブル5:12~14)。
ヘブル 5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

神がアブラハムに語られた内容は二つあります。

①  奇跡的に男の子が生まれること(9~15節)
創 18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
「そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」(10節)
とのメッセージを聞いて、
「それでサラは心の中で笑って」(12節)と記されています。

笑うことにも二種類あります。
詩篇126篇2節の
「そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。」
とある笑いは、信仰の笑いですが、
サラの笑いは、不信仰の笑いでした。
アブラハムは17章において、神との契約を新にして信じていたのですから、サラも信じるべきだったのです。

②  ソドムの審判について(16~22節)
創 18:16 その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。
18:17 【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、【主】の前に立っていた。

20節で神は、
「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。」
と言われました。ソドムの罪の中でも、特に憎むべきことは男色(同性愛)でした(ローマ1:27)。

17節で主は、
「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」
と言われました。アモス書3章7節をみると、
「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」
とあります。神はソドムとゴモラを滅ぼそうとされる時に、先ずこれをアブラハムに示されたのです。神はいつでも、信任する者に神がなそうとされることを示されるのです。
ルカの福音書10章21節に、
「これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。」
とあります。「これらのこと」とは、10章12節以下の神の審判のことです。
ルカ 10:12 あなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。
10:13 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。
10:14 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。
10:15 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。

神は恐ろしい審判を、この世の知者、学者に隠して、幼子たちに現わされたのです。
神に信用され、神との交わりに入り、神がなさろうとすることを悟り得る人とは、どんな人でしょうか。それはアブラハムの例から分かります。

イ、 祝福の管となって、他の人に神の祝福を分かち与える者であること(18:18)
創 18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。

ロ、 その家族と子孫をよく治め、神の道を守り行なわせる者であること(18:19)
創 18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
ここには伝道者も心得なければならないことがあります。伝道者は特に、家庭をよく治める者でなければなりません。そうでなければ、神と交わることができません。これに失敗した例が祭司エリです(サムエル記第一、3:1~14)。
Ⅰサム 3:13 わたしは彼の家を永遠にさばくと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ。
3:14 だから、わたしはエリの家について誓った。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない。」
エリは祭司長で立派な人でしたが、その子たちを治めることができなかったために、彼の家から祭司長の職が取り去られました。

ハ、アブラハムは来らんとする審判を聞くと、すぐに彼らのために祈りました。
神はアブラハムの心を知っておられました。彼はソドムの審判のことを聞いても冷淡に聞き流すような者ではなく、熱心に祈る人であることを知っていましたから、神はアブラハムにこのことを知らせたのです。

3、神のみ前に立って祷告(とうこく)するアブラハム(23~33節)

創 18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい)を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」
18:26 【主】は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
18:30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
18:32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
18:33 【主】はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。
アブラハムは大胆に神のみ前に立って執り成しの祈りをささげました。
「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。」(23節)
と、神の義なるご性質に訴えています。
彼は、50人、45人、40人、30人、20人と正しい者の数を減らして祷告をすすめてきましたが、10人で祷告を終えました。それは、ロトがソドムで家族と娘の夫と周囲の人々を少なくとも10人は神に導いて、正しい者がいるだろうと考えたからと思われます。彼がそう考えたのは当然のことです。ですから、アブラハムが10人で祷告を終えたことを非難するのは、不当です。
しかし残念なことに、ソドムとゴモラには神を畏れる正しい者が10人もいなかったのです。ついにソドムは滅ぼされましたが、ロトと娘たちはアブラハムの祈りの故に救われました。
アブラハムが大胆に祈ったのは、滅亡の幻を見せられたからです。クリスチャンも神の滅亡の審判の幻を見る必要があります。
この世は滅びるということを実際に自覚するとき、大胆に祈るようになるのです。

(18章完)

上の写真は、オランダの画家 Rembrandt(レンブラント 1606–1669)により描かれた「Abraham and the three angels(アブラハムと3人のみ使い)」(オランダのthe Netherlands Institute for Art History蔵、Wikimedia Commonsより)

〔あとがき〕

私は教会の人には「旧新約聖書を先ず五回通読してください。」としつこく勧めています。これと同じことをこの読者の皆様にも、お勧めしたいと思います。それは簡単には出来ないでしょう。しかし聖書を読まないで、いくら解説書を読んでも、聖書を理解することはできません。この聖書の探求も、これだけを読まないで、取り扱われている聖書の章を何度も何度も読んだ後にお読みください。
引照箇所が記されている所は必ず聖書のその箇所を開いて読み、その関係を考えてください。そしてそれを聖書の余白部分に書き込むくらいにしてください。

(自己診断テスト)
1、旧約聖書中のキリストの贖いを予表する型を挙げてください(五つ以上挙げられれば合格です。聖書の箇所も指摘できれば満点です。)
2、創世記の中心メッセージは何ですか。
3、創世記の主な分解を記してください。
4、人間の堕落はどのように始まり、どのように広がっていますか。
5、エノクとノアの特長は何ですか。
(聖書を使っても結構です。)

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「知られざる力」を重刷(十刷)しました。この本は最初に刊行した本なので思い出があります。原稿が出来ても印刷費がなくて祈っていた頃、ある方から五千円の献金が送られてきて、それを貯金すると二ヶ月後に十三万円になり、二万円を借りて、十五万円で一度も本を作ったことのない身体障害者の方の印刷屋さんで五百冊つくり、それは全部差し上げてしまいました。するとまた献金が寄せられてきて、二番目の「救われる為の実際方法」をつくりました。
あれからもう十年になります。この本を重刷するのはやめようかと思ったりもしたのですが、「毎日ハンドバッグに入れて持ち歩いています。」とか、「本がまっ黒になるまで読んでいます。」という方のお話を聞くと、やはり必要な本なのかなあと思ってしまうのです。
(1985.11.1)