音声:信仰の列伝(5) 「すぐれたいけにえ」 へブル人への手紙11章4節

2016年8月28日(日)午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明牧師
週報No.2038 信仰の列伝(5) 「すぐれたいけにえ」
へブル人への手紙11章4節
11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
<インフォメーション>
それ故、アべルが自分の罪のためにいけにえとしてささげた小羊は、私の罪を除く神の小羊のイエス・キリストを表わしていたのです。
アべルは勿論、イエス・キリストの十字架を知りませんでした。しかし、彼は自分の罪のために、小羊のいけにえをささげなければならないことを、両親のアダムとエバから教えられていたのです。このことは聖書に明記されていませんが、それは十分暗示されています。
「このようにしてふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」(創世記3:7)
アダムとエバは罪を犯すと、直ぐ、罪の恥を感じて、いちじくの葉で覆い隠したのです。彼らは神の知恵を失い、自分の知恵で考えて作ったのが、いちじくの葉のおおいでした。それは直ぐに枯れて、役に立たなくなり、しかも、罪を外見的に覆い隠すだけで、罪を赦すことも、きよめることもできません。人の知恵と力でできることは、せいぜい罪の恥を覆い、隠すだけです。
しかし、神の処置は違っています。
「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」(創世記3:21)
神は、罪を犯して堕落したアダムとエバを、エデンの園から追放する時、罪のためのいけにえの小羊をほふり、その贖いの意味を教えたのです。この皮の衣は、アダムとエバの罪のためにほふられた、小羊の皮です。これを身に着ることによって、いつも、自分の罪のために身代わりに、小羊がいけにえにささげられたことを、意識していたのです。このことを、アダムとエバは、息子のカインとアベルに話していたはずです。
ですから、アベルはこのことに従って、初子の小羊の中から最良のものを選んで、自分の罪のためのいけにえとしてささげたのです。この大切な真理は、兄のカインも聞いて知っていたに違いありません。
しかし、真面目によく働くカインは、自分の考えと、自分の力に頼って、この大切な神の贖いの真理を深く心に留めなかったのです。今も、真面目に一所懸命働き、富を蓄えているけれども、自分のたましいの救いのために、全く心を用いないカインのような人が、大勢います。
しかし、羊飼いだったアベルは、毎日、主にささげる羊を見ていると、自分が愛して育てている可愛い小羊が自分の罪のために身代わりとなってほふられ、いけにえにささげられることは、ただの儀式ではなく、神に受け入れられる信仰であることを悟ったのです。こうしてアベルは、毎日、主を見上げる信仰を働かせていたのです。
私たちは、毎日、自分の罪を思って、悩む必要はありません。すでに主イエス様が私の罪のために十字架にかかってくださっているからです。しかし、私の罪を取り除く神の小羊を毎日、朝に、昼に、夜に、仰ぎ見るべきです。
<今週の活用型句>
ローマ人への手紙12章1節
「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」
写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyによって1906年に出版されたBible cardのイラスト「The Story of Cain and Abel(カインとアベルの物語)」 (Wikimedia Commonsより)
地の塩港南キリスト教会
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