聖書の探求(025) 創世記25章 イサクの家庭の出来事

25章はイサクの家庭の出来事を記していると言ってもいいでしょう。そこにはアブラハムの再婚と死、イシュマエルの歴史とイサクの歴史の始まりが記されています。

25章19節から35章29節までは、イサクの生涯が記されています。これに少し考古学的光をあててみますと、

① ヌズ文書(ヌズについては、「聖書の探求(016a)」創世記12章の「アブラハムの生涯の信憑性」の項目を参考)の一つには、テュプキティルラという人物について述べられています。彼は三匹の羊のために、自分の樹木についての相続権を兄弟のクルパツアに譲っています。これは創世記25章29~34節のエサウが長子の特権を弟ヤコブに売る話とよく似ています。

② またある本文には、タルミヤという人が起こした訴訟が記されています。この訴訟は、ある婦人と結婚する権利を争っていた者が、その争いの相手である二人の兄弟に対してなされたものです。彼は父の祝福を受けていたので勝訴しています。この祝福は、聖書の族長の祝福と同じように口頭でなされており、法的にも有効で、しかも臨終の父がその息子にしたものでした。これも創世記27章のヤコブがエサウの祝福を奪った出来事を思い起こさせます。

③ さらにヌズ文書は、ナシュウィという人と、その養子ウルルとの関係を述べています。ナシュウィはウルルに彼の娘を与え、彼が死ぬならば、ウルルは相続人になります。しかしナシュウィが息子を生めば、ウルルは遺産をその子と分けなければなりません。しかもその子がナシュウィの神々を受けるものとなります。神々を所有することは、明らかに家族に対する首長の地位を得ることを意味します。そこでラケルがテラフィムを盗み出し、それを隠していたことの意味が理解できます(創世記31:19~35)

ヤコブという個有名詞は、パレスチナではBC15世紀に地名として現われていますし、BC18世紀の北部メソポタミヤ地方の文書の中にも現われています。そこでは「神が守ってくださる。」という意味で使われているようです。ヤコブのもとの意味は「押しのける者」でしたが、ヤコブの生涯が神に守られた生涯であったので、「神が守ってくださる。」という意味に変えて使われるようになったのでしょう。

次に、25章について探求してみましょう。

(1) アブラハムの再婚とケトラの子どもたち(1~4節)

創 25:1 アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。
25:2 彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。
25:3 ヨクシャンはシェバとデダンを生んだ。デダンの子孫はアシュル人とレトシム人とレウミム人であった。
25:4 ミデヤンの子は、エファ、エフェル、エノク、アビダ、エルダアであって、これらはみな、ケトラの子孫であった。

アブラハムが再婚し、子どもを生んだことには、預言的意味が含まれているようです。

22章 キリストの十字架の預言
23章 ユダヤ人が捨てられることの預言
24章 キリストの教会が始まることの預言

25章 アブラハムが再婚して子どもが生まれることは、異邦人の時代の後に、再びユダヤ人が回復されることの予表であると考えることができます(ローマ11:25,26)
ロマ 11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。

(2) アブラハムの子どもたちへの処置(5~7節)

創 25:5 アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。
25:6 しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼の生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、自分の子イサクから遠ざけた。
25:7 以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。

アブラハムはそばめたちの子どもらがイサクと争わないように、彼らには物を与えて、東方の国に去らせてしまいました。そしてイサクには彼の全財産を与えたのです。

(3) アブラハムの死(8~11節)

創 25:8 アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。
25:9 彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクペラのほら穴に葬った。このほら穴は、マムレに面するヘテ人ツォハルの子エフロンの畑地の中にあった。
25:10 この畑地はアブラハムがヘテ人たちから買ったもので、そこにアブラハムと妻サラとが葬られたのである。
25:11 アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。

アブラハムはすべてを成し終えた後、平安な老年を迎え、175才で死にました。
彼がカランを出てカナンに来たのは75才(12:4)の時でしたから、彼はカナンで百年生きたことになります。
創 12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。

その間、彼は終始、旅人の生活を全うし、神の基礎のある都を望み、信仰を抱いて死んだのです(ヘブル11:8~16)。
ヘブル 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

(4) イシュマエルの歴史(12~18節)

イシュマエルの歴史は、信仰もなく、ユダヤ人に直接の関係がないために、わずか7節で終わっています。

①  彼の誕生とその母(12節)
創 25:12 これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。

②  彼の子どもたち(13~15節)
25:13 すなわちイシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、
25:14 ミシュマ、ドマ、マサ
25:15 ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。

③  その子どもたちの権力と村落の名前(16節)
25:16 これらがイシュマエルの子孫で、それらは彼らの村落と宿営につけられた名であって、十二人の、それぞれの氏族の長である。

④  彼の年令(137才)と死(17節)
25:17 以上はイシュマエルの生涯で、百三十七年であった。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。

⑤  彼の子どもたちが住んでいた範囲(18節)
25:18 イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。

これらによって、この世の人々が神の民に比べて神の目の前にいかに価値なきものであるかが示されています。
それとともに、イシュマエルからも一つの国民を起こされると言われた主の約束(創世記21:13、18)が成就されていることが分かります。
創 21:13 しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」
創 21:18 行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」

