音声:信仰の列伝(9) 信仰がなくては(2)へブル人への手紙11章6節

2016年9月25日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章6節

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」

<インフォメーション>

第二は、「神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」「神に求める者」ではなくて、「神を求める者」であることに注意したい。神ご自身を求めないで、神の下さるものを求める人が多くいます。そういう人のことではありません。

これも、エノクの信仰の特徴をよく表わしています。エノクは物の繁栄や、周囲からの困難から助けられることを求めたのではなく、神ご自身を求めたのです。その結果、エノクはあらゆる困難を乗り越える力が与えられ、死を見ないように移され、確かな永遠のいのちの報いをうけたのです。死を乗り越える力は、主ご自身を求めることによって与えられます。

私は、しばしば神ご自身を求めないで、神の助けだけを求めやすい。神の保護だけを求めやすい。だから、困難、試練、サタンとの信仰の戦いに敗北してしまいやすいのです。失望したり、落胆したり、不信仰に陥ったりするのです。

「なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』」(ペテロ第一、2:6)

聖書は、「神の助けを求める者を、助ける。」とは言っていません。

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)「わたしを呼び求めよ。」と言っています。

「ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。」(ローマ10:12)ここでも「主を呼び求める者」と言っています。

私たちは、「求める者」を間違えていないでしょうか。

主が助けてくださるのは、主ご自身を呼び求めた結果です。報いは主ご自身を呼び求めた結果、与えられるものです。私はこのみことばから、深く教えられました。

神が喜ばれる信仰は、

第一に、私自身の心の内に、生活の営みの中に、問題、課題そのものの中にいてくださる神を求めることです。

第二に、神から受ける賜物を求めずに、主ご自身を求めることです。

第三は、自分の思いや欲から求めずに、神のみことばに基づく信仰によって求めることです。

これらの三点がはっきりしている信仰は、必ず、主は報いてくださいます。

<今週の活用聖句>

へブル人への手紙11章6節

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」

写真は、フランスの画家James Tissot (French, 1836-1902)による「Zacchaeus in the Sycamore Awaiting the Passage of Jesus(イエスが通り過ぎるのをいちじく桑の上で待つザアカイ)」 (1886-1896年頃の作)(Brooklyn Museum蔵)

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