聖書の探求(021a) 創世記19章 ソドムとゴモラの滅亡

19章の中心テーマは、ソドムとゴモラの滅亡でしょう。
18章において神はアブラハムに近づき、ご自身のみこころを打ち明けて、ソドムとゴモラを滅ぼされることを示されました。これによって、アブラハムは祷告(とうこく:祈り願うこと)の特権を受けたのです。

19章では、彼の祈りが答えられたことが見られます。それとともに、神の驚くべき憐みと慈悲が現わされています。

〔19章の概要〕

1~23節 ロトの所に御使いの来訪

1~3節 御使いの躊躇とロトのもてなし
創 19:1 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。
19:2 そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」
19:3 しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中に入った。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。

4~11節 ソドム人の襲来
創 19:4 彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。
19:5 そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」
19:6 ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。
19:7 そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。
19:8 お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
19:9 しかし彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そしてまた言った。「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう。」彼らはロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来た。
19:10 すると、あの人たちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめた。
19:11 家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。

12~23節 ロトとその家族の避難
創 19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」
19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。
19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」
19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。──【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。
19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」
19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。
19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。
19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。
14節 婿たちはこれを冗談のように思った。彼らはあまりにも世俗的であった。それはロトの日常生活が敬虔でなかったからです。
16節 ロトと家族の避難は、ただ神のあわれみによるものでした。
17節 「そのひとりは言った。『‥‥うしろを振り返ってはいけない。』
26節をみますと、ロトの妻は振り返ったので、塩の柱になってしまいました。彼女はソドムに残してきた家や家財に未練があって振り返ったのでしょう。その時、空に吹き上げられていた岩塩が彼女をおおい包んでしまったのです。
モニカ(アウグスティヌスの母)やルターの妻カタリナやスザンナ・ウェスレー(ジョン・ウェスレーの母)そしてキャサリン・ブース(救世軍の創立者ウィリアム・ブースの妻)など、最も霊的になれるのも妻の立場にある者であり、ロトの妻、ヨブの妻のように最も世俗的になりうるのも妻の立場にある者ですから、十分に信仰を堅くしたいものです。
22節 「あなたがあそこにはいるまでは、わたしは何もできないから」
これは神のあわれみです。しかし今も多くのクリスチャンがロトたちのように、罪から遠く離れようとせず、神の恵みの深みに入ることを躊躇(ちゅうちょ)しているのを見ます。このような人々はロトと同じ結末になるでしょう(ヘブル5:11~6:1)。
ヘブル 5:11 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。
5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
6:1 ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。・・・

24~29節 ソドムの滅亡

創 19:24 そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、
19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。
19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。
19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。
29節 「神はアブラハムを覚えておられた。」
これは「神の人」の影響力を示しています。神はアブラハムの故に、ロトとその家族に勧告を与え、手をつかんで連れ出したのです。クリスチャンは信仰者としての目分の存在、祈り、教会出席、あらゆる態度や行為に大きな影響力があることを知って、ますます神のみ旨にかなう者とならなければなりません。

30~38節 ソドム滅亡後(脱出後)のロトの姿

創 19:30 その後、ロトはツォアルを出て、ふたりの娘といっしょに山に住んだ。彼はツォアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘といっしょにほら穴の中に住んだ。
19:31 そうこうするうちに、姉は妹に言った。「お父さんは年をとっています。この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません。
19:32 さあ、お父さんに酒を飲ませ、いっしょに寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。」
19:33 その夜、彼女たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、父と寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:34 その翌日、姉は妹に言った。「ご覧。私は昨夜、お父さんと寝ました。今夜もまた、お父さんに酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、いっしょに寝なさい。そうして、私たちはお父さんによって、子孫を残しましょう。」
19:35 その夜もまた、彼女たちは父に酒を飲ませ、妹が行って、いっしょに寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:36 こうして、ロトのふたりの娘は、父によってみごもった。
19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。
19:38 妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアモン人の先祖である。

‥‥箱舟から出たノアの姿に似ているところがあります(9:20~29)。
創 9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、【主】を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。
ロトはソドムの滅亡から救われましたが、ソドムの不敬虔の臭いがしみついてしまっていたのです。
クリスチャンは神抜きのこの世から、はっきりと離れていなければ、不敬虔な欲に負けて、恥ずべきことを行なうようになります。このロトと二人の娘の間から、後に偶像を拝み、イスラエルを攻めて悩ましたモアブ人とアモン人が出たことは、悲しむべきことです。私たちも自らの恥ずべき行ないから、悲しむべき事態が起きないように警戒しなければなりません。

