聖書の探求(063b) 出エジプト記29章 祭司とささげ物の聖別式

29章は、祭司とささげ物の聖別式です。

Ⅰ.1~37節、祭司の任職のための聖別式

出 29:1 あなたは、彼らを祭司としてわたしに仕えるように聖別するため、次のことを彼らにしなければならない。すなわち、若い雄牛一頭、傷のない雄羊二頭を取れ。
29:2 種を入れないパンと、油を混ぜた種を入れない輪型のパンと、油を塗った種を入れないせんべいとを取れ。これらは最良の小麦粉で作らなければならない。
29:3 これらを一つのかごに入れ、そのかごといっしょに、あの一頭の雄牛と二頭の雄羊とをささげよ。

聖別式には次の五つの象徴的儀式が行なわれています。

(1) きよめのための水の洗い(4節)

出 29:4 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗わなければならない

(2) 祭司の装束をつけての祭司職の任命式(5~9節)

出 29:5 あなたは、装束を取り、アロンに長服とエポデの下に着る青服と、エポデと胸当てとを着せ、エポデのあや織りの帯を締めさせる。
29:6 彼の頭にかぶり物をかぶらせ、そのかぶり物の上に、聖別の記章を掛ける。
29:7 そそぎの油を取って、彼の頭にそそぎ、彼に油そそぎをする。
29:8 彼の子らを近づけ、彼らに長服を着せなければならない。
29:9 アロンとその子らに飾り帯を締めさせ、ターバンを巻きつけさせる。永遠のおきてによって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたは、アロンとその子らを祭司職に任命せよ。

(3) 油そそぎ(7節)

出 29:7 そそぎの油を取って、彼の頭にそそぎ、彼に油そそぎをする。

(4) 贖罪と聖別のための犠牲(10~21節)

出 29:10 あなたが、雄牛を会見の天幕の前に近づけたなら、アロンとその子らがその雄牛の頭に手を置く。
29:11 あなたは、会見の天幕の入口で、【主】の前に、その雄牛をほふり、
29:12 その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の角につける。その血はみな祭壇の土台に注がなければならない。
29:13 その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓と、その上の脂肪を取り、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。
29:14 ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである。
29:15 あなたは雄羊一頭を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置かなければならない。
29:16 あなたはその雄羊をほふり、その血を取り、これを祭壇の回りに注ぎかける。
29:17 また、その雄羊を部分に切り分け、その内臓とその足を洗い、これらをほかの部分や頭といっしょにしなければならない。
29:18 その雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、【主】への全焼のいけにえで、なだめのかおりであり、【主】への火によるささげ物である。
29:19 あなたはもう一頭の雄羊を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置く。
29:20 あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。
29:21 あなたが、祭壇の上にある血とそそぎの油を取って、アロンとその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とに振りかけると、彼とその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とは聖なるものとなる。

(5) 犠牲を献げる者となる資格を与えるために、彼らの手のひらに供え物を置くこと(22~28節)

出 29:22 あなたはその雄羊の脂肪、あぶら尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓、その上の脂肪、および、右のももを取る。これは、任職の雄羊である。
29:23 【主】の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、
29:24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。
29:25 これらを、彼らの手から取り、全焼のいけにえといっしょに祭壇の上で焼いて煙とし、【主】の前になだめのかおりとする。これは、【主】への火によるささげ物である。
29:26 あなたはアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。
29:27 あなたがアロンとその子らの任職用の雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸と、奉納物として、ささげられたももとを聖別するなら、
29:28 それは、アロンとその子らがイスラエル人から受け取る永遠の分け前となる。それは奉納物であり、それはイスラエル人からの和解のいけにえの奉納物、すなわち、【主】への奉納物であるから。

装束については、すでに学んでいるので、ここでは犠牲が中心です。犠牲は三重ですが、最後に揺祭が加えられています。

(1) 罪のためのいけにえの雄羊(10~14節)

出 29:10 あなたが、雄牛を会見の天幕の前に近づけたなら、アロンとその子らがその雄牛の頭に手を置く。
29:11 あなたは、会見の天幕の入口で、【主】の前に、その雄牛をほふり、
29:12 その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の角につける。その血はみな祭壇の土台に注がなければならない。
29:13 その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓と、その上の脂肪を取り、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。
29:14 ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである。

(2) 全焼のいけにえの雄羊(15~18節)

出 29:15 あなたは雄羊一頭を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置かなければならない。
29:16 あなたはその雄羊をほふり、その血を取り、これを祭壇の回りに注ぎかける。
29:17 また、その雄羊を部分に切り分け、その内臓とその足を洗い、これらをほかの部分や頭といっしょにしなければならない。
29:18 その雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、【主】への全焼のいけにえで、なだめのかおりであり、【主】への火によるささげ物である。

(3) 聖別のためのもう一頭の雄羊(19~22節)

