週報No.2234 希望の預言エゼキエル書(18)「栄光が去る前夜」 エゼキエル書 9:1~11

2020年5月10(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 9:1~11
9:1 この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」
9:2 見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らは入って来て、青銅の祭壇のそばに立った。
9:3 そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、
9:4 【主】は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」
9:5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。
9:6 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。
9:7 ついで主は彼らに仰せられた。「宮を汚し、死体で庭を満たせ。さあ行け。」彼らは出て行って、町の中で打ち殺した。
9:8 彼らが打ち殺しているとき、私は残っていて、ひれ伏し、叫んで言った。「ああ、神、主よ。あなたはエルサレムの上にあなたの憤りを注ぎ出して、イスラエルの残りの者たちを、ことごとく滅ぼされるのでしょうか。」
9:9 すると、主は私に仰せられた。「イスラエルとユダの家の咎は非常に大きく、この国は虐殺の血で満ち、町も罪悪で満ちている。それは、彼らが、『【主】はこの国を見捨てられた。【主】は見ておられない』と言ったからだ。
9:10 だから、わたしも惜しまず、あわれまない。わたしは彼らの頭上に彼らの行いを返す。」
9:11 ちょうどそのとき、腰に筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ているその人が報告してこう言った。「あなたが私に命じたとおりに私は行いました。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

この町を罰する者たちは、手に武器を持っている六人の男に描かれていますが、実際には、神が遣わされたバビロンのネブカデネザルとその軍隊を表わしています。

「このお方」は主ご自身であられ、預言者エゼキエルの耳に大声で叫んで、仰せられています。エルサレムの神殿の破壊は、神ご自身にとっても、大声で叫ぶような悲痛な大事件であったのです。

破壊者ネブカデネザルに、神の選ばれた民を厳しく罰するように命じられたのは、神ご自身です。私たちはそうせざるを得なかった神の心中を思い見ようとしているでしょうか。

私たちの罪を罰するために、ご自分のひとり子イエス様を十字架にかけて、刑罰を負わされた父なる神の心中を思い見ようとしたことがあるでしょうか。

神は、ご自分の民を厳しく罰せられただけでなく、その厳しい刑罰を神ご自身が受けて下さったことを、知らなければなりません。

3~4節、額にしるしをつけられた者たちは、殺されることを免れて、バビロンに捕囚に連れて行かれた者たちを表わしています。

2節の、亜麻布を着た「もうひとりの人」は、破壊と救いを行なう神の執行者です。実際の歴史においては、北からのバビロン人でした。六人の男たちは、その手に破壊する武器を持っていますが、「ひとりの人」は、支配において秩序正しい捕囚の民を守るための記録者を示しています。この亜麻布を着た「もうひとりの人」の預言は、ネブカデネザルによって実現したのです。彼は、エルサレムの町を占領した後、彼に降伏して従った者たちには、あわれみ深かったのです。彼は無意識のうちにでしょうが、エルサレムの滅びと遣残者の保護に心を用いています。だからと言って、ネブカデネザルを、イエス・キリストのひな型と考えるのは、行き過ぎです。

3節、「そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上がり、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、」

3節は、至聖所の契約の箱の上のケルブの上に輝いていた神の栄光シェキナが、ケルブから立ち上り、離れて、神殿の敷居に向かっていました。これは、神の臨在が神殿から去っていることを示しています。

4節、「主は彼にこう仰せられた。『町の中、エルサレム中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。』」

ここからは神の臨在ご自身が、亜麻布を着た人に語っておられることに注目して下さい。

「この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」と命じられました。
エルサレムに何人かの、主を畏れる人がいました。その人々は特別な印がつけられて、救われるのです。その印が、十字架の印であったと言われています。エチオピアのコプト教会の信者の手の甲にも十字架の印がつけられていました。額や手の甲に印をつけたのは、隠すことができないためです。

旧約の神の救いの場合でも、いつもカルバリーの十字架を指しています。エジプトでの過ぎ越しの時に、入口の門に塗ったのは、小羊の血でした。

「主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家の中に入って、打つことがないようにされる。」(出エジプト記12:23)

ヨハネの黙示録で、救われた者たちの印も、額に印を押されています。

「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えていけない。」(7:3)

「また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。」(14:1)

これらの救いの印には、顕著な類似性があります。これは明らかに、神の救いは、カルバリーのイエス・キリストの十字架にあることを示しています。

たましいの内にキリストの十字架を持っている人は、救われて、受け入れられます。キリストの十字架を持たない人は、他の面がどんなに優れていても、受け入れられないのです。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(コリント第一、1:18)

<今週の活用聖句>

ヘブル人への手紙7章25節
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

<集会案内>

◇5月13日(水)聖別会 午前10時半
「訓練された人々(14)苦難は潔めない」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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