〔アブラハムの祈りの答え〕

18章において神はアブラハムに近づき、ご自身のみこころを打ち明けてソドムとゴモラを滅ぼされることを示されました。これによってアブラハムは祷告(とうこく:祈り願うこと)の特権を受けたのです。
19章においては、彼の祈りが答えられたことが記されています。それと同時に、神の驚くべき憐みが現わされています。

1、 神の謙遜(1~3節)

創 19:1 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。
19:2 そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」
19:3 しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中に入った。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。
神は忠実なしもべアブラハムに現われて語られただけでなく、不忠実なロトの所にさえ行かれたのです。 1節をみると、ロトはソドムの門に坐っていました。これは18章1節でアブラハムが天幕の入口に坐していたのとは大きな違いがあります。アブラハムの天幕が旅人の生活のしるしであるのに対して、ソドムの町の門は地位や権力の所であったのです。
創18:1 【主】はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。

ロトはソドムに行き、富を増し、事業に成功し、ついに権力と勢力の座につくようになったのです。御使いはアブラハムの接待は喜んで受けましたが、罪の町に住むロトの接待を断ったのは当然のことです。しかしロトのしつこい勧めによって、ただ憐みの故にロトの接待を受けたのです。

2、 神の保護(4~11節)

創 19:4 彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。
19:5 そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」
19:6 ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。
19:7 そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。
19:8 お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
19:9 しかし彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そしてまた言った。「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう。」彼らはロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来た。
19:10 すると、あの人たちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめた。
19:11 家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。

ソドムの人々は恥知らずで、どんな汚れたことでも行ないました。その晩、ロトの家を取り囲み、罪を犯そうとして迫ってきたのです。御使いはロトの命を助けました。
もしそうでなかったなら、ロトはその時に殺されていたに違いありません。ところが驚くべきことに、ロトはこのようなソドムの人々を「兄弟たちよ」(7節)と呼んでいます。ロトは神のしもべアブラハムのおいであるにも拘らず、恐るべき悪人を兄弟と呼ぶのは、ロトがいかに堕落して、この悪いソドムの町の風俗に染っていたかを示しています。それにも拘らず、神はアブラハムの祈りによって、ロトを保護されたのです。これによって、「神の人」の祈りがいかに大きな力をもっており、また大切かを教えられます(ヤコブ5:16)。
ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

3、 神の警告(12~14節)

創 19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」
19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。

神はロトだけでなく、彼の親族にも警告を与えました。これもアブラハムの祈りの答えです。ロトは御使いからソドムの町が滅ぼされることを聞くと、三人の娘の婿にそれを告げて、「立ってこの場所から出て 行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」と言いましたが、婿たちは、冗談ごとのようにしか受けとめなかったのです。ロトはソドムの町の門、すなわち、権力の座にはついていたけれども、真実の意味においての力はなかったのです。ロトは、口で神を信じる告白をしていましたし、行ないにおいてもさほどの悪いことはしていなかったでしょう。しかし、ソドムの人々には真の信者として認められていなかったのです。
私たちも警戒しなければなりません。平常、未信者の人と交際しつつある間に、軽々しくたわむれごとを言ったり、浮薄なふるまいをしているならば、たとい正しい生涯を送っていても、私たちはあかしの力を失い、感化力を失い、あかしのことばの重味や真剣さを失い、全く冗談ごとと思われるようになるのです。

4、 神の救い(15、16節)

創 19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」
19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。──【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
ロトの二人の娘は父のすゝめを受け入れて、ソドムの滅亡を信じたけれども、その心がソドムに執着していて、逃げるのに躊躇し、容易にソドムを立ち去ろうとはしなかったのです。ソドムの町に自分の地位や財産や住みなれた家があったからです。
しかし御使いは驚くべきあわれみをもって、ロト夫婦と二人の娘の手をつかんで町の外に連れ出しました。16節には、「主の彼に対するあわれみによる。」と記されています。これもアブラハムの祈りの答えです。彼ら四人は、救われるべき望みのない者であったにも拘らず、このように神のあわれみを受けたのです。

5、 神の寛容(17~22節)

創 19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。
19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」
19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。
19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。

ロトたちがソドムを出ると、ひとりの御使いが、「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」と警告しました。ところがロトは弱音を吐き、非常に恐れて近くの小さい町ツォアルに逃げることを許してもらうように頼みました。
山にはアブラハムがいたのです。もしロトがアブラハムのいる山に逃げていたら、19章30~38節にあるような父と娘たちとが性的関係を持つような罪を犯さなくてすんだでしょう。自分中心の考えによる信仰の妥協が大きな罪を引き起こすことを、私たちは警戒しなければなりません。
アブラハムは岩の上に立って、神と共に歩み、神のみこころを悟り、神のみ旨を思い、神の願いを願い、神のご目的とご意向を弁(わきま)えて、己を忘れてソドムとゴモラのために祈っていたのです。それにひきかえ、ロトは滅亡が始まろうとするその時でさえ、ただ自分のことだけを願っている自分中心な人間でした。しかし神は、寛容をもってロトを扱ってくださり、ツォアルの町を滅ぼさず、そこを彼の救いの場所としてくださったのです。

