音声:信仰の列伝(2) 「信仰は確信」 ヘブル人への手紙11章1節

2016年8月7日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

週報No.2035 信仰の列伝(2) 「信仰は確信」

ヘブル人への手紙11章1節
11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

<インフォメーション>

主は、私が自分の知恵と考えで聖書を受け止めたり、物事の道理を弁(わきま)えたりすることを嫌がられます。しかし、私の生まれながらの性質は、自分を基準にした価値判断や理解を好みます。

サタンもまた、そうするように薦めます。サタンはエバに、神のご命令に従順に従うのではなく、「あなたは賢いのだから、自分の知恵で考えて、好ましい方を選ぶように」仕向けたのです。そういう思いで善悪の木の実を見ると、見て美しく、食べておいしそうだし、神のように賢くなれそうに見えたのです。こうして、堕落が始まったのです.

自分の知恵に頼り、自分の基準で判断することは、サタンの誘惑を受けています。

主は私に、信仰によって神の前に歩むことを求めておられます。

「アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラハムに現われ、こう仰せられた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。』」(創世記17:1)

私はありのままの姿で、神の光の中に立ち、神は私にきよめのみわざを行なってくださるのです。

主は私がキリストを信じるための手助けとして、感情の高揚を与えたりはしません。感情の高揚が与えられるのは、信じた後の結果です。

主は私が、主のみことばと、キリストの十字架と、真理の御霊を信じる時、聖霊が直ちに働き、深い平安に満たされ、神の愛が心に注がれ、喜びにあふれ、豊かな恵みに満たされるのです。

私が神の国に入って行くのに、感情から入ろうとすると、入口を間違えてしまいます。必ず、みことばの約束を信じる信仰で入ります。その結果、豊かな感情を味わいます。

しかし、感情は不安定で、冷めたり、消えたりしますから、感情を当てにしていると、危険です。

しかし、みことばと、キリストの十字架と、聖霊は、堅固な普遍の真理ですから、このお方を日々に信じて歩みましょう。

<今週の活用型句>

詩篇16篇8~9節
「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」

地の塩港南キリスト教会
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