聖書の探求(022b) 創世記22章 イサク献上

これまで神はアブラハムの信仰をいろいろな点で試みられましたが、ここでいよいよ最大の試みをしておられます。この時アブラハムがイサクを献げたのは、彼の信仰が真実なものであったことを証明しています。それ故この章は「イサク献上」の章としてよく知られています。

〔22章の概要〕

1~9節 モリヤの地へ
① 神の命令に対する服従の仕方
3節「翌朝早く」即刻的服従(創世記28:18、ヨシュア記3:1、マルコ1:35)
創 28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
ヨシ 3:1 ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。
マル 1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
② 出発の準備
ろば、ふたりの若い者、イサク、たきぎ、火、刀
③ 5節、帰ってくる約束
④ 8節、直前にせまっても、信仰が保たれていたこと。
聖書の記録は簡潔で、霊的教えもうるわしいが、現実には仲々難しい問題です。
⑤ 9節「イサクを縛り」イサクは反抗しなかった。イサクの従順な信仰

10~19節 信仰の決行と神の祝福
① 10節「刀を取って」アブラハムの最後まで従う信仰
② 12節 アブラハムの信仰の要点はその動機「神のために」にあります。
その動機と目的が違ってくると、同じ行為でも意味がなくなります。ひとり子イサクを神のために放棄(16節)した。その結果、祝福を受けた(17節)。(参考ヨハネ3:16)
ヨハ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
③ 19節 アブラハムの心中には言うことのできない喜びがあったでしょう。

20~24節 ナホルの家族
‥‥これはイサクの妻となるリベカを紹介するために挿入されています。

〔アブラハムの試練〕

神はこれまでもアブラハムの信仰をいろいろな点から試みられてきましたが、ここに至ってついに最大の試練の時を迎えることになったのです。

1、 最大の試み(1、2節)

創 22:1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。
22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

人はみな、試みに会うのですけれども、すべての試みはみな同じではありません。
自らつくり出す試みがあり、悪魔の試みがあり、神による試みもあります。自らつくり出す試みは自分に責任があります。人はしばしば不必要な試みを自分の不注意の故につくり出しています。悪魔の試みは人の心の内に悪を侵入させるための誘惑です。神の試みは人の心の中に善を造り出すための試みです。
アブラハムに対するこの試みは、彼が何物にもまさって神を信じ、神を愛し、神に従うかどうかという点にありました。そのために、彼は故郷を捨て、親族を捨て、所有物も捨て、その子イシュマエルとも別れたのですが、しかし最後のテストは、神の約束の子として生まれたただ一人の子イサクをささげることでした。イサクは奇跡的に生まれた子で、この子によって万民が祝福される約束でした。しかしこの子も献げなければならなかったのです。これは、どのような恵みでも、これをすぐに神に返すべきであることを示しています。もし返さないで自分の手で握りしめているなら、それが心に留まって腐敗し、さらに新しい恵みを受けることを妨げます。私たちも、主イエスから与えられる喜びや力など、すべてを主にお返しして、ただ主ご自身だけを愛するようにすべきです。私たちは神より恵みを受けると、神よりも恵みを愛するようになる愚かさを持っています。この試みは、その愚かさに対する警告です。

2、 即刻の従順(3節)

創 22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

「翌朝早く」これはアブラハムの躊躇しない従順な行為を示しています。もし彼が少しでも躊躇していたならば、サタンが入りこむスキを与えていたことでしょう。しかし彼は即刻に従ったので、サタンは彼の心の中に入ることができず、彼は勝利を得たのです。神のみことばへの即刻の服従は勝利の鍵です。

3、 従順の秘訣は信仰(4~8節)

創 22:4 三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。
22:5 それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。
22:6 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

アブラハムは、神の約束は必ずイサクをとおして成就すると確信していました。
私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」(5節)と言ったのは、彼がイサクは必ず生きて帰ってくることを信じて疑わなかったからです。もしこれが神の命令でなかったならば、アブラハムの行為は残忍か、狂気です。しかし彼は決して熱狂的な人ではなく、これまでも冷静に考え深く信仰を歩んで来た人でした。この時も、神がイサクを甦えらせてくださることを信じ、この信仰をもって冷静にイサクをささげたのです(ヘブル11:18、19)。
ヘブル 11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、
11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

