聖書の探求(063a) 出エジプト記28章 キリストの祭司職を表わす祭司制度

28章からはいよいよキリストの祭司職を表わす祭司制度が取り入れられます。

1節、祭司にはモーセの兄アロンとその子らが聖別されています。これは人が選んだのではなく、神による任命です。

出 28:1 あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。

祭司の務めは、神と人との間にあって、とりなすことですが、1、4節では特に、神に仕えることが強調されています。これは今日においても重要です。神に仕えることを忘れた祭司が人の間でいくら一所懸命に働いても、もはや祭司ではありません。

「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。 ・・・そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(使徒6:2、4)

神に仕えることを中心にしてこそ、人の間での働きも生きてくるのです。

2節、祭司の装束は神の栄光と美を表わすためのものです。

出 28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。

クリスチャンは内的な衣も、外的な衣も、神の栄光と美を表わすものでなければなりません。

「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」(ペテロ第一3:3,4)

祭司は「聖なる装束」をつけるように命じられていますが、聖なるものだけが神の栄光と美を表わすのです。

3節、その装束を作る者も、神によって知恵の霊に満たされていなければなりません。

出 28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵のある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなければならない。彼を聖別し、わたしのために祭司の務めをさせるためである。

クリスチャンはどんな仕事をする時にも、心が神の知恵なるキリストに満たされていなければ、神を喜ばせることはできません。

4節には、祭司の装束のリストが記されています。それらは六種類あり、四二節の亜麻布のももひきまでいれると七種類になります。

出 28:4 彼らが作らなければならない装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らに、わたしのために祭司の務めをさせるため、この聖なる装束を作らなければならない。

5節には、それを作るための撚り糸の色の種類が記されています。

出 28:5 それで彼らは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。

その一つ一つの色には意味があると思われます。たとえば、金は神の権威、青は聖さ、紫は王の色です。緋色は血の色と見てもよいでしょう。

6~14節は、エポデの製作について記しています。

出 28:6 彼らに金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。
28:7 これにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。
28:8 エポデの上に結ぶあや織りの帯は、エポデと同じように、同じ材料、すなわち金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作る。
28:9 二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。
28:10 その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。
28:11 印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。
28:12 その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは【主】の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。
28:13 あなたは金のわくを作り、
28:14 また、二つの純金の鎖を作り、これを編んで、撚ったひもとし、この撚った鎖を、先のわくに、取りつけなければならない。

エポデには二つの肩当てがあり、この肩当てには二つのしまめのうの宝石がつけられており、その一つずつにイスラエルの六つの名が刻まれています。

アロンは主の前に、この二つの石を肩当てにつけて、イスラエルの名を両肩に負ったのです。これはイエス・キリストが十字架の上で私たちの罪をその身に負われ、今もなお、日々の荷をその肩に負ってくださっていることを示しています。そのことの故に、私たちは日々、平安に過すことができるのです(ペテロ第一2:24、マタイ11:28~30、詩篇68:19)。

Ⅰペテ 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

マタ 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

詩 68:19 ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。 セラ

「主権はその肩にあり」(イザヤ9:6)

15~30節は、さばきの胸当てを記しています。

出 28:15 あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。
28:16 それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。
28:17 その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。
28:18 第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。
28:19 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、
28:20 第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。
28:21 この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。
28:22 また編んで撚った純金の鎖を胸当てにつける。
28:23 胸当てに、金の環二個をつけ、その二個の環を胸当ての両端につける。
28:24 この二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につける。
28:25 その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけなければならない。
28:26 ほかに二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につける。
28:27 ほかに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につける。
28:28 胸当ては、青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにする。胸当てがエポデからずり落ちないようにしなければならない。
28:29 アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず【主】の前で記念としなければならない。
28:30 さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが【主】の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず【主】の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる。

このさばきの胸当てには、二種類のものがつけられています。

一つはイスラエルの十二部族を示す十二の宝石です。

この十二の宝石は大祭司の胸の上に載せて、主の前に出なければなりません。こうして十二のイスラエルの部族は大祭司の思いの中に深く刻みこまれて、神にとりなされるのです。
これは今日、神の民である私たちがイエス・キリストの御胸の中に覚えられて、執り成してくださっていることを示しています。

もう一つは30節のウリムとトンミムです。これは直訳では、「光と完全」です。このウリムとトンミムを持つ大祭司には、神の判断と決定を宣告する権威が与えられていました。
これも、知恵と知識との宝のすべてをお持ちであられるキリストを表わしています。

「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。‥‥‥自分を知恵のある者と思うな。」(箴言3:5、7)

自分を賢い者と思い上がって、何でも自分の考えで判断しようとする愚かをやめなければなりません。むしろ、いつでも主のみこころを尋ね、それに従うべきです。それが賢い者のすることです。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされ、あなたの倉は豊かに満たされます(箴言3:6、10)。

箴 3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴 3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる

31~35節は、エポデの下に着る青服について記しています。

出 28:31 エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。
28:32 その真ん中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。

この青服は青色の撚り糸だけで作られています。青色は神の聖を表わしています。


これは祭司であるクリスチャンはすべて、人の目につく表面の生活だけでなく、人の目につかない部分にまで神の聖さが浸透するように求められていることを示していると言っていいでしょう。