出 29:19 あなたはもう一頭の雄羊を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置く。
29:20 あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。
29:21 あなたが、祭壇の上にある血とそそぎの油を取って、アロンとその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とに振りかけると、彼とその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とは聖なるものとなる。
29:22 あなたはその雄羊の脂肪、あぶら尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓、その上の脂肪、および、右のももを取る。これは、任職の雄羊である。

(4) 主に向かって揺り動かすささげ物(23~28節)

出 29:23 【主】の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、
29:24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。
29:25 これらを、彼らの手から取り、全焼のいけにえといっしょに祭壇の上で焼いて煙とし、【主】の前になだめのかおりとする。これは、【主】への火によるささげ物である。
29:26 あなたはアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。
29:27 あなたがアロンとその子らの任職用の雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸と、奉納物として、ささげられたももとを聖別するなら、
29:28 それは、アロンとその子らがイスラエル人から受け取る永遠の分け前となる。それは奉納物であり、それはイスラエル人からの和解のいけにえの奉納物、すなわち、【主】への奉納物であるから。

10節で、ささげる者は犠牲としてささげる動物の頭に手を置きます。これは自分の罪をこの動物に代わりに背負ってもらうことを意味しています。祭司アロンもまた、罪人であるが故に、まず自らの罪のための犠牲が必要でした。しかし真の大祭司であるイエス・キリストは全く罪のないお方ですので、ご自分のための犠牲は要りません。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした」(ペテロ第一2:22)

ですから、この犠牲は私たちの罪を背負ってくださった十字架上のキリストを予表しています。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロ第一2:24)

15、19節にも「雄羊の頭に手を置く」ことが記されています。これらは罪のための犠牲ではありませんが、人の罪のための身代わりの犠牲であることには変わりがありません。旧約聖書の中には何度も身代わりの犠牲が繰り返し教えられています。

罪のためのいけにえと、全焼のいけにえについての意味はレビ記にくわしく記されています。全焼のいけにえには、全き献身と感謝の二つの場合があります。

20節、任職のいけにえの血は、アロンたちの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指につけられました。

出 29:20 あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。

右は神の力、神の権威を表わします。耳たぶは神のみことばをよく聞くこと、手は神のみこころを行なうこと、足は神に従順に従うことを表わしています。そして、その血はさらに、アロンとその子らとその装束に振りかけられました。こうして、彼らの全存在と全行為が神の奉仕のためにきよめられ、聖別されるのです。神のみことばを忠実に行ない、その歩みが神の道からはずれないようにと聖別されたのです。

21節では、血と油の両方が振りかけられています。

出 29:21 あなたが、祭壇の上にある血とそそぎの油を取って、アロンとその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とに振りかけると、彼とその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とは聖なるものとなる。

すなわち、祭司職への任命は、あがないの血と聖霊の油そそぎの二つが必要であることが示されたのです。

22~28節、アロンたちが最初のいけにえをささげるために、モーセは彼らの手にいけにえを渡しました。

出 29:22 あなたはその雄羊の脂肪、あぶら尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓、その上の脂肪、および、右のももを取る。これは、任職の雄羊である。
29:23 【主】の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、
29:24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。
29:25 これらを、彼らの手から取り、全焼のいけにえといっしょに祭壇の上で焼いて煙とし、【主】の前になだめのかおりとする。これは、【主】への火によるささげ物である。
29:26 あなたはアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。
29:27 あなたがアロンとその子らの任職用の雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸と、奉納物として、ささげられたももとを聖別するなら、
29:28 それは、アロンとその子らがイスラエル人から受け取る永遠の分け前となる。それは奉納物であり、それはイスラエル人からの和解のいけにえの奉納物、すなわち、【主】への奉納物であるから。

そして、アロンたちは祭司職に就任することになります。

24、26節の「主に向かって揺り動かす。」は、空の四隅に向かって差し上げ、遍在(どこにでもおられる)の神にささげたことを示します。

出 29:24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。
29:25 これらを、彼らの手から取り、全焼のいけにえといっしょに祭壇の上で焼いて煙とし、【主】の前になだめのかおりとする。これは、【主】への火によるささげ物である。
29:26 あなたはアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として【主】に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。

「わたしは近くにいれば、神なのか。-主の御告げ。- 遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。-主の御告げ。- 天にも地にも、わたしは満ちているではないか。-主の御告げ。-」(エレミヤ書23:23~24)

29、30節は、祭司職の世襲制度を述べているのかもしれません。

出 29:29 アロンの聖なる装束は、彼の跡を継ぐ子らのものとなり、彼らはこれを着けて、油そそがれ、祭司職に任命されなければならない。
29:30 彼の子らのうち、彼に代わって祭司となる者は、聖所で務めを行うために会見の天幕に入るとき、七日間、これを着なければならない。