(5) イサクの歴史(第一)ヤコブとエサウの誕生の預言(19~23節)

創 25:19 これはアブラハムの子イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ。
25:20 イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、四十歳であった。
25:21 イサクは自分の妻のために【主】に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。【主】は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。
25:22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は」と言った。そして【主】のみこころを求めに行った。
25:23 すると【主】は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

神の約束を受けた人は、ほとんど例外なく、祈りの答えとして生まれています。
11節には、「アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。」とあります。
リベカには長い間、子どもが生まれませんでしたが、イサクはアブラハムのように肉的方法を用いませんでした。彼は自分の妻のために祈りました。だから、ヤコブは祈りに答えられた神の賜物であったのです。

リベカは二人の子どもが胎内で争っているのを感じて神に尋ねたとき、神はヤコブが生まれることと共に、競争者(エサウ)が同時に生まれることを預言されました。神が私たちに恵みを与えられるとき、その競争者も伴っているのが常です。
ここで学ぶべきことは、神の約束はしばらく与えられなくても、必ず祈りによって与えられるものですから、肉的方法を用いず、忍耐と信仰をもって求めるべきであるということです。

(6) イサクの歴史(第二)-ヤコブとエサウの誕生(24~28節)

創 25:24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。
25:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。
25:26 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。
25:27 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。
25:28 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。

ヤコブとエサウはふたごでしたが、エサウは一生の間、ヤコブの敵でした。

〔エサウとヤコブの異なっている点〕

① 人相
エサウは、赤くて、全身毛衣のようであった(25:25)
創 25:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。
ヤコブの肌はなめらかだった(27:11)
創27:11 しかし、ヤコブは、その母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。

② 性質
エサウは、この世的で、長子の権利を軽蔑した。
ヤコブは、穏かな人で、神の恵みを求めて長子の権利を奪った。

③ 好みや職業
エサウは、巧みな猟師で野の人。
ヤコブは、天幕のうちで生活した。

④ 両親との関係
エサウは、父イサクに愛され、
ヤコブは、母リベカに愛された。

このふたごは、クリスチャンのうちにある二つの性質を表わしています。クリスチャンの心の中には、霊的なヤコブのような約束された性質と共に、エサウのような肉的性質が残っています。この肉的性質はエサウがヤコブの敵となったように、クリスチャンの霊的仇敵です。

(7) イサクの歴史(第三)-長子の権利(29~34節、参考へブル12:16,17、列王記第二2:9)

創 25:29 さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。
25:30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。
25:31 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい」と言った。
25:32 エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と言った。
25:33 それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。
25:34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。

ヘブル 12:16 また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。
12:17 あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。

Ⅱ列王 2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。

エサウについては生まれる前から、「兄が弟に仕える」(23節)と預言されています。これはリベカの妊娠中の祈りの答えとしての預言でしたから、彼女はこれを大切に覚えていて、決して忘れず、子どもたちが成長すると、ヤコブには彼の運命を話して聞かせたに違いありません。
ヤコブは、必ず長子の権利を受け継ぐことを教えられていたのですから、それで満足しておくべきでした。それなのに、この預言の約束も、母の教えも、不確かであると思い、また父が兄エサウを特別に愛しているのを見て、長子の権利がエサウのものになるのではないかと心配したようです。
そこでヤコブは、エサウが自ら長子の権利を自分に渡すことを承知させる機会をうかがっていました。これは不信仰です。神はヤコブのたくらみなしに、ご自身のみ旨を成就されたに違いありません。しかしヤコブはこれを悟らず、自分の知恵でたくらんで、エサウに勝ったのです。

エサウについては、彼自身、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」(32節)と言いました。
エサウは神の祝福を受け継ぐべき長子の権利を軽んじたのです。ヤコブは出過ぎて失敗したけれども、エサウは自らすゝんで神の恵みを捨てるという大失敗を犯したのです。エサウは数年後に長子の受けるべき祝福をすべて失ってしまいました。それはこの時に長子の権利を軽んじたためです。
長子の権利とは、神の選民の先祖となる特権、世界の人類に与えられるべき祝福の唯一の管(救い主イエス・キリストの先祖として系図に加えられること)となることでした。
エサウは、わずかの肉体の欲を満足させるために、この驚くべき特権を軽んじて、永久にその祝福を失ったのです。エサウは鹿をとる技術においては、ヤコブに勝っていました。しかし信仰の戦いは、人間の技術では成功しません。真の戦いの武具は、人の力ではなぐ、神の力です。エサウは負けたくやしさでヤコブを苦しめたけれども、ヤコブはその信仰が磨かれることによって、エサウに勝ったのです。

私たちにとっての長子の権利は、キリストに連なり、人を救いに導き、神の国を拡大し、神の管として人に祝福を分かつことです。もしこの特権を軽んじて、わずかの肉欲の満足、肉の楽しみを求めるなら、エサウと同じく恐るべき損失をすることになります。

(以上、創世記25章)

上の写真は、オランダの画家 Matthias Stom(c.1600–after 1652)により描かれた「Esau and Jacob(エサウとヤコブ)」(ロシアのHermitage Museum蔵、Wikimedia Commonsより)

「聖書の探求」の目次

(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)