週報No.2254 希望の預言エゼキエル書(38)「エジプトでの罪」 20:10~26

2020年9月27日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 20:10~26
20:10 こうして、わたしはエジプトの地から彼らを連れ出し、荒野に導き入れ、
20:11 わたしのおきてを彼らに与え、それを実行すれば生きることのできるそのわたしの定めを彼らに教えた。
20:12 わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えてわたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖別する【主】であることを彼らが知るようにした。
20:13 それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行えば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。
20:14 しかし、わたしはわたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった。
20:15 だが、わたしは、わたしが与えた、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に彼らを導き入れないと荒野で彼らに誓った。
20:16 それは、彼らがわたしの定めをないがしろにし、わたしのおきてを踏み行わず、わたしの安息日を汚したからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。
20:17 それでも、わたしは彼らを惜しんで、滅ぼさず、わたしは荒野で彼らを絶やさなかった。
20:18 わたしは彼らの子どもたちに荒野で言った。『あなたがたの父たちのおきてに従って歩むな。彼らのならわしを守るな。彼らの偶像で身を汚すな。
20:19 わたしがあなたがたの神、【主】である。わたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行え。
20:20 また、わたしの安息日をきよく保て。これをわたしとあなたがたとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、【主】であることを知れ』と。
20:21 それなのに、その子どもたちはわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行えば生きることのできるそのわたしの定めを守り行わず、わたしの安息日を汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らへのわたしの怒りを全うしようと思った。
20:22 しかし、わたしは手を引いて、わたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった。
20:23 だが、わたしは、彼らを諸国の民の中に散らし、国々へ追い散らすと荒野で彼らに誓った。
20:24 彼らがわたしの定めを行わず、わたしのおきてをないがしろにし、わたしの安息日を汚し、彼らの心が父たちの偶像を慕ったからだ。
20:25 わたしもまた、良くないおきて、それによっては生きられない定めを、彼らに与えた。
20:26 彼らがすべての初子に火の中を通らせたとき、わたしは彼らのささげ物によって彼らを汚した。それは、わたしが彼らを滅ぼすため、わたしが【主】であることを彼らが知るためである。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

第一世代のイスラエル人のために、即ちエジプトから救い出されて来た者のために、神は「わたしはおきてを彼らに与え、それを実行すれば生きることのできるそのわたしの定めを彼らに教えた。わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えてわたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖別する主であることを彼らが知るようにした。」(エゼキエル書20:11~12)

聖なる神は、ご自分の民を、教えのみことばと安息日の礼拝によって、聖別されたのです。

神は、これからイスラエル人が、神の民としての信仰の自覚を持って生活するために、信仰的道徳法と市民法と宗教的儀式法を与えたのです。

信仰的道徳法とは、モーセの十戒と、神に対して取るべき態度に関する定めです。市民法とは、神の民として社会生活を営むための定めです。一言で言えば、「隣人を愛する生活をする」ことです。

宗教的儀式法とは、祭司、レビ人の定めや、礼拝様式と、いけにえに関する定めです。

「それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行なえば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼
らを絶ち滅ぼそうと考えた。」(エゼキエル書20:13)

神は、エジプトから救い出した神の民のために、恵みを受けて生活する、すべての準備をされたのに、イスラエルの民は、ことごとく神に反逆したのです。

私たちのたましいは、神の律法を理解し、納得し、覚えて、暗誦できても、また、信仰生活の仕方を教え込まれて練習しても、殆どそれに従いません。自分中心の自我の性質があり、それに従って、神の定めに逆らいます。

「というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:7~8)

イスラエルの民は、先ず出エジプト記32章で、アロンの指導のもとに、金の子牛を造って拝んだ偶像礼拝によって、十戒を破り、信仰の基本を犯してしまいました。

次に、民数記13~14章において、カナンの地に巨人がいるから上って行けない、エジプトに帰ろうと、不信仰になったことによって、エサウが神の嗣業を受け継ぐ特権を捨てたように、神の民の市民権を捨ててしまったのです。

第三に、レビ記10章で、アロンの子ナダブとアビフが、「主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた」ことにより、主が定められた礼拝を、冒涜したのです。

主は「彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。」(エゼキエル書20:13終わり)にも関わらず、この反逆によっても、主はご自分の御名のために、イスラエルの民を滅ぼし尽くさなかったのです。

「しかし、わたしはわたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった。」(エゼキエル書20:14)

その結果、エジプト脱出後のイスラエル人の一世は、神が約束された地、乳と蜜の流れる地、麗しい地に入ることは許されませんでしたが、荒野でイスラエル人は絶え果ててしまわなかったのです。

神にことごとく反逆したイスラエル人一世にも、神のあわれみは顕著に現わされています。

「だが、わたしは、わたしが与えた、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に彼らを導き入れないと荒野で彼らに誓った。それは、彼らがわたしの定めをないがしろにし、わたしのおきてを踏み行なわず、わたしの安息日を汚したからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。それでも、わたしは彼らを惜しんで、滅ぼさず、
わたしは荒野で彼らを絶やさなかった。」(エゼキエル書20:15~17)

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙11章22節
「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」

<集会案内>

◇9月30日(水)聖別会(7)午前10時半
「聖潔の転機的経験の目的(1)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

**************************************************

【メッセージCDの販売】
メッセージCDは、一回分CD1枚500円+送料で販売しています。
(送料1~3枚160円、4~8枚210円、9枚310円、10枚以上送料無料)

【礼拝メッセージ・CD、テープのホットサービスのご案内】
毎週、日曜日の礼拝メッセージをお送りしています。全国どこでも、火曜日か、水曜日には、お手元に届きます。一年間ご予約下さると幸いです。
1年間ご予約(60分CD、52~53回分)36,000円(送料含む)
1ケ月毎の分割(1ケ月3,000円4~5回分)もできます。

いずれも代金前納で、お申し込み下さい。
お支払いは、郵便振替をご利用ください。
口座番号 00250一1-14559
加入者名 宗教法人 地の塩港南キリスト教会
電話・FAX 045(844)8421