聖書の探求(021b) 創世記20章 アブラハムのゲラルでの失敗
ここでは、アブラハムがゲラルに滞在した時の出来事が記されています。そしてその主要点はアブラハムの信仰の失敗です。ここから私たちは多くの警告を学ぶことができます。
創世記の中には、自分の妻を妹と偽称する話が三回記されています。
① アブラムがききんを避けてエジプトに下った時(12:10~20)
創 12:10 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。
12:11 彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。
12:12 エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。
12:13 どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」
12:14 アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。
12:15 パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。
12:16 パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。
12:17 しかし、【主】はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。
12:18 そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。
12:19 なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」
12:20 パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。
② アブラハムがゲラル滞在中、ゲラルの王アビメレクに対して(20:1~18)
創 20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、
20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。
20:3 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
20:5 彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
20:7 今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
20:9 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」
20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはどういうつもりで、こんなことをしたのか。」
20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
20:12 また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
20:13 神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ』と頼んだのです。」
20:14 そこで、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。
20:15 そして、アビメレクは言った。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」
20:16 彼はまたサラに言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたといっしょにいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」
20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。
20:18 【主】が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。
③ イサクがゲラルに住んでいたとき、ゲラルの人々を恐れて(26:6~11)
創 26:6 イサクがゲラルに住んでいるとき、
26:7 その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。
26:8 イサクがそこに滞在して、かなりたったある日、ペリシテ人の王アビメレクが窓から見おろしていると、なんと、イサクがその妻のリベカを愛撫しているのが見えた。
26:9 それでアビメレクはイサクを呼び寄せて言った。「確かに、あの女はあなたの妻だ。なぜあなたは『あれは私の妹です』と言ったのだ。」それでイサクは、「彼女のことで殺されはしないかと思ったからです」と答えた。
26:10 アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民のひとりがあなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」
26:11 そこでアビメレクはすべての民に命じて言った。「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」
〔20章の概要〕
1~7節 アビメレクはサラを召し入れたために神に戒められた。
6節 全き心で行なうことが、神に罪から守って頂く唯一の道であることを示しています。
8~13節 アビメレクの詰問とアブラハムの答え
14~18節 アビメレクの償いとアブラハムの祈り
〔アブラハムの失敗からの教訓〕
1、 この失敗の特長(1~10節)
創 20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、
20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。
20:3 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
20:5 彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
20:7 今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
20:9 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」
20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはどういうつもりで、こんなことをしたのか。」
アブラハムは先にハガルを入れて失敗をしましたが、その時は忍耐がなかった故に失敗したのです。ここでは、人を恐れたために失敗しています。忍耐をもって神の約束を待ち望むべき時に、自分の知恵と力に頼って神の約束を成就しようとすることも、人を恐れたために偽りのことばで自分の身の安全を守ろうとすることも、大きな失敗の原因です。
先に、サライを妹と言ったのは、ききんのためにエジプトに下った時でしたが、この度はペリシテの国ゲラルに行った時のことです。多分、家畜が多くなって牧草が必要となったので、ゲラルに移ったものと思われます。また、19章のソドムとゴモラの滅亡についてカナン人たちが、アブラハムがカナンの地に来たためであると考えていたとしたら、アブラハムが一時カナン人の顔を避けてゲラルに移って行ったとしても不思議なことではありません。いずれにしても、彼が神の導きを求めず、自分の判断でペリシテの地に移って行ったのは間違いでした。そこで彼は、人を恐れて偽りごとを言い、妻を危険にさらしたのです。
2、 この失敗の不合理性(11節)
