週報No.2244 希望の預言エゼキエル書(28)「ぶどうの木のたとえ」 エゼキエル書 15:1~8

2020年7月19(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 15:1~8
15:1 次のような【主】のことばが私にあった。
15:2 人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。
15:3 その木を使って何かを作るためにその木は切り出されるだろうか。それとも、あらゆる器具を掛けるためにこれを使って木かぎを作るだろうか。
15:4 見よ。それは、たきぎとして火に投げ入れられ、火がその両端を焼き尽くす。その中ほども焦げてしまえば、それは何の役に立つだろうか。
15:5 見よ。それが完全なときでも、何も作れないのに、まして、火がそれを燃やして、焦がせば、もう、それで何が作れよう。
15:6 それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしはエルサレムの住民を、わたしがたきぎとして火に投げ入れた、森の木立ちの間のぶどうの木のように、火に投げ入れてしまう。
15:7 わたしは彼らから顔をそむける。彼らが火からのがれても、火は彼らを焼き尽くしてしまう。わたしが彼らから顔をそむけるそのとき、あなたがたは、わたしが【主】であることを知ろう。
15:8 彼らがわたしに不信に不信を重ねたので、わたしはこの地を荒れ果てさせる。──神である主の御告げ──
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

 預言者エレミヤは、イスラエルの民の堕落を「良いぶどうとして植えたのに、質の悪い雑種のぶどうに変わった」と嘆いています。(エレミヤ書2:21)

 そして、預言者エゼキエルは、この章で、イスラエルの民を今にも火で焼かれようとしている無用なぶどうの木として、描いています。このエゼキエル書15章は、いつまでもユダヤ人の心の中から消えないでいた疑問の問いかけに対して、即ち「神は、ご自分が選ばれた民、契約の民、ご自分の植えられたぶどうの木を、本当に捨てることができるのか。」という思いに対する、答えなのです。

 この章は、1~5節で、ぶどうの木の枝は良い実を結ぶ以外に、何の役にも立たないことを訴えており、6~8節は、不信に不信を重ねたイスラエルに対する、ぶどうの枝が焼き尽くされるたとえの意味を、解説しています。

 そこで「人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。」(エゼキエル15:2)
もし、ぶどうの木が良い実を結ばなかったら、森の他の雑木と比べても、何の価値もありません。ぶどうの木は、良い実を結ぶことによって、存在価値があるのです。

 もし私たちが神の愛の実を結ばないで、学歴を誇っても、地位や知識を誇っても、実を結ばないぶどうの枝と同じです。(ヨハネ15:5~6)

 「その木を使って何かを作るために、その木は切り出されるだろうか。それとも、あらゆる器具を掛けるために、これを使って木かぎを作るだろうか。」(エゼキエル15:3)
何かを作る、工作材料にもなりません。板にもならず、何かを支える柱にもならず、くねくね曲がっているので、何かを引っかけておく木の鈎(かぎ)にもなりそうかと思うと、物を支える強さもない。全く使い道がありません。

 「見よ。それは、たきぎとして火に投げ入れられ、火がその両端を焼き尽くす。その中ほども焦げてしまえば、それは何の役に立つだろうか。見よ。それが完全なときでも、何も作れないのに、まして、火がそれを燃やして、焦がせば、もう、それで何が作れよう。」(エゼキエル15:4~5)

実を結ばないぶどうの木は、たきぎとして火に投げ込まれます。まして、焼け焦げたぶどうの木は価値がなく、料理用のたきぎにさえ使われません。4節の「火がその両端を焼き尽くす」は、すでに北のアッシリヤと南のエジプトの攻撃を受けてきていること
を指しています。そしてエゼキエルの時代は、更にバビロンによっ
て、イスラエルの「中ほど」、即ち中心部分の「神の聖なる都」と呼
ばれたエルサレムも火で焼かれようとしているのです。

 これらの無価値な特徴が、神に選ばれていた国民としてのイスラエルに当てはめられています。この適用は、現代のどこの国であっても、神のみことばとみこころを拒絶する全ての国民に当てはまります。神を拒否する個人も、同様にむなしいぶどうの木のように、実りのない、無価値な、廃墟のような生涯を終えるのです。これは、霊的に強烈な警告です。

 このぶどうの木のたとえの意味は、15:6~8で明確です。この審判は、厳しく、逃れられない、避けられない、容赦のないものです。
神は、良いぶどうの実を収穫するために、目的をもって、イスラエルの民を神の約束の地に植えられたのです。ですから、神の民はその使命と責務を果たすべく、訓練を受けなければなりません。

 …私たちがイエス・キリストにあって良い実を結ぶために、第一になすべきことは、主のみことばを信じて行なうことです。

ヨハネ15:7~8「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」

マタイ7:24「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」

みことばを聞いて、理解して、覚えている人ではなく、聞いて、信じて、行なう人です。
第二の重要点は、ヨハネ15:9~10「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」

 「キリストの愛の中にとどまる」とは、マタイ22:37と39をすることです。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

 そうすれば、多くの良い実を結びます。

<今週の活用聖句>

ヨハネの福音書15章10節
「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしが父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」

<集会案内>
         
◇7月22日(水)聖別会 午前10時半
     訓練された人々(24)
   「クリスチャン生活の訓練(4)批判を受け入れなさい」

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