31節からは、再び任職式にもどります。

出 29:31 あなたは任職用の雄羊を取り、聖なる場所で、その肉を煮なければならない。

32~34節では、祭司たちは贖(あがな)いに用いたものを食べます。しかし朝まで残ったものを取っておいてはならず、火で焼いてしまいます。それは神のものだからです。

出 29:32 アロンとその子らは、会見の天幕の入口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンとを食べる。
29:33 彼らは、彼らを祭司職に任命し、聖別するための贖いに用いられたものを、食べる。ほかの者は食べてはならない。これらは聖なる物である。
29:34 もし、任職用の肉またはパンが、朝まで残ったなら、その残りは火で焼く。食べてはならない。これは聖なる物である。

神は私たちに本当に必要なものは与えてくださいます。しかし必要なもの以外は、貧欲にならず、神に返すように命じています。

「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、それらのものはすべて与えられます」(マタイ6:32,33)
「神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)

35~37節、任職式は七日間、毎日行なわれなければなりませんでした。

出 29:35 あなたが、わたしの命じたすべてのことをそのとおりに、アロンとその子らに行ったなら、七日間、任職式を行わなければならない。
29:36 毎日、贖罪のために、罪のためのいけにえとして雄牛一頭をささげなければならない。祭壇のための贖いをするときには、その上に罪のためのいけにえをささげ、これを聖別するために油をそそぐ。
29:37 七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。

こうして祭司と祭壇が聖別されるのです。

Ⅱ.38~46節、主へのささげ物

38、39節、このささげ物は、毎日絶やさず、朝夕二回ささげなければなりませんでした。

出 29:38 祭壇の上にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の若い雄羊二頭。
29:39 一頭の若い雄羊は朝ささげ、他の一頭の若い雄羊は夕暮れにささげなければならない。

このことは、クリスチャンの毎日の生活そのものが、神へのささげものでなければならないことを教えています(ローマ12:1)。

ロマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

40~42節前半、このささげ物には上質のオリーブ油と、最良の小麦粉と、ぶどう酒が添えられ、「なだめのかおり」として、主への火によるささげ物とされました。

出 29:40 一頭の若い雄羊には、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた最良の小麦粉十分の一エパと、また注ぎのささげ物として、ぶどう酒四分の一ヒンが添えられる。
29:41 もう一頭の若い雄羊は夕暮れにささげなければならない。これには朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物を同じく添えてささげなければならない。それは、なだめのかおりのためであり、【主】への火によるささげ物である。
29:42 これは、【主】の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。 ・・・

それ故、このささげ物には原罪、献身、感謝、祈りなどの意味がこめられていて、毎日、新たにささげられるべきものです。

42節後半では、「あなたがた」が「あなた」と単数に変わっていることに注目したい。

出 29:42 ・・・ その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。

「あなた」とは、氏の代表者である大祭可をさしています。それ故、「主の前、会見の天幕」とは、民が集まる所ではなく、大祭司を通して神が民と会われる至聖所です。今日、新約のクリスチャンたちも、各々の教会や教団に加わっていることに安心せず、各自が個人的にキリストを通して神の臨在を経験する必要があります。教会には大勢の人が集まって礼拝をささげます。しかしそこでは個々の人が主とお会いしなければなりません。この経験がないと、集会には出席しても、神にお会いしていません。集団活動に参加して、みんなと同じことをした安心感を持っていても、それは非常に表面的なことで、最も重要な個人的神経験がなされていません。

43、44節、その神の栄光によって、会見の天幕と祭壇は聖別され、アロンの子たちも祭司として聖別されます。

出 29:43 その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。
29:44 わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。

これまでの儀式はすべて、主の臨在による内的恵みを示す象徴であり、神ご自身の臨在によって、すべてが聖別されることを示しています。今日の教会はもっとこの神とお会いする経験を重要視すべきではないかと思います。

45節、この神の臨在は一時的なものではなく、「住む」とありますから、日常に継続されるべきものなのです。

出 29:45 わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。

46節、さらに、この臨在によって、民は神を深く知るようになります。神の臨在は神についての霊的知識を与えるのです。

出 29:46 彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、【主】である。

神についての霊的知識(真理)は、教師から教えられて理解できるものと、神の臨在によってしか体験できないものとがあります。それ故、私たちはただ学んでいるだけでは分からないものがあることを知っておかなければなりません。すなわち、神は単なる知識として知ってしまうことのできないお方であるということです。このことは、今日の主知主義(知識優先)の信仰の欠陥を示しています。聖書を学び、知識を身につけることは大切ですが、それだけで神が分かったと言ってはならないのです。

このように神の臨在によって、霊的知識を受け入れて自分のものにした人こそ、神の臨在を確信できる人になるのです。そのような者になるために、私たちはエジプトの地、すなわち、罪の生活から救い出されたのです。ここに到達するとき、私たちは自分が救われた目的、自分の残された人生の目的もはっきりと悟ることができるようになります。

(まなべあきら 1989.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵画は、Caspar Luykenの聖書の挿絵より「The tabernacle(幕屋)」(Phillip Medhurst Collection、Wikimedia Commonsより)


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