「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。』と書いてあるからです。」(ペテロ第。1:15~16)

クリスチャンは教会の奉仕において熱心であるばかりでなく、私生活においても神の人として聖なる生活をすることが求められています。といっても、決して窮屈な生活をすることではありません。隠れた思いや行動が神のみこころにかなっているように生活することです。

この青服のすその回りには、青色(聖)、紫色(王あるいは権威)、緋色(あがない)の撚り糸で作ったざくろがつけられ、そのざくろの間に金の鈴がつけられています。

出 28:33 そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。
28:34 すなわち、青服のすその回りに金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。
28:35 アロンはこれを務めを行うために着る。彼が聖所に入り、【主】の前に出るとき、またそこを去るとき、その音が聞こえるようにする。彼が死なないためである。

このざくろは神の恵みによる豊作を意味し、鈴は大祭司が香壇で民のために祈っていることを示しています。

しかしこれは至聖所では行ないません。聖所で行ないます。至聖所では、亜麻布の装束しか身に着けません(レビ記16:4)。

レビ 16:4 聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布のももひきをはき、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶらなければならない。これらが聖なる装束であって、彼はからだに水を浴び、それらを着ける。

聖所で祭司が神に執り成している間、外の庭にいる民は、鈴の音を聞いて聖所の中にいる自分たちの代表者である祭司の祈りに心を合わせることができたのです。また鈴の音が聞こえている限り、祭司は神のみこころにかなった執り成しの祈りをしていることが分かります。この鈴の音が聞こえなくなると、祭司は神のみこころに反する思いや行ないによって神に打たれて死んだことを意味します。祭司はそれほど細心の注意をはらって、神に仕えなければならなかったのです。

ルカの福音書1章8~23節の祭司ザカリヤの務めも、これであったと思われます。

ルカ 1:8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
1:9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
1:11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
1:21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。
1:22 やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。
1:23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。

21節で、人々が不思議に思ったとあるのは、ザカリヤに何かが起きたのではないかと心配していることを示しています。

36~38節は、純金の札について記しています。

出 28:36 また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『【主】への聖なるもの』と彫り、
28:37 これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。
28:38 これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。これは、それらの物が【主】の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければならない。

これには、「主への聖なるもの」という文字が刻まれ、この札は祭司の額の上につけられました。

これは神が聖なるお方である故に、すべてのささげ物が聖なるものでなければならないことを示しています。そうでなければ、神に受け入れられません。真に聖なるささげ物とは、イエス・キリストの十字架のほかにはありませんから、これはキリストの十字架を表わすものであると言ってもよいでしょう。

また、すべての神の民の礼拝は聖でなければなりませんから、すべてのクリスチャンは潔められて、自分の生活を神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなければなりません(ローマ12:1)。

ロマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

神はご自身の聖なることの故に、本質的に聖なるものだけを受け入れられるのです。ここに神の潔めのみわざがなされるのです。

39、40節は、長服と飾り帯とターバンについて記しています。

出 28:39 亜麻布で市松模様の長服を作り、亜麻布でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍して作らなければならない。
28:40 あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表すターバンを作らなければならない。

これらはすべて、神の栄光と美を表わすものです。
クリスチャンはもっともっと、飲むにも食べるにも、着るにも、話すにも、働くにも、神の栄光と美を表わすものでありたい(コリント第一6:20、10:31)。

Ⅰコリ 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

Ⅰコリ 10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

42節では、下着のももひきもつくられています。

出 28:42 彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。腰からももにまで届くようにしなければならない。

41節、こうして祭司となる者は、これらのものを着て、油を注がれ、祭司職に任命され、聖別されて、神に仕えるのです。

出 28:41 これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。

43節、これは霊的な意味において、永遠のおきてであり、汚れたままで、すなわち、地位や名誉や特権を求める野心をもって神に仕えようとする者は、自ら、わざわいを招くことになります。

出 28:43 アロンとその子らは、会見の天幕に入るとき、あるいは聖所で務めを行うために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って、死ぬことのないためである。これは、彼と彼の後の子孫とのための永遠のおきてである。

あとがき

聖書が私たちに与えられた目的は、ただ学んで知識として知るだけではなく、信じて、実行するためです。私たちは聖書を読み、探求することによって、古い人を脱ぎ捨て、キリストにある新しい人を着て、新しい生き方をすべきことを教えられます。
たとえば自分と同じように隣人を愛すべきこと、偽りを捨てて真実を話すべきこと、互いに忍び合い、赦し合うべきこと、他人のことを思いやるべきことなど、私たちが日常生活で行なうべきことを旧約聖書も新約聖書も教えています。
これらのことを行なうことは霊的なことであり、信仰生活なのです。しかし、しばしばクリスチャンはこれらのことを知っていながら、行なおうとはしていません。そして霊的信仰生活とは、祈り、賛美し、教会に行くことであると思っています。
さらに聖書通読が苦痛のタネのように言われています。祈りも賛美も教会出席も重要です。しかし先に挙げましたことどもを行なわなければ、教会で問題が持ち上がるでしょう。真に霊的なことは何かを考えなければなりません。

(まなべあきら 1989.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、イスラエルのティムナ渓谷に造られた幕屋の実物大模型(2013年の訪問時に撮影)


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