4、 勇気と大胆さ(9、10節)

創 22:9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
22:10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

アブラハムは実際にイサクを殺そうとしました。彼は神がイサクを甦えらせてくださると信じていましたが、イサクを殺して全焼のいけにえにしないで返してくださるとは考えていなかったのです。
ヤコブの手紙2章21節に、「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたのではありませんか。」と言われていることは、アブラハムが真実にイサクをささげたことを証明しています。ヤコブのこの聖句は、パウロの主張する信仰と異なるようですが、決して異なってはいません。パウロの言う信仰は心の信仰のことを言っており、ヤコブが言っているところは、その信仰が行ないとなって現われたことを言っているのです。パウロがローマ人への手紙4章で引用しているのは、創世記15章でアブラハムが義と認められたことについてですが、ヤコブが引用したのは、創世記22章のことで、この時、アブラハムの信仰は具体的に成就したのです。

5、 試練の目的と神のみ旨の明示 (11~14節)

創 22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「【主】の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

アブラハムが全き従順を示したとき、神はこの試練の目的と神のみ旨とを明らかにされました。すなわち、試練の目的はアブラハムが何ものにもまさって神を愛するか、否かを試すためでした。神は、私たちが自分の心を神にささげ、恵みよりも、賜物よりもまさって、神ご自身を愛することを求めておられるのです。
アブラハムが試練を通過して、よしとされたとき、神はご自分のみ旨を啓示されました。それは、「アドナイ・イルエ(主が備えてくださる。)」です。神ご自身が全焼のいけにえを備えてくださることでした。
これがキリストの十字架をさしていることは明らかです。神はキリストを犠牲として私たちをご自身と和らがせてくださるのです。このことが、この時アブラハムに具体的に示されたのです。
自然宗教は神の怒りをなだめるために、人身御供のように人を犠牲にしてささげたり、あるいは難行苦行をして、神の怒りを和らげようとします。しかし聖書の示す宗教は、ヨハネの手紙第一、2章2節が示すように、神ご自身によって神をなだめる供え物は準備されたのです。
Ⅰヨハ 2:2 この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です。
アブラハムがその信仰を具体的に現わした時、神も神の道を具体的に啓示されました。

6、 誓いによって、神は約束を保証された(15~19節)

創 22:15 それから【主】の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、
22:16 仰せられた。「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
22:19 こうして、アブラハムは、若者たちのところに戻った。彼らは立って、いっしょにベエル・シェバに行った。アブラハムはベエル・シェバに住みついた。

12:2、3において約束を与え、17:4~7において契約を立て、22:16~18において誓いを立てられた。

創 12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

創 17:4 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

創 22:16 仰せられた。「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

これは、神のみ旨が決して変わらないことを、アブラハムに保証するためでした。この神の誓いは、ただアブラハムのためばかりでなく、後にこの約束を受け継ぐ私たちに対しても、神のみ旨が変わらないことを十分に示すものです(ヘブル6:13~19)。

ヘブル 6:13 神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、
6:14 こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」
6:15 こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。
6:16 確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。
6:17 そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。
6:18 それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません──前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。
6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。

ルカの福音書1章73節にも、この誓いのことが引用されています。私たちもこの誓いによって強い励ましを受けるのです。

ルカ 1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
1:74 75 われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

7、 イサクの妻となるリベカを紹介をしている(20~24節)

創 22:20 これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。
22:21 すなわち長男がウツ、その弟がブズ、それにアラムの父であるケムエル、
22:22 次にケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」
22:23 ベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人をアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。
22:24 レウマというナホルのそばめもまた、テバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。

「これらの出来事の後」(20節)、すなわち、モリヤの山における犠牲の後、アブラハムのもとに親族からの消息が届いたのです。弟ナホルに多くの子どもが生まれ、その孫にリベカという娘が生まれたことも告げ知らされています。このリベカが後にイサクの妻となるのです。これは主イエスの十字架(イサク献上)の後に、花嫁(リベカ)となる教会が誕生することの予表でもあります。

(創世記22章 完)

上の写真は、イギリスの画家 Harold Copping (1863–1932)が1910年に作成し、ベストセラーになったThe Copping Bibleの挿絵より「Abraham and Isaac(アブラハムとイサク)」

「聖書の探求」の目次

(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)