6、 神の審判と神の仁慈(じんじ:思いやりがあって情け深いこと)(23~29節)

創 19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。
19:24 そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、
19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。
19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。
19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。

この数節の間には、神の審判(ロトのわざわい)と神のいつくしみ(アブラハムの幸福)とが記されています。23節には、ロトと娘たちが恐れおののきつつツォアルの町に走り逃げ込んでいる姿が見られます。
27節には、アブラハムが朝早く神のみ前に立って、ソドムとゴモラの地を望み、煙が立ち上っているのを見ています。この二つの姿の間に、二六節で、荒野の中で塩の柱となったロトの妻の姿が見られます。彼女はソドムの町に残してきた財産に未練を持っていたので振り返ったのでしょう。モーセに率いられていたイスラエル人もシナイの荒野でしばしばエジプトに未練を持って振り返ったので、カナンの地に入れず、四〇年間荒野をさまよい、そこで死んだのです。罪の生活を切り離さず、未練を持ち続けている人は、必ず同じ運命をたどるのです。彼女が塩の柱となったというのは、空に吹き上げた岩塩が彼女をおおい包んでしまったのであろうと思われます。

7、 神を離れた者の運命(30~38節)

創 19:30 その後、ロトはツォアルを出て、ふたりの娘といっしょに山に住んだ。彼はツォアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘といっしょにほら穴の中に住んだ。
19:31 そうこうするうちに、姉は妹に言った。「お父さんは年をとっています。この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません。
19:32 さあ、お父さんに酒を飲ませ、いっしょに寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。」
19:33 その夜、彼女たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、父と寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:34 その翌日、姉は妹に言った。「ご覧。私は昨夜、お父さんと寝ました。今夜もまた、お父さんに酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、いっしょに寝なさい。そうして、私たちはお父さんによって、子孫を残しましょう。」
19:35 その夜もまた、彼女たちは父に酒を飲ませ、妹が行って、いっしょに寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:36 こうして、ロトのふたりの娘は、父によってみごもった。
19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。
19:38 妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアモン人の先祖である。

ロトは奇跡的に助け出されたのですけれども、その心の中に不信仰が浸透していましたから、ツォアルは滅ぼさないという御使いの約束を信じることができず、二人の娘を連れて再び山のほうに逃げました。しかしその山は、アブラハムのいる山ではありませんでした。多分、アブラハムに会わせる顔がないと考えたのでしょう。この山のほら穴の中でロトの二人の娘は、はなはだしい罪を犯しました。二人の娘は、ソドムとゴモラの人々がみな滅ぼされてしまったので、もはや結婚の望みが絶えたと思って、父ロトに酒を飲ませて、親子で性的関係を持ったのです。それというのも、この娘たちの心にはソドムとゴモラの汚れはてた不道徳と風俗が侵入していたからです。
このように、どんなに良心的な人であっても、周囲の汚れた環境のために心が汚されると、どこまでも堕落していくことが分かります。
実にロトは、自分が蒔いた種を刈り取ったのです。彼は富を得、地位と権力を得るために、家族の救いを捨ててソドムの地に下っていったのです。そしてここに恐るべき刈り取りをさせられたのです。その罪の結果として二人の子どもが生まれましたが、その子たちはモアブ人とアモン人の先祖となり、ユダヤ人の敵となって神の民を苦しめ続けたのです。

上の写真は、「Destruction of Sodom(ソドムの滅亡)」(Phillip Medhurst CollectionのTorah(モーセ五書)より、Wikimedia Commonsより)

〔あとがき〕

ことしも早や、クリスマスを心に覚える時期になりました。先月号の自己診断テストはいかがでしたか。コツコツと聖書を学んでいる者には必ず、実りがあるものです。この一年間忠実に学ばれた方は、このクリスマスを信仰に満ちてお迎えできるでしょう。主が、「わたしのことばがあなたがたにとどまるな
ら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:7)と言われたからです。
聖書は世界で最も多く買われている本であると言われていますが、一方では、聖書は最も読まれていない本であるとも言われています。キリスト教が、特にこの日本で活気を取り戻すためには、どうしても聖書が生きて読めるようになることが必要です。そのためには先ず、私たちクリスチャンが聖書の中からドンドンと命の水を汲み出すことができるようにならなければなりません。この仕事はそんなに急速に、しかも簡単にできるものではありません。コツコツと聖書を探求していくほかないのです。
(1985.12.1)

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