創 20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
アブラハムは、「この地方には、神を恐れることが全くないので、‥‥」と言いましたが、5~8、17節をみると、アビメレクは明確な信者ではなかったかもしれないが、神を恐れる信者に近い人であったことがうかがえます。
創 20:5 彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
20:7 今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
創 20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった
ところがアブラハムは、信仰が欠乏していたために、神を恐れる者はいないと決め込んでいたのです。信仰の弱いクリスチャンも、しばしばこのように周囲を全く神を恐れない人々と決めこんで、大胆にあかしをしたり、伝道したりできない人がいます。こんなことにならないように、私たちは日毎に信仰の火を燃していなければなりません。
3、 この失敗の方法(12節)
創 20:12 また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
サラはアブラハムの異母妹でありましたので、彼がサラを妹と言ったのは、全くの偽りではありませんでした。しかし、彼はアビメレクをだますためにそう言ったのですから、これはやはり動機の上から偽りであると言わなければなりません。どんな罪にも一分の理屈はあるものです。しかしそれが罪であるかどうかは、その動機によるのです。
4、 この失敗の秘密(13節)
創 20:13 神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ』と頼んだのです。」
アブラハムは12章において、エジプトで同じ失敗をして、悔い改めてはいましたが、罪の根はそれよりもずっと先、すなわち、カルデヤのウルの父の家から出発した時からあったのです。この根本的な罪の根が取り除かれていなかったので、恐れが生じたとき、再び芽を出したのです。
5、 この失敗の原因とその愚かさ(11節)
創 20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
アブラハムは、「人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。」と言っていますが、これは不信仰な人間の考えることです。神は、ご自身を信じて従う者を決してそのようにされることを許されるはずがありません。神は各々の生涯に使命を与え、それを全うするために、保護の御手を離されることはありません。彼がこの神の約束を心に留めていたなら、このような失敗はしなかったでしょう。彼はこの失敗によって自分の弱さを知り、自分の力に頼らず、信仰の頂上にまで進むに至ったのです。恐れと不信仰には特に注意しなければなりません。それ故、毎日、聖書を読み、祈ることによって、聖霊に教えられ、点検を受けることが必要なのです。
6、 この失敗の重大な危険性(2~7節)
創 20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。
20:3 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
20:5 彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
20:7 今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
サラは神の約束を成就すべき重要な人であったにも拘らず、アブラハムは彼女を危険にさらし、彼女自身も夫の言うがまゝにした。これはただ彼ら夫婦の間の問題だけではない容易ならざる失敗であった。
クリスチャンや教会がこの世と妥協するときも、これと同じ重大な問題が生じるのです。霊の子どもを生むべき教会が損なわれることは重大な問題です。私たちは生活の中で、感情や便利さや、この世の習慣に とらわれずに、高い信仰の水準に立ち続けなければなりません。
7、 この失敗(罪)が赦されたこと(14~18節)
創 20:14 そこで、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。
20:15 そして、アビメレクは言った。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」
20:16 彼はまたサラに言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたといっしょにいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」
20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。
20:18 【主】が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。
神は信者が罪を犯したとき、その信者を厳しく取り扱いながらも、他人がその信者を厳しく裁くことを許されません。民数記12章をみると、モーセがクシュ人(エチオピア人)の女をめとったことは好ましいことではなかったけれども、アロンとミリヤムがこのことでモーセを非難することは許されなかった。この非難は罪です。
ヨブ記42章7節をみると、神がヨブの三人の友だちを怒っています。
ヨブ 42:7 さて、【主】がこれらのことばをヨブに語られて後、【主】はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。
ヨブは信仰的に立派な人であったけれども、自己義を立てようとしたことは、決して神のみこころにかなったことではありませんでした。しかし神は三人の友人がヨブを厳しく非難したことに怒りを発せられたのです。
神はアブラハムの友でありましたから、彼の多くの欠点、失敗、罪にも拘らず、アビメレクが彼に害を加えることを許されなかったのです。
ちょうどモーセが自分を非難した姉のミリヤムのために祈ったように、ヨブが自分を責め立てた三人の友のために祈ったように、アブラハムもアビメレクのために祈った。その時、神は彼の祈りを聞いて、アビメレクを赦されました。これによって神がいかにアブラハムを愛し、尊重しておられるかがアビメレクたちにも、私たちにも示されています。今日、神はキリストの血の故に、それ以上にクリスチャンを愛し、尊んでいてくださるのです。それ故に、クリスチャンが互いに非難し合ったり、裁いたりすることは、決して喜ばれないばかりか、許されないのです。このことをクリスチャンは十分に心得ておく必要があります。
(創世記20章、完)
上の写真は、オランダの画家 Elias van Nijmegen (1667–1755) により1731年頃に描かれた「Abimelech returns Sarah to Abraham(アビメレクはアブラハムにサラを返す)」。オランダのMuseum Rotterdam(ロッテルダム美術館)蔵、Wikimedia Commonsより。
〔あとがき〕
「みことばの黙想(1)創世記」(980円)が完成しました。ある方はこんな感想をお寄せ下さいました。
「みことばの黙想」という本を早速読み始めました。「早く読み終えたい」という気持ちと、「いえいえこれはじっくり読まなければ」という気持ちで、その時間は戦う楽しみを味わいながら、とても気持ちが満たされます。‥‥ところがこの「みことばの黙想」は集中できないともったいなくて、何度も同じ章と節の部分を聖書と一緒に読み合わせることによって、深いものにふれる恵みに与ることができるようになりました。
聖書だけ読んでも分からないというのが本音ではないでしょうか。あなたもぜひお読み下さい。またクリスマスのプレゼントにもどうぞ。
(1985.12.1)
「聖書の探求」の目次
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用)